異世界に行ったら初恋の人と夫婦になりました㉒
舌を巻き付けたまま、獣は動き出した。どこかに運ばれながら、ルツコは恐怖を感じながらも、目を動かした。薄暗い不気味な匂いのする通路。そこから段々明るい場所についた。獣は舌を伸ばしてルツコを投げた。
高いところから落ちた衝撃と、柔らかい何かにぶつかった感触がした。土と草の感触がした。天井が高い。夜空に浮かんだ大きな月が見える。それも、透明なガラスのようなものがはまっているように見えた。
がしゃんっと固いものが落ちる音がした。上を見て、鉄柵のついた穴が見えた。
「痛っ……。」
手と膝をすりむいた手から血がにじむ。ここはどこなのか、どこの建物なのか。
茂みががさがさと揺れた。ルツコが震えると、怯えた目をした小さな子犬のような生き物が二匹見えた。そばにはさらに小さなねずみのような大きさの同じ生き物が見えた。
あの生き物には自分の方が恐ろしい化け物に見えるのだろうか。ルツコは座り込んだ。生き物は小さな子供たちを咥えて奥に消えて行った。
自分の腕についた手錠を見て、ルツコは溢れそうになった涙をぬぐった。
収集家。ルーシーはそう呼んでいた。この世界では最初に見たゴリス以外電気のようなものも、自動車のようなものも、ましてやスマートフォンは見たことがない。ここにある設備は元の世界と同じくらいか、もっと上かもしれない。そんな相手からどうやって逃げればいいのだろう。ここがどこかも分からない。このまま、ヨシヤにもグラムにも会えないまま、なにもかも忘れてしまうのだろうか。
ぞっと冷たい物が背中に流れる。
「だ、出して! 」
思わず叫んで壁を叩いた。びくともしないし誰も来ない。けれど叩かずにいられなかった。
「お父さん……お母さん……。」
誰もいない未知の世界がこんなに恐ろしいなんて知らなかった。ヨシヤはこの恐怖からルツコを守ろうとしていたのだとやっと分かった。込み上げた涙と鼻水がぼたぼたと落ちた。
その時、上で何かが動く音がした。ふっと手元に影がかかった。顔を上げると、木々の間に長い髪をした生首が浮かんでいた。
ルツコは思わず悲鳴をあげた。その声に、生首もびくりと震えたように見えた。その反応を見て、どうやら生きた人のようだと気づいた。
「あの……すみません……。」
声をあげたことを謝ると、影がもう一度動き、木々の間に消えた。
同じように捕まった人だろうか。追いかけようかと思った時、がざりと木々の間から人影が出てきた。
星明りの下で見るその姿は、まるで大輪の花を背負っているように見えた。長い薄い色の髪、赤い目、青白い肌。まつ毛の長い切れ長の目、彫刻のように美しい顔をしている。着物のような天女のような不思議な服装で、袖は長く手も足も見えなかった。
「あの、こ、こんばんは。」
花は背負っているというよりも、襟の隙間から伸びていた。
敵意がないことを表そうとして、ルツコは挨拶をしてみた。その言葉に相手は少しだけ戸惑ったような顔をしてから微笑んだ。
「こんばんは。」
透き通る優しい声だった。挨拶を返してくれたということは、敵意はないのだろうか。
「怪我をしているね。大丈夫かい? 」
「はい。」
木々の間から滑るように出てきて、ルツコのそばに膝をついた。
「手当をしよう。君はまだ、発芽していないようだから。」
ルツコもつられて膝をつく。
「は、発芽、ですか? 」
袖の下から緑色の蔓がするする伸びてきて、指のようにルツコの傷口を調べるように触れた。
「少しすりむいただけだね。」
蔓の先から伸びた葉を傷口に当てて、その上からくるくると蔓が巻き付き包帯のように包んだ。
「ありがとうございます。……すごい。」
「君も少し大人になったらできるよ。」
穏やかで優しい声に落ち着きを取り戻したルツコは聞き返した。
「あの、私も、これ、できるんですか? 」
「そうだよ。ご両親に教わらなかったかい? 」
うなづくと、気の毒そうな顔をして目を伏せた。
「そうか……君はずっと、一人で? 」
「いえ、一人じゃありませんでした。」
そう言った瞬間に涙がこぼれた。はっと、涙を拭こうとしたが袖がそっと頬に触れた。
「頬が擦り切れてしまう。その服は少し布が荒いね。」
「あの、すみません……私、初めて会った人に……っ。」
首を横に振り、微笑んだ。幼い子供に接するように優しく頬を拭いた。
「君の名前は? 」
「ルツコです。」
「私はディアン。旅人の服だね、どこから来たんだい? 」
ディアンの服は薄く、ハシェルの王妃の着ていたドレスのように刺繍がほどこされていた。
「オタというところから。」
「……オタ? 」
少し考えてからディアンは言った。
「聞いたことのない場所だ。そこはなんの花が咲いてる? 」
「は、花ですか? 」
色々咲いていたが名前は分からない。ハルジオンともコスモスとも言えない。
「この花が咲いてました。」
樹脂に入っている花を出すとディアンが顔を近づけた。それで分かったらしく表情が曇った。
「南か。ずいぶん遠くまで連れてこられてしまったな。」
深いため息を吐いた。
「ディアンさんはどこから? 」
「私は北にあるグシュマだよ。雪の積もった山を見たことがないかい? 」
ルツコは首を横に振った。ディアンの顔が少し曇った。
「あの、私……ディアンさんと私は、同じ、なんですか? 私、自分のことが分からなくて……。」
するっと蔦がルツコの頬を撫でた。
「収集家に何かされたのかい? 」
シラータから来たことをこの人に言っていいのだろうか。迷うとそれを気付いたのかディアンの蔓が頭に触れて離れた。
「君はマウディカだよ。私と同じだ。」
笑うと女性のように優しい顔になる。
「同族は分かるんだ。君はもうすぐ発芽する。」
「……発芽? は、芽が生えるんですか? 」
思わず自分のうなじをなでた。
「君は結婚してるだろう? 白い花を贈るなんて情熱的だ。」
ルツコは樹脂で固められた花を見た。
「これは、違うと、思います。そばに生えていたんです。ただそれだけです。」
花はあのときたくさんあった。黄色や赤、たくさんの花があった。その中で一番小さな花をとったのだ。
ディアンが袖でルツコに触れた。
「君は赤ん坊のようにものを知らないんだな。」
触れられて涙が溢れていたことに気付いた。
「白い花は不変と永遠、死が二人を別つとも、違えることのない誓い。その花を求婚のものだと知っていても意味だけは誰も教えてくれなかった? 」
袖が離れた。
「もし君がそれを重いと思うなら相手に返さないといけない。その人が誰でどういった一族であれ、君はその人の誓いを持っている。」
涙を拭いてルツコは花をしまった。
「私、帰ります。私みたいな弱虫がもらっちゃいけないものだから。」
まだここで立ち止まるわけにはいかない。




