第十五話 白百合の夢Ⅱ
決意のままに飛び出したは良いが、さて、どこへ行けばフローラと会えるのか。リオンには全く見当もつかなかった。
ギルガメシュの使徒の襲撃が始まり、使徒どもが雪崩れ込んで来る中から見つければ良いのだろうが……いかんせんそんな状況まで陥った時点で城は終わりな気もする。
とはいえ、それ以外に何も考えが浮かんでこないのも事実だった。
「国の象徴まで攻め込まれるのを許容する王侯貴族って……まぁ王命に背いている時点で今さらか」
自嘲気味に呟くリオン。
と――そんな彼を呼び止める声が、背後に掛かった。
「――リオン様」
「――っ」
その聞き覚えのある声に――今一番聞きたかった声に、リオンは反射的に振り向いた。そしてその姿を目にすると、深い溜息を零す。
「……失礼な人ですね」
「いや……ごめん」
彼女の持つ声は、フローラと同じもの。長年婚約者として傍にいたリオンすら気付けないほどに、差が全く無かった。
けれど、深く被ったフードから覗くのは黄金を溶かし込んだかのような神聖なる金髪で、それに隠れて見えづらい瞳の色は、どんな宝石よりも美しいとすら思える最上の紅玉だ。月光を反射する白雪の如き銀の髪と至上の紫水晶の瞳を持つフローラとは、色彩がまるで違う。
しかし、それ以外――例えば口調やふとした仕草すら同一だというのだから、リオンが期待と落胆を感じても仕方のないことだろう。
「良いです。貴方が、私とあの子に違いを感じられなかったのは……少しだけ嬉しく、また悲しくもありますから」
「……? どういうことだ?」
ややこしい言い回しをする金髪の少女に、リオンは柳眉を寄せる。が、金髪の少女はそれに答えず、くるりと身を翻してしまった。
「おっ、おい?」
「ついてきてください」
「は? ちょっ、待てよ!?」
静止の声を少女の背中に投げかけるも、止まる気配はない。リオンは一つ溜息を吐くと、おとなしく彼女の後を追った。
ギルガメシュの使徒襲撃に備えて慌ただしく走り回る騎士や使用人達は忙しいため、フードを深く被った少女と王子の護衛に就いているはずのリオンという怪しい組み合わせに声を掛けることはない。二人は黙々と廊下を歩む。
と、しばらくして、金髪の少女が不意に口を開いた。
「あの子の得意魔術を、知っていますか?」
彼女が口にするあの子とは、フローラのことだろう。リオンは一瞬だけ考え、すぐに思い浮かんだ答えを口にする。
「……【氷】、だろ?」
フローラがよく使う魔術は【氷】だ。共闘した時も、技術上達と戦闘能力の把握のために模擬戦をした時にも、彼女はそればかり使っている。以前、彼女から『水』の属性に最も適性があるという話を聞いたことがあるが、【氷】の魔術は五大元素からの派生にある属性的事象系統、その中で『水』に含まれるので、やはり使いやすいのだろう。
というかそれ以外の魔術は必要だったら状況に合わせて使う、程度にしか見ていない。だから当たりだろう――と考えるリオンに、金髪の少女は首を横に振る。
「一つはそうですけど、違います。魔術師は往々にして、概念的事象系統を最低一つは専攻しているものですよ」
むしろ、そちらを専門にする魔術師の方が多いくらいだ。理由は色々あるが、最も大きなもの――というか魔術師の最終的な目標から考えればそれしかない――は、神の座へ上るために外せないからである。……リオンは『神の座に至るために必要』だということは知っているがその理由は詳しく知らないので、それ以上は何も説明できないのだが。
「……アイツ、【氷】以外に使ってなかった気がするんだが」
「では、あの子の刀を思い出して下さい」
言われ、リオンは顎に手を当てて記憶を掘り返す。
「確か……〈夜黒三日月〉、だったか?」
魔術師として活動する際にフローラが腰に差す、漆黒の刀身を持った刀の銘だ。ただし、それが抜かれたことは一度もない。理由は分からないが……なぜかフローラは、刀を抜かないようにしていた気がする。
リオンが口にした銘に、金髪の少女はこくりと頷く。
「はい。アレの魔術効果は、刀身を見えにくくするものですね」
「なら、【屈折】か【幻想】か?」
視界封じ、幻覚、或いは認識阻害の類いだろうか。そう推測するリオンに、しかし金髪の少女は首を横に振って、
「いいえ、そのどちらでもありません。――あの子の最も得意とする魔術は、【夢】。現との境界にある『夢幻』を操る力なのです」
その言葉と同時に、少女は足を止める。
――瞬間、リオンは違和感に気付いた。
周囲を見渡せば、伝統と歴史によって構築された王城の白亜の壁などどこにもない。
その代わりに、漆喰が塗られた現代的な壁が、リオンを囲っている。
「なっ――」
魔力灯ではなく発光ダイオードが闇を払い、冷たい石材の床ではなく床暖房完備の温かな木板がリオンを支える。少し離れたところにあるベッドの布団は、化学繊維がふんだんに用いられたものだろう。他にも椅子、机、テーブルクロス、マグカップ、コーヒー……それら全てが、リオンの世界では見られない現代的な物ばかり。
けれど、秋里春斗には、馴染み深いものたちだ。
「ここは……まさか」
「外を見てください」
リオンはほぼ確信を持ちながらも問いかけるが、しかし金髪の少女は答えない。彼女の態度から何を聞いても無駄だと悟ったリオンは、彼女の言葉に従って、窓から外を眺めた。
――リオンがまず初めに思ったのは、ここは幼稚園、或いは小学校の校庭だろう、というもの。
適度に刈って整えられた芝生に、滑り台やブランコ、シーソー、鉄棒といった遊具が並んでいる。そしてそれらを利用して遊ぶ子供達の姿があり、その五歳から十三歳程度の見た目から、余計にここが保育施設や教育機関のように見えたのだ。
しかし、肌や顔つきから、彼らの人種がバラバラだということに気付く。ただし言語は英語で統一。――いや、何人かのグループで集まっているところでは、日本語やその他の言語も聞こえてきた。どうやらここの子供達は、いろいろな国から集まってきた人間らしい。
確かにこれだけ多くの国籍の子供が揃っているのは、一国の教育機関としては少し珍しいが、別にあり得ない訳ではない。――だが、歪な違和感をリオンは感じていた。
肌にひりつくような感覚が走る。
「――――ッ!」
そして。
リオンは、見つけてしまった。
風に揺れて靡く、艶やかな金の髪。ぱっちりとした深紅の瞳。まるで神の寵愛を受けたかのように可憐な容姿。年齢は五、六歳程度だろうか。まだ幼く、苦く難しい現実など何も知らないであろう年頃のその少女は、彼女の小さな体では大きく分厚い本を膝の上に置き、隣の蒼銀の髪の少女と一緒に楽しそうに読んでいる。
年齢が違う。色彩も違う。だが、リオンには分かった。
彼女が――リオンの愛する少女、フローラ=エーデルワイスであると。
「どういう……こと、だ?」
呆然と疑問を零し、リオンは緩慢な動作で振り返る。しかしそこに、目的の人物――リオンをここへ連れてきた金髪の少女はいない。
『――そこでイリアはいーました』
と、舌っ足らずな声音が耳朶を叩き、リオンは反射的に振り返る。視線は、幼い金髪の少女へ自然と向かっていた。
『「私が萌ちゃんを助ける! 助けてみせるから!」。イリアのけつ……けつい? をきーた雅美は、イリアの前に立ち……ふ、ふす? あっ、ふさがります。「行かせない……行かせるわけにはいかないわ。あの人は敵。しっ……し?」ええっと……』
『使徒』
『そう、それっ!「しとどもの仲間だったのだからッ!」』
『ねーちょっと待って月葉ちゃん』
所々で躓きながらも読み上げる少女に、同じ本を隣から覗き込んで読んでいた蒼銀の髪の少女が声を挟む。朗読を中断させられた金髪の少女はきょとんとした表情を浮かべて、
『どーしたの? 佳夜ちゃん、このお話、大好きだったよね?』
『好きだからこそ止めるのよ! だいたい何なのその読み方、ちょー棒読みじゃないっ!』
『ええー? ひゃくしんの演技だと思うんだけど……?』
『ひゃ、ひゃくしん……?』
たぶん迫真の演技だと言いたかったのだろう。
と、口論(と言うには片方の天然が過ぎるが)を始めた少女達のもとに、他の子供達がやってくる。東洋風の顔立ちをした銀髪の少年、同じく東洋風の顔立ちで薄い紫の髪にラズベリーの瞳の少年、褐色の肌で紺色の髪の少年。年齢は皆同じくらいだが、背丈から薄紫の髪の少年が年長者に見える。
どちらが続きを読み上げるか可愛らしく争う少女達に、薄紫の髪の少年が声を掛ける。
『二人とも。そろそろテストの時間だよ。さ、中に入って』
『あっ、真白さんっ! ねー真白さんは、わたしと佳夜ちゃん、どっちがこれ読むの上手いと思う?』
『えっと……これは、「始まりの星界大戦録」? なんでこんな難しいのを読んでいるんだ……』
彼女達の読み上げる声が幼く可愛らしいものだったので明るく優しい物語のように思えたが、なにやら物騒な臭いがする題名だ。少年の顔が引き攣るのも納得である。
『うんっ! 書庫の奥のほーにあったのっ!』
『わたしが見つけたのよ』
『一緒に見つけたのっ!』
むふんっ、と自慢げに胸を張る蒼銀の髪の少女。横で金髪の少女はむぅーっと頬を膨らませていた。
真白と呼ばれた薄紫の髪の少年は、そんな可愛らしい仕草をする二人の頭を優しく撫でて、
『うん、朗読は今度聞かせて貰うよ。今はすぐにテストの準備をしなきゃいけないから、早く中に入ろう』
『『はーい』』
声を揃えて返事をする少女達。真白は微笑みを湛えて、二人の頭をもう一度撫でる。
二人は真白に撫でられると少しくすぐったそうにして、それが終わるとどちらともなく手を繋いで走り出した。向かう先はリオンのいる方、すなわち建物だ。
と――そこで。
――ザ、ザざザ、ザザ――と。
まるで旧世代のテレビ画面のように、視界で砂嵐が荒れ狂う。聴覚が不快なノイズに支配される。平衡感覚がおかしくなり、前も後ろも上も下も右も左も全てがごちゃ混ぜになる。
堪らず目を閉じ、耳を塞ぐ。今立っているのか座っているのかすら分からない。
そして――その感覚は、唐突に終わりを告げた。
「――――」
次にリオンが目を開いた時には、そこは薄暗い大部屋だった。
◆ ◆ ◆
『なぁ一条』
金髪の少女と蒼銀の髪の少女が去った後に、銀髪の少年が真白に声をかける。
『僕はもう、一条じゃないよ』
『ん……そうだったな』
影の落ちる真白の苦笑に、失言だったと銀髪の少年はバツが悪そうに頭を掻く。それから、そのやや鋭い目を金髪の少女――その腕の中に抱えられた本に向けて、
『……あんな本、ここの書庫にあったか?』
『うーん……どうだったかな』
『なかった、と思うぜ』
顎に手を当てて記憶を掘り起こす真白。代わりに答えたのは、紺色の髪の少年だ。
『あったとしても、奥の方だな。禁書レベルの魔道書が並んでる辺り』
『……その辺、閲覧不可じゃなかったか? 物理的にっつぅか、魔術的に』
『解いたんだろ。佳夜と月葉ならそのくらいやっちまうさ』
あの二人が規格外だということは、ここの住人なら承知している常識。特に月葉の方は、まだ五歳だというのに大人三人分の術式演算速度を追い抜くほどだ。まさに化け物――と、自分達も同類でありながら、思わず呟いてしまう。
『……後で返しておこうぜ。バレたら大人達が怖い』
『ビビッてんのか、大智ぃ?』
『ばっ……ちげーよっ! 俺はただ、あの本が相当ヤバイもんだった場合を考えてだな……っ!』
にやにや顔で銀髪の少年――大智の脇腹をつつく紺髪の少年。この二人はすぐにこうやって互いを弄り出すのだ。そんな相変わらずな二人を真白は眺めながら、溜息を一つ。ここまでがワンセットである。
『……さて、僕たちも行こうか』
庭をぐるりと見渡し、もう自分達以外の皆が室内に入ったことを確認すると、真白は二人に声を掛けて歩き出した。すぐに二人もついてくる。これも、いつもの流れ。
『今日のテストはどんなかねー? あっ……なぁ大智、勝負しようぜっ!』
『はぁ? ガゼル……お前、応用魔術理論しか俺に勝ったことねえだろうが。そんなんじゃ勝負にならん』
『ふんっ! その応用魔術理論で大差付けて、他で駄目な分を倍返しにしてやるぜっ!』
『素直に他の点数を伸ばせば良いのに……』
苦笑する真白。大智は『せめて世界史くらい俺に勝ってから挑んでこい』と挑発し、ガゼルは『すぐに越えてやるし! ついでに魔道史でも大差つけちゃるっ!』と意気込む。
――そんな、平和な一時を眺める少女が、一人。
「……真白さん。大智さん。ガゼルさん」
愛おしく、或いは憂うように。
哀愁に塗れた声音で呟き、金髪の少女は目を伏せる。
――涙は、まだ、流せない。
それは、自分の役目ではないから――。
絵本のような文章なのに大戦記という謎の本。まぁ普通の本ではないですね。
次回も宜しくお願いします。




