2-5
「犯人は、目城先生ですよね?」
相手を射竦めるような視線とはいかないが、なるべく威圧できるように目に力を入れた。
「どうしてそう思うんだい?」
両腕を広げて、オーバーリアクションを取る彼には、余裕がありありと見て取れた。
「目城先生にしかできない方法で、沙音さんが殺されたからです」
そう、僕が思いついた方法で、トリックの処理を全てできる人は、目城先生のみだ。
「どんな方法なのか、聞かせてくれるかな」
余裕綽々な彼に、僕は推理をぶつける。
「まず、志島くんの証言です。彼は、沙音さんが誰かと一緒に来たと言っていた。そのとき、目城先生と沙音さんは、共に屋上に登ったんです。そこで、目城先生は、様々な下準備を行い始めた。
最初に、屋上の淵にあった丈夫な紐で沙音さんの首を締め、気絶させる。その後、彼女の体は屋上に乗せたまま紐で彼女を縛り、紐を杭の周りに巡らせる」
屋上の中を内側、屋上の外を外側とする。杭は縁側に刺さっており、紐は左の外側から、屋上側を通り、右の外側へと通っていく。巻きつけるわけではないから、あとはそのままだ。
「そうして、杭を通した紐は、片方に沙音さんが結ばれ、もう片方がまだ空いています。あなたは、その空いた方の紐を、屋上から垂らしたんです。あの紐は長かった。だから、人に巻き、更に杭に巻いたとしても、残りを垂らせば保健室の窓までは届くでしょう。
あとは、保健室に戻り、時間が経ったら紐の先端を引っ張る。すると、巻きつけられている沙音さんは、そのまま頭から落下するという仕組みです。こうすれば、保健室にいながら、沙音さんを落下死させられるわけですよ」
目城先生は何度か頷く。表情はよく見えず、なにを考えているのかわからない。
「ねえ、焦斗、それなら志島くんが不思議に思うんじゃないかな。気絶していたってことは、突然声が消えるわけだよね」
悠の言葉に、僕の視界が広がって、悠や他の人たちの姿も見えるようになった。何人かが不思議そうな顔を浮かべている。
「ボイスレコーダーだよ。目城先生は、あらかじめ沙音さんの声を録音していたんだ」
「ボイスレコーダー? でも、どうやって目城先生は声の録音をしたの?」
メアがスマートフォン片手に疑問を浮かべる。そこで、あの話が重要になるのだ。
「沙音さんからは、時々煙草の匂いがしたって話を聞きました。でも、人柄を聞くに、沙音さんが煙草を吸うとは思えない。それなら、沙音さんの近くで、煙草を吸っている人がいるんじゃないかと思います。そして、その人というのが、目城先生に違いありません」
「ああ、そういえば、俺も何度か見たな。先生が煙草を吸ってんの」
棚から牡丹餅。もとい、志島から新情報だ。
「志島くん、それは本当は本当?」
訊ねてみると、首肯で返答された。
「なんだ、見られていたのか。まあ、その通りだ。私は沙音と仲が良かったよ。確かに、ボイスレコーダーで声を録音をすることもできたかもしれないな」
そうは言いつつ、まだ切り札でも隠し持っているのか、全然堪えていない。
「でも、先生は私と一緒にいたから、屋上へ行ける時間なんてなかったはずだよ」
「海美、違うよ。海美が寝ている間に、先生は沙音さんと屋上に行って、気絶させたあと、ボイスレコーダーの音声を流す。そして、保健室に戻ったあと、海美が目覚めたのを見計らい、紐を引っ張って沙音さんを落としたんだ。
この一連の行動によって、目城先生はアリバイを作りながらも、沙音さんを自殺に見せかけたんだ」
許せない。介護施設のときも似たようなものだ。熱中症で死んだのを、自殺したように見せ、死を歪曲させた。人の死を弄んだ人間は、罪を背負わなければいけない。
「なるほどね。……なかなか、面白い推理だ。証拠はあるのかな?」
顔を落として、先生は言う。その態度が既に、犯人だと言っているようなものだ。
「悠は、沙音さんと一緒になにかが落ちるのを見たらしいです。それは、多分、彼女に巻きつかれた紐と、ボイスレコーダーでしょう。その高さから落ちれば、機械は流石に壊れると思います。あなたがある程度の破片を集めたとしても、警察が破片を拾っているのではないでしょうか」
警察が少しでも部品を見つけていれば、犯人が目城先生だという確固たる証拠の完成だ。目城先生も諦めたらしく、目に涙を浮かべて口を開く。
「そうだ。犯人は私━━」
『違うわ』
先生の言葉を遮って聞こえた声は、スピーカーを通したようなもので、聞き覚えがあった。
「リレンさん……」
『君の推理は間違っている。犯人はその人じゃないわ』
メアの手にある端末は、画面にリレンを映し出していた。
コンタクトは装着済みで、瞳は黒い。メアとはまた違った目で僕を見てくるが、彼女も責める雰囲気はない。慈愛というよりも、諭したり宥めたりが近く、心配しないでと訴えられている気がした。
「すみません。間違っていましたか?」
『謝らなくてもいいのよ。私の代わりにやってくれたのでしょう? 推理は簡単にできることじゃないわ。焦らなくていいの。いつか、君にも君の力が身につくはずだから』
「……わかりました」
今すぐに死へ抵抗することはできない。僕は、やっと入り口に立ったようなものだ。死を許せない。しかし、どうすればいいのか。その手段を求めるための、始まりの地点に。
「焦斗、この人は?」
悠が僕に問うた。空気が変わってしまったのは、周りに申し訳なく思う。
「この人は、リレンさんだよ。自殺と思われた事件が、本当に自殺なのかを調べる専門家、みたいなものかな」
悠は納得したように頷いた。思えば、最初から僕とメアの関係性に不審に感じていたようだし、メアのことを自殺判断者だと考えていたのかもしれない。
「世の中には、そんな人がいるんですね。でも、私が犯人です。この少年の推理は、間違っていませんよ」
不自然だ。普通、犯人の心理としては、疑いが他の人に向くのだから、否定する必要はない。なのに、目城先生は僕の推理が正しいと言い張る。どういうことだ?
『ありもしない罪を背負うのは、私はいいことだと思わない。それこそ自分勝手よ。人を殺す心理よりもね。少なくとも、この件に関しては、沙音さんが、あなたに罪を背負って欲しいとは思っていないはずよ』
リレンは目城先生が犯人ではないと確証を得ているような話し振りだ。
「違う。私が犯人だ。そうではないと言うのなら、沙音が自殺だって言うのか!?」
『いいえ。沙音さんは自殺でもないわ』
「なんだと?」
『これから、私が話してあげるわ。沙音さんが死に至るまでの真相と、あなたがなぜこんなことをしたのか、その理由をね』
リレンの推理が始まる。画面を通した会話なのに、彼女はこの場に立っているような存在感があった。
『まず、あなたが犯人では、あり得ない反証からするわ。ここから打たれた釘を見たのだけど、あの釘は綺麗過ぎたの。土曜日には雨が降っていたわけだし、なにかのトリックに使ったのなら、傷でもなんでも付くでしょう。
なのに、あの釘は真新しくて、真っ直ぐに打ち込まれているわ。つまり、あの釘はここ最近になって打たれたものだとわかる。
そもそも、焦斗くんのトリックでは、釘の必要性さえないわ。紐で結びつけて、そのまま引っ張るだけでいいもの。多分、その釘を使って、トリックをうまいこと考えさせたかったのでしょうね。
そして、糸だけど、いくら細いとはいえ、沙音さんが落ちたときに見えるはずよ。あの日は天気が良かったから、透明の糸は、逆に陽を反射させてしまうもの。
それに、仮に紐が巻きつけてあったとして、屋上から地面まで引っ張るのだから、強固に結んでおかないと解けてしまうわ。第一発見者だとしても、落ちてすぐに死体の紐を解いて回収するなんてできるかしら』
リレンの話を聞けば聞くほど、所詮、僕は都合よく物事を考えていただけだったのだと気付かされる。
「あ、あの、それなら誰が沙音さんを。こ、殺したんですか?」
今までは展開についていけなかったのか、大人しくしていた海美が、リレンに訊く。核心に迫る質問だ。
『犯人は……』
リレンは躊躇したのだと思う。目を伏せて、口を一瞬閉ざした。しかし、伏せた目を再起させると、淡白な声で答えを言った。
『犯人は、人ですらない。風が、沙音さんを殺したの。つまり、この事件は、ただの事故よ』
「え?」
一番大きく響いた声は海美のものだったが、似た思いをしたのは彼女だけではない。僕と、海美と、悠だ。
目城先生は、取り返しのつかないことを言われたように固まっているし、志島は惚けた顔をしている。
メアは、全てを事前に聞かされていたのかもしれない。無表情で、なにも読み取れなかった。
「風で人が死ぬものか! 驚いたな。そんな馬鹿らしい答えが出るとは思っていなかったよ!」
逸早く気を取り直した目城先生が、挑戦的な口調でリレンに吠え掛かる。確かに信じられない答えだったが、目城先生の必死さを見ていると、それが事実なのだと思えてきた。
『話を統合させれば、そうなるのよ。順番に行くわ。まず、沙音さんが屋上に来た理由から。彼女が屋上へ来たのは、きっと演劇の練習をするためでしょうね。演劇部が、発表を控えているのでしょう?
そして、沙音さんは海美ちゃんに厳しく指導をしていた。話の随所から感じられる沙音さんの人柄では、理不尽に怒るとは思えないわ。彼女の親が厳しいということもあって、沙音さんは自身にも厳しかったので しょう。
だから、後輩に厳しくすると共に、彼女は自分でも一年生をサポートできるよう、熱心に練習をした。授業を蔑ろにしてまでね』
確かに、あり得ないことではない。昨今では珍しめな、門限を定められた家庭環境にいる彼女は、きっと自分にも厳しくなったことだろう。ただ、あくまでもリレンの話は起こり得るというだけで、確証がない。
「リレンさん、もっと確実にそうなったっていう証拠が欲しいです」
『そうね。確かに、誰かが見たわけでもないから、証明は難しそうに見えるわ。でも、志島くんの証言が、沙音さんの動きを表しているの』
志島の証言が? 話し声が聞こえたと言っていた。そして、しばらく女生徒、おそらく沙音さんが話したのち、鳥の羽音が聞こえて、最後に悲鳴。そして、扉の閉まる音がしたはずだ。
確かに行動の想像はつくが、誰かが沙音さんを突き落として、逃げたようにしか思えない。
リレンの場合、どのような推理を広げていくのだろうか。
『志島くんの言葉に順を追って解説を入れていくわよ。まず始めに、沙音さんが屋上に来た。このとき、彼女は一人だった』
「一人だったんですか?」
『ええ、一人よ。志島くん、そのあと、扉が閉まる音は聞こえなかったのよね?』
志島はビクッと肩を震わせたが、頷いて肯定した。リレンも、おそらく了承の意を込めて頷き返した。
『扉は、開けるときには音が小さいのに、閉めるときには大きな音が出る。沙音さんは授業中だったことを気に掛けて、扉を開け放したのでしょうね。そして、演劇の練習を始めた』
皆は眠気を覚えながら授業を受け、沙音さんはそれを横目に、屋上へ行って演劇の練習。演劇の練習を部活と言い換えれば、羨むものもいるだろう。
彼女は、授業をサボっていることにも気づかれてはいけない。慎重に事を進めた。
「ああ、あんたの言いたいことがわかった。つまり、その人は演劇の練習をしていたから、一人だったってわけか」
『ええ、その通りよ』
僕の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。その接続は意味がわからない。しかし、気づいてないのは僕だけのようだ。気づいてか、悠が思いついたことを話す。
「志島くんの話では、聞こえた声が女の人だけだったからですよね。女の人の声が、しばらく話していたというのは、相手の声が志島くんに聞こえなかったのではなく、相手がいないままで自分の台詞だけを読んでいたから。これで合っていますか?」
『正解。その場面にいた志島くんには、すぐにわかったようだけど、あなたには想像力があるのね』
僕には想像力がないということか。しかし、弁に納得はできる。一人でいたという証明には、確かになった。
「沙音さんが一人だった、ということはわかりました。そこから、どうなったんですか?」
『また、志島くんの話をレールにして進めばいいのよ。しばらく沙音さんが話していた、正しく言えば、演技をしていると、次に突然、鳥の羽音が聞こえた。この鳥の羽音がなにかわかれば、真相まではもうすぐね』
鳥の羽音。イメージするのは、バサバサという羽ばたき、はためくような音か。状況から考えてみて、この鳥の羽音たるものは。
「あ、わかった。台本ですね」
『私もそう思うわ。全ての文を暗記していたのなら必要ないけれど、手近にあれば、もし忘れたときにでも使える以上、ない方が不自然だもの』
答えたのは海美。演劇部だからこその発想か。
「じゃあ、沙音さんは風で飛んだ台本を追って?」
『ええ、そうだと思う。扉が閉まったのも、風の力でしょうね。それだけの強さで吹いた風なら、台本の飛距離もそこそこあるわ。
演技に熱中していた彼女は、屋上だということも忘れて、台本目掛けて走り出した。でも、踏み出した片足は、いつしか空を踏んでいた。そして、彼女は転落したのよ。君の友達である彼が見た落下物は、台本だと思うわ。
台本がどういう物体か認識できなくて、記憶に残らなかったんじゃないかしら』
全てが繋がった。僕の推理とは質が違うし、着地点も全く異なっている。
「でも、それなら目城先生は、どうして犯人だなんて?」
海美の純粋な疑問には、僕も共感した。誰も犯人ではない。なのに、自分が犯人だと、誰かを庇うことにもならないのに、なぜ?
『きっと、責任を感じたのよ。メアから話を聞いた限り、この学校で屋上の鍵を手に入れるのは、生徒単独だと難しそうだわ。それなら、沙音さんは、どうやって鍵を手にいれたのか。
答えは簡単。先生に借りたのよ。仲のいい先生にね。その人はさっき、自身で沙音さんとの仲も明かした。つまり、彼が鍵を貸したのよ。
沙音さんが授業を抜け出したのも、 保健室に行くと言って抜け出しと思うわ。そうして、保健室担当の先生であるその人に、ちゃんと、保健室にいたと報告してもらうつもりだったんじゃないかしら?
でも、それはできなかった。彼女は落下して死んだから。そして、その間接的な原因を作ったのは、自分だ。ならば、悪いのは全て自分だ。こういう、短絡的な思考にでも陥ったのでしょう?』
リレンの口調は、冷たかった。目も澄んでいて、冷水を浴びせられたような気がした。
「あなたはまるで、我がことのように話しますね。本当に、その通りです。全て、当たっていますよ」
目城先生はリレンの推理を認め、膝から崩れ落ちた。両手は握り拳で床へつき、タイルに陰を作っている。
「彼女とは去年、初めて会いました。具合が悪く、保健室に来たんです。夏のことで、演劇中に水分不足で倒れたらしくて、部員に背負われてきました。
実は、私は演劇部の副顧問でして、それを機に、今まで見に行ってなかった部活動を見にいくことにしたのです。沙音は真面目な生徒で、彼女の熱心な演技は、周りと合わせて適当に生活してきた私には、とても眩しかった」
空を見上げ、その視線は恋い焦がれるようなものだった。イカロスの逸話を思い出してしまう。
「ある日のことです。彼女には門限があるが、もっと演劇の練習をしたいと言うんですよ。部活が長くなれば許してもらえると言うんですが、使える場所は限られていますから、私は仕方なく屋上を解放することにしました。
ただし、私が見ている前ですること。それを条件にして。夜の暗がりでは、危ないですからね。
煙草を吸いながら彼女を見ていたら、『健康に悪いから、煙草なんか吸わない方がいい』と注意をされて、はは、どちらの立場が上なのか。
勘違いは招きたくないので、あえて言っておきます。私は、彼女のことを妹のように思っていましたよ。実際、年齢で見ても、妹だとすれば丁度いい歳です。抱いていた感情は、決して、恋などではなかった」
先生は起き上がることなく、話を進めていく。全員が静かに聞いていた。歌ではなかったが、僕はその告白を、レクイエムのように感じていた。もしかしたら、他の人たちも。
「そして、少し前の彼女が死んだ日。屋上を貸したのは久々だった。冬の間は、雪があって貸せませんでしたし、四月からは、いろいろと忙しかったですしね。
ただ、後輩のために自分も頑張りたいという彼女を、私は止められなくて、鍵を貸してしまった。私も上に行くつもりでしたが、海美さんが来たので、まずはそちらの様子を見ることにしました」
そこで、海美が息を飲んだ。目城先生は、そちらへゆったり首を回し、柔らかく微笑んだ。
「海美さんを責める気はありませんから、安心してください。悪かったのは、私だけです」
有無を言わさぬ雰囲気のためな、海美は焦ったように何度か頷いた。目城先生は、一層目を細めて、話を再開する。
「海美さんが目を覚まし帰ると、私は屋上へ向かおうとしました。しかし、そこで音がしたのです。
聞きたくない。咄嗟にそう思いましたが、聞こえてしまいました。なにかの落ちた音が。
そして、振り返るとそこには……。さあ、こんなところですよ。私と彼女が、分かたれるまでの日々は」
声の最後には、涙声が混じっていた。心の中で、いつの間にか大きな存在となっていた人の、唐突な喪失。
僕は虚無感に埋め尽くされた。しかし、目城先生は違う。
『そのあと、落ちていた台本を回収したのね。そして休校中に警察が調べ尽くしたあと、わざわざ屋上にあんな小細工をした』
リレンの動かした視線を辿るに、小細工というのは、釘と紐のことだろう。
「小細工、ですか。ええ、そうですよ。ですが、当然のことです。必要なことでした。
私は、私が、彼女を殺したも同然ですから、罰を受けるべきなんです。それが、彼女のためにもなる。私は間違っていない。彼女はそれを望んでいる」
『そんなこと、望んでいるとは思えないわ』
「望んでいるんですよ! あなたは、沙音と話したことがあるんですか? ないでしょう! 私は沙音と一年以上ともにいた。ずっと近くで演技を見ていた。
最後の最後で、彼女は私を恨んだはずだ。どうして、屋上に来てくれなかったの?とね。私が彼女をちゃんと見ていれば、こんなことにはならなかった。沙音は、死ななかったんだ!」
荒ぶった声を出す先生に対して、リレンは氷のように冷たく、言葉を放ち続ける。
『でも、残念ながら今回の件では、自殺幇助にはならないし、証拠隠滅罪にも類しない。そもそもが事故だもの。
それとも、学校の管理不足を自分の罪として背負う? それだけは、貴方の問題として背負えるわよ。沙音さんには、直接関係ないけどね』
そうか。だから、目城先生は自身を犯人に仕立て上げようとしたのか。そうすることで、なんらかの罰を受けることができるから。うまくいけば、殺人罪で死刑を受けることもできる。
本来なら、人は罪を避けたがるはずで、自分から背負うことはしない。しかし、目城先生は罪を背負うことで、償おうとした。先生にも責任はあるだろう。鍵を開けなければ、こんな事故は起きなかったと。しかし、多くの人は結末を見て、事故だったと言うはずだ。
それでも、先生にとっては周りなど関係なく、そうすることでしか、彼の思いは晴れないのだろう。
「うるさい! 私は罪を背負わなければいけないんだ。邪魔をするな。私は、彼女の最期の気持ちを汲んで、自分に罪を科すしかない」
今日、最初に見たときの、余裕げな姿は型崩れした。タイルに黒いシミを作り、彼は吐き出すように思いの丈を爆発させる。
もう、どうすることもできない。彼をどうにかできるのは、既にこの世の生を失った、沙音さんだけなのではないだろうか。
誰もが閉口し、考えを巡らし、嗚咽が漏れる屋上で、僕はそんなことしか思えなかった。力のない僕には、なにができるのかも思いつかない。
彼も僕と同じ人間なんだ。大切な人を失った仲間なんだ。それなら、僕がなんとかしないといけないはずなのに。
気持ちは閉じた輪の中を回っているようで、出口が見つからない。なにも、妙案が出てこない。
「先生!」
そんな中で、大きな声が響いた。聞き覚えがあるのに、それは知らない声だった。
全員が声の主に向く。目城先生も顔を上げてそちらを見るが、丁度よく太陽が逆光となっているらしく、目を眇めていた。
「先生、私は先生に罪を背負って欲しいなんて思っていません。先生が抜けているのは、いつものことじゃないですか。これくらいでクヨクヨしていたら、私、後悔なんてなかったのに、心残りができちゃいますよ?」
話しているのは、海美だった。しかし、僕の知らない海美だ。こんな話し方の彼女を見たことがない。まるで、別人のように。
「沙音……?」
目城先生が、ゆっくりと立ち上がって、フラフラと歩いていく。
「そうですよ、先生。先生ったら、私が死んで変なことしてるから、気になって戻ってきちゃいましたよ。なんで、こんなことするんですか?」
「私は、沙音が、私のことを恨んでいると思って」
「そんなことないですよ。先生は、私に屋上を解放して、いろいろと優しくしてくれました。だから、感謝こそしますけど、恨むはずないですよ」
そうか。海美は、沙音さんになりきっているのか。そして、先生にこんなことをしないよう、説得を試みているんだ。
「ほ、本当か? なら、私はどうすればいいんだ? 私はお前が死んだのは、私のせいだと思っている。そうだろ? 私が鍵を貸さなければ、私が屋上へ行っていれば、お前は死なずに済んだんだ」
先生、と、今までになく優しい声で海美は彼を呼んだ。
「私は、先生に長生きしてもらいたいです。私みたいに、こんな風に死んでしまったら、悲しいですから。なので、もし先生が私のために、なにかしないと気が済まないっていうのなら━━」
「なんでもする! 言ってくれ!」
縋りつくような様子の彼が、可哀想に見えた。しかし、あれは僕でもある。兄を殺した犯人を知りたくて、リレンに縋っている僕だ。
「言いましたね? それなら、煙草を吸うのはやめてください」
「……煙草? そんなことでいいのか?」
先生の反応は、至極最もなものだ。なんでもすると意気込んだのに、願いがそれでは。
「さっきも言ったじゃないですか。先生には、長生きして欲しいんですよ。煙草を吸ったら寿命が縮まるって、養護教諭なのに知らないんですか?」
「知ってるさ……。でも、本当にそれでいいのか?」
「はい。それさえ守ってくれれば、私は心残りなく先生を見ていられます」
「……そうか。……わかった。絶対に、絶対に守る!」
「ありがとうございます」
海美は穏やかに笑んだ。その瞬間だけ、僕にも海美が、海美じゃなく見えた。あれはきっと。
瞬間、海美が前側に倒れこんだ。
「危ない」
気づいた目城先生が抱え込み、なんとかタイルにぶつからなかった。
「先生。私、なにかしていましたか?」
海美は記憶を失ったかのように、そう先生に問う。どういうことだ?
「……いや、なにもなかったよ。睡眠不足なら、保健室でまた仮眠を取るといい」
「はい。そうします」
振り絞ったように薄く笑うと、海美は先生に連れられ、梯子へと近づいていった。そして、手前で先生が振り返る。
「……申し訳ありませんでした。いろいろと御迷惑をお掛けしてしまいました。……私は、やっぱり罪を背負うことはしません。ただ、沙音と約束したことだけは、守ろうと思います。……それでは」
言って、先生は梯子を降りていった。それを見送ると、海美も振り返る。
「なんとかなって、良かった」
彼女はそう言い残すと、僕らの方に軽く手を振ってから、梯子を降りていった。やがて、彼女の姿は見えなくなる。
「沙音が入れ込んだ理由、わかった気がするな」
メアが、ポツリと言葉を落とした。
『そうね。かなりの演技派だったわ』
リレンもそれに続いた。ということは、やはりあれは全て演技だっ たのか。記憶を失った素振りを見せた辺りから、僕は本当に沙音さんが乗り移っていたのではないかと思った。
「じゃあ、俺も降りるわ」
「あ、志島くん、いろいろとありがとうね」
「おう」
これ以上、この場の雰囲気に飲まれたくなかったのか、逃げるように梯子へ向かおうとした彼に、僕は礼をした。会ったときから思ったが、志島はぶっきらぼうだ。
「悠はどうする?」
「焦斗と一緒に戻るよ。なかなか、できない体験ができた」
「そうだね」
間髪入れずに返す悠に、動揺の様子は見られなかった。
「じゃあ、メアさん。僕たちも戻ります」
「え、うん。あ、付き合わせてごめんね。助かったよ。ありがとう」
「いえ、なんの役にも立てなかったです」
変な推理を繰り広げてしまったし、僕がいる意味はなかった。
「ところで、少し来て?」
メアに手招かれ、近づいていく。こういうとき、耳打ちをされることは、もう察しがついていた。
「なんですか?」
近づくと、緊張した面持ちの彼女は、唇を僕の耳に近づけ囁いた。
「リレンが、あなたの兄を殺した犯人がわかったって」
返って来た言葉は、まるで鐘を打ったように、頭の中で何度も反響した。




