異世界に行ったら初恋の人と夫婦になりました㉑
自分以外にも、シラータから来た人がいた。ということはよくあることなのだろうか。どうしてアドはここに来たのだろう。もっと色々話を聞きたかった。それにしても、あちこちにグラムの知り合いがいる。
「なんだかすまないね。ルツコには大変な旅なのに、僕はこの旅で色々あった心残りを解消してもらっている。」
「そんなことないです。私こそ、お世話になりっぱなしですから。」
グラムはふむっとため息をついてから、言った。
「アドは戦で召還された魔導士なんだ。僕はその時、ルーシー達と一緒にアドと戦うことになった。でもアドは戦うのが嫌いだった。人を傷つけることができなくて。」
会ったばかりだが、アドの性格は人と争うのが苦手な印象だった。
「最初はルーシーとあんまり仲良くなかったんだけど、色々あって仲良くなってくれてたみたい。幽閉になってしまった時は、僕にはどうしようもできなくて、気分が落ち込んだけど、良かった。」
アドは何もかも忘れて、ここで子供を作って、幸せそうに見える。目は暗い色も見せるけれど、迷いはない。
家族のことも忘れて、友達のことも忘れてここで暮らす。ヨシヤにもう会えなければ、自分もそうなってしまうのだろうか。そうすると、彼のことをこんなにも好きだった気持ちもなくなるのだろうか。
「幽閉って、どんなことか、グラムさんは知ってますか? 」
ルツコが言うと、グラムはちらりとこっちを見た。
「幽閉は、さっきアドが言っていたのと同じことだよ。監視されてどんな思想を持っているのか、どんな目的でここにきたのか、攻撃的ではないのか、調べる。無害なら、ある程度の教育課程を経て仕事に従事することもできる。アドは強い力を持っているから、ルーシーが保証人になったんだ。」
初めて会った時のような淡々とした口調でグラムは言った。
「もしも情報規制対象なら、記憶を消してシラータに送られる。そうなると元いた場所にも帰れない。元の家族のことも、もちろんアズガルダの記憶もないしヨシヤのことも覚えていない。」
グラムはぽつりと言った。
「記憶のこと、不安にさせるだけだと思って黙っていたんだ。ごめんね。」
はっとルツコは顔を上げた。
「ヨシヤがいるし、君がヨシヤを好きなら大丈夫だから。」
「……あの、本当に忘れてしまうんですか? 」
家族のこと、学校のこと、ここにいれば分からなくなるのだろうか。今ははっきりと覚えているのに、そんなに簡単になくなるものなのか。
「アドはそうだった。元の世界への想いもあるから、簡単にどのくらいの時間で、とは言えないけど。心には限界があるから。」
「限界、ですか? 」
グラムはうなづいた。
「僕たちの心はたくさんのことを経験していく。でも必要ないことはやがて消える。本来はそうそう忘れるものじゃないけど、世界をまたぐと前の世界での記憶や思い入れが薄れるようにできているんだ。」
「記憶が、そんなに簡単に忘れちゃうんですか? 」
「簡単とも言えないけど、アドは家族のことも、住んでいた場所も、覚えていないんだ。ここに来てからの記憶は鮮明だけど。」
グラムはぷすっと鼻息をついた。
「シラータに送られる、流刑。それは記憶も力も全てを奪われ何もない状態で生まれなおすんだ。今までの自分が完全に消えた状態で。ヨシヤたちがこっちに来る時はそこを特別に書き換えて記憶を忘れたり身体が消えたりしないようにするんだ。」
「それって、地球の人はアズガルダの人の生まれ変わりってことですか? 」
「全員がそうじゃないけど、知らずにそうやってシラータで一生を終える者も多いだろうね。ヨシヤの先祖みたいに。」
道の先が拓けて湖が出てきた。焼ける空を映して真っ赤になった水面が美しい。
ヨシヤはひどいことになっていないだろうか。知り合いのようだったドラゴンもいたが、この世界は厳しい一面がある。
「私のせいで、ひどい目に遭うなら……。」
檻の中に入ったヨシヤが気にかかった。
「ヨシヤはね、子供のころ狩人に襲われたことがあるんだ。」
「襲われた!? 」
グラムはうなづいた。
「ドラゴンの角や牙は普通に取り込んでも意味がないんだけど、細かく砕いて火であぶると痛みの感覚が薄れて恍惚感を得たり、特定の薬と混ぜると疲労が消えて力がみなぎったり、ある一族には本当に万能薬になったりするんだ。」
グラムは大きく瞬きをした。
「その狩人たちは、もうどこにもいないんだけどね。」
「え……そ、それは? 」
「コロッサスがすごく怒ってね、ご飯前にするのは、ちょっと。」
「やっぱりいいです……。」
聞かない方がいいだろう。もう狩人たちはどこにもいないということでいい気がする。
「ヨシヤは段々気持ちが焦ってきてる。君が大切だから。」
「へぁ!? 」
グラムの言葉にルツコの口から変な言葉が出た。
「ヨシヤが言ってたよ。君はわけのわからない世界でも理解しようとしている。角も牙もないのに。勇気があって優しい。そんな君を大切に思ってる。それは、ただ守りたいってだけじゃなくて、なんというか……僕たちディンバァにはよくわからない気持ちなんだ。」
グラムはふむっと顎を撫でた。
「愛情は分かるんだ。信頼も。だけど、恋は分からない。コロッサスは相手に夢中になって周りがまったく見えなくなってしまうことだって言うんだ。自分で制御できないって。ヨシヤは時々、ルツコのことを考えると普段しないような表情をするんだ。」
胸が熱くなって、ルツコは息が止りそうだった。
「だけどヨシヤもそれをうまく言い表せないようだ。コロッサスならもっと本能に従ったことを言い出すんだろうけど、あの子はヤエに似ていて、本能よりも頭で動いているからね。」
ふむっとグラムが顎に手を置いて言った。
「ルツコはもっと自分のことを考えた方が良いよ。ヨシヤは君が思っているよりも、君のことを考えてる。」
その直後、グラムの身体が後ろに消えた。
「……え? 」
思わずぽかんと口を開いたルツコが振り返ると、そこにいたのは長い舌を伸ばした大きな爬虫類のような、巨大な生き物だった。ルツコの二倍はある背丈で、長い舌で巻き付けられたグラムが動いていたがそのまま投げ飛ばされ、湖に飛んで行った。
「グラムさん! 」
ルツコが湖に向かって手を伸ばしたが、身体に何かが巻き付くのを感じた。
「離してっやめてっ。」
ルツコが暴れると、その手を誰かが掴んだ。無理やりひねりあげられて、ルツコは痛みで顔を歪めた。
「すごーい、こんなところで子供が生きてたなんて。」
目の前にいるのは甲高い声で喋る四角い箱の頭をした何かだ。箱の色はオレンジ色に変わり、水色になる。箱の下についているのは、人間の身体、凹凸のない平らな身体をしている。白いブラウスに赤いリボンタイ、茶色いブーツに膝までのズボン。長い靴下は黒と水色の縞々だった。
こっちの世界では見たことのない組み合わせの色合いだ。
掴んだ腕に何かがはまる。銀色の金属のようなもので、両手をぴったりくっつけている。
「早く基地に帰って確認しないと。」
四角い頭をした者は、薄く紙のように厚みのない、板のようなものに表示された文字を押し、鼻歌をうたう。スマートフォンのように画面が変わり、記号の羅列が文字のように出た。
四角い頭がくるくる動いた。
「いいでしょ? ピンヤーのより小型で軽量。」
見せびらかすように見せてみる。その時、湖から空に向かって赤い光が飛んで行った。
「ルツコ! 逃げて。」
グラムの声がして、銃声がした。獣が悲鳴を上げて舌が緩んだ。ルツコは獣を突き飛ばし、走った。
「あー、だめだめ、逃げないで。」
四角い頭がぐるぐる動くと、その手にルツコは引き寄せられる。
「君は私の大事なコレクションになるの。」
磁石が引き合うように引っ張られる。
「やめてっ!」
森から何かが現れた。麺棒を握ったルーシーだった。森の中に隠れていた化け物が三頭でてきた。
「ルーシーさん……!」
逃げてと叫んだ声は化け物の悲鳴にかき消された。ルーシーの膝が化け物の顔にめり込み、襲い掛かってきた二頭目に麺棒がぶつかる。真っ赤な何かが飛び散り、点々と地面に落ちた。
「まだいたのか、収集家。」
ルーシーが睨みつけた。
「だってだって、やっとここまでこれたんだよ? ドラゴンの国まで入れるなんて超レアじゃん。」
「この下衆野郎! 」
ルーシーの声が木々を揺らし葉を落とす。
鼓膜が割れるかと思うほどの声に獣は固まるが、四角い頭は嬉しそうにくるくる回る。
「やっぱりグレンサム族すごい、捕まえたい。でも無理。」
ルーシーの振り下ろした麺棒は目に見えない壁のようなものが現れ、それにぶつかり光が走った。
「はぁ、残念。今日の装備じゃこの子だけが限界か。」
四角い頭がバラバラと崩れ、中は空っぽだった。真っ黒な闇が広がっている。
瞬きをした瞬間に、引っ張られた力が失われ、身体が落ちた。思わず手をついた瞬間当たったのは固く冷たい床だった。
暗い、大きなものがあちこちに置かれる倉庫のような場所だった。
「あー、惜しかったな。」
四角い頭が手を伸ばし、腕を掴んで手に着いた血をぬぐった。それを鼻歌まじりに何かにつけて、スマートフォンのように板をいじる。
「やっぱり、マウディカだ。これで繁殖できる。」
ステップを踏むような足の動きで壁に触れた。
部屋中が明るくなり、壁にならんだのは大きな獣たちだった。長い舌がぐるりとルツコの腰に巻き付いて締め上げた。苦しさで叫びそうになったルツコの顔に四角い頭が近づいた。
「逃げないで。もしも逃げようとするとそのまま頭からバリバリ食べちゃうかも。」
獣が大きな口からよだれを垂らす。
ぞっとしてルツコは声を飲み込んだ。
「それにしてもまだ若いね。花も生えてないし。肌もきれい。ぴちぴち。花の生えていないマウディカなんて初めて見た。」
子供のような甲高い声でケラケラ笑った。




