異世界に行ったら初恋の人と夫婦になりました㉖
目覚まし時計を止めて、ルツコは起き上がった。顔を洗い、制服に着替えて、降りると姉が慌ただしく出ていくところだった。
「行ってきまーす。」
「行ってらっしゃい。」
大学に電車で通う姉はルツコより30分早く出る。姉を見送り、ルツコも朝食を食べて家を出た。
あの数日間が夢のように、普通の日常が戻ってきた。首にはもちろんなにもないし、眼鏡がないと黒板がみえづらい。髪も目の色も普通だ。
変わったことはなにもない。
というのも寂しいので、ルツコはあれから絵を描くようになった。写真もなにも手に残らない世界での出来事を、夢だったことにしたくない。二度と行けない場所だとしても、あんなにたくさんの人に助けられて、守ってもらった日々を忘れたくない。いつか薄れてしまうかもしれないが、消えてなくなってほしくない。
ハシェルの王は大事なものを描き止めていた。それはディンバァの人たちに宝物として残っている。
あれほど立派なものはすぐは描けないけれど、記憶が薄れる前になんとか上達したい。美術部に入ろうかと悩んでいた時だった。
「ルツコ。」
名前を呼ばれてはっと顔を上げた。
「……悪い。」
名字で呼んでいたのに突然名前で呼んだことに周りのクラスメートが二人を凝視していた。
「どうしたの? ヨシヤ君。」
さらに凝視されるが、そのくらい許してほしい。そう思う自分の神経の図太さに、驚いた。
長いことヨシヤの顔を見ていなかったので新鮮に感じる。いや、そうでもないかもしれない。この目をずっと近くで見ていた。
見ていただけでなく、かなりスキンシップもしていた。やむを得ない状態だったとはいえ、今思うとドキドキするし、もうあんなふうに抱き着けないのが残念だ。
「放課後空いてるか? 30分くらいでいいんだけど。」
「はい。」
ヨシヤが去ったあと、友人たちにつつかれたが、どう答えていいのか。曖昧に返事をして放課後になり、友人たちに押されるように一緒に帰る。
一緒になると、アズガルダのことをどうしても聞きたくなる。皆元気なのだろうか、あれからどうしているのか、自分のせいで困ったことになっていないか。
自分にはもう行くことのできない世界だと分かっていても、気になる。
「ノイヤッキ、覚えてるか? 」
「覚えてる。何かあったの? 」
もしかして彼も祖母の花粉症がうつったのだろうか。
「ルツコに懐いてただろ。おっさん……イェーリャン隊長もあれからどうしたって気にしてたって母さんが言ってたし、ルツコさえ良かったらまた会いにいってやってくれないか? 」
びっくりして立ち止まった。
「え、い、いいの? 私、またアズガルダに行っていいの? そんなに簡単に行っていいの? 」
「ルツコは俺と結婚してるってことになってるからな。正式に婚姻届けを出したら、ピンヤーから召還に必要な道具も支給される。だから、ほら……それで嫌じゃないなら……。」
そうだった。あの花も結局持って帰れないので、アズガルダに残している。
返さなければと思ったけれどバタバタしていたので、グラムに預かってもらった。
「あの、ヨシヤ君。」
ルツコはすぅっと深呼吸して言った。
「もし、もしなんだけど……こっちの世界でも私とお付き合いしてくれませんか? 」
ヨシヤがぽかんとこっちを見た。
「私、ずっとヨシヤ君のことが好きで、ずっと嬉しかったのに……黙ってるのってなんかずるいので。」
数日前の自分なら、告白しようとも思わなかっただろう。ただ眺めているだけで十分だった。
「け、結婚とかは、いったん置いておいて、ヨシヤ君が、嫌じゃないなら、こっちの世界でも、わ、私と……。」
ヨシヤの身体が下がっていく。しゃがみ込んで顔を伏せてしまった。
「ヨシヤ君? 」
「……なんか、俺かっこ悪いところばかりだな。」
「そんなことないよ。すっごくかっこいいよ。こっちでも、アズガルダでも。」
ルツコが言うと、真っ赤になったヨシヤの耳がちらりと見えた。耳も可愛い。胸がきゅんっとした。
アズガルダでは顎ばかり見上げていたから、ヨシヤのつむじを見るのも新鮮だった。
「帰って来たらちゃんと言おうって思ってたんだよ……。」
「うん……うん? 」
「まだ、花は贈れないけど……。」
今度はルツコがいっそう赤面する番だった。




