第十四話 白百合の夢Ⅰ
ギルガメシュの使徒・グラハム=ラルディオは、『王族の命を狙う』と直接宰相の机に送りつけた襲撃予告に明記していた。なので当初王族は僻地、もしくはいっそのこと外国へ出てしまおうという考えも浮かんだが、いかんせん時間がないので、仕方なく王国で最も守りの堅い王城で迎え撃つことになった。
そしてその迎撃準備で大荒れする王城の一室に、リオンはいた。
城の部屋としては質素に整えられたここは、本来であれば公爵令息のリオンでも立ち入ることのできない場所だ。しかし同伴する人間の権限と、そしてなにより絶対優先の王命により、リオンは帯剣すらしてこの場に立っている。
第一王子メルウィンが指名したことにより、リオンはメルウィンの最も近くで彼を守るという、重要な任務を負っている。本当はリオンよりも実力のある人間が騎士団にはいるので、そちらが王子や王女の護衛として就くはずだったのだが、フローラの脱獄のせいで出自がしっかりした者でも安易に信用する訳にはいかなくなってしまい、結果、守られる本人達に指名された人間が、さらに魔術的な制約を付けられて護衛することになったのだ。
「…………はぁ」
詰めていた息を吐き出すリオン。その吐息は重苦しく、彼の苦悩に囚われた暗い心情を如実に表わしている。
彼の頭の中を支配するのは、不確定で不明瞭だらけな現状に対する疑問と不安。そして、あの少女に対する裏切られたような感覚と、それを感じた自分への憤りだった。
そんな、とてもではないが王族の護衛などという大役を請け負えるような状態ではないのに、こうしてメルウィンの傍で剣を携えながら侍っているのは、ある一つの可能性を直感的に感じたからだ。
(フローラ……)
あの少女が、リオンの愛するあの子が、この戦いに参加しているかもしれない――そんな、疑念。
真実は分からない。だがフローラは、あの厳重な義蝕の塔から脱獄してしまった。しかしそのようなことは、外部からの協力がなければ不可能だ。そして今の社会の流れからして、その協力者がギルガメシュの使徒だと考えるのが自然である。
なぜギルガメシュの使徒は、フローラを義蝕の塔から連れ出したのか? ――フローラに利用価値を感じたか、もともとフローラがギルガメシュの使徒のメンバーだったか。その二択だ。
だからリオンは、或いはこの王城襲撃にフローラも参加しているのではないか、と考えたのだ。
フローラの戦闘能力は凄まじく、魔術の心得のない並の騎士では到底太刀打ちできない。そしてそれは、ギルガメシュの使徒側から見れば、彼女は極上の戦力だということになる。王族の首を狙うという大それたことを実行するならば、彼女ほどの強者を投入しない道理はない。
いや――この考えは、少しだけリオンの願望が混じっていたか。
フローラと再会したい。でも、敵としては会いたくない。けれど信じ切れない。彼女がいったい、どの立ち位置にいて、どんな目的の下に動いているのか、全く分からないから。
それでも――。
(俺は……信じたい、のか?)
分からない。いくら考えても、悩んでも、答えは出てきそうにない。
――自分一人では、答えが出せない。
クリステルから情けないと言われたが、全く以て否定できない。今の自分は、格好良さの欠片もない、ただのぐるぐる悩み続ける優柔不断な甘ちゃんだ。
自覚してもなお答えが出せないのだから、いよいよ重症か。
――と、自分に失望し、それでも抜け出せない混乱に藻掻くリオンへ、蜂蜜王子と称される少年が声を掛ける。
「ねえ、リオン」
「……、なんだ、メルウィン?」
名を呼ばれ、思考を一度中断するリオン。自分が襲われるかもしれないという状況でも緊張しすぎで疲れないよう椅子に座らされているメルウィンの後ろに控えながら、リオンは彼を見る。
すると蜂蜜色の髪の王子は、(確定ではないが)将来の国王と公爵という関係でありながら親友でもある黒髪の少年の方へ振り返って、その甘い相貌に優しげな微笑みを湛えながらこう口にした。
「……キミがどれほどの混乱の中にいるのか、僕には想像も付かない。でもね、これだけは分かるよ。――フローラ嬢は、キミにだけは絶対、嘘を吐かない」
「――――っ」
リオンの悩みを的確に撃ち抜く言葉を口にする親友に、リオンは言葉もなかった。
しかし疑問と困惑と僅かばかりの苛立ちが渦巻く中、なんとか声を絞り出す。
「なんで……そう、言い切れる」
対してメルウィンは、柔らかな微笑を浮かべて答えた。
「見ていたからね、ずっと。キミ達二人は、僕とレティーシャにとって、目標みたいなものだったんだ」
言い切るメルウィンの顔は朗らかで、本心からそう言っていることが伝わってくる。
けれどリオンは、その正直な瞳を見返すことができない。
「目標って……そんな、凄いものじゃない。俺は……アイツのことを、何も知らなかったんだ。何に悩んで、何を抱えていたのか……何一つ」
「――全てを理解し合える人間はいない」
断言するメルウィンの双眸が、逃げるように彷徨うリオンの瞳を捉えて、リオンは気圧されたように唾をごくりと飲んだ。
怯んだような反応をするリオンをじっと見詰め、メルウィンは続ける。その瞳に宿るものは、思い悩む親友を気遣う気持ちだけではない。親友の思い人――そして自分の『恩人』でもある少女へ向けた、『別の思い』もあった。
けれど、決してそれは、悪いものなどではない。
「時にぶつかり、すれ違って……そして、話し合って。また一つ仲良くなるんだ。それは、同性でも異性でも変わらないよ」
「……メルウィン」
「だからね、リオン」
彼は一度そこで言葉を切ると、立ち上がり、そして親友の肩に手を置いた。その空色の瞳を至近距離で覗き込み、――それからふっと笑って、
「――行ってきなよ。彼女はきっと、ここに来る」
柔らかな声音で、激励した。
その、あまりにも彼らしい優しい励まし方に、焚き付け方に、リオンは自然と笑みが零れた。
張り詰めていたものが緩んだような心地だ。けれどそれは、悪いことではない。無用に重かったものが取り除かれて、不要に縛り付けていた枷が外れて、無意識に掛かっていた目隠しが無くなったような感覚。
世界が晴れ、心が奮い立つ。
――もとより、目的はたった一つだったのだ。
「――あぁ」
親友の碧眼をしっかりと見返し、リオンは決意を乗せて頷いた。
「ごめん。お前の護衛は、できなくなった」
「良いよ。父上には僕から言っておく。キミは僕の命令で、城に攻め来る不届き者を遊撃することになったってね」
「……ありがとう」
リオンを護衛から外すということは、それだけ自分の守りが薄くなるということ。簡単に決断できるようなことではないはずだ。改めてリオンは、メルウィンの器の大きさを実感する。
「さっ、行って、リオン!」
最後に、応援するように親友から肩をパシンッと叩かれ、リオンは駆け出した。
正直、まだ迷いは残っている。不安は消え去らないし、裏切られたという最低な思いも抱えたままだ。
けれど、ここで立ち止まったら、一生後悔するだろう――と、そう思ったから。
ここで躊躇ったら、自身の危険を顧みずに送り出してくれた親友に顔向けできない。
何より――今でも愛しいと思うあの少女を、救うことができないから。
だからリオンは、走り出す。
かけがえない親友よりも、背いてはならない王命よりも、たった一人の少女のために。
……すっごいリオンが主人公に見える。
次回も宜しくお願いします。




