異世界に行ったら初恋の人と夫婦になりました⑥
人だった。長い金髪を二つに結んだ、大きな目の子供がいる。くすんだ色のマントを羽織って、大きな目を見開き、ぽかんと口を開けてこっちを見ていた。
普通の人を初めて見た。しっぽも、犬のような耳もない、最初に会っていればここが異世界と気づかないような、ふつうの子供だ。
小学校高学年くらいだろうか、華奢な体つきと大きな目に丸い頬をした小奇麗な顔は、洋画に出て来る子役のようだ。
「あの……。」
ルツコが声をかけるとびくりと震えた。
「こ、怖がらないで。」
笑顔で言っているつもりだが、うまく笑えていないような気がする。
「……ドラゴン族様ですか? 」
高い愛らしい声で子供はたずねた。
「えっと、はい。」
「どうしてこんなところに? 」
ルツコが応えるとすぐさま尋ねた。
「他にもいらっしゃるんですか? どこかに、お住まいがあるんですか? 」
ルツコはグラムから聞いたことを思い出した。ドラゴンは同族以外とは直接言葉を交わさない。彼らがもし他種族と話す必要があった場合、トランジャと呼ばれる言葉を代わりに伝えるものをそばにおくという。
子供はルツコをヨシヤのトランジャだと思っているのだろう。自分の言葉はヨシヤの言葉になってしまうのかと思うと、ちょっと賢い言葉選びをしないといけないのではないのだろうか。
「私たちは、旅の途中です。すぐにここから、立ち去ります。」
そう言うと、子供が駆け出した。ヨシヤは首を持ち上げて睨みつけた。
びくりと震えて、子供は立ち止まった。ルツコはちらりとヨシヤを見る。怒っているようだった。
「あ、あの、お……わ、わ、わたしは、この近くの、港街に、住んでます。」
震えて、涙が目に溜まっている。
「おば、そ、祖母が……び、病気で……えっと、山の、向こうに……薬を買いに行こうとしてて……でも、それでも、治るかどうか……。」
袖でグイッと涙をふくと、鼻水をすすった。
「ドラゴン様の角は、万病に効くって本当ですか? 」
ルツコはヨシヤを見た。ヨシヤはうんざりした顔で首を横に振ると、ぽつりと言った。
「ただのカルシウムだ。魚食ったほうがいい。」
せっかく勇気を出してくれたのに申し訳ない。
「ごめんね、角は病気には効かないの。」
答えるとぽろぽろと大きな目から涙がこぼれた。
「薬で、あるの、あれは、うそ? 」
可愛い顔が真っ赤になって、鼻水で台無しだ。
「えっと、多分角だけじゃないから、嘘じゃないかもしれないけど……でも、角にはそんな力はないの。おばあちゃん、どんな病気なの? 」
ごしごしと涙を拭いて、子供は言った。
「う……せ、咳がひどくて……肌に、もようが、出てて……あと、くしゃみも……。」
風邪の症状に似ている。医者には見せたのだろうか。
「むかし……山の向こうに住んでる人が、分けてくれたお薬飲んで、よくなったって……だから……。」
「山の向こうって……もしかして、ウーディカの人? 」
子供は首を横に振った。
「ディンバァ、って一族の人……。お祖母ちゃんが、旅の途中に宿を貸してあげて、お礼にって……。」
ヨシヤとルツコは顔を見合わせた。
「あの、私たちと一緒に来てくれた人、ディンバァ族の人がいるの。ディンバァ族の所はすごく遠くて、歩いて行くと、貴方の足じゃ大変だから一緒に待ってみない? 」
ぴたっと涙が止った。
「ほ、ほんと? 」
「うん。ディンバァ族の人だよね、丸くて……すごく丸い人。」
こくこくとうなづいた。
ヨシヤはふすーっと勿体ぶったようなため息をついて、頭を下げた。ほっとしたような顔をした。
「名前聞いていい? 」
「あ……わたしは、ノイヤッキと申します。」
ぺこりと頭をさげて顔を上げる。少しまだ赤い頬と赤くなった目がぎこちなく笑った。
「私はルツコ。一人? お父さんやお母さんは? 」
「父と母は、街で仕事をしています。」
「ここに来るの止められなかった? 」
うっと唇を噛んでノイヤッキは目をそらした。黙ってきたのだろう。
「心配してるよ? 」
「で、でも、誰も行ってくれないし……山の向こうはピンヤーを怖がって皆行かないし。」
ピンヤーはゴリスへの指揮権をもつアスガルダの組織だとグラムから聞いた。
「マアナム族は、ピンヤーに嫌われてるって、ピンヤーに近づくとゴリスにすぐ掴まってシラータに送られるって皆言ってるから。」
ルツコはヨシヤを見たが、彼は頭を下げたままだ。
「でも仕方ないんだ。マアナム族は悪いことたくさんしたから。シラータに送られたのも、マアナム族が一番多かったって。」
ノイヤッキはしょんぼりとした。
「ディンバァ族はめったに住んでる場所から離れないから、街にいたって会えないし。時々ウーディカの人はいたけど、聞いてもディンバァの作るものはディンバァにしかわからないって言われるし。父さんや母さんは、そのうちディンバァの人が来てくれるって言ったけど、お祖母ちゃん、段々具合悪くなるし……。」
じわりと涙が浮かぶノイヤッキの目を見ていると、話題を変えてみた。
「あの、私ここはよく知らないんだけど、マアナムの人しかいないの? 」
「ほとんどはマアナムです。港があるのでよそからくる人も多いです。」
「じゃあ、私みたいな髪の色の人、見たことない? 」
ノイヤッキがじっと見つめてから目を伏せた。
「ルツコ様のようなきれいなうすべに色のおぐしをした方は、今まで見たことありません。」
「さ、様? 」
短い自分の髪よりも、ノイヤッキのふわふわとした巻き毛の金髪の方がきれいだ。それよりも、今敬称をつけられたような気がした。
むくっとヨシヤが顔を上げた。びくっとノイヤッキが震えた。
首を伸ばし、立ち上がるとどこかを見つめる。
「ノイヤッキ様の声がしたぞ。」
「こっちだ。」
はっとノイヤッキが振り返る。出て来た数人の男たちは、ノイヤッキと同じ色の上着を羽織っていた。
「よくぞご……。」
男たちはヨシヤを見た。まるでマネキンチャレンジだとルツコは思った。三秒ほどして男たちは口々に悲鳴を上げた。が、その中でも一番身体の大きな男と、一番小さな男が前に出た。
一人は腰から剣を抜き、一人は突き出した肘に銃口を乗せヨシヤを睨んだ。
「やめろ。」
ノイヤッキが両手を広げて叫んだ。
「てめぇら坊を守れ! 」
ノイヤッキの腕を掴み引き寄せた。
「控えろ! 頭が高いぞ! 」
「下がってください坊。」
暴れるノイヤッキを男たちは守るように抱きかかえる。
わけが分からずルツコはヨシヤの身体にすがった。ヨシヤは羽でルツコを守るように覆う。
「なんでこんなところにドラゴン族がいるんだ。」
「親分俺に怒鳴らんでください。」
男たちはゆっくりと周りを囲む。
「ドラゴンの角は万病に効くと言うが……。」
ルツコは思わず両手を広げて前に出た。
「やめてください! そんな、そんなの迷信です。」
男たちがひるんだ。
「退け娘! 」
怒鳴り返されてルツコの足がすくんだ。
「明海、逃げろ。」
ヨシヤの声がすぐそばに聞こえた。ルツコは首を横に振る。
「だめっお願いです。やめてください! 」
一番小さな男が囁いた。
「親分。」
「姐さんの病が治るかもしれん。」
男の指が引き金にかかる。
「お、お願いです、なにもしていません……。」
ルツコの声に一瞬躊躇した。その瞬間、銃が消えた。男たちが驚いていると、茂みの中からがさりと何かが出て来た。
グラムが長い舌で取り上げた銃をしげしげ見ていた。
「弾が入ってないよ、ガンナー。」
「グラムの旦那! 」
一番小さな男が叫んだ。
驚いている男もいたが、身体の大きな男はグラムに突進した。
「旦那! 本当に、グラムの旦那だ! 」
グラムを子供のように抱えた。
「やぁロベルト。メリンも元気そうだね。」
何人かがわっとグラムに集まっている。
「坊、この方が姐さんが言っていたディンバァの旦那だ。旦那、アニキの息子のノイヤッキ様です。」
ノイヤッキを見てグラムは目をぱちくりさせた。
「おわー、あのペッシーノが父親に。」
「タッフィさんはどこにいらっしゃるんで? 」
きょろきょろとする大男の腕から降りてグラムは言った。
「今日はお留守番してもらってるよ。この二人の新婚旅行の手伝いをしてるんだ。これは返すよ。君みたいな強面には弾がなくても充分脅しに使えるだろうけど、相手を間違えないようにね。」
ルツコのそばに行き、グラムがカバンから出したハンカチでルツコの頬を拭いた。
「怖かっただろ、声は大きいけど皆話せばわかってくれるよ。」
へなりとルツコが腰を下ろす。
「旦那のお客さんですかい! 失礼しやした! 」
全員が綺麗に身体を折って頭を下げた。90度どころか300度はありそうなお辞儀だ。
「さすがグラムの旦那でさぁ、ドラゴン族様とも商売なさってるんですかい。」
「商売じゃないけど、彼らは世間知らずだからね。お守をしてるんだ。それよりシャンデラ、具合が悪いのかい? 」
男たちを分け入ってノイヤッキがグラムの前に立った。
「お祖母ちゃんに蜜をくれた、ディンバァの人ですか? 」
「そうだよ。お世話になったから。」
ぎゅっとグラムの手を握ってノイヤッキが言った。
「お祖母ちゃん、助けてください。」
グラムはノイヤッキの手をとってぷすんっと鼻から息を出した。
「僕はお医者さんじゃないよ。それに、まだ旅の途中なんだ。」
ヨシヤが一歩踏み出した。男たちはひるんだが、ノイヤッキは大きな目で見つめている。グラムの背中を鼻で押す。
「……僕が行ってもどうにもならないかもしれないよ。」
ヨシヤはじっとグラムを見た。行けと目が言っている。
「グラムさん、行ってあげてください。もう何年も会ってないんでしょう? 」
ルツコも言う。
「でもここに君たちを置いて行けないよ。」
グラムはヨシヤの鼻を撫でた。
「それなら、家畜用の荷車があります。このドラゴン様なら入れますぜ。あー……荷車で大変その、ご無礼なのですが。」
グラムが目をぱっちり開けた。
「グラムの旦那に会えたら、姐さんそれだけでよくなりそうな気がしやす。」
ぷすーっとグラムは鼻から息を出した。
「やれやれ、君はお母さんとお父さんの頑固なところをすっかり引き継いでいるんだね。」
目を細めてヨシヤの鼻を撫でるグラムは、笑っているようにも見えた。