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白百合の姫は紅薔薇の庭で舞う  作者: 月代麻夜
第三章 囚われの姫と終末の氷華
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第九話 見えない真意Ⅲ



 気付けばリオンは、()(しょく)の塔の中にいた。

 その手には国王が発行する塔への進入許可証が握られているが、いったいどこで手に入れたのか全く以て心当たりがない。たぶん、そこら辺にいた兵士から奪ったのだろう。塔内が騒がしくないから、恐らく誰もリオンの凶行に気付いていないと思われるが。

 フローラの脱獄が塔の警備兵達に伝わっているからか、昨日赴いた時より監視の目が多い。けれどなんとか見つからずに、リオンはフローラが囚われていた牢までやって来た。

 ――鍵は、開いていた。牢の調査をスムーズに行うためだろう。幸いにも今は誰もいないようで、四畳ほどの灰色の空間がぽっかりとした空虚さで塗り潰されている。

「…………」

 一歩、鈍色の世界に踏み入れる。

 そこに、愛しい少女の姿はない。生活の痕跡も、ほとんど残っていなかった。

 片付けられたのか、証拠として回収されたか、それとも元々こうだったのか。前回来た時はフローラのことしか目に映っていなかったリオンには、判断がつかない。

 と――狭い牢屋を見渡したリオンの視界の端に、異物が映り込んだ。

 ピィ、と小さく鳴く、白い小鳥。ベッドの下からぴょこっと飛び出したそいつは、ぱたぱたと非力な翼で羽ばたくと、リオンの前まで飛んでくる。思わずリオンが手でお椀の形を作ると、小鳥はその上にちょこんと乗った。

 直後、ぽんっ! とコミカルな効果音と共に、小鳥の姿が一枚の便箋へと変化する。

「……手紙、か?」

 (ふみ)を小動物の姿に変えて相手に届けるのは、旧時代の魔術師が好んだ手法だ。現代では携帯電話等の連絡手段の発達により、よほど盗聴やハッキングを警戒しなければならない状況でなければ用いられることはない。古風を好む者は愛用しているようだが。

 しかし文明レベルが地球の中世から近世辺りを這っているこの世界では、まだまだ現役の連絡手段。もっとも今回のものは、リオンがもう一度ここに訪れなければ決して読むことは叶わなかったので、連絡目的として使うには不完全ではあるが。

「……というか、魔術結界が解かれてるのか……?」

 二重扉も魔術結界も一切機能していない。それは現在調査のために解除されている訳だが、フローラが魔術で変化させた手紙など用意しているところから推測するに、魔術結界の方はフローラが脱獄した時点ですでに解除されていたと見るべきか。

 ――まぁ、全てリオンの推測だ。情報が限られ、さらに事態が混乱する今では、それが正しいとするには早計か。ならばこれ以上の思考は、今自分の手にある唯一の手掛かりを確認してからでも遅くはない。

 四分の一サイズに折られていた手紙を開くと、そこには整った文字で一文、簡潔に記されていた。


『わたしを信じて下さい』


 くしゃり、と手紙に皺ができた。無意識のうちに、リオンの手に力が加わったからだろう。

 リオンは奥歯を噛み締め、(しぼ)り出すような声音で、

「いったい俺は、どうすれば良いんだよ……フローラ……っ!」

 (むな)しく牢に、少年の(うめ)きが反響する。


   ◆ ◆ ◆


 気付けばまた、場所が変わっていた。

 ここは、スプリンディア家が保有する王都の屋敷か。すっかり見慣れた安息の場所は、しかしリオンに落ち着きを与えず、ただ心に空虚な寒さを(もたら)す。

 放心状態で戻ってきたのだろうが、きちんと後処理はしてあるようで、義蝕の塔の進入許可証はこの手に無い。気絶させて他の警備兵に見つからないよう隠した元の持ち主に返してあるはずだ。

 どこか投げやりな調子で現在の状況を確認したリオンは、やはり無意識に自室の前まで足を運んでいた。そのことに何の疑問も抱かぬまま、リオンは扉に手を掛ける。

 と――部屋には先客がいるようで、

「あら、お兄様。随分としけたお顔ね」

 こちらを認識した瞬間に憎まれ口を叩いたのは、桃色の猫目が特徴の金髪の少女。妹だが、何一つリオンと似ていないその魔術師は、ツンデレ妹令嬢モードのツインテールではなく冷酷非道の魔術師を演じる際のポニーテールを揺らしている。

 なぜクリステルが魔術師として活動する時の格好でリオンの部屋に居るのか分からず、リオンは眉を顰めるが、とりあえず入室して扉を閉める。

「……何の用だよ」

 覇気が無く、(しぼ)んだ声調。消沈するリオンの内面を如実に表わすそれに、クリステルは思うところがあるのか眉を(ひそ)める。

「……なんだか、詰まらなくなったわね、お兄様」

「…………は?」

「いいえ、何でもないわ」

 失望を孕んだ(まな)()しが酷く不快で、リオンは思わず視線が鋭くなる。

 しかしクリステルは気にした様子もなく続けた。

「私は裏から探っていくわ」

 何を、というのは言われずとも理解できる。フローラのことだ。

「幸いにも、私には一般プレイヤー(あなたたち)以上の知識があるから、そっちの方から手を回してみるわ。……と言っても、あんまり心当たりがある訳じゃ無いから、期待薄ではあるけど」

「…………。そう、か」

「……ねえ、お兄様」

 禄にクリステルの顔も見ずに生返事をしながら、外出用の上着やらを脱ぎ捨ててベッドにどかっと腰掛けるリオン。項垂れる彼の姿は重苦しく、そして何の気概も感じられない。

 一目惚れした少女を追い求め、やっとのことで婚約を結ぶことに成功し。そしてスプリンディア公爵邸襲撃事件を乗り越え、絆を平和の中で育んでいた頃のリオンは――もっと眩しい、いっそ鬱陶しいと感じるほどの幸せを抱いていたはずなのに。

 今では、その影も無い。

「――うじうじ悩んでいる今のお兄様は、反吐が出るほど害悪よ。いっそのこと、一度死んでみてはどうかしら。頭がすっきりするかもね」

 まるでこの世の絶望を一身に引き受けたかのような有様の少年に、冷徹な声音で吐き捨てるクリステルの表情は、ぞっとするほど冷たく鋭いものだった。

 その顔を直視できず、さりとて突き刺さる言葉に反論のしようもなく、リオンはただ己の膝を見下ろして押し黙るのみ。

 無音の部屋に、溜息が反響する。その吐息には、多分な失望が含まれていた。

「……何もできないことと、何もしないことは別物よ。――一度フラれたくらいで、女々しく塞ぎ込んでるんじゃないわよ。情けない」

 その、助言というにはあまりに刺々しい言葉に含まれる感情を、リオンはいまいち理解できない。けれど決して失望だけではない、はずだ。先ほどの悪罵よりも、幾分か声音が温かいものだったから。

 それ以上何を言うこともなく、クリステルはリオンの部屋を出る。がちゃり、と扉が閉まる音がリオンの耳朶を不思議と強く打った。

「…………」

 痛いほどの静寂と冷気が部屋を包み込む。リオンの中に確かにあったはずの熱は、今はどこにも感ぜられなかった。


 ――『何もできないことと、何もしないことは別物よ』


 クリステルの言葉が、不意に脳裏に反響する。

 彼女の言葉は正論だ。いったい彼女の前世がいくつだったのかリオンは知らないが、二十七まで生きたはずの春斗(リオン)よりずっと大人な考えだ。――いや、彼女の言う通り、リオンが情けないだけなのかもしれないが。

 ――でも。

「……俺に、できることなんて……」

 何があるのだろう――そう口に出して考えて、けれども何も浮かばない。何も信じられなくなってしまったリオンは、行動の指針を失ったのだ。コンパスが無ければ、旅人は砂漠を抜けられない――それと同じで。


 ――『救ってくれるって、言ったのに――っ!!』


 嘘吐きで意気地無しの卑怯者をなじる金髪の少女の言葉が、まるで追い打ちを掛けるように蘇る。

 先に裏切ったのは自分ではない。信じて貰えなかったのに自分が信じられる理由などない。――そんな感情論を笠に着て、結局自分も裏切った。最低な人間なのだ。リオンがいくら認めなくとも、否定に否定を重ねようとも、その事実は変わらない。

 色彩以外の全てがフローラと(うり)(ふた)つの少女が放った慟哭は、正当なものだ。その怒りに、悲しみに、失望に、リオンが(はん)(ばく)する隙は無い。


 ――『「私」を、救ってくれますか?』


「……救う。救う――か」

 果たしてあの言葉の指す『私』とは、『フローラ=エーデルワイス』で正しかったのか。

 今になって思い返せば、そのニュアンスの違いが歪な予感を湧き起こす。


 ――『わたしを信じて下さい』


「――――」

 果たして――。

 そう、果たしてフローラは、本心から裏切ったのだろうか?

 引っかかっていた疑念が、消え切らない想いが、じわりじわりと(のぼ)り始める。

 なぜリオンに手紙を残したのか。わざわざあの場に赴かなければ目にすることもないであろう手段を用いて、その一言をリオンに伝えたのか。

 彼女は果たして、何を思って『信じろ』と言うのか――それが何を意味するのか。『裏切られた』と勝手に自分の中で完結していないで、もっと考える必要があるのではないだろうか?

 (ある)いは――そう信じたい、だけなのかもしれないけれど。

「失礼するわよ、(あるじ)様」

 と――物思いに耽るリオンの意識を引き戻したのは、使用人が主人へ払うべき礼儀など知らんとばかりに踏み倒したシアだった。了承を得る前に部屋に入ってきた彼女は、ベッドに腰掛けて項垂れるリオンを一瞥すると、手に持つ『何か』をあたかも手裏剣を飛ばすかのような動作で投げ飛ばしてきた。

「っ!? 危なっ」

 下手をすれば突き刺さる勢いで飛来したソレをなんとか空中でキャッチするリオン。その衝撃で両手に痺れが走り、リオンはシアに非難の視線を向けるが、しかし当の本人は涼しい顔をしていた。

 この少女に何を言おうと無駄なのはここ数日で理解しているので、溜息一つで言いたいこと全てを流すと、リオンは手の中のソレに目を向ける。

 それは、封筒だった。封蝋に押された(いん)は、双獅子と間に突き立つ斧。王家の紋章――すなわち、王族からの手紙だ。

 リオンに直接(ふみ)を送る王族は、メルウィンかアイリーンくらいか。そのどちらかだろうと当たりを付けて封蝋を剥がし、中の便箋を取り出すと、果たしてメルウィン=フォン=ワイズレットの名が記されていた。

「メルウィン……」

 頭語、時候の挨拶を流し読み、その後にリオンへの励ましの言葉が並んでいる。彼の親友を本気で心配している気持ちが良く伝わってくるが――それに温かさを感じている時間は、ほんの数秒ほどしか与えられなかった。

 他と変わらぬ筆跡で、けれどどこか震えた印象のあるその一文。記した人間の動揺が伝わってくる。もっとも――それを読んだリオンは、それ以上の衝撃を受けたのだが。


『どうやら、ギルガメシュの使徒……グラハム=ラルディオは、王に向かって宣戦布告をしたらしい』


 ――もはや事態は、立ち止まることを許さない。



 次回も宜しくお願いします。

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