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吸血姫は死を嫌う  作者: 天木蘭
二章.疑わしき

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2-4

 教会からの帰り道、誰にも会うことなく家に着き、遅い眠りに就く。目が醒めると、日は変わっている。

 僕自身にできることが既に無くなっていたため、土曜日、日曜日となにをするでもなく、強いて言えば、叔父と買い出しに行ったことくらいしか記憶に残らない日々を過ごした。

 土曜日は雨だったため、日曜日に行ったのだが、そういえば昔、両親と兄と一緒に買い物へ行ったこともあったな、と思い出すことになった。兄と二人になってからは、そんなに量が要らなくなって、日曜日にも買いに行くということがなかったからだろうか。


 そして月曜日、学校からの連絡はなし。多くの生徒は憂鬱な気持ちだろう。通っている学校で人が死んだのだから。僕も、学校に行く意味があるのかわからないのが現状だが、メアとの約束がある手前、登校しないわけにはいかない。

 彼女の事件も、今日中に片付けばいいのだが、どうなるかはわからない。


 叔父の作った朝食を食べ、準備をして学校へと向かい始めた。

 自転車で降る坂道は先へ先へと、僕のことを進ませていく。



 * * *



「今日の授業は、一日中自習とする。休み時間などは、チャイムに従うこと。また、自習中に先生に聞きたいことがあれば、出歩いてもいいぞ。ただ、静かにしておくこと」


 恙無(つつがな)く学校生活は始まるかと思ったのだが、どうやらまだ落ち着いてはいないらしい。確かに、生徒が一人死んだのだから、簡単に済む問題ではないだろうが。


「それなら、自宅学習でも良かったんじゃないの?」


 担任が教室を出て行ってから、僕は悠に訊ねた。多くの生徒が一斉に話し始めたというのに、彼は真面目に教科書を机の上に出そうとしていた。


「単位のせいじゃないかな。学校側は、学校閉鎖みたいに特別欠席の措置を取ってもいいはずだけど、解決の見通しが立たないから予防線ってところだと思うよ」

「へえ。そういうものなんだね」


 予期せぬ形ではあるが、時間ができた。放課後に会う予定だったが、今メアに会うべきか。ただ、彼女の素性を知らないため、こちらから会うことは難しい。そのための、図書室待ち合わせだったのだから。


 さて、どうしようか。勉強をする気にもなれない。悠は既に参考書の問題に取り掛かっているが、半数以上はそれなりの騒がしさを持った会話をしている。事件のことを気にしていない生徒達からすれば、この時間は天国だろう。

 日常を過ごしていれば、無関係な人の死には無関心というのが、実感できる。


 海美はどうしているかと見てみれば、近くの女子と会話をしていた。その内容までは、わからない。海美は不安症だったから、高校で友達ができるのか勝手に心配していたが、それこそ杞憂だったらしい。


 さて、どうにかメアと合流してみようか。


「悠、ちょっと出てくるね」

「どこ行くの?」

「まあ、勉強?」


 飛び降り事件のことについて調べようとしているのは、あまり気づかれたくない。悠には直接関係のないことなのに、言ってしまえば手伝ってくれそうな気がしたからだ。


「ついていくよ。僕も、今これをやらないといけない訳じゃないしさ」

「悠は自分の勉強をすべきだよ。大丈夫だって」

「あのね、僕は焦斗の幼馴染だからわかるんだけど、嘘をつく必要はないよ。女子生徒が飛び降りたことについて調べるつもりでしょ?」

「なんで!」


 一瞬高まった声量で周りから怪しまれていないかと見回すが、どうやら今この状況では、僕の声が大きい分類に割り振られないらしい。


「幹人さんが本当に自殺か調べたら、殺されたってことがわかったんでしょ? それなら、今回のも飛び降り自殺と思われているけど、殺された可能性もあるんじゃないかって思ったんだ」

「悠って、随分と敏いね」

「焦斗のことだからだよ。いじめられていたとき、助けてくれたことは、本当に嬉しかったんだ」


 教科書のページを何度も捲り返しながら、悠はそう言ってくれた。


「わかったよ。それなら、一緒に行こう。多分、あの女生徒さんは自殺じゃないんだ」


 僕は立ち上がり、ドアをスライドさせた。立ち上がるまでは良かったが、ドアを開ける音は皆の耳に入ってしまったようだ。教室がシンと静まり返る。


「焦斗、どうしたんだよ」


 何日か前、アイドルグループのキーホルダーをくれた男子が、固まった空気を解した。


「ちょっと、勉強」

「真面目か!」

「真面目で悪いか」


 彼の雰囲気が柔らかいからか、クラスには笑いが起きた。僕には、笑えるところがあったのか全くわからない。ただ、そういう雰囲気で教室から出られるのは助かる。変に怪しまれるのは御免だ。


「僕も行こうっと」


 悠は、突発的に気が向いたような体を装った。


「おう、行け行け。真面目二人組め」


 彼の対応のお陰で、悠も違和感なくついていけるようになった。アイドルのファンにはなれないが、売るか、誰かにあげようとしていたキーホルダーについては、思い直すことにした。


 教室を出てドアを閉めると、それでも中の声は響いてくる。ドアについた窓から中を見たら、箱庭みたいだなと、ふと思った。


「ここだったのね」


 女の人の声が聞こえる。その声には、聞き覚えがあった。


「メアさん」


 長い黒髪に白い肌。長袖の制服のおかげで、いつもより露出が少なく見える。ただ、それでも、浮かび上がるような肌の白さは目を惹く。


「四階の廊下にいれば、出てくるかと思って」


 出てこない可能性だって十分あったのに、意外にもそこまでは考えなかったのか。


「焦斗、この人は誰?」


 悠に耳打ちされ、どう返せばいいか答えあぐねていると、メアが答えた。


「私は三年生で、君たちの先輩よ。少し前に、焦斗くんとはたまたま会ったんだけど、気があって仲良くなったの」


 かなり曖昧な説明だが、悠は訝しげにしながらも頷いた。


「その子は?」

「悠です。初めまして、メアさん?」

「うん。よろしくね。それで、悠くんも手伝うの?」

「悠には兄が殺されたことを言ってあって、教室を抜け出そうとしたら、今回の事件を調べるつもりなのが、ばれてしまって」

「力にはなれないかもしれませんが、よろしくお願いします」


 メアは高校生らしくない端整な微笑みを見せる。こういうところは、血の繋がりがないにしても、リレンに影響を受けているのかもしれない。


「それじゃ、まずは分担して捜査を始めましょうか。悠くんは沙音……あ、死んでしまった彼女の名前なのだけど、彼女が落ちたとき、教室にいなかった人たちを調べてくれる? 難しいかもしれないけど、できる?」


 悠は目線を僕に投げ掛けてからメアを見ると、頷いた。


「全部のクラスを調べればいいんですよね。先生に各クラスの日誌を見せてもらうか、出席簿を見せてもらいます。口実は適当に」

「うん。それがいいと思う。それで、焦斗くんには屋上に行って欲しいの。鍵が掛かっていたら、そこで待っていて。なんとか手にいれてみるから」

「わかりました」


 悠の作業に比べれば、楽なことだ。屋上は普段なら閉鎖されていたが、今はどうなのかわからない。


「私は保健室に行ってくる。沙音を最初に見つけたのはそこの先生だからね。それと、二人には沙音の情報を簡単に教えておくね」


 メアが言うには、沙音さんは三年二組。この学校は一学年が四クラスある。特にクラスと飛び降りは関係ないだろうが、僕と悠の教室は四組で、沙音さんが落下していく瞬間を見た。


 そして、沙音さんは演劇部の副部長だったらしい。そこで、美海も演劇部だったことを思い出す。


  「悠、海美も確か、演劇部だよね」

「そうだね。僕も同じことを思ったよ。ちょっと連れて来ようか」


 悠はドアを開けて、廊下に響かない程度の声量で彼女を呼んだ。


「海美、ちょっと来て」


 教室の中を窓越しに覗くと、ざわめいているように見える。親友である悠と幼馴染の海美の間で、あらぬ噂を立てられなければいいが。


「先生が呼んでいるんだよ」


 どうやら、二人を取り巻く関係について危惧する必要はないらしい。悠の言った理由は、確かにあり得ないことではないからだ。

 海美が教室から出てくると、ピッタリとドアを閉める。


「少し離れましょうか」


 僕らはひとまず、隣の空き教室に入ることにした。


 誰も生徒がいないのに、一クラス分の机と椅子が並んでいるのは、どこか不気味だ。この教室にいた全ての生徒が、いなくなってしまった感触というか、元々は誰かがいたという息遣いのような物を感じるためだと思う。


 僕たちが教室の中心に集まって座ると、歪な正方形が作られていた。

 先生に呼ばれたと言われついて来た海美は、心配性を発揮して、身を両手で抱えている。


「あの、なんでわたしは呼ばれたの?」


 悠と僕に向けて彼女は訊ねた。人見知りであるから、メアには話しかけられないのだろう。


「沙音を知っている?」

「沙音さん……」


 海美は体を強く震わせた。彼女の周りだけ、冬になってしまったのかと錯覚するほどに。


「さ、沙音さん、死んじゃった。幹人さんだって、いなくなったのに。だんだん、わたしに近づいてる。次はわたしなのかな……」


 シバリングで雪が溶けたように、彼女の目から涙が滴る。恐怖と不安、そして悲しみ。彼女の抱える感情が入り混じっている。


「落ち着けって。海美には、死ぬ理由があるのか? なければ、死ぬはずない。そうだろ?」

「それは、そうだけど……」

「海美が死にたくなったら、僕らに言ってよ。絶対に、なにがなんでも止めるから」

「……うん」


 ようやく、彼女の恐怖と不安は拭えたらしい。それでも、悲しみだけは残っているが。


「そろそろいいかな。悲しんでくれる人を見たら、私も嬉しい。彼女のことが、認められた気がして。でも、そんな彼女がどうして死んだのか、私にはわからない。だから、知りたいの」

「……確かに、ないです。沙音さんが死ぬ理由なんか、無かったはずです。それは、幹人さんも。どうして、二人は死んだの? 理由もなく死ぬのなら、わたしだって」


 目の焦点が四方八方にずれている。彼女の感情は、動きに出るからわかりやすい。さっきの震えはわからなかったが、動揺しているのが一目瞭然だ。


「海美。理由がないはずないんだ。だから、僕らはそれを探している。ねえ、本当の理由を見つけて、海美の不安も無くそうよ」

「……うん。わかった」


 彼女は目を閉じた。眠りに落ちていても納得できるくらいの時間を経て、次に目を開いたときには、落ち着いていた。


「それじゃ、あなたから見た、沙音のことを知りたいな。私が見ていた友達の面だけじゃなくて、演劇部の沙音や、家での沙音について。全部知らないと、彼女がどうして死んだのかわからない気がするの」


 死の要因について探るには、関わることを全て知らなければいけないというのは、その通りだと思う。推理力を振るう探偵だって、証拠や情報がなければ犯人はわからない。僕のような読者の立場でいけば、勘でも当たれば嬉しいものだが、現実では、そううまくいかない。


「わたしが知っていることは、あまりなくて。その、先輩方ともまだ長く過ごした訳じゃないですし。でも、中でも沙音さんは、生き生きとしていて、本当に溌剌(はつらつ)としていました」


 どちらも似たような意味の言葉だと思うのだが、それだけ海美の目には沙音さんが眩しく見えたのだろう。


「だから、自殺したはずないって思えるんですけど。ただ、ある先輩の話では、沙音さんの両親が厳しい人たちで、門限や縛りがきついと聞きました。そのせいで、沙音さんだけ早く帰ることになるのが残念だって」


 今時、珍しいタイプの家庭だ。世の中に、そういう家庭があるにはあるのだろうとは思う。しかし、身の回りでは見たことがなかった。


「沙音のことで知っているのは、それくらい?」

「はい……。あ、でも、あと一つだけ、よくわからないことがあって。私は気づかなかったんですけど、部活のとき、沙音さんは時々、煙草の匂いがしたみたいです。

 なんでも、去年辺りからって話でした。本当に時々らしいんですけど。不良の人と一緒にいるイメージもないから、不思議で。私が知っているのは、これくらいです」

 

 海美の方へ半ば前のめりになっていたメアは、背筋を伸ばしてそのまま椅子にもたれかかった。


「ありがとうね。そっか。門限はそうだね。お父さんが厳しそうだったから、多分その通り。煙草の正体がわからないね。校舎内で煙草を吸う人は、見たことがないし、有名な人もいない。隠れて吸ってる人がいるのかな」


 現代では、煙草を吸うのがカッコいいというイメージは、あまり抱かれなくなったように思う。不良の目指すベクトルが変わったというか、周りの認識が変わったというか、昔とは違う。

 この高校にも、髪を染めるくらいの不良はいると思うが、煙草を吸った、酒を飲んだといった話は聞かない。


 そもそも、承認欲求でその行為を行っているのなら、SNSで拡散させた方が早い。一時期騒ぎにもなっていた、SNSに悪事の写真を投下するという謎の行動をする原理が、僕には未だわからないのだが、誰かに認めて欲しいというのは、多分にあると思う。


「煙草を吸う先生って、誰かいましたか? それとも、沙音さんが吸ったんですかね」


 門限や家訓に縛られて、その抑圧から逃れたくて社会的ルールを破りたくなったというのは、充分に考えられる。


「さあ、どうだろう。煙草の匂いが、沙音が飛び降りたことに関係しているのかもわからないしね」

「そうですよね」


 得られる情報はできるだけあった方がいいが、多いと取捨選択が難しくなる。探偵役になろうと思って、改めてリレンのすごさを感じた。


「海美ちゃんからは、これくらいね。じゃあ、さっきも言った通り分担しましょ?」

「あの、分担ってなにかするんですか?」

「私たちで、沙音が死んだ原因を突き止めようと思っているの。分担は調べる場所や物事のことだね」

「わたしにも手伝わせてください! わたしも、そんなことを言われたら、ただ結果を待つだけのは嫌になりました」


 なにもしないでいる彼女自身が不安になるのだろう。学校祭や行事のときの感情に似ていると思う。

 自分にできることはないが、なにかしないといけないという焦燥感のようなものだ。


「わかった。じゃあ、焦斗くんについていって。それじゃ、捜査開始!」


 メアの言葉に反応して、悠が動き出した。ゾンビのように横揺れして見えるが、気のせいか?


「焦斗くん、行こう?」

「うん」


 行き先もわかっていないはずの海美に促されて、僕も立ち上がった。


「ちょっと待って。焦斗くん、こっちに」


 メアに躊躇(ためら)うような素振りで手招きされ、僕は近づいた。彼女は僕の耳に、血色のいい唇を近づける。


「海美ちゃんは、沙音が飛び降りたとき教室にいた?」

「え?」


 耳打ちされた言葉を反芻(はんすう)した。思い返せば、海美は保健室に行っていて、沙音さんが飛び降りたあとに教室へ戻った。

 首を振り否定を示すと、反対に彼女の首は縦に動く。


「なら、海美ちゃんも容疑者ね。くれぐれも気をつけて」


 そして僕に不安を残すような言葉を投げ掛けると、用は済んだとばかりに、手を風に揺られる花のように振った。


 反論しようにも、海美が近くにいる以上、疑われていると彼女に思われるのは避けたい。僕は兎のような海美を横目で伺ってから、頷いた。彼女はどちらかといえば狩られる側の、草食動物だ。

 僕は海美の手を取って廊下へ出た。リレンと違って、温かい。


「ごめん。いきなり」

「ううん。驚いたけど、大丈夫。喧嘩じゃないよね?」

「うん」


 海美は自分が疑われていると察していない。それでいい。気づけば、不安になって、逆に怪しい動きをしてしまうに違いないからだ。


「屋上に行こうか。僕の担当、そこなんだ」

「あれ? 屋上って鍵が掛かっていなかった?」

「そのときは待機。とりあえず、行かないことには始まらないみたいだ」


 僕は彼女の前を歩いていく。すると、壁に貼ってあるポスターが目に入った。


 おそらく、生徒会で作ったものだ。一日の始まりはおはようからという、標語が書いてある。

 挨拶をしなくても一日は始まるのにと、妙に捻くれたことを思って、僕は足を動かした。



 * * *



「鍵は開いていないみたいだ」


 予想通り。このまま待機するしかない。僕は扉の前に腰を下ろした。


「海美、何個か質問してもいい?」

「うん」


 海美は壁に寄りかかり、そう返してくれた。


「そうか。なら、質問するよ。まず、沙音さんを殺そうとする人はいる?」

「いないよ! そんな人」


 勢いの良い即答に気圧される。それだけ、沙音さんは素晴らしい人だったのか。きっと、兄と同じくらいだろう。それなら、この事件を解決すれば、兄の事件解決にも近づくかもしれない。飛躍しすぎか。


「そうだよね。いないよね」


 しかし、容疑者がいないのでは、捜査の進めようもない。悠の調べが終われば、ある程度は絞れるし、事件についてはメアが調べてもいる。


 リレンのことをまだ訊けていないが、帰ってきているのだろうか。いるのなら、集めた情報から推理してもらうこともできる。


「なんで、先輩は屋上に入れたんだろう。鍵、掛かってるんだよね?」

「うん。捻っても開かないよ」


 待っている間、鍵の開け方について調べてみようか。校舎内で使える全ての鍵は、職員室に保管されている。例外はなく、屋上の鍵もそうだし、全ての鍵を開けられるマスターキーも職員室にあるはずだ。


 授業中でも、職員室がもぬけの殻になるとは思えない。生徒の力だけで鍵を入手するのは、ほぼ不可能と言っていい。考えられるのは、先生の誰かが鍵を貸したか。


 僕の中では、それしか考えられない。消去法で言っても、そのはずだ。誰かにこの意見を肯定してもらいたいが、僕がそうしてもらって、初めて確信を持てるのは、リレンくらいのものだろう。

 リレンが僕の意見を肯定するのなら、絶対に正しいはずだ。いつの間に、僕はここまでの信頼を寄せてしまったのか。いや、信用しているのは彼女じゃない。彼女の推理力だ。きっと、そうだ。


 メアは、まだ来ないのだろうか。鍵を手にいれてくれるはずだが、うまくいっていないのかもしれない。


 僕は顔を埋めた。そこで、背中に違和感を感じる。扉が、こちらに向かって開こうとしている。つまり、屋上に誰かがいる。

 僕は立ち上がってその場から避けた。すると、勢いよく開いたドアと一緒に、一人の男子生徒が飛び出てきた。


「うおっ」


 勢い余った前傾姿勢で飛び出してきた彼は、まだ体重を残している足を支えにして、体勢を持ち直した。


 倒れないまでも、上半身が折れ曲がったまま停止してしまった彼は、おそらく恥ずかしさを感じているだろう。


 顔を持ち上げた男子生徒は、僕と海美がいるのを認めると、素早く扉を閉めようとした。電気信号が脳を介していない早さだ。


 僕も反射的にノブを強く掴み、こちら側に引いた。綱引きならぬノブの引き合いが行われたが、海美が両手を隙間に入れて、僕の方へ扉を押し出してくれた。いくら海美が女子とはいえ二対一だと、彼に勝ち目はなかった。


 再び転びそうな状態で引き抜かれた彼をひとまず押しとどめ、僕と海美は屋上に出た。


 風が強く吹く。扉が大きな音を立てて閉まった。


「お前らは、なんなんだよ」


 鋭い目つきで、彼は僕らを睨んできた。呼吸には乱れが見える。


「調べごとをするために、屋上にくる必要があったんだ。僕の名前は市崎焦斗。一年四組だよ。君は?」


 靴に入ったラインの色は、僕や海美と同じ一年生であることを示していた。僕が突然自己紹介したことに、彼は面食らったらしく、口を何度かパクつかせる。


「お、俺は、志島(しじま)だ。クラスは二組」


 やがて、落ち着いた志島は、彼も紹介を返してくれた。


「で、なんだよ。お前らはなにを調べたいんだ? 俺が屋上を使っているのか、調べに来たのか?」


 彼が敵対心を見せて睥睨(へいげい)するのは、そこを怪しんでのことらしい。


「違うよ。少し前に、屋上から飛び降りた女子の先輩が、本当に自殺なのか調べに来たんだ」


 志島は目を何度か瞬かせる。そして、生唾を飲み込む音が聞こえた。


「あいつのことかよ。それなら、俺は関係ねえな。じゃあな」

「待ってください。なにか、知っていることはありませんか? いつもここに来るんですか?」


 回れ右した志島に対して、海美は質問を重ねる。彼は足を止めたが、「すぐに戻る」と言って歩き出す。

 金属製の扉が、小さく音を立てて、ゆっくりと閉まった。

 

「海美、志島が戻ってくるまで屋上を調べようか」


 本当に戻ってくる気があるのか、疑うべきかもしれないが、クラスと苗字を得たのだから大丈夫だろう。それすら嘘だという可能性は考えなかった。


「うん。任せて」


 海美は右手を左胸の辺りに当てて反応すると、落し物を探すように、身を屈めながら歩きはじめた。


 僕はといえば、初めて上った屋上が、どんな場所なのかを確かめることにした。


 まず、僕たちが出てきた校舎に繋がる扉、それはもちろん直方体の立体空間に取り付けられていて、横には梯子がついている。フィクションでならよく見てきた光景だ。


 また、周りに手すりや柵は、なにもない。僅かばかり段差にはなっているが、これなら立ち入り禁止になっていたのも頷ける。危険だ。


 地面には、ものが転がっていない。警察が捜査したからだろう。そうなると、なにかがあったとしても、証拠を得るのは難しそうだ。代わりにあるのは、一昨日に降った雨が作ったのだろう、水溜りくらいで。


「海美、なにか見つかった?」

「まだなにもないよ」


 状況的には探すだけ無駄に思えるが、海美なら事件の鍵となりそうなものを探し続けるだろう。僕だけ怠けるわけにもいかない。


 軽く見回してみると、なにかがキラリと光った。そちらへ歩いていくと、釘が刺さっている。


 段になっている部分に、鈍く光る銀色の釘。大きさからして、杭と言った方がいいだろうか。怪しいことこの上ない。力を入れて抜こうとしたが、深々と打ち込まれているようで、とてもじゃないが無理だ。


 また、釘にはなにかが巻きついている。細い糸か? 手繰り寄せてみると、思ったよりも長い。


 僕の右手に十回以上は巻きつけることができた。一体、これはなんなのだろう。繊維が硬く強度はありそうだ。

 しかし、正体がわからないままに、僕は糸を置いた。


 見通しのいい屋上だが、やはりなにも見当たらず、梯子を登ることにしてみる。

 上はそこそこ広い。人が何人か、寝そべることができるくらいだ。


 目に留まるのは、漫画雑誌、携帯ゲーム機、紙パックのジュース、惣菜パンと、志島はここで悠々自適に生活していたように思われる。


「ここは、俺の秘密の場所だったんだぜ?」


 振り返ると、梯子から手が伸びてきて、志島が現れた。


「いつも授業をサボって、ここに来ていたの?」

「単位を落とさない程度にな。家にいたらサボったのばれるし、仕方なくここにいた。屋上の鍵は、兄貴がくれたんだ。大分前に盗んだ鍵を、代々受け継いで来たらしいぜ。学校でも、特に問題が起きなかったから、鍵を変えることはなかったって話だ」


 なんとも不用心だ。おそらく、屋上の鍵を盗んだ犯人の目的に、検討がつかなかったというのもあるのだろうが。


「単位を落とさない程度ってことは、少なくはないよね。何日か前の事件があったとき、志島くんはここにいたの?」

「いたよ」

「女生徒さんのことは見た?」

「見てない」


 志島は斜め下に顔を落とし、上げずに淡々と答えていく。なにか知っているのか?


「屋上に来たことは?」

「知ってる。扉が開く音が聞こえたからな」


 誰かが来たことには気づいたのに、それが誰かは確かめなかったのか。


「そのときのことを、詳しく教えて欲しいんだ」

「俺を疑ってんのか?」

「違うよ。まずは、自殺か自殺じゃないのかを調べるところからだね」

「そうか」


 志島は逡巡(しゅんじゅん)してから、顔は上げずに話し始める。


「そいつは、きっと、誰かと一緒に来たんだ。俺がゲームをしてたら、話し声が聞こえたからな。女がしばらく話していたら、突然、鳥の羽音みたいなのが聞こえて、誰かの走る音が次にした。そして、女の悲鳴と同時に、扉の閉まる音が聞こえたぞ」


 それは、ほとんど他殺しかあり得ないのでは? 


 沙音さんは、二人でここへ登ってきた。志島は沙音さんが落ちる悲鳴を聞き、扉の閉まる音を聞いた。


 犯人が沙音さんを突き落とし、走って扉を閉めたとしか思えない。問題は、その同行者が誰だったのか。


「改めて確認だけど、入って来た人たちの姿は見ていなかったんだよね? それに、もう一人の声で性別はわからない?」

「そうだな。相手の声も聞こえなかった。風の音で消されてたのかね。まあ、俺が知っているのは、それくらいだよ」

「警察には話したの?」

「ああ。話した。その時間帯に授業に出ていなかった生徒や教師を調べて、それぞれのところに行ったみたいだぞ」


 それなら、海美のところにも来たのだろうか。しかし、志島の言う通りなら、警察にも同じ情報が渡っている。


 捜査は未だに続いているのか、リレンが言ったように、自殺と判断することで関わる事件を減少させようとしているのか、どっちだ?


「ここにいたのね、焦斗くん」


 考え込んでいると、志島の背後からメアが現れた。続いて、男性。おそらく教師と、海美も来る。


「メアさん、その人はどなたですか?」

「保健室の目城(めじろ)先生よ。落下した沙音を、最初に見つけた人」


 目城先生は、ニコニコと笑みを浮かべながら、手を後頭部にやり首を折った。


「どうも、目城です。身体検査で必ず会っていると思うんだけど、どうかな?」

「そういえば、そうですね」


 若い先生だ。二十代の半ばくらいだと思う。髪は兄と同じように癖毛で、背も高い。どこか胡散臭く見えるのは、僕の勝手な偏見のせいかもしれない。


 介護施設での一件があったため、よく知らない男性というものに、安易な信頼を寄せられない。あれは偶々のことで、叔父のようにいい人もいるとわかっているのに、身構えてしまう。


「一旦、私たちの情報を共有しましょう?」


 メアに言われ、僕と彼女は志島、目城先生、海美の三人から離れ、話し始めた。海美は目城先生と話している。彼女は保健室に行くことが多いから、気安く話すことのできる仲なのかもしれない。


「まずは、焦斗くんの得た情報から教えてくれる?」


 問われ、僕はここまでの経緯を話した。メアは相槌を入れながら、僕の言葉を全て頭に詰めるつもりに見えた。


「なかなか、有用な情報が多そうだね」

「良かったです。そういえば、リレンさんは今回どうするんですか?」

「あとで、全部話すつもりだよ。私たちで解決できたら、それはそれで構わないんだけど。とりあえず、私の報告をするね 」


 メアの報告は、大体が目城先生からの情報らしい。


 まず、演劇部は演劇の発表を控えていたらしい。近くの小学校でやる、児童向けの演劇だったらしい。これは毎年、一年生が主要キャラを演じる。これによって、全員の演技力に見積もりを立てる心算があるらしい。


 そして、演劇部一年生の中で、最も沙音さんに厳しくされたのが、海美だという。


「メアさんは、海美を疑っているんですよね」

「彼女だけじゃないよ。今のところ、志島くん、目城先生、海美ちゃんの三人が怪しいと思ってる」


 確かに、僕にもその三人くらいしか容疑者が絞れない。あくまで現状からであり、悠の調査結果によって変わるが。


 メアの話の続きに戻る。事件当日、海美は保健室に来た。見た限り睡眠不足だったため、仮眠を勧め、十分な睡眠のあと、目城先生は海美を教室に帰らせた。


 これは事件の日に、僕と悠が海美に聞いた話と被るから、どちらかが嘘をついている可能性は消えた。残るのは、どちらも本当か、どちらも嘘かの二択だ。


 そして海美が保健室を出て行き、少しして沙音さんが落下した。


 目城先生は保健室の外に落下した彼女を見て、咄嗟に窓を開けて靴もそのままに飛び出した。


 沙音さんは額が割れ、首の骨が折れた状態で死んでいた。


「それは、多分そうでしょうね」

「どうして?」

「いえ、沙音さんが落下するとき、頭から落ちていたので」


 リレンの落下を見たときもそうだった。どちらも頭を下に向けて、自由落下運動をしている。


 リレンは体の丈夫さと再生能力があるために、死ぬということはなかったが、頭には裂傷ができていた。

 沙音さんの場合、出血はあったが、直接的には首の骨が折れたことによる死。そもそも、死因が違うのか。


「あまり使えそうな情報はなかったわね。事件当時のあらましみたいなもので」

「海美と目城先生に、アリバイができたってくらいですかね」


 海美が保健室を出たあと、一年四組の教室へ入るまでには沙音さんが落下していた。志島が聞いた誰かの走る足音からして、海美が走って沙音さんを突き落としたのだとしたら、息切れもせずに僕や悠の前に現れたのは不自然だ。


 同じく、目城先生も走って階段を登り、突き落としたと同時に保健室まで戻り、沙音さんに駆け寄るというのは、瞬間移動でもしない限り困難だ。


「話し声が聞こえたから来てみたら、ここにいたんだね」


 疲れ声が耳に届き、そちらに顔を向けると悠が立っていた。全員集合だ。


「悠くん、どうだった?」


 恨めしげな視線をメアに投げかけてから、悠は制服ズボンのポケットに手をいれ、メモ帳を取り出した。


「あのとき、教室にいなかったのは、一年生では、志島(しじま)央太(おうた)という生徒と、海美ですね。二年生は全員出席、三年生も同じくです。学校自体を欠席した生徒は除きました。また、授業がなかった先生についても、全員が職員室にいたことを確認してます」


 悠がメモを読み上げる様子は、どこか刑事を彷彿とさせたが、それよりも大事なことがある。


「それじゃ、容疑者は志島くんだけなの?」


 メアの言う通りだ。目城先生にも海美にも、保健室にいたアリバイがあるのだから、容疑者、そして犯人が消去法で志島だけになる。


「ああ、そこにいるのが志島くんなんですね」


 悠の目が、メモ帳と志島の顔を行ったり来たりする。


「悠、お疲れ様。それって本当なの?」


 小声でそんな悠に話しかけると、頷きを返される。


「労いありがとう。本当のことだよ」


 そして、そう続いた。


「志島くんが犯人なの?」


 メアが疑問形の声を発する。僕と悠にだって、答えはわからない。


「まずは、自殺かどうかの判断をするべきじゃないんですか?」

「いや、メアさんには話したんだけど」


 僕は悠に、僕とメアの情報を統括して一気に話した。学校のチャイムが鳴って、時間が経ったことに気づく。


「なるほどね。それなら、やっぱり志島くんが犯人みたいな気がするけれど」


 普通に考えるなら、その通りだ。でも、犯人ならわざわざ屋上に来たり、こうも簡単に話したりするのか?


 志島の言葉だけが、証人ゼロで信頼性がない。全ての言葉が嘘だと見ることもできるわけだ。


 それに、屋上に来たせいで僕や海美に見つかった。見つからなければ、まだ疑いを持たれることもなかったのに。


 現実はそんなものなのか? 疑わしくない人が犯人で、小説のような劇的なトリックはないと。


 いや、なにかがあるはずだ。


「悠、気になることはない?」


 メアはスマートフォンを取り出して動かしている。校内での使用は禁止されていないが、なにをやっているのか。真剣な様子で話しかけることができない。


「気になることって、例えば?」

「なんでもいいよ。不自然なことはなかった?」


 突飛な質問でも、悠は対応してくれるから優しい。僕も考えることにして、思い出してみる。


「沙音さんが落ちるとき、なにかが一緒に落ちていなかった?」

「え?」


 思いも寄らぬ方向への指摘に、一瞬戸惑いつつも、記憶を掘り出してみる。しかし、思い出されるのは沙音さんの見開いた目だった。恐怖を体現した顔ばかりが、目に焼き付いている。


「ごめん。思い出せない」

「焦斗が謝ることじゃないよ。僕にも思い出せないんだから」


 せっかく悠が出してくれたヒントも、僕には生かせなかった。今だけは、圧倒的な記憶力が欲しかった。死体を見ても冷静でいられるような、そんな心が欲しかった。


 そうすれば、犯人を見つけられたのかもしれないのに。なにか、なにか、おかしなところは。


「あっ」

「どうしたの?」


 一つだけ、不自然過ぎるものがあった。打ち付けられた釘。そして、それに結ばれていた丈夫そうな紐。あれを使えば、もしかして。


「悠、犯人がわかったかもしれないよ」

「志島くんじゃないの?」

「違うよ。犯人は、きっと他の人に罪を擦りつけようとしたんだ」


 そうだ。そうに違いない。


「なあ、そろそろ戻ってもいいか?」


 しばらく黙っていた志島が、僕に話しかけてくる。しかし、彼の証言を使うために、残ってもらった方がいい。


「待って。犯人がわかったんだ。僕がこれから示す」


 風に乗って声が届いたのか、海美と目城先生もこちらへ向いた。


「どうしたんだい? 犯人がどうとか聞こえたけど?」


 首を傾げて、のらりくらりとしている目城先生が、訊ねてきた。


「沙音さんを知っていますか?」

「ああ、もちろん知っているよ。彼女、殺されたかもしれないんだろ?」

「そうですけど、なんで」

「彼女がそう言っていたからね、興味を持ったんだ。私も犯人が知りたかったから」


 メアの方を指しながら、首をカクっと折って、彼が言う。胡散臭さに、演技ぽさまでもが混じる。


 犯人を一番知りたがっていたメアは、目つきを歪ませ、スマートフォンを手に持っている。その目は僕の方に向けられた。責めるようなものではなく、見極めてやろうというようなものでもなく、不安そうな目だ。


 僕にだって、確実な自信はない。それでも、僕も死が許せないのだ。そして、死を招くものが。


 リレンに感化された。それは明白だ。わかっている。ただ、それは新しい思想が自分に入り込んだのではなく、鍵の掛かった箱が開けられ、中に入っていたものを見つけたときに近い。


 死を許せる人は、おそらくいない。死がなければ、救われるものは多くあるはずだ。生物を殺す者が嫌われるのは、相応の理由がある。感情の奥にある理屈のないものが、それなのではないかと思う。

 死を認めているわけじゃない。許しているわけじゃない。ただ、見逃している。そういうことだ。


 だから、沙音さんを殺したに違いない犯人に、罪を背負わせる。僕はこの事件の犯人を裁く権利はない。そこに導くだけ。それさえ見失わなければいいんだ。


「この事件の犯人は」


 深く息を吸い込んで、僕は続けた。

次回は本日、午後九時に更新されます。

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