第五話 囚われの姫Ⅴ
鍵の入手自体は、想定よりも随分と簡単に成功した。
そもそも王族が伴わないと侵入できないという塔の性質上、鍵が盗まれるなど想定していないのだろう。警備兵達の注意は散漫で、十三年ぶりに掘り起こした魔術師としての感性でも容易に鍵を手に入れられた。
シアの方は、リオンの隠密部隊に入った時点で『影』の先輩から本格的な技術を(地獄としか表現できないレベルの修行によって)仕込まれているので、リオンよりも早く鍵を手にしていた。
その結果、当初目算していた一時間よりも二十分ほど早く、準備が整ってしまった。
「……ま、順調なのは良いことだな」
永遠に続くのではないかと思えるほど長い螺旋階段を上りながら、リオンは小さく呟く。
「も、問題は、二重扉じゃなくて、ま、魔術結界の、方だと、思うん、だけど……っ?」
後方でやや遅れながらもなんとか付いてきているメルウィンが、息も絶え絶えに問いかけてきた。
その一歩後ろで、メルウィンが止まらないよう背中を押し続けているシアが、リオンの代わりに答えを返す。
「そちらは問題ないですよー、王子サマ。結界内に侵入するための徽章はちゃーんと入手してますから」
「そ、そうかい。……それにしても、これ、長すぎじゃないかい……?」
うんざりとした調子で見上げた先には、終わりの見えない螺旋階段。窓が無いため外の景色を楽しむこともできず、代わり映えのない石材の壁や床と延々戦いながらというのは、精神的にも肉体的にもつらいことであった。
「かれこれ一時間、か。……鍵探すより長いな」
「でも、もうちょいで終わるんじゃないかしら? ……ほら」
シアの発言と同時、いきなり階段が終わり、目の前に重厚な扉が現れる。一つ目の封印扉だ。
まるで今まで幻想を見せられていたかのような不自然な景色の切り替わり方に目を白黒させるメルウィンに、封印扉に鍵を差し込みながらリオンは答える。
「今のも魔術結界だよ。延々と続く螺旋階段は、【屈折】か【幻想】の魔術だな。徽章が無いと絶対に終わらないって仕様だろう」
「うえっ!? こ、怖っ!」
「ちなみに徽章が無いと戻ることもできず、永久に螺旋階段を歩き続けることになるんですよー」
「ひぃい!?」
思わず悲鳴を上げるメルウィン。その純粋な反応が面白いのか、シアはクツクツと笑っている。……発言内容は全く笑い飛ばせないものなのだが。
なお、魔術結界を通過するための徽章はいくつか種類があり、それによってどの牢屋に繋がるのかが変わるのだという。今回はきちんとフローラの牢に繋がるものを探してきている。
がちゃり、と一つ目の鍵穴の奥から音がして、ロックが外れた。リオンは用が済んだ鍵をポケットに落とし、代わりに新たな鍵を取り出すと、次の鍵穴へと向かう。
「……しっかし、本当に堅牢な警備システムだよな」
何とはなしに呟いたリオンの言葉に、シアはうっすらと笑みを浮かべながら、
「そうね。兵士が思わずスペアのない鍵を無防備に机に放置するくらいには堅牢よね」
「ぐぅ……大問題だよなぁ、ここ。父上に知らせた方が良いかな……」
知らせた場合、謹慎中に抜け出したことがバレるので、伝え方に気をつけねばならないのだが。メルウィンは頭を抱え、溜息を吐く。
人力を必要としないシステムで十分に補えている場合、どうしても人間は手を抜いてしまうものだ。ここを警備する兵士達も皆、そのように気を抜いており、王国側から見れば問題だらけなのである。……今回はそれで助かったのだが。
「まぁ普通は侵入すら不可能だしな」
「王族が同伴するか、或いは国王が許可を出さなければ入れない……だったかしら? 許可って、何か許可証でも渡すのかしら」
「徽章があるらしいぞ。魔術結界を通過するのとは別のやつな」
塔に入るのに許可が要り、そのうえ二重の封印扉と螺旋階段を始めいくつも施された複雑な魔術結界。これほど厳重な場所は、大陸広しといえどここだけだろう。
会話に興じながら作業を進め、ようやっとリオンは残り二つのロックも解除し終えることができた。用済みの鍵をポケットに入れると、ふぅと小さく吐息する。
「さて……行くか」
重量の問題でどうしても音が立ってしまうが、仕方がない。フローラがいれば魔術で隠すこともできただろうが、リオンは生憎とそういったチマチマしたことは苦手なので使えない。兵士達に気付かれないよう祈るしかないだろう。
一つ目の封印扉を抜けた先には、先ほどのものよりも一回り大きな封印扉が鎮座していた。右下の方に小さな窓のような扉があるが、恐らく食事や着替えを放り込むためのものだろう。
「今、開けるぞ」
扉の先にいるであろう愛しい少女に向けて告げ、リオンはロックの解除に向かう。
その間シアは一つ目の封印扉の前で誰か来ないか監視しており、メルウィンも空気を読んだのか彼女の横で待機している。フローラに会うのはリオンだけで良い。――きっと、二人きりが一番だ。
やがて、数分の後――けれどリオンにとっては永劫にも思える時間の果てに、全ての錠が外された。
「フローラッ!」
音を立てて落ちる鍵を気にもとめず、リオンは過重な扉を全力で引き、開ける。ゴゴゴ……と石材の床を引き摺って動き出し――その隙間から、月の光を溶かし込んだかのような銀糸が覗いた。
「フローラッ!」
もう一度、リオンは叫んだ。噛み締めるように、愛しき少女の名を。
「リオン……さま?」
返事は、どこか呆けた調子だった。
トイレと寝床が一緒になった狭い牢屋。その劣悪な場所で、リオンのお姫様は瞠目していた。
信じられないとばかりにリオンを見詰めて硬直するフローラを目にした瞬間、リオンは胸の奥から熱い何かが込み上げてきた。その感情に抗うことなく、少女の小さな体を抱き寄せる。
「りっ、リオン様!?」
「フローラッ! 無事で……良かった……っ!」
見たところ、フローラの体に傷はない。この劣悪な場所で、拷問さえ厭わないであろう状況で、少女は未だ傷つけられていなかった。その事実が、リオンの粟立つ精神に安堵を齎す。――もし傷つけられていたとしたら、やった人間も王国も、リオンは決して許しはしないだろう。
「むぎゅっ……り、リオン様、苦しいです……っ」
「っ! す、スマン……っ」
感情に突き動かされるままに手加減無く抱き締めていたので、腕の中でフローラが苦悶の声を漏らした。慌てて拘束を緩めると、リオンの胸に埋まっていたフローラの顔がきちんと見えた。
牢に入れられてからずっと、手入れができていないからだろう。肌はまだ大丈夫だが、髪が少し荒れている。服もボロボロで、間違っても公爵令嬢が着るようなものではない。そのことにリオンの頭が沸騰しかけ――寸前で、堪える。今は憤怒を表わすより、することがあるのだから。
リオンは再会の喜びからくしゃくしゃに歪んでいた顔を真剣なものへ変え、腕の中のフローラの目をしっかりと見詰める。
「リオン、さま?」
「フローラ。聞いてくれ」
雰囲気をがらりと変えたリオンに、リオンの腕に抱かれたまま、フローラは緊張の色の濃い表情を浮かべる。
「お前は今、ギルガメシュの使徒と関わりがあると疑われている」
「……はい。冤罪、ですけど」
「分かってる。でも、それを証明する証拠がない。……そもそもなんでそんな疑惑をかけられたのかも謎だけど、不味い状況なのに変わりはない」
疑惑を押し通したアルヴェンド家は、エーデルワイス家の権威を落としたいのだろうか。
レグナントのせいで大分勢いが殺がれたとはいえ、魔術師の名門家でありワイズレット王国を守護する双翼の片割れの家なのだから、その権力は未だ大きい。妬み嫉みを集める四大公爵家の中でも一際大きな権力を持つエーデルワイス家を、この機に底辺まで突き落としてやりたいと思った、と考えるのが妥当だろう。四大公爵家の中でも一番権威としては弱いアルヴェンド家にとっては、エーデルワイス家は目の上の瘤だろうので。
「でも……俺が、なんとかする。なんとかしてみせる。だから……今は、堪えてくれ」
本当は、今すぐにでも連れ出したい。こんな劣悪な場所から、逃がしてやりたい。
でも、できない。今逃げ出してしまっては、フローラは今まで培った関係の全てを捨てなくてはならなくなるから。
家族を、友人達を捨てろとは、言えない。そうしなくても良い方法があるのなら、それを選ばせたい。
「だから――」
と、言葉を続けようとして。
ドン、とリオンの体が押し返される。
「……、え?」
唐突なことで力が上手く入らず、尻餅をつくリオン。思わず呆けた声が口から零れた。
冷たい石材の床のおかげで徐々に頭が冷えたリオンは、ようやっと現状を理解する。
フローラに、突き飛ばされた。
「――――」
――拒絶。
明確な、否定のサイン。
「……ごめんなさい、リオン様」
俯く少女の顔は、床に手と尻をつくリオンの目には苦しげに映った。
そして、表情に劣らないほどの悲痛が籠もった声音で、フローラは続ける。
「婚約破棄、しましょう」
「……は?」
耳から入った情報を、脳が拒絶した。
けれども少女は、悲壮な表情のままリオンと目を合わせ、はっきりと告げる。別れを、諦めを、――そして、隠されたあと一つの感情で以て、言い放つ。
「婚約を、破棄しましょう、リオン様。ここでわたしと貴方の関係を、断つんです」
「なん、で……何でだよ!?」
よろよろと立ち上がりながら、腹の底から吠える。理解できない現実を、決して認めたくない事実を、否定するために。
しかし少女は変わらない。いっそ冷然とした声音で、リオンを打ちのめす。
――その瞳に、うっすらと涙すら浮かべて。
「これ以上、リオン様に迷惑を掛けたくないんです。家にも、友達にも、被害を齎す訳にはいきません。だから――」
言葉は、続かなかった。
否――リオンが、続けさせなかった。
「――――っ」
先ほど苦しいと言われたばかりなのに。突き放されたばかりなのに。込み上げる激情を抑えきれず、リオンはフローラを腕の中に抱いていた。
いっそ窒息してしまうのではないかと言うほどに力強く抱き締めながら、リオンは囁く。好き勝手に言う少女に、泣きながら関係を切ろうとする愛しい彼女に、決して自分は諦めないと、伝えるために。
リオンの中にあるものは、諦めるほど弱い熱ではないと、教えるために。
「婚約破棄なんかしない。絶対に、な」
「で、でも――っ」
「迷惑だなんて、俺は思ってない。というかむしろ、もっと人を頼れ。そんなにお前の周囲の人間は頼りないのか?」
「そ、そういう訳じゃ……ないですけど」
フローラに比べれば、周りの人間など雑魚の集まりだろう。魔道技術でも、近接戦闘においてもそうだ。頭の回転だって彼女に敵う人間は一握り。
それでも、人は一人では生きていけないのだから。
だからリオンは、もっともっと周囲に――何より自分に、頼って欲しかった。
「なら、頼れ。俺は絶対、お前を助け出す。誰が敵になろうとも、打ち倒してやる。いいな?」
「――――」
返事はなかった。
代わりに少女の嗚咽が、牢に響く。けれどそれも、ほんの数秒だけ。
今度は突き放すのではなく、リオンの腕からゆっくりと離れると、目元を赤く腫らしたままリオンを見詰めて、
「なら、わたしを――『私』を、救ってくれますか?」
そう、言った。
どこか変わったニュアンスを含むそれに、けれどリオンの言葉は決まっていて。
「――当然だ」
即答したリオンに、フローラはふわりと、初めて微笑みを見せた。
その笑顔が見られるだけで、心が満たされる。だから絶対に、助け出してみせる――リオンは強く、誓った。
次回も宜しくお願いします。




