第十二話 見えない真意Ⅵ
フローラに用意されたのは、十畳ほどの部屋だった。恐らくこの隠れ家の手入れをする人間が休憩に使う場所なのだろう。洗われたティーカップとティーポットが隅に片付けられていた。
「お前はここから出るなよ。必要なモンがあれば言え。部下に取ってこさせる」
部屋を見渡すフローラの背に声を投げるアディは、唯一の出入り口の近くに椅子を持ってきて座っている。フローラが変な改造をしないか見張ると同時に、逃げ出さないようにも気を張っているようだ。
別に、フローラに逃げ出す意志はない。自分には、ここでやるべきことがあるのだから。
それに――もう『あちら側』には、戻れないのだし。
「…………ふぅ」
長めの吐息で思考を断ち切り、意識を目の前のものへ持ってくる。
純白の花を中央に飾った紋章。己の生家であり、そして二度と名乗ることは許されない公爵家の象徴だ。これには、この世界の現代魔術師には理解できない魔術式が刻まれている。
しかし、地球の最先端の魔道技術を識るフローラには、読み取れた。
フローラはお茶菓子を並べる際に使われるのであろう机に『華紋』を置き、手頃な椅子に座って魔術式を見る。
(属性は『水』、事象は【氷】……吹雪、吸収……いえ、強奪? 広域殲滅系なのは一目瞭然ですが……これは)
この徽章から解き放たれる魔術は、前世で画面越しに見ている。最終決戦、王都神対大戦と呼ばれるギルガメシュの使徒が王都を襲った戦いで、国家防衛のためにエーデルワイス家当主アイザック=エーデルワイスが放つのだ。主要メンバーでもないのにスチルが用意されるほどの派手なそれは当然威力も半端なく、軍隊の如く押し寄せるギルガメシュの使徒の大軍を猛吹雪によって薙ぎ払うそのシーンは、主人公も攻略対象も不在なのにドキドキしたものだ。
しかし、今読み取れたこの魔術は、ただ氷の嵐によって大軍を殲滅するだけのものではない。
(……仕掛けるなら、ここですね)
幸いこの系統の術式は、最近見たばかりだ。心の中であの少年に感謝の言葉を述べて、フローラは美しくも複雑怪奇な魔術式に、圧倒的な知識と技量で以て手を加えていく。
その様子をアディが静かに眺めているのを背中に感じるが、意識してその気配を遮断する。敵地であるここで何か一つに没頭して警戒を怠るのは下策だが、しかしこの改造を失敗する訳にはいかない。
「……おい」
「――っ!」
不意にアディから声を掛けられ、フローラは心臓が飛び跳ねるのを感じた。不自然に体を硬直させてしまったが、しかしその動揺を悟られないようにすぐさま落ち着け、フローラは振り返る。
「……、なんですか……?」
少し声が揺れていた。動揺を悟られてしまっただろうか?
「……いや、ちょっとばかし言いたいことがあるだけだ」
しかし、アディはフローラの不審な動作を咎めるでもなく、そう言った。
(バレて……いないようですね)
思わず安堵の溜息を漏らしそうになり、寸前で耐える。素知らぬ顔を貼り付けると、フローラは普段通りを装って問いかけた。
「言いたいこと……ですか?」
「ああ」
アディは一つ頷いて、その鋭い顔にさらなる敵意を乗せた。
場慣れした魔術師でも思わず萎縮してしまうほどの威圧感を持つそれを、しかしフローラは真正面から受け止め、視線を合わせる。するとアディは舌打ちして、
「……オレは、お前のことを認めていない」
信頼感など皆無だということは、彼女の態度から察せられていた。だがこうも向かい合って言われると、多少心にくるものがないでもない。けれどフローラは、そんな想いを微塵も感じさせない平坦な声音で、
「そうですか」
「……ちっ」
返事は舌打ちだった。組んだ足で床をしきりに叩いているところを見るに、相当苛立っているようだ。
しかしそれ以上、アディから話しかけてくることはなかった。彼女はただフローラを見張るという役目に没頭している。
話し声が消えて静寂が満ちる部屋で、魔力だけが動きを見せる。
部屋の役割上、魔術の改造や実験には向いていない。設備が整っていないからだ。時折アディに必要な機材を頼みながら、フローラは『華紋』の魔術式を望む形に変えていく。
――やがて、三十分ほどの時間が過ぎた頃であろうか。
山場を越え、ひとまず休憩を入れようと張り詰めていた気を少しだけ緩めたフローラは、ふとこんなことを口にしていた。
「一つ……訊きたいんですが」
「あん?」
口悪く聞き返すアディに視線を向けぬまま、フローラは問いかける。
「貴女はなぜ、ギルガメシュの使徒に入ったのですか?」
「――――」
特別な意図はなかった。ただ少し、気になったのだ。子爵令息であるグラハムとタメ口を利く彼女が、どうして世界の再構築を望む狂人集団に所属しているのか。
彼女にも何か、世界を作り直したい理由があるのだろうか? 使徒達に、ギルガメシュの使徒に入った理由を訊いたことはない。だからたぶん、純粋な興味だったのだと思う。平生であればこんなことを敵に訊きはしないのだが、失敗できない作業で気を張り詰めすぎた反動だろう。
果たして黒フードマントの魔術師は、数秒の沈黙を置いて、口を開く。
「……別に、ギルガメシュの使徒にどうのって訳じゃねぇ。オレはただ、グラハム様が可哀想だと思っちまっただけだ」
まさか素直に答えが返ってくるとは思わず、フローラは思わず振り返った。まじまじとアディの顔を眺めるフローラに、アディは舌打ちを零して、
「……あの人は、昔は素直な餓鬼だった。オレはそんな、可愛い子供にものを教える教師で……だからあの人が、あの家のクソどものせいでだんだん変わっていくのを、見て見ぬふりするのがつらかった」
じっと見詰めるフローラから視線を逸らし、どこか遠い頃を思い出すように虚空を見詰めるアディ。彼女はノスタルジックに響く声音で、続ける。
「あの人はな、歴史を覚えるのが苦手なんだよ。代わりに計算は得意なんだけど、どうしても記憶系が苦手みたいでさ。何度も何度も書物とにらめっこして、テストして、駄目だったら『アディ、もう一回!』ってさ。……たぶん、努力は嫌いじゃなかったんじゃないかな」
「…………」
「それが、いつしか覚えられるようになってた。褒めたら、あの人は恥ずかしそうにはにかんだよ。可愛かった。……だから余計に、その顔に作られた痣が痛々しかった。どこでそんなモン作ったんだって訊いても、あの人は頑なに『転んじゃった』って答えたけど」
「……それは、」
グラハムの家族の虐待の痕ではないか――そう続けようとしたフローラの言葉を読み取って、アディは言う。どす黒い嫌悪と憎悪を、隠さず振りまきながら。
「ああ、そうだよ。血を分けた畜生どもだった。テストで駄目だった問題を完璧に覚えられるまで、あの人を叩いていたらしい。それも顔だけじゃねぇ。見えないところもボロボロでさ。オレが気付いて無理矢理服を剥いた時には、スラムの餓鬼みてぇな有様だった」
その時の姿を思い出してか、アディの顔が悲痛に歪む。そして同時に、殺意を瞳に宿していた。
「オレはただの家庭教師だ。それも、妾の子に宛がうような木っ端。当主や夫人に伝えたところであの人の問題は解決しねぇ。というか余計に酷くなるだろうよ。……だからせめて、食いもんだけは食えるように、授業の度にお菓子を与えることにした。何の解決にもならないってのは分かってたがな」
(――この人は)
優しい人だ。善人だ。そして――悲しいほどに、現実を知っていた。
だからグラハムの受けている虐待を知って、どうにもできず、悔しい思いをしながら、それでもグラハムが死なないよう気を掛けていたのだ。――たとえその行為で、何が好転する訳でもないと分かっていながら。
「いつの頃からかな。あの人は、力を求めるようになった。どこでオレが魔術師だって聞いたのか、オレに魔術の教えまで請うほどにな」
最初は、教える気なんざ欠片もなかったんだけどな――と、アディはガシガシと乱雑に頭を掻きながら呟く。
「でも、あの人の目を見たら、教えてた。才能もあって、どんどん技術を吸収していったよ。……でもあの人は、覚えたその術で、家族に反撃する訳でもねぇ。ただ、奴らと関わり始めた」
それが、ギルガメシュの使徒だったのだろう。
アディの横顔に宿る感情を、フローラには読み取れない。しかしその声色が孕むものは、たぶん、彼女のグラハムへの温かな想いだろう。
「そんで……あの人は、『アディまでギルガメシュの使徒に入る必要はない』っつったけど、オレは我慢できなかった。あの人に協力して、あの人のやりたいことをやらせたい。家族に抑制された分だけ、虐げられた分だけ、自由にして欲しい。そう、思っちまったんだよ。……って、なんでオレ、こんなことお前に話してんだろな。忘れろ」
「……いえ、話を聞けて、良かったです」
その言葉は、紛れもないフローラの本心だった。
――知らなかった。知ろうともしていなかった。ゲームだった頃に知った情報だけで、彼を理解した気になっていた。
それがどれだけ傲慢なことか。まるで自分の知っていることが真理だとでもいうかのような振る舞い。何様だ。
「……なんだよ、その顔」
自嘲気味に笑っていたフローラを見て、アディが眉を顰める。フローラは慌てて表情を取り繕った。
けれどそれで誤魔化せるはずもない。だからフローラは、微苦笑して、
「いえ、その……アディさんは、グラハムのことが好きなんですね」
「バッ!? そ、んな訳ねぇだろ!! オレは大人であの人はまだ餓鬼だぞっ!?」
否定する言葉とは裏腹に正直な顔は、熱が上って朱に染まっていた。その様子がおかしくて、フローラは少しだけ笑ってしまった。
フローラが笑っていることに気付くと、アディはキッと睨み付けてくる。しかしまだ頬に熱があるので、全く怖くない。
彼女は、年齢や立場などで言い訳しているが、確かにグラハムのことを想っている。そして、そんな彼女に『ギルガメシュの使徒に入る必要はない』と言ったグラハムもまた、彼女のことを大切に想っている……はずだ。
彼女たちには優しいところがあって、根っからの悪人などではない。それぞれの過去が、想いが、願いが、公的に否定されているだけで。だから、ただ行為が悪だからと断罪するようなことはしたくない。
――でも。
だけれど、フローラは――。
「……ごめんなさい」
大切な人を、失う訳にはいかないから。
次回も宜しくお願いします。




