異世界に行ったら初恋の人と夫婦になりました⑤
ドラゴンの背に乗ると言うのは初めてだったが、グラムがおんぶ紐のような鞍を用意してくれていたので背中まで固定されてつらくはなかった。グラムの背中は丸くて大きなぬいぐるみに掴まっているようだった。
「昔僕とヨシヤの父の一族はあんまり仲良くなかったんだ。彼らからしたらのろまでいじめやすかったんだろうね。」
「とても、そんなふうに見えませんでした。」
ふふんっとグラムは思い出し笑いをした。
「色々あってディンバァを虐げる悪習は消え、彼らとの交流が始まった。君たちの世界にもあるだろう? 短所が目立つものを迫害する悪習が。」
グラムは上がった口角を揉みながら言った。
「私も、引っ越してきたばかりの頃、訛りがあることいじめられましたから。」
ルツコが言いながら、ヨシヤを見た。
小学生の頃、いじめられていた自分を助けてくれたのはヨシヤだった。彼は忘れてしまっただろうけど。
「ピンヤーはシラータからくる者には厳しいけれど基本的にアズガルダの種族間の争いにはそれぞれの種族にゆだねているんだ。今回新婚旅行に選んだのは戦争もないし特別治安も悪くないから、あんまり危険はないと思うんだけど。」
「先生、その新婚旅行っての、なんか、ちょっと恥ずかしいんだけど。」
「恥ずかしがってちゃ困るよ。君たちは夫婦なんだから。」
ヨシヤの言葉を冷たく跳ね返してグラムは地図を広げる。
「僕たちがいたのがここ、オタ。もうすぐ見えてくるのがマアナムの街アインザーグ。」
やがて遠くに巨大な尖塔のある港と街が見えて来た。手前の山の中にヨシヤが降りるとグラムは荷物を背負った。
「二人はここで待ってて。僕が街の様子を見て来る。二人とも僕が帰ってくるまでそれを食べて休憩して。陽が沈む前には戻るから。」
リュックサックの中から両手で抱えたものをルツコに渡した。
「それから、大丈夫だと思うけど暗くなっても僕が戻らなかったらオタに帰るんだよ。」
「そんなに治安悪いのか? 」
「万が一だよ。オタに近づいたらランタンを付けてね。火打石と油。」
火打石と油の塊の入った小袋を渡しグラムは山を下って行った。突然の二人きり。どうしよう、何を話せばいいのだろう。とりあえずベルトについた小さなカバンのようなものに、小袋をしまった。
ルツコの横にぬっとヨシヤが頭を寄せた。
「寒くないか? 」
今まで背中に乗せてもらっていたのにおかしな話だが、二人きりになると突然緊張した。
「大丈夫だよ。」
教室でもこんなに近くの席になったことないのに、緊張しすぎて心臓の音が聞かれていないか焦る。
「不安だろうけど、先生は知り合いが多いんだ。きっとすぐ分かるさ。」
ヨシヤの言葉でルツコははっとした。ヨシヤがルツコを背中に乗せているのも、この旅行も全てルツコが元の世界に帰るためのものだった。
「全然、不安になってないよ。私、自分でも不思議なんだけど、怖いとか、そういうのないっ……て、緊張感ないね。」
心配している周りに対して、自分はなんて能天気なんだろう。むしろ、この世界でならヨシヤと夫婦でいられることに喜んでいないこともない、いや、嬉しい。帰れなくてもいいかもしれない、と少し思ってしまう自分を反省した。
「明海の血が、アズガルダのものだからだろうな。」
「私の、血が? 」
ヨシヤが頭を近づけた。そんなに近づくと、キスしてしまう。固まったルツコに、口を避けて目元を見せた。
「こんな姿だけど、ほくろや傷はそのまま残ってるんだ。」
「あ、そ、そうだね。柏木君、泣きボクロあるよね。」
ほくろを見せてくれただけだと気づいて、安心したような少し残念なような気分だ。
「明海の色は変わってるけど、顔も背格好もそのままなのは、明海の血がそうさせてるからなんだ。アズガルダのどこかに、明海と同じ種族がいる。そうでなければ、アズガルダに明海は来れなかった。」
なるほどとルツコは思った。
「どうしてこんな世界があるんだろう。」
ぽつりと言ったルツコにヨシヤは言った。
「アズガルダの言い伝えでは、俺たちの世界は地獄だって言われてる。アズガルダで罪を犯したものは神によりシラータに送られる。今はそれをピンヤーが代行している。だからピンヤーはシラータからアズガルダに来たものに厳しい。俺の母さんが来た時も大変だった。邪竜の末裔がもどってきたって。」
「おばさん、大丈夫だったの? 」
マリやヨシヤの様子を見るに、迫害されている様子はない。けれどヨシヤの母の様子はただ事ではなかった。
「父さんと結婚しているから、ピンヤーはそれほど大したことじゃなかったって。父さんの一族は、邪竜は伝承しかしらなかったけど、ほら、ドラゴンとウーディカ……狼男だろ? アズガルダを救った英雄じゃなきゃ認められなかったって大騒ぎだったらしい。今はそこまでじゃないな。マリが生まれてからあっちの祖父ちゃんたちも喜んでるし。ドラゴン族の中にも、可愛がってくれてるドラゴンがいる。」
マリの可愛さが二つの一族の架け橋になったのだろうか。
「もう一つは、戦火を逃れて行った一族だ。ピンヤーのそばは安全なんだけど、砂漠のほうとか、ここから離れると戦争をしている場所があって中には逃げ道がなくシラータに行った種族もいくつかあるって。明海はそれっぽいな。角も牙もないし、魔法とか、どうだ? 」
「魔法? どうやって使うの? 」
自分の手を見てみるが、それらしい雰囲気もない。
「父さんの知り合いの魔法使いは、精霊がいるから呼びかけるとか言ってた。」
「せいれい? どんなの? 」
「俺は見えないからわかんねぇよ。見えないなら違うんじゃね? 」
ルツコはぎゅっと目を閉じて、開いてみた。ヨシヤの顔がすぐそばにある。
「ち、違うみたい。元の世界と変わったところ、眼鏡がなくても平気ってところしかないし。あ、あと色。」
そんなに見つめられると照れてしまう。
「そうだ。こ、これ開けるね。」
グラムからもらったつつみの中はクレープのようなものだった。中に肉なのか魚なのか分からないが挟んである。足りるのだろうか。
「俺は腹減ってないから明海が食べろ。」
「え? お腹すかないの? 」
寝そべってヨシヤは言った。
「こっちの世界に来ると陽の光が栄養になるから腹が減らないんだ。じゃなきゃこの身体動かすための食糧調達してくるの難しいだろ? 」
納得したが、用意されているのはどう見ても二人分だ。
「でも、食べれないわけじゃないよね? 私一人で食べるの寂しいから、一緒に食べてくれる? 」
ふすっとヨシヤの鼻からため息が漏れた。それからぱかっと口を開けた。これは、食べさせていいと言うことなのだろうか。ドキドキしながらクレープを乗せた。
もぐもぐと咀嚼してくれているのが嬉しくて、ルツコも座って食べた。
生地は思ったよりも厚みがあり、食べ応えがあった。しかしクレープ生地に近かった。具は鶏肉のようなシーチキンのようなものと、レタスともキャベツとも言えない野菜、かすかに玉ねぎの匂いがする。少し酸っぱくて塩気があるが美味しい。
異世界の食べものの味は想像つかなかったが、思った以上に食べ親しんだ味に近い。空の色も植物も、見れば見るほど奇妙な世界だ。
ふと、ルツコは思った。好きな人と学校帰りにクレープを食べたい、という妄想をしたことは女子なら誰でもある。今がその時なのではないのか。しかも、さっきのは夢の食べさせ合い、の片側通行とも言えないこともない。いや、そもそもグラムも言っていたが、これは新婚旅行なのだ。一応。
やばい。これはやばい。緊張が高まってきた。なにか気の利いた話ができないだろうか。デートとは楽しく明るいお喋りをするものだ。この世界のことをもっと聞いてもいいだろうか。そっとルツコはヨシヤを見た。
眠っていた。閉じた目のまつ毛が太い。少しがっかりしたが、少し安心した。今まで飛んでくれていたのだから、疲れて当然だろう。好きな人の寝顔をこんなに大きくこんなに近くで見れるなんて信じられない。グラムには申し訳ないが、幸せいっぱいで自室なら枕に顔をうずめて唸っているだろう。
そっと方に上着をかけてあげたいが、今のヨシヤの大きさにはせいぜいうなじにかけるだけが精いっぱいだ。それでもと羽織っていた上着をかけた。
ヨシヤががばっと顔を上げた。
「あ、あの、これ、寒いかなって……。」
ぐっと首を動かし何かを睨む。
誰かいるのだろうか、ルツコが振り返ると、人影が立っていた。