第十九話 白百合の夢Ⅵ
天上の色彩を手にした少女が、一定条件下においては神をも凌駕する存在へと昇華する様を眺めながら、その少女と全く同じ顔をした金髪の少女は呟いた。
「結局、こうなっても貴女が何者か分かりませんでした」
予想はできる。たぶん、死の間際に銀髪の少女へ語りかけた声は、本来この実験で降ろすはずだった存在なのだろう。
けれど最終的には、花園月葉の特異性と、彼女に施された《教会》の魔術改造により、別の力を引き出す結果となった。
「位階は、もとがただの人間だとは思えないほどに上。これが神代の出来事であれば違和感は少ないのですが……まさか神秘が失われつつある現代で再現されるとは、思ってもいませんでした」
まぁ二十世紀のアレのせいもあるんでしょうけど、と少女は苦笑する。
魔術界隈だけでなく、一般の世界でも大いに騒がれた現象。原因は一般には秘匿されているが、余波により世界中で色とりどりの髪色や瞳の色を有する子供が生まれ始めたので、小学生の教科書にも載る程度の常識である。
それが恐らく、月葉がいくつもの条件と過程をすっ飛ばして上位霊格に達することができた理由の一つだろう。無論、月葉にその素質――というよりは星架因子と呼ばれる特殊な因子――が在ったことも大きな理由ではあるのだが。
「……ともあれ。一度本人……本神? に会って、お礼を言いたいですね」
それは死に際に届いた声の主のことではなく、本来の声の持ち主のことだ。
といっても、金髪の少女にはその人物がどこにいるかなど分からず、仮に知ったとしても会いに行くことなど叶わないのだが。
「貴女のおかげでこの器を守ることができた、と。貴女のおかげで大切に思える人と出会うことができた、と。そう、伝えて……」
言うべきか、誰にも届いていないというのに躊躇して。
しばしの逡巡の後、少女はごく小さな声で囁いた。
「……この力を、この私を、目覚めさせてくれた貴女も……大切な人と再会できることを祈っていると、伝えたい……ですね」
彼女の力に触れた時、彼女の思いが少しだけ自分の中に流れ込んできたのだ。だから、分かる。
彼女にはきっと、会いたい人がいるのだ――と。
少女の思いは本来、誰にも伝わることなく、霧のように消えるだけ。
けれど――どこか遠く、地球という惑星が存在する第二位星界のある場所で、祖神の生まれ変わりの少女が、柔らかに微笑んだ。
◆ ◆ ◆
――五度目の世界はなかった。
否――正確に言えば、ノイズが晴れたあとリオンが目を開けると、世界は黒一色に塗り潰されていた。
「…………」
何もない空間。圧倒的な虚無が彼方まで広がり、まるで世界にはリオンだけが一人孤独に存在するのだと突き付けられているかのよう。
けれど、それは間違いだ。
ここは彼女が作り出した幻で、リオンは夢を見ているだけなのだから。
「――そうだろ、フローラ?」
言葉と同時、リオンはくるりと身を翻す。
すると、一切の光が消え去った世界でなお神々しい輝きを失わない金の髪を持った少女が、まるで愛しい人を見詰める恋人のような表情でリオンを見ていた。
彼女はリオンの回答に、頬に朱の差した満面の笑みで以て丸をつける。
「はい。ここは『私』――花園月葉が最も得意とする【夢】の魔術を用いて作り出した、夢幻の世界です」
「だからどんな出来事が起ころうとも俺はそれに干渉できなかったし、俺が夢の光景によって被害を受けるようなこともなかった。……そういうことだろ?」
「お見事です。臨場感を出すために、ある程度負荷は掛けさせてもらいましたけどね」
満点回答を叩き出した生徒に花丸を返す教師のような体の少女に、リオンははぁと溜息を吐きながら後頭部をがりがりと掻いた。
そんなリオンの仕草に少女は笑みを零し、しかし「ただ、一点だけ違います」と訂正を入れる。
「『私』は本物のフローラではありません」
「……? クローンかなにかか?」
「いえ、ドッペルゲンガーの方が近いですかね。なので、Doubleとでも呼んでください」
髪色以外の全てがフローラと同一の少女――ドゥブルはそう自身を名付け、それから「というかクローンって、この世界の科学技術では無理ですよ」と笑った。
科学的な理論でほとんどを構成した場合は複製人形、魔術が多い比率で混じった場合は影法師とドゥブルは使い分けているのだろう。実際、詳しい境界はリオンには分からないのでなんとも言えないが、たぶん多くの魔術師が彼女と同じ捉え方をしているのではないだろうか。もっとも、前世は復讐相手を殺すためだけに魔術を学んでいたリオンにとってはクローンもドッペルゲンガーも馴染みの薄いものなので、それらが本来別の事象を差していたとしても訂正できない。
自分の理解していないものを出されて混乱しかけたリオンは、わざとらしく空咳を打って、
「……まぁクローンだのドッペルゲンガーだのは置いておくとして。ドゥブル。お前に確認したいことがある」
「なんですか?」
こてん、と可愛らしく首を傾げるこの少女は、恐らくこれからリオンが問いかける事象を承知した上でこのような反応を返しているのだろう。
その、フローラと全く同じ動作(影法師とはいえ髪と瞳の色以外の全てが本物と全く同一なので当然と言えば当然なのだが)に思わず心の中で可愛いと思いながら、なんとか煩悩を振り払うと、重く響く声音で問いかける。
「今まで俺が見てきた夢は……フローラの前世、なのか……?」
どんな非現実的な光景でも、取るに足らない日常風景でも、あの金髪の少女が登場した。最後の場面ではなぜかその髪が銀色に染まっていたが、同一人物であることは容姿や声で分かる。
彼女は間違いなく、フローラの前世の姿だ。転生後の姿と前世の姿(正確には最後の姿)が全く同一なことに少しばかり違和感を抱かずにはいられないが――それはひとまず置いておくとして。
果たしてドゥブルは、儚げな笑みを浮かべて、
「はい。貴方に見せた夢は、あの子の……そして『私』の前世。『箱庭』で『家族』と共に育ち、実験材料に使われ、《教会》の手駒として心身を磨り減らし、魔術実験の果てにその命を散らした……そんな、ありふれた少女が見た光景です」
「――――ッ」
あれが、ありふれたものである訳がない。
そう声に出せなかったのは、ドゥブルが――フローラの生き写しの少女が、あまりに悲壮な表情を見せていたから。
確かに、悲劇は世界に溢れかえっている。けれどあれほど壮絶な人生を送り、悲惨な最期を迎えた少女は、そうはいないだろう。――いて、堪るものか。
リオンとて最愛の家族を外道魔術師に蹂躙された前世を持つ。それでも先ほど見たフローラの前世は、あまりに酷いものだった。自分の過去がちっぽけだと言うつもりはないし、そもそも経験した絶望に優劣をつけるつもりなど毛頭ないが、それでもなお『アレは酷い』と評さずにはいられない。
けれどリオンは言いたいことの全てを飲み込んで、ドゥブルと真っ直ぐに目を合わせた。深く息を吸い込み、一度吐き出すと、落ち着いた声音を意識して問いかける。
「……なんで俺に、フローラの前世を見せたんだ?」
果たしてドゥブルは、その金色の髪をふわりと揺らしながら、
「貴方が、望んだから」
「俺が……望んだ?」
リオンは、フローラの前世を知りたいなどと口にした覚えはない。当然、ドゥブルに頼んだ記憶もない。
しかしフローラと同じ記憶を持ち似通った思考回路をする金髪の少女は、眉を顰めるリオンにともすれば息が掛かってしまうほどの距離まで近づいて、その頬にそっと触れる。慈しむように、或いは焦がれるように。優しく、最上の愛を込めて撫でながら、少女は答える。
「フローラを信じたい。けれど状況が許さない。何よりフローラが脱獄してしまって、ギルガメシュの使徒と繋がっている可能性が高くなってしまった。だから余計に信じることができない。……違いますか?」
「――ッ」
違わない。全く以て、彼女の言う通りだ。
リオンは婚約者であり己が好いた少女を信じたかった。けれど無条件で信じるには現状があまりに厄介で、愛している気持ちを抱きながらもフローラを信じ切ることができなかった。
けれど切り捨てることもできない。ただ優柔不断にふらふらふらふら悩み続けていた。
クリステルやメルウィンの言葉が胸に刺さり、ようやっと動き出せるようになったが――それでもまだ、どこか恐怖を抱えたままだった。
それはひとえに、フローラの心が分からなかったから。
フローラが何を思い、何を願い、何を望むか――その基盤となる『過去』を、何一つ知らなかったから。
「……そう、だ。俺は……あいつを信じるために、あいつのことが知りたかった。けど――」
やっと、認められた。脆弱な己を見詰めることができた。
それでも少年は、そのことに感謝をするばかりではない。
「勝手にあいつの前世を知ったのは、ちょっとばかし許しがたいかな」
その言葉に、ドゥブルはきょとんとした表情になる。
ややあって、堪え切れなくなったのか、ドゥブルは「ぷふっ」と小さく吹き出した。
「ちょっ、笑うなよっ!」
「ふふ、あははははっ! ふふふっ……やっぱりリオン様は…………ううん、何でもないです」
「……? なんだよ?」
「何でもないですよーっ」
ドゥブルはにやにやとした笑みを浮かべ、ほぼ密着した姿勢から一歩離れる。言いかけた言葉は濁されてしまい、リオンがいくら訊こうとも答えてくれないだろうことは容易に想像できた。
それからしばらくドゥブルは笑い続けていたが、やがてそれも治まると、リオンの空色の瞳をじっと見詰める。変化した雰囲気を機敏に感じ取ったリオンは、彼女の目を真剣に見返した。
ふわり、とどこからか緩やかな風が吹く。
夢の終わりだ。――直感的に、リオンはそう断じた。
「これでカードは揃いました。さぁ、後は全て貴方次第です」
気付けば、ドゥブルの体からキラキラと燐光が上がっていた。
何らかの魔術を使っているのだろうか? ――否。これは、魔力が溶け出しているのだ。
人の形を保っていた影法師が、役目を終えて消滅する。
そのことに、ドゥブル自身が気付いていないはずがない。けれど彼女は、悲しそうにするでもなく、切なげにするでもなく、ただただ――見惚れるほどの微笑みを見せて。
「お願いします。――わたしを、救ってください……っ!」
それが、少女の願いだった。
自らと同じ記憶を持つ少女を。同じ顔をした少女を。同じ力を操る少女を。似通った思考回路の少女を。――救ってほしいと、影法師は願ったのだ。
その思いと微笑みは、リオンの心に深く焼き付いて――。
「――ああ。絶対に、救ってやる」
答えは決まっていた。
『夢』を見せられる前から、誓っていた。
なぜなら――それは以前、少年と少女が交わした約束なのだから。
「……ありがとう、ございます」
――万斛の思いを乗せたその言葉を最後に、少女は光の粒となって消失した。
そして――黒一色で塗り潰されていた世界が、再び色を取り戻す。
夢が、終わったのだ。
……先に言っておきますが、『白百合の姫』では祖神周りの話を詳しく書くつもりはありません。
本来、祖神関係は、星界が登場する話のなかでメインとなる物語(現在非公開状態の『イリアステル』です)で登場させるものでした。……まぁ他でもちょい出ししていましたが。
なので、もし祖神とか終末の対天使とかが気になると思ってくださる方がいらっしゃったのなら……いつになるか分かりませんが、『イリアステル』を書き直して投稿を始めた時にお読み頂ければ幸いです(なんか敬語がおかしい気が……あ、今さらか)。
次回も宜しくお願いします。




