異世界に行ったら初恋の人と夫婦になりました⑯
ルツコは扉を見た。わずかに開いて、何かがこっちを見ていた。小さな丸い影に思わず扉に寄って開けると、オンスがいた。
「オンスさん。」
オンスはひらひらとした薄い色のワンピースのようなものを着ていた。
「呼ばれるまで、来ちゃだめって言われたけど……どったんばったん大騒ぎしてたからどうしたのかなって。」
「オンス……どうしたんだい、そのドレス。」
グラムはよほど混乱していたのか、一番最初に思ったことを言った。
「おじちゃん。これは、王妃様に……。」
じわりとオンスの目に涙が浮かんだ。
「ご、ごめんなさい、おじちゃん。おじちゃんの本を、私、失くしちゃった。」
ぽろぽろ泣きながら言うオンスを、グラムは抱きしめた。
「大丈夫だ。ヘディト王子の魔法使いの人が見つけてくれたよ。」
「リッカさん……良かった。」
グラムがカバンから本を出した。
「良かった。宝物が入ってた、の。」
オンスははっと部屋の中を見た。
「オンス! 」
ジョハールが振り返った瞬間、王妃の右ストレートがその体を吹き飛ばした。
「その子に触れるな! 外道! 」
息子をぶら下げ引きずり立ち上がった。
「王妃様はまだ激オコ……。」
思わずルツコは言った。
「私のいない間にオンスを愛妾にするなど、言語道断。万死に値する。」
のっしのっしとやってくる王妃の前に、オンスは駆け付けようとしたのかぽてんとこけて転がり、うずくまっていたジョハールにぶつかった。
「王妃様、これ以上王様を叩いたら、死んじゃう。」
「オンス……。」
王妃の身体から力が抜けるのが分かった。べしゃっとヘディトが落ちた。コディトが慌てて抱き起こした。
「オンス、誰がお前を攫ったのだ。怪我はないか? 」
ジョハールがオンスに言うと、オンスはきょとんとした。
「攫った? 」
「みんなで探したんだよ。」
グラムが言うとオンスは申し訳なさそうに言った。
「私、ころんで用水路に落ちちゃったの。そのときおじちゃんの本を失くしちゃって。掴まる場所もないから流れてたら、離宮まで流れちゃって。王妃様が助けてくれたの。」
誰も攫っていなかった。悲しい偶然が重なっただけだった。ディンバァを悪者にしようとした者も、オンスに嫉妬した誰かも、ましてやハシェルの国の転覆をはかろうとしたテロリストも誰一人としていなかった。
ほっとジョハールの肩からも力が抜けた。
「良かった。」
「良くない。」
サディーがジョハールの襟首を掴んで吊し上げた。
「私のいない間にオンスを寝床に入れるなど無体を働くとは! 」
ジョハール王がもがいて言った。ファルは止めなかったが手を出していつでも止められるようにはしているようだった。
「王妃もオンスを寝床に入れていたであろう……。」
新たな事実が出てきた。
「貴方は私の夫ではないか! 」
ばしっとジョハールを投げ捨てた。オンスがまた駆け寄った。
「誘惑に、勝てなかったのだ……オンスはあまりにもちもちとしていて温くく、どんな羽根布団も敵わぬ……そして、愛らしかったのだ。」
さすがにもう喋る元気はないと思っていたが、意外に丈夫だった。
「君たちは寒さが苦手だからね。」
ファルがうなづいた。
「側室が他にもおるであろう! 」
「オンスには敵わぬ! 」
グラムは、姪が湯たんぽ代わりだったと判明して複雑そうな顔をした。
「私も、王様と一緒に寝てるとお父ちゃんと一緒に寝てるみたいでほっとしました。」
オンスが健気なことを言った。
「それだけではなく、仕置きと称してオンスに長時間動くなと命令し絵を描いていたではないか! 」
オンスはしょんぼりした。
「私じっとしてるの苦手だから。」
グラムは自分の眉間を指先で揉んだ。さしづめ、何を言っているのかよくわからない、と顔に書いてあった。
「さらに、画家のふりをして集落に近づいていたであろう。」
ジョハールがぐうの音もでないのか、反論しなかった。
まさか、あのオンスの絵を描いたのは王様だったのか。ルツコもさすがに、それはどうなのかと思った。
「コディト、お前も商人などと偽り集落に行っていたであろう。私が知らぬとでも思うたか。」
さっと斜め下をコディトが見た。まさかこんな弱々しい姿を見ることになるとは思わなかった。
「何なのですか! ディンバァに干渉しないと誓い合ったのに、こそこそと! あまつさえ私のところにいたオンスまで! 」
王妃は怒り心頭らしく、地団太を踏んだ。部屋中が地震のように揺れた。
「すまぬサディー。私は、どうしてもディンバァの愛らしさに、勝てなかったのだ。オンスが攫われたと知り、残った者たちだけでも守らねばと……。」
オンスにそっと触れて王は愛し気に見つめた。つぶらな目で見上げるまるっとしたオンスと、何倍も身体の大きなジョハールが見つめ合っている光景は、小動物と怪物の言葉のない絆を表している、絵本の挿絵のようだった。
「このような愛らしさと賢さをもった種族は、他の種族に蹂躙されてしまう。スダーンのように。」
まっすぐにジョハールは王妃をみた。
「それがディンバァを無駄に怯えさせたのではないか! 」
しかし王妃の右ストレートが再びその左頬を打った。
最後に見たディンバァの集落では、ハシェルの兵とディンバァたちの楽し気なバーベキュー大会が催されていた。あればだれかハーモニカを吹いていたし、きっとギターも弾いていた。マシュマロも焼いていたかもしれない。それを知ったら王妃の怒りは収まるだろうか。
ルツコがふと見ると、ヨシヤが窓のところにいた。その背に、キャッキがいた。キャッキは何が起きているのか理解できず、目をぱちくりさせていた。
床にうずくまった王、ぼろぼろの二人の王子、仁王立ちで怒っている王妃、止めようとしているのか、王妃の裾にこけてしまって転がっているオンス。夫婦げんかの中回覧板を届けに来てしまったような顔だった。
「王妃、ご多忙のところ、大変申し訳ないのですが、長をどこかに下したいのですが。」
グラムが申し訳なさそうに言うと、王妃は肩で息をしながらヨシヤとキャッキを見た。
「オンスから聞いています。ドラゴン族の方ですね。私の離宮を。オンス、案内して差し上げなさい。」
「はい。」
ヨシヤが首を伸ばしオンスは危なっかしくその頭から背中に乗った。
「王子、グラム殿と奥方を案内して差し上げなさい。まさか、我が腹から出た子でありながら、歩けぬとは申すまい。」
二人の王子が背筋をびしっと伸ばした。ヨシヤの母の時以上の衝撃の家族階級があった。
夫婦喧嘩はまだ収まっていないようだったので、王子二人と出た瞬間、またすさまじい破壊音がした。
「良かった。思ったよりひどい状況ではなかった。」
ヘディトの安心した声と座り込むほど力が抜けていた。これ以上にどんなひどい状況を想像していたのか。
「ヘディト王子はジョハール王がディンバァ達に愛情をもってくれていたことをご存知だったのですね。」
コディトがひょいっとヘディトを担いだ。
「父上は城内や国の治安が良くなるにつれて、そこにディンバァ達の姿がないことを気にしていた。用水路や川を街に巡らせ、街路樹を植え、元は乾燥していたこの街もディンバァたちに住みやすいようにと。」
母との戦いがよほど堪えたのだろう、息がまだ上がっていた。
「もし差支えなければ、ひどい状況とは? 」
ヘディトはとても言いにくかったのか、しばらくして言った。
「ディンバァの後宮を作ると言い出したら、私はそれを闇に葬るために、父と刺し違えようかと思った。」
グラムが眉間に皺を寄せた。
「それは、おぞましいですね。」
「母上のあの様子であれば、私ではなく母が討ち取るであろうが。」
自然界において、種族によっては強靭で力をもつ最も大きな個体が雌になるという。カクレクマノミがそうだった。ルツコはぼんやりと、最近観た可愛らしいアニメの映画を思い出した。