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白百合の姫は紅薔薇の庭で舞う  作者: 月代麻夜
第三章 囚われの姫と終末の氷華
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第二十三話 たとえキミが拒んでもⅣ



 ドゥブルの【夢】の世界から抜け出したリオンは、まず最も戦況の激しい場所へと向かった。ギルガメシュの使徒の大部隊と王国が最も戦力を集めた迎撃部隊がぶつかった場所――城門である。

 向かう途中、中庭や廊下を徘徊していたギルガメシュの使徒が操っていると思しき魔道生物――ギルガメシュの使徒はレクイエスと呼んでいた――が城を守護する騎士や魔術師を殺し、その亡骸を捕食する様子を幾度も見た。そのたびリオンは気が狂いそうな思いをしながら斬り伏せ、(りょく)(しょく)の血潮を厳格な城の端々に散らしてきた。

 グラハムが国と争う決断を下した理由に、この強力な戦力を保持していたことも挙げられるだろう。もっとも、一番の理由は彼が内に秘める憎悪だろうが――生憎とリオンは妹に強制的にやらさせられてメイン攻略対象のルートをさらっとプレイしただけなので、ゲーム情報を完璧には覚えておらず漠然としか分からないし、彼の思いを理解することもできないのだが。

(……妹に随分と語られた気がしたんだが……何だったかな。愛人の子だから、正妻やその子供に冷遇されていたんだっけ?)

 幼少の頃より劣悪な待遇を受け、性格が歪み、家族に恨みを抱くようになった。リオンが記憶する限り、そのような事情があったはずだ。……大元はそれだとしても、成長し、組織が拡大していくうちに、他の理由も混ざってしまったのかもしれないが。

 しかし家族への恨みを晴らすのにどうして王城を襲撃するのか、いまいち良く分からない。組織の力を誇示するにしても、王国最強の二人――王国騎士団団長と宮廷魔術師団団長が揃っている時に挑むのはリスクが大きすぎる。せめて片方でも地方に出張している間を狙うのが王道のはず。

 王国最強の戦力が迎え撃ってなお蹂躙する自信があったか、今日でなければならない理由があったのか。フローラのことばかりに気を取られていて情報不足のリオンには分からない。

(というか、この時期からもうグラハムはギルガメシュの使徒のトップになっていたのか? 年齢的に無理があると思うんだが……)

 まだ十三歳、現代日本でいえば中学校に入学したばかり。そんな、組織を治めるには幼すぎる少年に、凶悪で強大な力を有する反逆組織が纏められようものか。

 ――否。不可能だ。だから、経験の深い大人のトップがいるはず。

 しかし王国へ宣戦布告したのはグラハム名義。ここでトップの名を使わないのは、単純に頭の存在を隠したかったからか、或いは――。

(グラハム一人の暴走、か)

 導き出した回答に、リオンは光明を見た気がして――不意に、肌を撫でる冷気に気付いた。

「……、なんだ?」

 思考を中断し、警戒レベルを引き上げる。

 どうやら冷気は、リオンの向かう先――すなわち城門の方から流れてきているようだ。

 これは確実に、魔術による産物だろう。空気中を漂う魔力の残滓を感じ取らずとも、昼間かつ温暖だった近日の気温から、自然に発生したものとは考えにくい。

 腰に提げる剣の柄に手を当てながら、リオンは冷気の発生する城門へ歩みを進める。近づくほどに体感気温は下がり、パリパリと霜を砕く感触が靴裏から伝わってきた。

【氷】の魔術による、広範囲の凍結現象。

 或いは、気温操作や温度を奪う系統の魔術の余波か。

 前者であれば、それを起こしたのは、リオンの目的の人物である可能性が高い。

「…………、」

 気付けば早鐘を打っていた心臓を、理性で抑え込む。

 やがて、ざくっ、と変化した靴裏の感触に眉を顰めながら、リオンはそこへ足を踏み入れた。

「なん、だ……これは?」

 瞬間、リオンの視界に映ったのは、一面の雪景色。

 深さは十センチほどはあろうか。特に深い場所では三十センチあるかもしれない。ともあれ、()()()()()()()()()()()()()に降り積もった白雪が、騎士も魔術師もレクイエスも纏めて白く染め上げていた。

「くそッ、駄目だ」

 生命の気配を感じない。刺すような冷気が場を包み込み、凍結した遺骸だけが極寒の地に色を落とす。

「……並の魔術師じゃ起こせないな、こんなの。魔力が足らない」

 よほどこれを起こした魔術師は魔力効率の良い術式を用いたのか、或いは桁外れの魔力を用意する手段があったのか。何にせよ、碌な魔術防御手段を持たない人間が遭遇したらひとたまりもないことは想像に(かた)くない。

 雪の一粒一粒に魔力の残滓が感じられるということは、城門を雪景色に変えた魔術は『吹雪を起こす嵐を()ぶ』のではなく『吹雪を自力で起こす』ものなのだろう。気候と規模にもよるが、後者の方が消費する魔力量は多くなる。

 と、不意に、視界の端にリオンのよく知る人物が映り込んだ。

「――っ、お義父(とう)……アイザック魔術師団長ッ!」

 五年前、正式に婚約が決まって挨拶をしにいった時にアイザックのことを「お義父(とう)様」と呼んだら火炎弾を乱れ撃ちされた思い出が蘇り、リオンは慌てて言い直す。が、リオンが言いかけた言葉に苦言を(てい)す者の口は雪に埋もれて動かない。

 (うつぶ)せに倒れ込むアイザックの元へ近づくにつれて雪は深くなり、足を取られそうになりながらもリオンは急ぐ。

 やがてほとんど全身が埋まりかけているアイザックの元まで辿り着くと、リオンは周囲の雪を掻き分け、掘り起こした。

「アイザック団長ッ! 起きてください、アイザック団長ッ!」

 仰向けにしてから上体を起こさせ、肩を揺するリオン。

 生きている――というにはあまりに生命力が薄弱で、今にも燃え尽きんとする程度の火種だ。或いは生と死の間を(さま)()っている段階だろうか。このまま雪に埋もれさせておけば、いつ冥府へ旅立ってもおかしくない。

「くそッ」

 まずは体温を戻すべきだろう。そう判断したリオンは、アイザックを背に()ぶさり、来た道を引き返し始める。

 アイザックの体は、後方での固定砲台や援護が基本戦術のこの世界の魔術師とは思えないほどに筋肉質で、重い。リオンも騎士として鍛えていなければ押し潰されていただろう。

 ざくり、ざくりと降り積もる雪を踏み締めて進み――やがて冷気の届かない城内まで戻ると、手近な部屋の扉を蹴破った。たぶん、登城者をチェックする監視室だろう。

 その中にあった監視係の休憩用のベッドにアイザックを寝かせる。それから暖炉に薪をくべ、初歩の魔術で火をつける。これで(じき)に部屋も暖まるだろう。

「アイザック団長ッ! 目を覚ましてください!」

 温かい布団を被せて寝かせておくのが一番なのは分かっているが、それでもこの緊迫した状況では悠長なことはしていられない。あのような強力な魔術を扱う魔術師が敵にいて、しかもそれがフローラである疑いがあるのだから、少しでも多く情報が欲しい。

 と、瞼は半開きで、紫に変色した唇も最初こそ動きを見せなかったが――懸命に呼びかけるリオンの声が届いたのか、ピクリと肩を僅かに震わせると、アイザックは緩慢な動作でリオンへ視線を動かした。

「……スプ、リ……ディ……の……()(せがれ)、か……?」

「――っ! はい、リオンです」

 掠れた老人のような声。喉の水分が凍り付いてしまったのだろうか。

 聞き取りづらいそれを聞き逃すまいとリオンは耳を()ませる。

「……お前は……殿下の……とこ、ろで…………」

「メルウィン……、殿下の許可はいただきました」

「……そうか……」

 リオンの言葉と真剣な瞳に何かを感じ取ったのか、アイザックは納得したような声を漏らした。

「今、治療致します。……心苦しいですが、治療しながらお話をお聞かせ願えますか?」

 服は防護の魔術が掛かっているのか所々破れる程度に収まっているが、肌がむき出しの部分は火傷の痕があったり裂傷が刻まれていたりとボロボロだ。すぐに治療する必要があるだろう。

 アイザックはそれを了承し、頷いた。

 部屋に救急箱は見当たらないので普通の手当はできない。不得意だが、治癒の魔術を用いることにする。リオンはもしもの時に使う治癒魔術の術式を刻んでおいた宝石――勿論自分が重傷を負った時用に用意したものだが、仕方がない――を取り出し、患部に(かざ)しながら魔力を流して魔術を起こす。

「……あいつら……ギルガメシュの……使徒、は……『()(もん)』、を使う……」

「な――ッ!?」

 一発目から齎された最悪な情報に、リオンは驚愕の声を漏らした。

 けれどアイザックの言葉はまだ終わらない。

「フローラが……改良した、らしい……。まったく……私にも……見抜けなかったとは…………あの子は……天才、だった……のだ、な……」

「…………」

 ――天才。

 フローラの能力を一言で表わすとして、これほど相応しい言葉はない。

 けれど――それだけで片付けるのは、あんまりではないか。

 彼女は努力もしたはずだ。確かに他者とは逸脱した才能を持っていたけれど、天才という(くく)りで縛り付けて、他の見方の一切を排除するのはいかがなものか。

 ……、いや。そんな綺麗事など、リオンにとってはどうでもいい。

 ただ――リオンは彼女のことを、『天才魔術師』ではなく、『貴族の令嬢』でもなく。


「あいつは……ちょっとネガティブ思考なだけの、女の子ですよ」

 ――一人の少女として、フローラを思っているのだから。


「天才……確かにそうです。あの魔術の才能は凄まじい。羨ましいですし、(ねた)ましく感じることも勿論あります。あいつの考え方も、魔術師寄りですしね」

「…………、」

「でも……あいつと過ごしていれば、それだけじゃないって分かります。すぐうじうじ悩んで一人勝手に後ろ向きになっている時もありますし、妙に周囲を冷めた目で見ている時もありますけど……仲が良い人といる時は、本当に楽しそうに笑うんです」

 例えば、レティーシャとお茶を嗜んでいる時。

 例えば、アイリーンが全力で構ってくるのを受け流している時。

 例えば、ヴァネッサが彼女の思い人(ダリウス)のアプローチにドギマギする様を横で眺めている時。

 例えば、クリステルが「お義姉(ねえ)様」と呼んで駆け寄ってくる時。

 例えば――リオンと二人っきりで談笑している時。

 フローラの笑みは自然で、永遠に続くと無条件に信じている――けれど得がたい幸福に(ひた)る、普通の少女と(なん)ら変わらないものであったはずだ。

「だって、魔術師である前に、あいつは一人の女の子ですから」

「…………、」

 リオンの微笑みをその紫の瞳に映し、押し黙るアイザック。

 ややあって、一人の父親はゆっくりと口を開いた。

「そう、か。お前はまだ……」

「はい、信じています。――信じろって、言われましたしね」

 一度はその約束を破って。

 けれど、親友や義妹(いもうと)、そして彼女の影法師のおかげで、もう一度信じようと思った。

「……そうか」

 ククッ、と喉を鳴らして笑うアイザックの横顔は、どこか悲しげに歪んでいた。

「……私は、信じられなかった……立場がどう、とか……そういうので言い訳して……結局、一番やってはならないことを……してしまった……」

 家のために、愛娘との縁を切る。

 貴族の当主としては正しい判断でも、父親としては失格だ。

 それを悔やむ心があるのだから、まだアイザックは人情の厚い人間だと言えるだろう。――もっとも、やり直すには、もう遅すぎるのだけれど。

「……リオン」

「っ! なんですか?」

 初めて名を呼ばれ、リオンは背筋を伸ばす。手は治療のために動かしたままで、だが。

 対してアイザックは、娘の伴侶となるはずだった少年と目を合わせ、告げる。

「フローラは、王座に向かった。あの緑髪の小僧……グラハムが、王座を奪う気のようだ」

「――ッ、はい」

「行け。治療はもう良い」

 言葉は短かった。

 けれどそこに込められた数多の思いを感じ取って、リオンは立ち上がる。

「行ってきます。――必ずあいつを、連れ戻してきますから」

「…………」

 返事はなかった。無用だと感じたか、億劫だったか。けれど視線に込められた彼の思いに突き動かされ、リオンは部屋を出る。

 向かうは王座。

 愛する少女を、迎えに行くのだ。



 リオン「よし、お義父(とう)さんの許可を貰ったぞ。もう何も恐くない――!」


 次回も宜しくお願いします。

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