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白百合の姫は紅薔薇の庭で舞う  作者: 月代麻夜
第三章 囚われの姫と終末の氷華
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第十八話 白百合の夢Ⅴ



『――この実験で、人類は……いや、魔術師は神へ至る道を確立させるだろう』

 ノイズが止み、五感が正常を取り戻すと、リオンの耳に飛び込んできたのは男の言葉だった。

『それには(せい)(りん)などという不確かなものを必要としない。まさに魔術師の自力だけで天上の一席を勝ち取るのだ』

 恐らくここは、先ほどから顔を紅潮させて夢見心地のように語り続ける男の魔道工房(アトリエ)だろう。白を基調とする清潔な研究室、そこに数多の機械や魔道具が所狭しと収められ、彼の協力者または部下である魔術師達が数値や術式と睨めっこしていた。四方の壁のうち一面だけ硝子でできた壁があり、隣の部屋がここからでも隅々まで見渡せるようになっている。硝子壁の向こうで何らかの実験をして、この部屋でそれを計測するのだろう。

 リオンが部屋を眺めて現状確認している間にも、男は広めの部屋にずらりと並んだ十を超える少年少女を嘗めるような視線で眺めながら、大仰な身振り手振りで己の理論を語り続ける。

『あの日、「箱庭」にいた人間ならば見ただろう。感じただろう。あの大いなる力を秘めた天使を。我らが崇めねばならぬ尊い存在を! あれこそ我ら魔術師が(こいねが)う天上の一席、そこへ至るための使いなのだッ!』

 正しく『天の使い』だと彼は言いたいのだろう。

 果たしてそれが事実なのか、この場の誰にも分からないのだが。

 もっともそれは、傍観者たるリオンにも同じこと。だから否定はできない。肯定する気もないが。

『これならば、わざわざ神々の余興に付き合う必要もない。星のために命を削ることもない! ならば、これを選ばぬ理由はないだろう?』

 違う。この男はそんなことより、もっと違うことに意味を見いだしているのだ。

 例えば――終末の(つい)天使をもう一度見たい。或いは、その力に触れ、自らのものにしたい、とか。

 果たしてリオンの推測が真実かどうかは不明だ。なぜなら本人に確かめる方法は皆無なのだから。

 けれどリオンには、その推測がさほど間違っているようには思えなかった。

『さて。キミ達は、そんな神へ至るための先駆けだ。キミ達が正しい手法で以て安全を証明することで、我々は確実に神へと至れるだろう』

 これも、嘘。

 被験者となる少年少女を(たぶら)かすための方便だ。

『さぁ、始めよう。まずは――キミからだ』

 一番手となる栄誉を噛み締めたまえ、と男はクツクツ嗤う。

『……はい』

 選ばれた不幸な少年は、覇気のない返事をする。その目は(うつ)ろ。ぞっとするほどに感情が宿っておらず、まるで機械のような無機質さを感じた。

 白衣を羽織った魔術師に先導され、少年は硝子壁の向こうの部屋へと入っていく。

 それを見送る少年少女の顔は、何の感情も映していない。いや、()いて言うならば諦観だろうか。これから自身を襲うであろう運命を前に、真っ当な生を諦めた顔。

 そんな少年少女を眺めるこの研究のリーダーである男は、少年少女の諦観をさも当然とばかりに受け入れている。当たり前か。彼ら彼女らをそのような状態にしたのは、他ならぬリーダーの男と、その部下達なのだから。

『拘束器具、装着完了』

『魔法陣、正常』

『保管魔力、十分です』

『室内環境、規定値から誤差コンマ七程度。問題ありません』

『了解。リーダー、いつでも大丈夫です』

 着々と実験準備を整え、魔術師達がリーダーの男へ視線を投げる。それを受け、リーダーの男は大きく頷いた。

『始めろ』

『了解。――大魔術式【終末の対天使(コード・フィーネ)】、起動します』

 合図が送られた、――直後のことだった。

 ヴヴン、と。()()()()()()ような感覚に襲われた。

「な、にが――?」

 高密度の魔力が一斉に流れ、何百何千にも届き得る階層で刻まれた魔法陣が起きた()()。それが、時空間を歪めるほどの力の正体だ。

 リオンは側頭部を抑えながら硝子壁の向こうを睨む。

 そして、その目に飛び込んできたのは、決して交わることのない純白と漆黒の魔力だった。

 本来純然なエネルギーであるそれが実体を持ち、幾層もの地上を破壊する力。物質界も、星幽界も、人間には認識できない高次元の位相も――全て纏めて蹂躙してしまうほど、それは条理を外れていた。

 見た目はただの光の天幕。きっとこの場面()()を他人が見れば、白と黒の対極の色彩が織りなす美しいヴェールだと思うことだろう。

 だが。

『黒と白の魔力……体内魔力(オド)よりも純魔力(マナ)に近く、されど純魔力(マナ)そのものではない()()()()……ッ!!』

 少しでも魔術を囓ったことのある者なら、その圧倒的なまでの格の違いに気付く。

 ソレは魔力に近い。けれど凡百の人間も有するものとどうして同一視できようか。

 では神の力か。――いや、その程度のものではない。魔術師が手順を踏めば辿り着くことのできる霊格のものと同じなど、あまりにソレを馬鹿にしすぎている。

 そう――ソレは神をも凌駕し、霊格のピラミッドの頂点に位置する、原初の存在の力――。

『はは……はははははッ!! ははッ、はひひ……ひ、ひひゃッ!? ああああああッ? 違う、違う違う違うぞおおおッ!!』

 ちっぽけな霊格しか持たない人間はひれ伏すしかないソレを前に、狂ったように笑うリーダーの男は、しかし直後、その力を否定する。

 これではない。自分の求めているものは、こんなものではない、と。

『アレは……あの力はッ! こんなものではなかったッ!! どういうことだ!?』

『リーダー! まだ一パーセントも降ろせていませんッ!』

 計測器を鋭く睨み付ける魔術師の一人が叫ぶ。

『な、にぃ……? なぜだ、私の理論は完璧だったはずッ! なのになぜその程度しか……ッ!?』

『いえ、まだ上がり――いえ、駄目ですっ! これは器が――』

 魔術師が言い切る直前のことだった。

 あまりに濃密すぎるソレの力が充満した部屋にただ一人ベッドに拘束されて天を仰いでいた少年が、何の前触れもなく()()()

「なっ!?」

 思わず驚愕を表わすリオンの前で、少年の肉体が液化する。どろり、どろり、と。筋肉も骨も内臓も脳みそも全部、夏場のチョコレートのように溶けていくのだ。

 けれどベッドの上に水溜まりができることはない。

 なぜなら、溶けた傍から蒸発していくから。

 気体となった少年の肉体は、最後には『ソレの力』のヴェールと同化――いや、吸収されて、物質界から消滅していく。

『……なるほど』

 その、まともな感性を有する者が目にしたら発狂してもおかしくない現象を前にして、魔術師達はこう結論付けた。

『「器」が弱かったか。捧げる供物が大したモノでなければ呼び出せるモノが弱いのは、召喚術の基礎原理だからな』

 魔術師達の理論が間違っていた訳ではない。素材が駄目だったのだ。

 ――と、そう答えを出すのは簡単だ。

 だけれど。

「……()()が」

 悪魔に生け贄を差し出すのと同じ。そして差し出した魔術師達が、生け贄に罪悪感を抱くことはない。むしろ期待以下の働きに悪態を吐くほど。

 そして、足りないと分かれば新たに供物を足していく。そのことに魔術師達はなんら躊躇しない。

 彼らは狂気的な感性で、目的のため邁進するから。

 そのために犠牲になるものなど、彼らにとっては異国の万引き事件よりどうでもいい。

『次だ』

『了解』

 やがて白と黒の力が消失すると、次なる生け贄が選ばれる。二番手となった少女は先ほどまで少年が寝そべっていた場所に仰向けになり、そして魔術が起動すると同じように液化・蒸発した。

『次』

 三番手は、今時珍しい黒い髪をした少女だった。たぶん、リオンの前世・(あき)(さと)(はる)()と同じ国の出身だろう。そしてやはり、彼女も白と黒の力に溶けて消えた。

『次』

 四番手は、少しだけ今までの三人とは違った。といっても、最後には蒸発することは変わらない。ただし、前の三人より長く肉体を保ち、そしてより多くの力を地上に降ろしていた。

『次』

 五番手は、一瞬だった。魔術が起動し、魔法陣が光を放った直後、短い悲鳴を上げて蒸発した。液化の過程すら踏んでいない。魔術師達は『一番弱い「器」だ』と吐き捨てていた。

『次』

『次』

『次』

 ――。

 ――――。


「…………」

 部屋に残っていた最後の少女も、三十秒という最長記録を叩き出しつつ、けれど前例通りにその肉体を液化・蒸発させてしまった。

 リオンはそれを、ただ眺めているだけ。

「…………」

 助けたい、と思った。救うために走り出したかった。

 けれど、無駄だと知っていた。

 知っていて、それでも助けたくて、無駄で、憤って、悲鳴を聞いて、硝子壁の向こうへ行って、けれど少年少女が溶けて消えた力はリオンにはなんの効果も及ぼさなくて、魔術師達の方をどうにかしようとリーダーの男に殴りかかって、どんな攻撃も透過して。――無意味だと、心の底に刻みつけられた。

「……なんで」

 握り締めた拳は、爪が掌を食い破り、赤黒い液体を(こぼ)す。

 けれどその痛みでリオンの心が麻痺することはない。

「なんで、こんなものを見せるんだよ……?」

 問いかける声に答える者はいない。

 代わりに、外道どもの声が聞こえた。

『最後だ。アイツを連れてこい』

『と、言うと……本命ですか?』

『ああ。アレは私が何度も改良している。ここまで力が降ろせているのだから、次は決して失敗しないはずだ。いや……成功させてみせるとも』

 ――まだ犠牲者が増えるのか。

 ――どうせまた、助けられない。

 その二つの思いが混ざり合って、リオンはだらりと全身から力を抜いた。その場に尻をつき、顔を伏せる。

 いっそ耳も塞いでしまおうか。そうすれば、もうこれ以上犠牲になる人間を知らないで済むのだから。

 けれど――予感のようなものを感じ取って、リオンは耳を塞げなかった。

 果たしてそれが幸いだったか不幸だったかは、分からない。だがおかげで、次の犠牲者が誰かを知ることができた。――知って、しまった。

『ふむ。きちんと天上の色に染まっているな』

『…………はい』

 ごく短い返事だった。けれどリオンは、反射的に顔を上げて、新たに入室した人間へと視線を向けた。

 ――半ば、分かっていた。これは()()()()()なのだから、何度場面が切り替わろうとも必ず彼女が登場するのだと。

「……フローラ」

 愛しい少女の名を、確かめるように呼ぶ。その名を口にする時はいつも甘い響きを持っていてほしいのに、今はもう、悲しい色で塗り潰されてしまっている。

 新たな生け贄となる少女は、その深紅の瞳を曇らせていた。希望を失った、というよりは、()()()()()()()という狂った思い。ただの傍観者であるリオンには――いや、ただの傍観者であるからこそ、彼女の強い思いが読み取れてしまう。

 少女は魔術師に促され、硝子壁の向こうへ行ってしまう。リオンは無意識の内に立ち上がり、その後を追っていた。……何もできないと知っていて、なお。

 入った途端、全身に重圧が掛かる。何度も降ろされては才能ある人間を肉体ごと吸収した力が部屋中に充満しているからだろう。もっとも、その力の圧迫感を身に受けようと、それ以上の被害をリオンが受けることは決してないのだが。

 拘束器具を取り付けられ、少女がベッドに寝かされる。相変わらず瞳に光はない。ただ呆然と天井を見上げるだけ。

『始めるぞ』

 リーダーの男が、今までにないほど緊張した声で合図する。

 それに呼応し、魔術師達が魔術式を起動した。

 その魔力の動きを肌で感じながら、リオンはそっと少女に手を伸ばす。そして、ゆっくりとその()()()()を撫でつけた。

 リオンは実際にはこの場にいない存在だから、その手は少女の髪を透過してしまう。

 ――はず、なのに。

『……誰か、いるんですか?』

「――――っ」

 少女と目が合った。

 この場にいないはずのリオンを、彼女は認識したとでもいうのだろうか?

 驚愕と困惑に飲み込まれるリオンに、少女はふわりと――どこか切なげに微笑んで、

『……どうせ最期だから、私の独り言でも聞いてください』

 すぐに目は逸れてしまった。もしかしたら、先ほどの現象は偶然だったのかもしれない。

 少女は天井をぼんやりと見上げながら、おもむろに語り出す。いや、呟くといった表現が正しいか。実際、少女はリオンに向けて話している訳ではないのだから。

『私は、「家族」を裏切りました。「家族」を助けようとした「家族」も、見ず知らずの大勢を救うために魔術研究を進める「家族」も、手に入れた自由を謳歌する「家族」も……全員、私が殺しちゃったんです』

『家族』と口にする時にだけ、少女は瞳に光を取り戻す。けれどそれは、まるで幻であったかのようにすぐに消えてしまうのだが。

『私が《教会》から抜け出せなかったから。……いえ、これは言い訳ですね。()()ちゃんやガゼルくんにも言われましたしね、私の力であれば抜けだせるって。それなのにいつまでも《教会》に残って神罰者(パニシュメンター)を続けていたんですから、全ては私の心が弱かったのが原因です』

 部屋中の魔力が高まる。かつてないほどの重圧がのしかかり、部屋の節々で無機質な悲鳴が上がった。これ以上力が加われば、恐らく強靱に加工されたはずの床は崩壊してしまうだろう。

 けれど力の上昇は止まらない。それほどまでに、少女の素質が素晴らしかったから。

『ふふっ、おかしいですよね。魔術も体術も学術も、ありとあらゆる分野において最上だとされた天上を掴む者(シエルス)の一人なのに、ちょっと「家族」が虐殺されたくらいで心がぽっきり折れちゃうんですから』

『ちょっと』などと笑う少女は、微塵もそれが取るに足らない出来事だとは思っていない。けれど自虐する彼女は、自然とそんな言葉を選んでしまっていた。

『でも……仕方ないじゃないですか。実の親の顔を覚えていない私達にとって、「箱庭」のみんなはこの世で最も大切な「家族」だったんですから』

「…………」

『……そして、その「家族」が死ぬ原因となった《教会》を、魔術を、天使を……恨まない訳がない。……けれど、私は弱かったから、《教会》に捕まってしまった』

 ヴヴン、と。時空間がズレた。

 神々すら平伏する天上の力が、今、顕現する。

『……もし。もし、私に力があったのなら』

 視界が、黒と白に埋め尽くされるけれど。聴覚だけは、少女の言葉を確かに追っていた。

『誰かに支配されることのない、私が自由でいられる世界を……創りたい』


 ――その願いを叶える力は、すでに貴女の中にあるよ。


 刹那。

 聞くだけで心を溶かしてしまうほど魔的に美しい少女の声が、響いた。

 それはリオンにだけ聞こえたものではないようで、独り言を止めた少女が、声の主へと問いかける。

『どう、やるんですか……?』


 ――()()()()使()を使うの。


『……てん、し? それは、終末の――』


 ――違うよ。貴女だけの天使。ううん、これも違った。()使()()()()


『――は?』


 ――えっと……難しかったかな? でも、そうとしか言いようがないし……そう、だね。強く願えば、叶うはずだよ。


『……?』


 ――ほら、やってみて。叶えたい願いを強く祈れば、きっと天使は応えてくれる。


『私の……願いは――』


 ――どんな願いだって叶う。だって、その祈りは……『原初の力(まほう)』なのだから。


『――――』


 果たして、少女がどんな願いを口にしたのか。

 リオンの聴覚はノイズに支配され、耳にすることは叶わなかった。



 次回も宜しくお願いします。

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