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白百合の姫は紅薔薇の庭で舞う  作者: 月代麻夜
第三章 囚われの姫と終末の氷華
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第六話 囚われの姫Ⅵ



 決意をその背に負った少年が牢から出て行く様子を、フローラは筆舌に尽くしがたい思いで見送る。

(……リオン様の背中って、こんなに……大きかったんですね)

 気付かなかった。いや――見ていなかった、のだろうか。

「待っていてくれ。……絶対に、助けるから」

 最後に一度だけ振り返って、リオンは分厚い封印扉に手を掛けた。重低音を響かせて徐々に外界の光を遮る鋼鉄を、フローラは黙って眺める。

 (あお)の双眸に火を灯してこちらを見詰めるリオン、その決意に()()ちた顔が、半分ほど隠れた時――。

「……ありがとう、ございます」

 ふと、フローラの口から感謝が(こぼ)れ出た。

 けれどそのか弱い声は石材を削りながら閉まる封印扉の音に掻き消され、リオンに届くことはない。――それで良い。これ以上、調子を狂わされたままでいるのは、フローラに根付くちっぽけなプライドが許さない。

 しかしリオンは、フローラの唇の動きから言葉を読み取ったかのように微笑みを浮かべて、――そして扉は完全に外界の光を遮った。

 ガチャリ、ガチャリ、ガチャリ、と。()(たび)、錠が施される音が牢に響く。外から再び鍵を掛け、牢を封印したのだろう。不法侵入なのか許可を取っているのかは知らないが、フローラの疑惑が晴れていない今、必要な処置だ。

「…………」

 再び牢に静寂が訪れた。――もうすっかり、慣れてしまったが。

 ふと、フローラは己の腕をさすった。まるで、先ほどまでそこにあった熱を、確かめるかのように。

 彼に触れていた場所が、彼の息づかいを聞いた耳が、彼と見詰め合った目が、それぞれ異常な熱を持つ。甘くて、切なくて、なかなかそれは消えてくれない。

 でも、消したくない。――忘れたく、ない。

「――――」

 つぅ……っと朱を引く唇を撫でると、そこから寂寥の吐息が(こぼ)れた。

 ――彼の腕に抱かれて、思っていた以上に(たくま)しい胸板に顔を(うず)めて、それから熱の籠もった瞳で見つめ合って。それで――その時自分は、何を望んでいたのか。

「っ――」

 頬に(のぼ)った熱に、思わずフローラはその熱を振り払わんと頭を振った。けれどなかなか、熱は引かない。むしろどんどん熱くなって、もしここに鏡があれば、自分の顔が熟れた(りん)()のように赤くなっているであろうことが容易に想像できた。

(や、やめましょう。これ以上考えても……うぅ)

 あの視線は反則だ。あの言葉だって、ずるい。――だって。

「――――っ」

 パンッと頬を叩いて思考を切り替える。加減を間違えたのか、しばらくヒリヒリとした痛みが残った。……浮かれている、のだろうか。自分で自分の気持ちが制御できない。

 なんたる失態か。まったく、()()けている。前世の仲間達が今の月葉(フローラ)を見たら、きっと失望するだろう。いや――(ある)いは(あざけ)るだろうか。


(さん)(ざん)人の幸福をぶち壊しておいて、自分は一丁前に恋する乙女? そんな資格、貴女にある訳がないでしょう?』


 ――声が、聞こえる。

 まるで本物のように、幻聴が耳に反響する。

 ――分かっている。これは偽物。フローラの心が作り出した、偽りの言葉。ありもしない妄想。

 けれど――もし本当に()()()()()()()()()()がこの場にいたのなら、そう罵倒したはずだ。悪罵したはずだ。――その権利が、彼らにはあるのだから。

 そして――()()()がフローラを刺したのは、そんな時だった。


「――まったく、可愛らしいですね、恋する乙女は」


 かつん、と靴音が反響する。その刹那に、フローラの脳が爆発的に思考を加速させた。

「――っ、なぜ……?」

 ここにいるのか――と。たった一秒の間に声から距離を取るように跳び、腰を落として振り返ったフローラは、声の主へと問いを放つ。

 艶やかな緑髪に翡翠の瞳、その中性的な幼い美貌を惜しげもなく(さら)す少年――グラハム=ラルディオは、薄い笑みを貼り付けて、

「こんにちは、フローラ様。ご機嫌麗しゅう」

「……麗しくはないですけどね。ご機嫌よう、グラハム様」

 目の前の少年――子爵家の妾の子である彼がギルガメシュの使徒であることは、すでにフローラの中で確定している。メルウィンの誕生日パーティーの翌日に実行した調査で、グラハムが王都に潜伏していたギルガメシュの使徒どもと接触している場面を目にしているからだ。

 その時に耳に挟んだ『公爵家の姫の誘拐』の話がフローラとリオンに警戒を抱かせたが、しかし実際に起こったのは、ギルガメシュの使徒とは関係のない人物が起こした誘拐事件。そのせいで、フローラはより一層グラハムへ強い疑念を抱いていた。

「相変わらずお美しいですよ、フローラ様」

「……ありがとうございます」

 全く気持ちの籠もっていない礼を淡々と返すフローラに、グラハムはくすりと笑みを零した。

「そう警戒しないでください。悪いようにする気はありませんから」

「…………」

 そう言われて警戒を解けるほど、フローラの頭はお花畑ではない。

 グラハムがこの牢に侵入している時点ですでにおかしいのだ。リオンのような正攻法での侵入は彼にも可能だが、しかし扉が開いた音はしなかった。となれば何らかの魔術で侵入を果たしたと考えるしかないが、それも不可能だとすぐに切り捨てられる。なぜならこの牢は魔術を封じる結界によって包まれているのだから。

 まさか、この牢の魔術結界を突破できるほどの魔道技術を有しているのだろうか? ――という考えに至ったフローラに、しかしグラハムはおかしそうに笑って、

「別に高難度の魔術など使っていませんよ。ただ、リオン=スプリンディアが解錠したのに便乗して入ってきただけです」

 つまりは、姿を隠してリオンの近くに(ひそ)んでおき、フローラがリオンと会話をしている隙に侵入したということか。

「……随分と、気配を消すのが得意なんですね」

「家庭環境上身に付いた、ありがたい能力ですよ」

 毛ほどもありがたくなさそうにそう言い捨てるグラハム。恐らく妾の子である彼は、家で受ける虐待に近い仕打ちを回避するため、隠密の才能が開花したのだろう。彼にとっては手放しで喜べることではないだろうが。

「さて」

 話の流れを強引に断ち切り、グラハムはフローラと目を合わせる。フローラは、意図の読めない彼の翡翠の瞳に警戒と困惑を返すしかない。

「僕がわざわざこんな面倒な方法を取ってまでここに来た理由は一つだけ。――フローラ=エーデルワイス。()()の勧誘だ」

「――――」

 すぅ……とフローラの目が鋭くなる。対してグラハムはにやりと嗤って、こちらへ手を差し出してきた。

「キミの力が、技術が、頭脳が、僕には必要だ。だから僕の傘下に入れ」

「……、お断りです」

 その差し出された手を、しかしフローラは取らない。――取ってはならない。

 ここで彼と手を結べば、もうフローラは戻れなくなる。家族のもとへ、友人の輪へ、そして――婚約者の腕の中へ。だから、魔術が使えないと分かっていながら、魔力を(たぎ)らせ威嚇し、決別の意を強く示した。

「わたしは絶対、裏切りません。リオン様が、必ず救うと約束してくださったから」

「……くす」

 フローラの熱の籠もった言葉に、しかし返答は嘲笑だった。

「くすくす、くすくすくすっ」

「……なにが、そんなにおかしいのです」

「ふふ、あはははっ――いや、ごめんね。あまりにもおかしくってさ、くくっ」

 くすくすと笑い声を漏らしながら、グラハムは形ばかりの謝罪を口にする。自然、フローラの眉根が不快に歪む。

 けれどその様子が余計に彼の琴線を(くすぐ)ったのか、グラハムはさらに大きな笑い声を上げ始めた。四畳の牢に変声期の少年の()(しょう)が響き渡る。その理解不能な反応に、フローラは思わず一歩(あと)退(ずさ)っていた。

 ひとしきり笑い終えたグラハムは、まるで道化を見るかのような嘲弄の視線をフローラに向けて、

「ふふっ――キミのような外道の人間が、ただの少女のように正義の騎士サマを待っているだって? あっはははは! 滑稽を通り越してむしろ憐れに思えるよっ!」

「――――」

 ――(びん)(しょう)。彼の視線が、声が、フローラを責め、愚弄する。

 けれど彼の言葉は、真実でもあった。

 自分でも気付いていた――けれど認めたくなかったそれを、この少年は容赦なく叩き付けてきたのだ。

 ――だが、

「……なにを、言って」

 グラハムがフローラを外道だと断ずる根拠が見当たらない。

 少なくとも今世では、外道魔術師的な非道な行いを控えていた、はずだ。人殺しも最低限、殺さなければ自分や大切な人に害が及ぶ時だけだったし、人体実験に手を出した覚えもない。――だから前世のフローラのことを知らなければ、フローラを外道だとする理由がないのだ。

 けれど緑髪の少年は、決定的な言葉を口にする。


「――ねえ、()()()()。恋愛()()()は楽しかったかい?」


 彼が知るはずのない――そして愛する婚約者であるリオンにすら明かしていない、前世の名。

 忌まわしき時――けれど××たい日々を過ごした少女の名を呼び、少年は続けた。

「キミみたいなクズが普通の女の子みたいに恋愛ができると思った? ただの貴族令嬢みたいに平和を享受できると思った? そんな訳ないよね。()()()()()()()()()()()()、今さら平穏な生活なんて送れるはずがないじゃないか!」

「――――」

(こら)え切れない痛みをかつての友人から与えられた者達の気持ちを考えたことはあるかい? 信頼していた人間から手酷く裏切られた者達の怨嗟に耳を傾けたことはあるかい? 全部、全部全部全部ぅ! キミがやったことだ! キミが犯した罪だろう!? なのになんで、キミは悠々と生きようとしているんだいっ!?」

「――、ぁ、ぁぁあッ」

 まるで体の中身を荒い刃で掻き混ぜられるような痛みが、フローラを襲った。

 けれどグラハムは止まらない。止まる気がない。むしろ(たの)しそうに笑って、少女の心を(えぐ)り続ける。

「新たな人生だから前世のことは関係ない? ははは、ふざけるなよ。そんな訳がないだろう!? 罪は償わなければ決して消えないッ! 死した程度で消えるものかッ! キミに償おうとする意志が無い限り、キミは犯した罪を背負い続けなければならないだろうッ!!」

「……て……」

「どんな方法で償うべきか……あぁまずは罪の告白からだろうね! キミを知る全ての者に、キミの罪を伝えるべきだ! そうすれば自然と周りから罰は与えられるし、そのうえでキミは自分自身を裁けば良い! 許しを与えられるのは、キミが殺した人間だけだッ! ……もっとも、誰も許しはしないと思うけど――」

「やめてッ!!」

 その場に(くずお)れ、(こら)え切れない恐怖に震えて体を抱くフローラ。まるで嫌な現実を否定する子供のように、いやいやと首を振っている。

 そんな銀髪の少女を見下ろして、グラハムは冷徹な声音で告げた。

「……許しが欲しいか、花園月葉」

「…………」

 答えない。答えられない。喉がカラカラに渇いて、声を出せない。

 しかし裁定者の言葉は続く。

「まず始めに言っておくが、死は償いにはならない。むしろ『逃げ』だ。そんなことは、絶対に許されない」

「…………なら……なにをすれば、良いんですか……?」

 抗えずに、問いかけの言葉を口にしていた。

 ――それが引き金だと、薄々感じていながら。

「僕のもとで贖罪する。それが一つの方法だ」

 少年はその整った中性的な顔を醜悪に歪め、言い放つ。――(おの)が目的に、お前を利用する、と。

 それに、フローラは――。

「…………、はい。わかり、ました」

 ――愛する人に触れた熱は、もうとっくに、消えてしまっていた。



 次回も宜しくお願いします。

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