異世界に行ったら初恋の人と夫婦になりました⑭
「迷子になっているということはないでしょうか? あの子は小さいですし。」
キャッキが言うと、リッカはおずおず背中に背負っていたカバンを降ろした。そこから一冊の本を取り出す。オンスが持って行ったはずの本だった。
グラムは震える手で受け取った。
「僕がオンスに譲った本です。兄からもらった、オンスの父から僕がもらったものです。」
キャッキがため息を吐いた。
「リッカは、今日は油を売っている魔法使いが戻らないか一日中見張っていた。オンスが出ていったのを確認し、戻らないのでこの集落と王都への一本道の途中で本を見つけた。」
「どうして。オンスを攫って何になるでしょうか。」
キャッキが不安げに言った。
「王はこれを機にディンバァを皆捕えるつもりらしいです。」
ファルが言った瞬間、ヘディト王子がその顎を掴んだ。
「貴様は不要な発言を慎め。」
無表情だが、その眼と声は明らかに殺意に満ちていた。
「何故? 王は、元スダーン民であっても、ハシェルの法に従うものであればハシェルの民にするとおっしゃられたのに。我々は、王に感謝こそすれ逆らうことなどありません。」
キャッキは悲しそうに目を閉じた。
「我々は、この下流で街には近づかず暮らしていました。法に反することをしたことは誰一人としてありません。ハシェルからの客人も、粗末かもしれませんが礼儀をもってもてなしてきたつもりです。」
コディト王子の手が震えていた。
「薬草を育てるためですか? それはできないと、申し上げました。もう、あそこではあの薬草は育ちません。土が、焼けて死んでしまったのです。」
はぁと、キャッキは頭を抑えた。
「土の魂か、精霊か、私たちには分からない。けれどももう、あの土から去ってしまったのです。あそこで育つのは、どこにでもある草花ばかり。オンスにも、そう言っていたのに……あの子は……。」
グラムは本を閉じるとキャッキの肩を抱いた。
「長、もしも我が父がそのような世迷言を本気で考えているのなら、我が兵をもって愚王を討つ。」
コディトの言葉にキャッキが顔を上げた。
「ディンバァを傷つけるなど、許しがたい愚行。万死に値する。」
今にも襲い掛かりそうな気迫を感じるコディトの大きな拳を、キャッキはそっと取り、首を横に振った。
「いけません王子。親子で争うなど、あってはなりません。ハシェルはその一族の絆で幾度も戦乱を勝ち抜いた民。その絆を絶ってはなりません。」
キャッキは悲しそうにすがりつくように言う。
「父が何故ディンバァを捕えようとしているのか、私にもその心が分からん。」
コディトの悔し気な顔をグラムはじっと見た。
「ヘディト王子、ハシェル王はオンスが見つからなかった場合ディンバァをどうしろとおっしゃったのですか? 」
グラムが尋ねた。
「一人残らず明日の昼前に城に召還しろと。同時に、余所者を捕えよと。それのみだ。」
ヘディトはちらりとヨシヤを見る。
「魔法使いから、オンスの叔父はドラゴン族の母子をも救ったことがあるディンバァの英雄だと聞いていたので、彼が降りた時にはグラム殿が訪ねて来たのかと予想はした。まさか、邪竜の末裔とは思わなかったが。」
「だいぶ話しが盛られてますが……今は置いておきましょう。」
グラムはファルを見てからふむっと顎に手を置いた。
「彼ら夫婦が来ていることも城ではもう把握しているのですか? 」
コディトがうなづいた。
「私が戻った時には、集落にドラゴン族が降りるのを見たと父の部下より聞いた。」
すでにヨシヤの存在も知られているらしい。
「この集落は王都の外れですが、いつから見張りが? 」
「ディンバァがここに移った時からだ。私はこの集落の安全を守る任を請け負っている。しかし父もすでに、自分の配下を見張りにしているようだ。」
グラムは納得したようにうなずき、少し考えるようにぷぴっと鼻息を出した。
「王はディンバァを捕えるのではなく、危険から守ろうとしているのですか? 」
キャッキが呟いた。コディトは納得したように眉間に皺を寄せたが首を横に振った。
「そうとも言い切れぬ。グラム殿は来ているが、危険とも言い切れぬこの状況。兵を向かわせ全て召還とは行き過ぎだ。」
自分の父だが、コディトは信用しきれないらしい。
「ファル、君はオンスを正確に見つけられる? 」
グラムが言うとヘディトの手が顎からやっと離れた。
「私以上の魔法使いがあの城にいなければね。」
うん、とグラムはうなづいた。
「コディト王子、ヘディト王子、今すぐ城でオンスを探しましょう。キャッキさん、その間王子たちの兵にここを守ってもらいましょう。」
キャッキは怪訝な顔をした。
「グラム、私たちは争うくらいなら……。」
「大丈夫。キャッキさん、争うことはない。そのために僕が行く。ヨシヤがいる限りは不用意に攻撃されることも絶対にない。」
キャッキがヨシヤを見上げた。
「王は、余所者が気にかかるだろうから僕が行く。まずは王に落ち着いて話を聞いてもらわないと。よろしいですか? 」
グラムが王子たちを振り返った時、ファルがルツコの肩に両手を乗せた。
「いやいやグラム。君はどう見てもディンバァ、身内だ。王には区別がつかないだろう。余所者ならばヨシヤの奥方を持って行かねば。」
ヘディトがまた顎を掴もうとしたが、ファルがルツコを盾にしたのでピタッと止まった。ルツコは冷汗が出た。
「王にはディンバァの違いはわからない。それでは意味がなかろう。ヨシヤは大きすぎるが、奥方はこの通り大変愛らしく、且つ、この珍しい御髪の持ち主だ。戦利品としては充分ではないかい? 」
「魔法使い、ふざけるな。」
コディトの怒鳴り声にルツコを盾にする。
「ふざけてませんよ王子。そもそも余所者の来訪とオンスの誘拐が同時に起きていることが王の猜疑心を駆り立てているのですよ。オンスも見つかり余所者も無害と分かっていただけるのが一番ではないでしょうか? 」
ルツコは涙目だった。
この恐ろしい兄弟王子の父だというのであれば、どれほど短気で恐ろしいのか。まともに会話できる自信はない。
「貴様、それほどまで言うのならば王を納得させる自信があるのか。」
ヘディトが言うとファルはにこやかに笑った。
「もちろんだとも。私が戦で策を立てるときに失敗したことがあったかい? 」
自信たっぷりに言ってのける。
「魔法使い殿、戦にならないようにしていただきたいのですが。」
キャッキがか細い声で言った。
グラムは深い皺を眉間に寄せた。
「ファル、君のことは信頼しているけれど、もしもルツコに何かあったら、君は岩をも溶かす業火で焼き尽くされることを覚悟しておいてね。」
ルツコの角度からは見えないが、今まさにファルを頭から齧ろうとしているヨシヤが頭上にいた。
ルツコはお城というと、どうしてもテーマパークに建っているものを想像する。きらびやかで舞踏会が行われる場所。しかし、ハシェルの城は月光に照らされているが、山のような形をしていた。
きらびやかさはなく、兵士がいるのが見える。要塞ということばがふっと浮かんだ。最近祖父が見ていたドラマで、日本の城は戦をするためのものだというのを解説していたのを思い出した。
ディンバァの集落から一本道で、途中用水路のようなものが見えたが脇道はなかった。鹿のような生き物に乗り向かいながら、ファルはルツコに説明した。
「ヨシヤの奥方、君は何もせずただヘディト王子と同じ顔をしていればいい。何か言いたいときは袖で口元を隠して私に囁いてくれたまえ。私が王に伝えるので。」
ディンバァの集落で借りたショールを顔にまき、上着を借り、ルツコは深くため息を吐いた。
「あの、私、小学校の劇で最後にやったのセリフのない桜の木なんですけど……。」
「木の役? 上等じゃないか。大木のように全てを見下してくれたまえ。」
同じ言葉を喋っているはずなのに言葉が通じない人がいるんだなぁとルツコは実感した。
「ファル、君は王の真意はどこにあると思う? 君はハシェル王と幼馴染だろう。」
グラムが言うとファルはわざとらしく勿体ぶった。
「私が不用意なことを言って君たちの心に王に対して染みを作ってはいかん。君の目で見極めたまえ。」
さんざん引っ掻き回して言うことがそれかと、おそらく全員が思った。
「しかし、父は信じるだろうか。ドラゴン族とマアナム族の夫婦など。」
コディト自身も信じていないのだろう。コディトに見つめられると、睨まれているようで怖い。
「信じなくとも夫婦なので。」
グラムは信じられないほどすらっと嘘をつく。ルツコは足を引っ張らないように誰とも目を合せないようにした。
「有りえない。体格差があり過ぎる。」
ヘディトも信用していないのだろう。無表情に言った。
「大きなものが小さなものに向けるのは庇護欲や支配欲だけだ。親が子に向けるような好意はあれど伴侶にはなりえない。」
ぐうの音も出ない。本当に夫婦ではないのだから、ヨシヤがルツコに向ける優しさは、罪悪感と責任感からだろう。
「お言葉ですが王子、僕は自分より背丈の高い友人が多いのですが、僕は友人たちに軽んじられたことはありませんよ。」
「貴殿は例外だろう。存在そのものがディンバァでも稀有だ。」
グラムが言うと、ヘディトが即座に返した。
「そうです。僕が珍しいように、彼らもまた大多数の夫婦中の稀有な例外だ。」
グラムはそう言うとちらりとルツコを見た。
「ルツコ、王の前では君が夫の代わりだ。ヨシヤの代わりに堂々とふんぞり返っていればいい。」
そう言われ、ほんの少しだがルツコの中の臆病さが霞んだ気がした。
自分がびくびくしていると、ヨシヤを見る目も変わってしまう。深呼吸をし、もう一度両頬を叩いた。