異世界に行ったら初恋の人と夫婦になりました⑧
するとまた部屋の奥、グラムが行った方向から騒がしい声がした。
「だめぇぇ! ガブっとされたらどうするの!? 」
ペッシーノの声がしたと思ったら巻き毛の老婦人が入ってきた。鼻から下はエキゾチックな、踊り子が顔を隠すのに使うブルカのようなマスクだった。
「母さん、起きて大丈夫? 」
「お客様がっくしゅんっいらっしゃるのっしゅっに、はぁー、ご挨拶もしないなんて。」
その手を掴んで止めようとしているペッシーノをものともせずに引きずって老婦人は入ってきた。グラムも少し心配そうに見上げていた。本当にくしゃみがとまらないらしい。
「ペッシーノ、しゃんとしなさい。」
ペッシーノの泣いている顔が若干ノイヤッキと重なる。
「ルツコ、ヨシヤ、彼女がシャンデラ。僕とタッフィに宿を貸してくれたんだよ。」
グラムが紹介した。
「シャンデラ、この二人が今回僕が案内している夫婦。ドラゴンのヨシヤと多分、マアナムのルツコ。」
「まぁ、ご夫婦でしたの。」
ノイヤッキが驚いた顔をしている。
「ルツコ様、ドラゴン様のトランジャじゃ、ないの? 」
「違うよノイ。二人は夫婦。」
グラムが言うと、ノイヤッキがとてつもなく絶望した顔をした。
「だって、大きさが違うよ。」
そっと、その肩にリゼッタが手を乗せた。
「いい? ノイ。愛に大きさや種族や性別なんて関係ないの。ね? グラムさん。」
「なんで僕に同意を求めるかさっぱり分からないけど、ヨシヤとルツコは夫婦だよ。」
くしゃみを三度して、シャンデラは言った。
「グラムさんはいつから新婚旅行の案内役を? 」
「色々あって。今回初めて。シャンデラ、少しだけ蜜を持って来たから飲んでみて。また今度持ってくるから。」
リュックサックを探ろうとヨシヤの乗った荷車に入る。するとヨシヤはグラムの耳に何か囁いてから、ぬっと出て来た。
ペッシーノは妻と義母、息子を守ろうとしてか、さっと前に出て来た。情けない姿を見せてはいるが、男気はしっかりある。
「皆、ヨシヤは普通のドラゴン族と違うんだ。だから、今後ドラゴン族と関わるときにはあんまり参考にしないでほしい。」
グラムが改まって言うと、ヨシヤが頭を低くして言った。
「初めまして。」
飼っている犬が喋り出したらこんな顔をするのだろう、というような表情を全員がした。
「シャンデラさん、ちょっといいか? 」
ペッシーノが青ざめて首を左右に激しくふったが押しのけてシャンデラは前に出た。
「なんでしょうか? 」
「いつからそのくしゃみと鼻水ひどくなった? 」
シャンデラは少し考えてから言った。
「数年前からひどく……っしゅん。」
「その時からなにか周りで新しくそろえたものはないか? 花とか、木とか、動物とか。」
シャンデラが考えた。
「庭に新しく植えた木があります。」
リゼッタが言った。
「領主さんがお礼にって金色の花が咲く木。」
「だけど、誰もなんともないのに……。」
リゼッタが言うと、ペッシーノもはっとした。
「絶対、じゃない。でもその症状、アレルギーに似てる。毒っていうか……植物の花粉で特定の人だけが反応するものもあるんだ。」
「わ、私のお母さんもスギ花粉アレルギーです。」
ルツコが言うと、ペッシーノはきりっとした顔で言った。
「分かった。あの木を切ろう。」
「お待ちなさい。」
シャンデラがくしゃみをした。
「せっかくお客様がくれたものっしゅんっ。それに、そうと決まったわけではっしょん、りませんから。」
「でも母さん、あの木の花が咲いてから症状がひどいじゃない。」
そっと差し出したシャンデラの手にガンナーがハンカチを渡した。シャンデラは勢いよく鼻をかんだ。
「私が去ればよいことです。」
背筋をぴんっと伸ばして言った。
「お祖母ちゃん、どういうこと? 」
ノイヤッキが不安な顔をした。
「皆が立派になっていくのが嬉しくてずっといましたが、少し離れたほうが良い時がきたようでっしゅんっ。」
見かねたグラムが蜜をお茶に混ぜて差し出した。
「じゃあ僕の家に来ない? タッフィも久しぶりに君に会えて喜ぶだろうし、妹たちも君の話をしたら会いたがっていたし。蜜を持って帰れば楽になるし。」
お茶をこくんと飲んでシャンデラは微笑んだ。
「ではお言葉に甘えて。リゼッタ、しばらくの間宿のお客様を任せていいですか? 」
「なにを今更。母さんこそ居心地よすぎて帰って来なくなっちゃうんじゃないの? 」
ペッシーノがさっきから息をしていないのではないかと疑うほど微動だにしないが、母娘は談笑する。
「ペッシーノ、あなたも立派になりました。宿の前でひとりぼっちでいた、泣き虫で小さなあなたが、今ではたくさんの人をまとめているんですもの。」
ふるふる震えてペッシーノの目から涙が落ちた。
「マ、ママ~っ! 」
抱き着こうとした瞬間、ペッシーノはシャンデラに肘を掴まれてひねりあげられた。
「あんたのママじゃなくて私のママでしょう。」
子供のような泣き声が口から洩れ、離されて座り込む夫の薄い頭頂部をリゼッタが撫でた。
「父親になっても泣き虫は治りませんでしたが、リゼッタがそばにいれば大丈夫でしょう。ノイヤッキ、あなたも来なさい。」
突然の指名にノイヤッキは驚いた。
「あなたには、種族ではなく一人一人の個性を考える人になってほしいのです。見たでしょう、私たちには神のように尊いドラゴン族の方が、今私と目線を合わせて話してくれたのです。様々な種族と触れ合い、学びましょう。」
母のそばを離れて、ノイヤッキは祖母の手を取った。
「ま、姐さん、待ってください。ノイ様はまだ十歳です。」
「そうですよ姐さん、危険です。ディンバァ族のそばにはウーディカ族だっているんですよ。坊ちゃんみたいな可愛い子には危険です。」
男たちがどやどやと寄ってくる。
「姐さんであっても、坊ちゃんをそんな危険な目にあわせちゃぁいけません。」
これが日本ならさしずめモンスターと化した世話焼き男たちが運動会の組体操に物申しに来ている図だろうか。シャンデラはすっと紅茶を飲み干すとブルカを投げ捨てた。
「アインザーグ闘技場無敗の覇者であるこのシャンデラに異を唱えるということは、どういうことか分かっているのでしょう。」
また気になるエピソードの片鱗が見えた。
服の袖がふんわりしていたので気づかなかったが、シャンデラの腕は娘とは比べ物にならないくらい太い。おそらく足も。彼女はすっと拳を握った。ルツコは武道に疎いのでなんの構えか分からないが、強さだけはびりびり伝わってきた。
それは、孫に心配される病弱なお祖母ちゃんではなく、歴戦の武勇を空気に滲ませる拳闘士の覇気だった。
何故人は負けると分かっていて戦うのだろう。勝ち目のない戦いに、その身を傷つけると分かっていても立ち向かっていくのだろうか。
ルツコは、先ほど恐ろしいと思った男たちが老婆にちぎっては投げちぎっては投げ跳ばされ、床で芋虫のように身震いしているのを眺めながら、勝負の世界のシンプルさを知った気がした。
「革命戦争で百人の男たちを一人で打ちのめしてさらに当時の領主を締め上げた人はやっぱりすごいね。」
グラムが淡々と言った。
「グラムさんの蜜はすごいですね。すっきりしました。」
さわやかな笑顔の周りには屈強な男たちの身体が横たわっている。これははたしてグラムの存在は重要だったのだろうか。プラシーボ効果な気がしてきた。
その日の夜にルツコは荷車のそばにシーツとクッションを用意してもらい、ヨシヤの隣で寝ることになった。
「……悪いな。こんなところで。」
「そんなことないよ。なんだか、修学旅行みたいだね。」
ふっとヨシヤが笑った。
「修学旅行は男女別だろ。」
そうだが、確かにそうだが、ヨシヤの笑った顔にきゅんとしてしまった。
「グラムさんってすごい人なんだね。」
「俺も知らなかった。先生から聞いたとき、旅先で宿を貸してくれて、旅立つときも荷造り手伝ってくれてすっごい世話になったって。タッフィさんもあんまり話す人じゃないから。」
ヨシヤも驚きの話だったようだ。
「明日は少し寒い場所になるから、厚着しろよ。」
「寒い場所? そんなところ飛んで大丈夫? 」
ヨシヤはずいっと頭を出した。
「触ってみろよ。人間の時に比べると皮膚の厚さも固さも比べ物にならないくらいだ。」
改めて触ってみろと言われると、ドキドキする。おずおずと抱き着いて触ると確かに、生き物と言うより硬い壁でも触っているようだった。それでもしばらく触っていると温かいぬくもりを感じる。
「……もういいか? 」
「あっご、ごめんなさい。つい、気持ちよっじゃなくて、め、珍しくてっ。ドラゴン触ったことなくてっつい……ごめんなさい。」
「いや、別に謝らなくていいんだけどよ。」
普段なら触れない、喉、というか胸、というか。かなりべたべたと触ってしまった。この世界に来てよかったと、ルツコは不謹慎だが思った。