異世界に行ったら初恋の人と夫婦になりました⑮
ハシェルの王、ジョハールは身体の大きな男だった。ヘディト王子と同じ二重で髪はなく、肌にはうっすら鱗が見える。右頬から首筋、右手に刺青があり、首元はよく見えるがそれ以外に肌の露出は一切ない、濃い色の厚手の布の服を着ていた。足元は隠れ、玉座ではなく大きな窓の開いた広間で謁見した。
自分の半分ほどの背丈をした、薄紅の髪の娘を珍しそうに見えた。赤い目、白い肌、外に出ることのない貴族か魔法使い独特の華奢な身体と土仕事を知らない手。しかし貴族の娘にしては髪が短い。若く子供のような幼さすらある。赤い目で物おじせず見つめ返す。
「お初御目にかかります、ジョハール王。」
娘のそばで膝をついているのかいないのか分からない、丸みを帯びた生き物をジョハールは見た。
体毛のない丸い身体をしたディンバァは、無害で心穏やかな種族だ。
「見ない顔だ。どこから……。」
言いかけ彼は気付いた。
「グラムか。」
ディンバァは驚いたように顔を上げた。
「オンスの叔父だな。」
「おっしゃる通りでございます。しかし、王。よく僕をご存知で。」
丁寧に怯えず話すその様子に、ジョハールは目を細めた。
「オンスから聞いた。遠くに住む叔父は商人をしていると。なるほど、確かにただのディンバァではないようだ。」
深々とグラムは頭を下げた。
「はい、僕は今あるご夫婦の旅行の案内をしています。この方は奥方のルツコ様。」
華奢な身体をした娘は、表情を一切変えず何も言わない。
「ドラゴン族のヨシヤ様と供に、ご旅行の途中ですが僕の姪の家に立ち寄る許可をいただきましたので。」
ジョハールが笑った。しかし、二人の息子も笑わず、いつもなら手を叩いて笑い出すであろう魔法使いも黙って微笑んでいる。
幼い頃から供に学び、数々の戦場を供にしたこの魔法使いが、今更礼儀を持ち合わせているとは思えなかった。成人した二人の王子を、幼い子供でもあやすようにコディーチャ、ヘディーチャと呼んでからかえるのも、この魔法使いだけだった。
「ディンバァの集落にドラゴン族が来たと聞いたが、夫婦。」
娘は背筋を伸ばし頭を下げる様子はない。
「ではその奥方は、ドラゴン族に勝るとも劣らず力の持ち主か。はて、見た目はマアナムにしか見えず、我らのようなキンブディカにも見えぬ。その袖の下には爪と、小さな口に牙を隠しておいでか? 」
勿体ぶったように魔法使いのファルが咳ばらいをした。
「我が君、お言葉ですがルツコ様は北極の貴き精霊族の方。私も及ばぬ神通力の持ち主の巫女でございます。」
そのとき初めて、娘は動き、袖で口を隠した。
ファルがそっと聞き耳をたてて、はっとする。
「王、ルツコ様は行方不明になったオンスの居場所もすでに透視されておられます。」
ファルは驚いたように両手を広げて見せた。
「ファル、いまその名を冗談に使うのはたちが悪い。オンスの叔父が目の前にいる。」
ジョハールの眉間に皺が寄る。
「いいえ、王。冗談ではございません。先ほどから私もいなくなったオンスがどこぞの穴に落ちて泣いていないか心配で透視をしているのですが、何者かに邪魔されているのかまったく見えず。しかーし、このルツコ様の目にかかればいかな魔導士の邪魔が入れども見通せないものはございません。」
娘がもう一度袖で口を隠したので、ファルは聞き耳を立てる。
「ほう、なるほど。なんと恐ろしい! ああ、ルツコ様、私からはとてもそのような恐ろしいことを王に伝えるなど……!」
「貴様、その妄言をやめぬと顎を砕くぞ。」
ジョハールが言うと、ファルはそっと袖で涙をぬぐうふりをした。
「王、何があろうとも私は貴方の魔法使いでございます。これから何が起ころうとも。」
ファルが言った瞬間、閉じていた広間の扉が開いた。
そこに立っていたのは、天井に頭が届きそうなほど巨大な身体をし、ドラゴンのような牙と顎をし、翼さえあればドラゴンを打ち負かすのではないかと思うほどの立派な体つきをした王妃だった。
「王、ディンバァを捕えたと言うのは本当ですか。」
見た目の巨大さとは裏腹に甘い囀りのような声をした王妃は、牙をむき出し息も荒かった。
「血迷ったか我が夫よ。」
広い広間を一瞬で飛び越え、王妃サディーはジョハールに襲い掛かった。
それはさながら、世界仰天映像、というような番組で取り扱われるような光景だった。扉が開いたら巨大なクロコダイル。ドレスというか、着物というか、美しい衣をまといティアラを付けた怪獣のようなワニがジョハール王に襲い掛かった。
ルツコが言ったのは二言だけ。なんでそんなウソつくんですか、と、私そんなこと言ってません。後はひたすら石膏でも流し込まれたように動かなかった。動かないようにした。目の前で繰り広げられる茶番を必死に耐え、苦痛の時間は一時間にも感じた。
その最後がまさかのこの恐怖映像。
「許さぬ! 誓いを忘れたかジョハール! 」
凍り付いたルツコを抱えてヘディトが飛ばなければ、棍棒のような尻尾がルツコの肋骨を砕いていただろう。グラムを庇ったコディトは背中を打たれてひざをついた。
「兄上、大丈夫ですか? 」
ヘディトは唸る兄の背中を確認した。ジョハール王は壁際にあった部屋の中の銅像の影に回ったが、王妃はそれすらへし折った。
「ああ、なんという恐ろしさ。まさに悲劇。」
ファルがため息をついた。
「魔法使い! 」
「おっとー? 私を怒鳴らないでくれたまえ。これは全て予定調和。避けられぬ運命。王妃のいない間に愛妾にうつつを抜かした王への王妃の愛の鞭。子供たちは見届けなければ。父と母、どちらが強いのか。」
コディトの怒鳴り声からして、重症ではないのだろう。
「母上が来ることを知っていたのか? 」
「城内を透視してオンスを探していたら、とてつもなく大きな怒りをまとった王妃がこっちにくるのが見えてね。ディンバァに干渉したことに怒っていたのはコディーチャ王子だけではないらしい。」
「その呼び方はやめろ。」
ファルは飛んできた壺を避けながら言った。
「父を死なせるわけにはいかん、行くぞヘディト! 私は尻尾だ。」
「私は首を! お二方は扉の方へ。」
父を助けるために二人の王子が飛びかかった。
「ヨシヤを呼ぼう。王妃様を止めなくちゃ。」
グラムは窓の方にさきほどヘディトが発射したのと同じ、赤い光を撃った。
「なにがどうなってこうなったんでしょうか……わた、私のせい? 私が木の演技をしていたせい……?」
目の前のワニワニパニックにルツコは混乱していた。
「ルツコ、落ち着くんだ。柱の影に。」
グラムと供にこわごわ目の前の戦闘を見守った。
「どうやら王妃は今回のことを知らなかったようだ。ディンバァを包囲したことを怒っている。コディト王子も。ヘディト王子と話したんだけど、彼はオンスを攫っている様子はない。」
「じゃあ、オンスさんは別の誰かが? 」
音が止み顔を上げると、コディトが尻尾を抑え、ヘディトが首を、ジョハールは顎を掴んでいる。
「ファル! 」
「はいはい、意識を奪えばいいですか? 我が君。」
ファルは壁際で眺めていたが、呼ばれて近づいた。
「裾だ! 王妃には触れるな! 」
「あ、そっちですか。」
王妃の太もも、と言っていいのか分からないがファルは宙で何かをつまむ仕草をし、王妃のまくれた裾をなおした。
「とんでもないことになった。オンスを早く見つけなきゃ。」
グラムが呟いた。