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白百合の姫は紅薔薇の庭で舞う  作者: 月代麻夜
第三章 囚われの姫と終末の氷華
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第八話 見えない真意Ⅱ



『フローラ=エーデルワイスが勘当された時には、婚約は自動で白紙に戻る。それだけは、忘れるな』


 リオンの譲れない想いを聞いた父が、家への不利益に繋がるというのにフローラとの婚約破棄を延期してくれた際に提示した条件。その言葉は脅しでも何でもなく、ただ事実を端的に述べただけだと知っていたはずなのに――いざその状況に陥れば、恨まずにはいられなかった。

 けれど――それ以上にリオンの感情を揺さぶったのは。

「なんで……なんでだよ、フローラ……」

 もう何度も呟いた疑問を、飽くこともなく繰り返す。


『わたしを――「私」を、救ってくれますか?』


 その言葉に、リオンは「当然だ」と答えた。

 だから彼女はその言葉を信じて、待っていてくれると思っていた。――思って、いたのに。

「…………」

 ふらふらと、不安定な内面を象徴するような頼りない足取りで、城下町を徘徊する。

 フローラ失踪の報を聞いてから抜け殻のような表情でふらりと外出したリオンを当然公爵家の使用人達は追ってきたが、しかしそれをリオンは全て振り切った。

 独りになりたかった。考えを整理するためにも――いや、それ以前に、痛む心を休めるためにも。

 癒やすことは、残念ながらできそうにないけれど。

「…………くそ…………」

 力なく吐き捨て、行く当てもなく歩き続ける。

 覇気の無いリオンに話し掛けてくる者はいない。通りかかる者全てに声を掛ける客引きさえも、どこか陰鬱な気を纏うリオンを避けているように思えた。

 ただただ、整理のつかない脳でぐにゃぐにゃぐじぐじと考えて――そんな時。


「――リオン様」


 ――その声は、とても聞き覚えのあるもので。

 けれど振り返ったリオンの目に映ったのは、みすぼらしい灰色のフードを深く被った人間だった。

 リオンより頭一つ分小さい身長。フードを深く被っているために顔は見えないが、チラチラと黄金の髪が覗いている。成長途上にある胸元がささやかな主張をしていることから、女であることが窺えた。

「……誰だ?」

「…………」

 答えはない。少女はただフードの裾を翻し、無言で歩き始めてしまう。

「お、おいっ?」

 名を呼んでおきながら無視して行ってしまう少女に、リオンは戸惑いながら声を掛ける。けれどやはり返事はなく、灰色フードの少女はリオンに背を向ける。

 ――平生であれば、追いかけようなどという馬鹿な考えは浮かばなかったはずだ。こちらの名前を一方的に知っている顔を見せぬ者など、何を目的に近づいてきたにせよ、関われば碌なことにならないのだから。

 けれどフローラのことで気が動転していて、さらにこの少女の声が愛しい少女のものと聞き間違えるほどに似ていたことから、気付けばリオンの足は自然と少女を追いかけていた。

「待てよ! ……おいっ!」

 だんだんと速度が上がっていき、ついには走り出したというのに、少女の背中に追いつけない。少女もまた走り出したからだが、それでも騎士として足腰を鍛えているリオンと一定の間隔を保ったままの速度を出せる彼女は、明らかに普通ではなかった。

(魔術で強化しているのか……?)

 何にせよ、ただの一般人ということはないだろう。リオンの不信感は強くなり、地を蹴る足により一層力が籠もる。

 賑わう市の人々の間をすり抜け、いくつもの路地を駆け、――やがて。

「……追い詰めたぞ」

 立ち並ぶ住宅の関係で日の光の弱い路地裏。しかし先は行き止まりで、完全に袋小路となっていた。

 少女を逃がすまいと、リオンは隙を作らないようにじりじりと距離を詰める。現在剣は携帯していないが、たとえ彼女が魔術師だったとしても十分対応できると判断しての行動だ。……後から考えれば、冷静でなかったのだろうが。

 残り十メートル、八メートル、――五メートルまで近づいたところで、少女は唐突に振り返った。ふわりとフードの裾が揺れ、金糸が風に(なび)く。

「……貴方は、あの子のことを信じられますか?」

 その質問は唐突な上に指示語が何を刺しているのか明確でなく、リオンは最初、全く理解できなかった。

 足を止め、フードに隠される少女の顔をじっと見詰める。反応はない。少女はただ静かに、リオンの回答を待っている。

「あの子……って、誰のことだよ?」

 眉を(ひそ)めるリオンに、少女がフードの中で浅く吐息したのが伝わってくる。その所作に、リオンは余計に眉間の皺が濃くなったのを感じた。

 少女はフードの中からリオンの双眸を見据えて、その名を告げる。

「フローラ=エーデルワイス。……もっとも、現在はエーデルワイス姓は取られてしまったようですけど」

「っ!?」

 予想外の人物――けれども薄々感じていた予感の通りに出てきた名に、リオンは思わず唾を嚥下していた。表通りとは隔絶された耳に痛い静けさの中で、その音が妙に強く響く。

 規則的に刻まれていた鼓動が不安定に、そして速く変化する。全身の血が沸く。肌が(あわ)()つ。気付けば震えだしていた手を、血が滲むほど強く握り締めていた。

「……お前は、いったい」

 自分でも驚くほどに低く恐ろしい声が出た。

 底冷えする鋭利な視線で少女を刺し、嘘偽りは許さないと殺意すら込めて()め付ける。元々鋭いリオンの顔が、さらに威圧感を増していた。

 けれど少女は動じない。先ほどと変わらない声音で、話を続ける。

「私のことはどうでも良いんです。それより答えてください。――貴方は、フローラのことを信じられますか?」

 当然だ、と答えたかった。

 けれどリオンの口は、まるで針で縫われたかのように動かない。

 答えられない。頭の中で答えは出ているのに――いや、その答えは、果たして本心なのだろうか?

 自分を信じて待っていてくれなかった人間を、果たして自分は信じられるのか――?

「…………」

 不信が、彼女への疑念が、リオンの思考を狂わせる。考えたくなかった事態を、否応にも想起させる。

 ――自分は、裏切られたのではなかろうか?

 なら――自分は、彼女を信じ続けられるのか?

「……正直、よく分からない」

 口から(こぼ)れるように出た答えは、『逃げ』だった。

「さっきまでは、確かに信じていた。……でも、今は、あいつのことが……あいつの真意が、見えない」

 信じていない、とは言わなかった。言えなかった。――言いたくなくて、ギリギリ残っていた感情が押しとどめた。

 けれど少女は、そんなリオンの卑怯な心を読み取っているかのような冷淡な声音で問いかけてくる。

「真意が見えないと、信じられないんですか?」

「……良く分からないものを信用できるほど、俺は、人が()くできちゃいないよ」

 無意識にリオンは、目を逸らしていた。たとえフードで遮られていたとしても、目の前の少女の目を見ることができなかったのだ。

 脆くて、卑怯で、意気地無しの少年。その、どこにでもいる平凡な人間に、少女は――。

「――嘘()き」

「――――」

 まるで、刃物で刺されたかのような痛みがあった。

 それが錯覚だと気付くのに数秒かかったのは、それだけリオンがその言葉に衝撃を受けていたことの証左か。

 瞠目したまま石像の如く硬直する卑怯者に、少女は魂の慟哭を放つ。フードの中から零れ落ちる雫は、きっと気のせいなどではない。

「救ってくれるって、言ったのに――っ!!」

 輝かんばかりの金髪を振り乱して吠える少女、その顔を覆い隠していたフードが、彼女の激しい動作のせいで(めく)れ上がる。

「――――」

 瞬間――目に映った()()()姿()に、リオンの頭はもうなにも考えられなくなるほど強烈な衝撃に襲われた。

 呼吸すら止めて驚愕に押し潰されるリオンを、その涙を端に溜めた(あか)い双眸で睨んだ少女は、金髪をふわりと翻す。そして一瞬膝を折って力を溜めると、碌な助走も無しに近くの家の屋根へ跳び乗った。

「――、待っ……!」

 ようやっとリオンが声を発した時には、すでに少女はこの場から完全に消え去っていた。

 リオンの伸ばした手が、(むな)しく(くう)を掴む。

「……何なんだよ」

 ぽつりと零れた言葉に、答えは無い。

 リオンの目に焼き付いた、金髪の少女の容姿。それは――()()()()()()()()()()()()()()()

「……どういうことなんだよ……フローラ……っ!!」

 いくつもの疑問に嬲られる少年は、ただただ感情に身を任せ、慟哭するのであった。



 次回も宜しくお願いします。

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