第二十話 たとえキミが拒んでもⅠ
ズンッ……と王城全体を揺るがす振動が、リオンを現実へと一気に引き戻す。
「……、まさか」
耳を澄ませなくとも、五感が戻れば直ちに悲鳴がリオンの鼓膜を貫いた。野太い怒号、甲高い絶叫、裂帛の気合い、死に際の恨み言――戦場に響くそれらが、国家の象徴たる王城を包む。
ついにギルガメシュの使徒が襲撃を開始し、王国の迎撃部隊と激突したのだ。
その中に、フローラがいるのだろうか。分からないけれど――きっといるはずだと、リオンは信じる。
「――今行くぞ、フローラ」
◆ ◆ ◆
ギルガメシュの使徒は王国が想定していたよりも強力かつ狡猾で、正面衝突する大部隊を囮に静かに侵入したある部隊は、開戦から僅か十分足らずで第一王子および第一王女の目の前まで迫っていた。
狙いは間違いなく王子と王女。勿論、護衛達はそう簡単に守るべきお方の命を蛮族如きに奪わせはしない。護衛メンバーの中では最も若く実力も劣る、けれど王女に直々に選ばれた少女騎士・ヴァネッサも、王女アイリーンを背に庇いつつ腰に提げる愛剣を抜き、襲撃に備える。
しかし――扉を突き破って部屋に踏み入れた襲撃者に、ヴァネッサだけでなく部屋の皆が眉を顰めた。
現れたのは、一見、奇妙な部隊だった。
いや、部隊とは言えない。なぜなら構成人数はたったの一人なのだから。しかもその体格ががっしりとしていて厳つい顔つきをした大男は、しかしその手に武器は握らず、代わりになぜか小さなオルゴールを掲げているのだ。
そんなおかしな部隊(?)の登場に、騎士達の間に弛緩した空気が流れかけるが――宮廷魔術師達は警戒を最大限まで引き上げ、そのうち最も経験を積んでいる老齢の魔術師が叫んだ。宮廷魔術師団副団長である。
「警戒しろッ! 何かが来る!」
老魔術師の怒声に、護衛一同の気が引き締まる。
「戦琴旋律・開幕――【我が音意の下に集え】」
オルゴール――いや、魔術が施された自鳴琴型霊装を掲げた大男が、呪文を詠った。
彼の声に反応して、霊装が音楽を奏で始める。曲名は分からない。そもそも世に知られる旋律かも謎だ。しかしその音色は嫌に耳に残り、ヴァネッサ達の不安を掻き立てる。
「……、」
だが――それだけだ。
音に魔力が乗り、室内に響き渡るが、何か超常現象が起こる訳でもない。せいぜいその不気味な曲調が皆の心に不安を落とす程度。
「ハッタリ……?」
ぽつりと、護衛の誰かが呟いた。
だが、誰も動かない。心の奥底で、そんな訳がないと直感しているからだろう。
「……ッ! 焼き払えッ!」
最初に気付いたのは、老魔術師だった。彼はこの場にいる誰よりも多い経験で培った第六感でソレの接近に気付き、皆に迎撃を促したのだ。
この場にいるのはヴァネッサと護衛対象を除いてベテランばかり。何か分からずとも年長者かつ最高位指揮権を有する老魔術師の指示に反射的に応える程度には有能だ。
「焼き尽くせッ!」
「風の刃よ……っ!」
「薙ぎ払え、氷嵐ッ!」
魔術師達が口々に呪文を詠唱し、それぞれ異能を顕現する。
この国、いや大陸でも指折りの魔術師達が放つ超常の暴虐――それを迎え撃つのは、異形だった。
「……かま、きり……?」
眉を顰めながらのアイリーンの呟きは、概ね正しい。
カマキリの如き二本の鎌を持ち、無数の毒々しい棘が生えた尾と蟹のような――或いは蜘蛛のような八本脚を生やした、人間の膝ほどの大きさの化け物。「ギュルギュル」と精神を逆撫でする気味の悪い音を凶悪な牙の並ぶ口元から唾液(或いは消化液?)と共に零すソレは、まさに異形と呼ぶに相応しい。
先ほど大男が鳴らしたオルゴールの音に乗って室内、いや廊下を伝って城中に響き渡った魔力が餌となり、この異形どもを呼び寄せたのだ。
「さあ行くぞ。レクイエスッ!」
大男がオルゴールを手に口を開く。そこから放たれるのは呪文――或いは、異形への命令。
「戦琴旋律・第一節――【疾く喰らいつくせ】ッ!」
どこか気分を高揚させる行進曲を、オルゴールが響かせる。
その空気の振動を読み取ったのか、魔術師達の開幕蹂躙から生き残ったレクイエスが「ギャグギッ!」と返事のようなものを上げた。
大男の命令に従い、レクイエスどもが雪崩の如く押し寄せる。
(なんなのだこやつらは、気味が悪い……っ)
ヴァネッサは、レクイエスの異容に全身の産毛が逆立つのを感じた。
「まだまだッ! 吹き飛ばせぇぇえええッ!!」
老魔術師の号令の下、魔術師達が各々得意な殲滅魔術で以て異形どもを蹂躙する。骨をも溶かす灼熱火炎、鋼鉄をミキサーにかけたが如く切り刻む風刃、つるりと磨かれた床を乱雑に抉る土の槍、空気を灼く神威顕現の雷撃、生物の肉体機能を凍結させる零下の氷嵐――常人を凌駕する魔力量と魔道技術を有する宮廷魔術師達の容赦ない猛攻に、しかしレクイエスの外殻は異常なまでに堅く、なかなかその数を減らせない
「……貴様ら程度の魔術では、こやつらの魔術耐性は貫けまい」
大男が不敵に笑う。左手にオルゴールを持った彼は、空いた右手に長剣を握り、一息に地を蹴り出した。
「抜かせ、小僧ッ! 我が魂を象る光の対よ、その鋭利さで以て夷狄を斬り刻めッ!!」
呪文を口早に唱えた老魔術師の足下で影が蠢き、大男を斬り裂かんと爆発的に伸びる。
「ぐッ……なんだその妙な魔術は?」
――ヴァネッサの敬愛なる主・フローラ曰く、魔術は大まかにエレメント系統とイデア系統の二種に分けられるらしい。
そのうち、老魔術師が使った【影】の魔術はイデア系統。フローラが言うには、その習得難度からあまり使われていない魔術らしい。……この世界では、と付け足された言葉の意味は、生粋の騎士であり魔術に疎いヴァネッサにはいまいち理解できなかったが。
不意の見慣れぬ魔術に大男は一瞬足を止めかけ、しかし足下を這っていたレクイエスを一体引っ掴むと、それを影に向かって投げつけた。
「なっ――」
老魔術師が驚愕する目の前で、レクイエスに接触した影が堅牢な外殻を切り刻む。ギャギギョギョギョッッッ!! と鉱物をミキサーに掛けたような甲高い音とともにレクイエスは細切れになったが、しかし同時に威力を失った影も消失してしまった。
その間に、大男が距離を詰める。
しかしそれを黙って見逃す老魔術師ではない。
「影よッ!」
ゾゾゾッ! と彼の足下から影が垂直に伸び上がり、五メートルある天井を傷つける直前で折れ曲がると、上空から大男を急撃した。
熱したバターに串を刺すかのように床を易々と貫く影の槍を、しかし大男はすいすいと躱し、或いは長剣で軌道を逸らし、足を止めることなく老魔術師に迫る。
――相手が悪い。ヴァネッサの脳裏にその言葉が浮かび上がった。
そして。
「後方支援としてはなかなかだ、老人」
賞賛の言葉とともに、老魔術師の懐に潜り込んだ大男が一閃。横一文字に腹を裂かれた老人が、血飛沫を上げながら倒れ伏す。
「オーギュスタン爺ッ!?」
アイリーンが、老魔術師の名を呼ぶ。その悲鳴交じりの声に、宮廷魔術師団の二番手たる副団長が敗北したことを護衛達が知り、その顔に絶望と憤怒を浮かばせる。
「くっ……」
最大の障壁であった老魔術師を倒し、大男はついにその視線を王子と王女へ向ける。ヴァネッサはその視線の動きを察知して二人を庇うように立ち塞がるが、しかし大男はたかが少女騎士など気にもとめない。刀身に付着した血を払いながら、
「……斬る」
一言、自己暗示のように呟いて。
次の瞬間、大男の剣はヴァネッサの顔数センチまで迫っていた。
「っ、はやッ――」
大男が長剣を投擲した訳ではない。戦場で自ら武器を手放すなどあり得ない。ただ彼は、その強靱な脚力で以て一瞬のうちに接近しただけだ。
「ぐ、ぉおッ!」
反応できなかったヴァネッサをあと数ミリで斬り裂くところまで迫った刃を弾いたのは、護衛騎士の一人。彼はヴァネッサの前に立って大男に剣を向けると、振り返らずに怒鳴る。
「下がれッ! お前、じゃない、貴女は王女様がたのお側にッ!」
言いかけ、途中でヴァネッサが伯爵令嬢だと思い出し言葉を切り替える騎士。ヴァネッサは一瞬拘泥しようとするが、背後からアイリーンがヴァネッサの名を呼ぶ声がして、「……任せたッ」とだけ言って後退する。
「……邪魔だ」
大男が、また一言。まるで魔術でも使っているかのように一瞬で騎士の懐に潜り込むと、その腹を真っ二つに斬り裂いた。振るった剣の威力は凄まじく、騎士は体を上下に分けたまま背後――すなわちヴァネッサ達の方へ飛んでくる。
「ひっ」
飛来する上下二つに分かれた人体にアイリーンが悲鳴を上げたのを背に受けながら、ヴァネッサは心を冷たくして騎士の遺体を斬り落とす。
今は同胞よりも護衛対象を気に掛けなければならないのだ。そのためには一時死者を踏みにじらなければならない。そう自らに言い聞かせ、ヴァネッサは降りかかる血飛沫から目を庇いつつ、剣を構える。
「……良い判断だ」
「ッ! ふざけるなッ!!」
上から目線の大男の言葉に、ヴァネッサの心が粟立つ。
ギリリと奥歯を噛み締めつつ、腰を落として剣を上段に構える。ワイズレット王国騎士団に伝わる正当な剣術、仏正流剣術の基本の構えだ。
「……なるほど。模範的だな」
「五月蠅い、邪教徒がッ!」
「……別に、俺はあの神造の王を崇めているつもりはないのだが」
言葉尻とともに、大男の体がぶれる。
「っ、ぐぅ!」
今度はなんとか防御が間に合った。が、その威力は到底耐えきれるものではなく、ヴァネッサは後ろへ吹き飛ばされてしまう。
「ヴァネッサちゃんっ!?」
「ぐっ」
(不味い、どうにか立て直さなければ――)
このまま壁に打ち付けられると思われたヴァネッサの体は――しかし、なにか柔らかいものに受け止められた。
「え……?」
「大丈夫かい、ヴァネッサ嬢?」
「わ、わわっ」
顔だけ振り向くとすぐ近くにメルウィンの顔があり、ヴァネッサは慌てて離れる。どうやら王子様がヴァネッサを受け止めてくれたようだ。ヴァネッサはその事実に顔を赤くしつつ、「も、申し訳ありませんっ」と謝罪した。
するとメルウィンは、
「いや、キミが無事で良かったよ。……それよりもヴァネッサ嬢、キミも下がった方が良い」
「っ!? 私はアイリーン様の護衛を任されているのです。退く訳にはいきませんっ!」
そう――ヴァネッサはアイリーンに指名されて、彼女の護衛になったのだ。襲撃者を前に退くなどあり得ない。
そう主張するヴァネッサに、メルウィンは何か言いかけて――しかしその言葉はアイリーンに遮られた。
「というかリオンちゃんはどこなの!? 彼ならこんな敵なんてどうってことないじゃないっ」
「いや姉上、さすがのリオンでも無理だと思いますよ……」
アイリーンの言葉にメルウィンは苦笑気味に言う。けれど彼女の質問の答えを口にする時は、信頼に充ち満ちていた。
「彼は、お姫様を救いに行きましたよ」
「……?」
首を傾げるアイリーン。ヴァネッサもどういうことか問いかけたかったが――敵が待ってくれるはずもなく。
「……斬る」
その声は、ヴァネッサの耳元で囁かれた。――直後。
ビュバッ! と。
ヴァネッサは、己の腹から血華が咲く様を幻視した。
「――、ぇ?」
けれど、現実に鮮血が噴き出すことはない。
なぜなら――大男は魔術によって吹き飛ばされていたのだから。
「無事でよかったわ、ヴァネッサ。それに王女様と王子様も。頼もしい魔術師様を連れて来たわよ」
血と異形と人肉がそこらにまき散っている混沌とした部屋に、ふわりと金髪が靡く。
いつもはツインテールに括られたそれを今はポニーテールにし、一・五メートルほどの長棒を肩に担いだ少女。スプリンディア家当主と再婚した女の連れ子である彼女は、公爵令嬢にあるまじきことに平民が着る服に身を包んでいる。王女のすぐ隣に立つと、その差が酷い。ただしよく見ればその素材は平民では到底手の届かない高級品で、なおかつ魔術処理が施された一品のために王女のドレスとまではいかないが貴族令嬢が着るには申し分ないほどの価値はあるが。
「く、クリステルちゃん!?」
「やっほー王女様。ご機嫌よう?」
「ご、ご機嫌よう……ってそうじゃないわっ! どうしてここにとかその格好は『煉獄の茶会事件』の時のだとか訊きたいことは色々あるけど、とりあえず頼もしい魔術師様ってどういうことなの!?」
一息で言い切ったアイリーンに、クリステルは若干気圧されたようにたじろぐ。が、クリステルが気を取り直して答えるより早く、部屋がミシリと軋んだ。
「む……?」
何かを感じ取ったのか、黙して周囲を警戒していた大男が小さく唸る。その視線は、彼が入室時に破壊した扉の方へ向いていた。
ヴァネッサ達も釣られるようにそちらへ視線を向けて――そこに立っていた人物に、ヴァネッサの瞳に涙が浮かんだ。
深紅の煌めきを落とした魔性の銀糸を短めに刈り揃えた、がっしりとしたシルエットの少年。その身に宿す魔力は十七という若さでありながら宮廷魔術師団副団長の老魔術師に迫るほど濃密で力強く、威圧するように体外へ放出すれば部屋を震わせるほどであった。
「――ダリウス、さま……っ」
『煉獄の茶会事件』が起きた日、忽然と姿を消した少年。多くの騎士や魔術師が彼を捜索したが、ついぞ見つかることはなかった。
けれど彼は今、足下に這い寄ってくるレクイエスを雷撃の魔術で薙ぎ払いながら、こちらへ悠然と歩いてきている。
「……貴様、なぜここにいる?」
問いを浴びせたのは、意外にも大男だった。
しかしダリウスにとっては特段不思議なことでもないのか、彼は鋭く大男を睨み付けつつ、低く響く声音でこう答える。
「出して貰った。そこの金髪に、な」
さりげなくアイリーンとメルウィンを守るように傍に侍るクリステルを指すダリウス。大男は眉を顰め、次いで「なるほど」と呟いた。
「……銀髪の令嬢といい、その金髪の娘といい、王国は子供を強力な魔術師に仕立て上げる計画でも進めているのか?」
「そんなものはない。ただ奴らが規格外なだけだ」
言い捨てるダリウスの顔には少しばかり苦いものが混じっていた。彼自身も大男が挙げた少女魔術師達のことを思い浮かべ、「もしかしたら」と思っているのかもしれない。
ともあれ、ヴァネッサの傍まで来たダリウスは、ぽんとヴァネッサの頭に手を乗せる。
「よく頑張ったな、ヴァネッサ」
「あ……ぅ、ダリウス様……?」
くしゃくしゃと赤の髪を撫で回され、若干抗議の意を込めて見上げると、真剣な表情をしたダリウスと目が合った。
「下がっていろ。――後は、俺がやる」
その声は、ヴァネッサの反論の一切を封じる威力を持っていた。
手に長剣を握ったまま警戒の態勢を崩さなかったが、しかしヴァネッサは彼に自分も並んで戦うと言い出せず、静かに見送ることしかできない。
騎士としては悔しい。王女様の期待に応えられなかったのだから、このまま彼を見送るなんて嫌だ。
けれど――ただの少女としては、彼の背中が凄く頼もしく見えて。
「……はい。頑張ってください、ダリウス様」
応援することしかできないが、それでもダリウスの背中は、どこか嬉しそうに映った。
「行くぞ、傭兵クルトラ」
「……斬る。魔術師ッ!」
悉くを灼き払わんと荒れ狂う雷電と、多大な殺意と魔力が籠もった疾風の剣線が交差する。
守りたかった少女を背に、魔術の名門家の長男は、自身の持ち得る全てを使って、少女に剣を向けた大男を迎え撃つ――。
次回も宜しくお願いします。




