第二話 囚われの姫Ⅱ
『お兄ちゃんは、どの子が好み?』
リビングのソファでゴロゴロしながら携帯ゲーム機に没頭していた妹がそんなふうに問いかけてきたのは、いつのことだったか。少なくとも、家も思い出も燃え去った『あの日』よりも前――秋里春斗という少年が、なんの変哲もない平穏を当然のように甘受していた頃のことだろう。
カラフルな色彩が多い現代において珍しく黒髪黒目な春斗は、薄着で無防備に太股やら鎖骨やらを覗かせる妹に半眼を向けつつ、問いかける。
『なんの話だよ?』
『世界は愛に崩れゆく Angel // Fall in Love』
『……は?』
いきなり飛び出た長ったらしい名前に、春斗は眉を顰める。すると妹はゲーム画面をこちらへ向けて、
『このゲームのタイトル。今大人気なんだよー。前作と世界が同じで、ちょこっと人物関係が違うんだけど、出てくる物騒な団体が同じだったり前作の人気キャラの出番も多かったり、前作ファンには涎ものなのだー』
『へぇ。どんなゲームなんだ?』
『んーっとねぇ、ギャルゲー。女の子をイケメンが落とす話』
『…………』
簡潔すぎて何も言えなくなる春斗。というかこの妹、ジャンルの説明しかしていないのだが。
『……お前、もうちょい詳しく説明しようよ?』
『え、詳しく知りたいの? お兄ちゃんあんまりこういうの興味ないと思ったんだけど』
恋愛シミュレーションゲームに興味がないのは事実だが、彼女の説明があまりに酷かったので思わず口にしていた。そしてその言葉に目を輝かせた妹の反応を見て、これは失敗したと悟る春斗だったが――もう遅い。
『前作の乙女ゲーの方も神ゲーだったんだけどね、こっちもちょー凄いんだよっ! 女の子は可愛いしリオン様はマジ格好良いしギルガメシュの使徒どもはウザいけどヒロインがエンキドゥの聖女になってリオン様と王国を救うシーンはマジホント名シーンだから一回プレイすべきだよっ!! あたし的にレティーシャ様ルートが一番神なんだけどあっちは乙女ゲーの方で悪役令嬢やってた時の方も素敵だったからここは敢えてアイリーン姉を選ぶかな! だってずっとお姉ちゃんとして接していたのに成長して格好良くなったリオン様に少しずつ接し方がぎこちなくなって思い悩み始めるアイリーン姉はちょー可愛いしエンキドゥの聖女になるところとか――』
『もう良い! もう良いから落ち着けっ!』
『はっ! いけない、ちょっとトリップしてたごめんお兄ちゃん』
ふーやれやれ、と汗を拭う動作をする妹。少し怖かったと密かに思う春斗であった。
近くのテーブルに置いておいたコップに手を伸ばし、果汁百パーセントのオレンジジュースをソーダ割りしたオレンジ炭酸で喉を潤す妹。プハーッこの喉越しが堪らないーっ! などと酒飲みの中年オヤジのような台詞を零すと、何事もなかったかのように片手でゲーム機をこちらへ差し出して、
『で、どの子が好み? この画面に映ってる四人の女の子がヒロインだよー』
『…………』
ごきゅごきゅ喉を鳴らす妹からゲーム機を受け取り、画面に目を移すと、そこには愛らしい少女達のイラストが映されていた。金髪縦ロールに赤い瞳のキツそうな少女、金髪ツインテールに桃色の猫目の少女、ふわふわの蜂蜜色の髪に碧眼の妖艶な印象の少女、赤髪ポニーテールに銀瞳の凜とした少女――どの少女も可憐に描かれている。
『んー……見た目の印象だと、この碧眼の子かな。というか髪色似たような子が多くないか?』
『髪色は作者の趣味なんじゃない? で、碧眼の子ってことはアイリーン姉か。ふふん、お兄ちゃんは妖艶なお姉様が好きなのねぇふふふのふ』
『いや別に、その中から選ぶならって話だろ? 俺はお淑やかで、儚げに微笑んでくれる子が好みだし』
『はいはいそんな子現実にいないから夢見んなー』
『ゲームの話だったよな!?』
いつの間にか好みを暴露していてその上で貶された春斗は思わず声を上げるが、妹は『お兄ちゃんは無駄に夢見なければ彼女なんてすぐ捕まえられると思うけどなー』などと独り言ちながらゲーム機を春斗の手から取り上げる。それから再びソファに寝転がり、ゲームに没頭し始めた。イヤホンも付けていないので、人気声優によって読み上げられる少女達の台詞が春斗のところまで届いてくる。
エンキドゥの聖女やらイシュタルの巫女やらギルガメシュの使徒やら、妙にメソポタミア神話のネタが出てくるなぁと思いながら、春斗は楽しそうにゲーム画面を見詰める妹を眺めた。
それは、平和な時の一ページ。
もう二度と訪れはしない、平穏な日常の一コマ。
それが分かっているからこそ、彼は何度も何度も、夢に見るのだ――。
◆ ◆ ◆
リオンが父・ロデリック=スプリンディアに呼び出されたのは、昼過ぎのことだった。
丁寧に手順を踏んで彼の書斎に踏み込むと、筋肉質な肉体を薄い上着で包んだ王国騎士団長がいつになく厳しい顔つきで待っていた。自然とリオンの姿勢が伸び、引き締まる。
「来たか、リオン」
「はい。ただいま参りました」
机に両肘を突いて胸の前で手を組む父の前まで歩く。じっとこちらを見詰めるロデリックに、リオンは何事かと内心激しい困惑に襲われていた。
煉獄の茶会事件も解決し、ようやっと平穏を取り戻した――というにはあまりに謎が残りすぎているのだが、せめて一週間くらいは休みたいと思っていたリオン。けれど彼の望む平穏を粉微塵にする一言を、ロデリックは厳かに言い放つ。
「お前の婚約者……フローラ=エーデルワイスが、義蝕の塔に勾留された」
「……は?」
思わずと言った調子で、声が漏れた。
呆けた顔をするリオンに、ロデリックはさらに続ける。
「ギルガメシュの使徒との関与を疑われた、と。アルヴェント家とその一派が強く主張したそうだ」
「なっ!? そんな、出鱈目です父上!」
フローラがギルガメシュの使徒と繋がっているなどあり得ない。あの少女が、世界に反逆する狂人どもの仲間なはずがない。その思いから声を荒げるリオンに、しかしロデリックは敢えて冷淡な声音で告げる。
「陛下はその疑いに対し、フローラ=エーデルワイスを義蝕の塔へ幽閉する判断を下された。疑いと言いながら事実上の犯罪者だ」
「ですから、そんなことは……ッ!」
「お前がそう主張しても、もはや変わらんだろう。いずれエーデルワイス家も彼女を切るだろうし……その前に、こちらから婚約破棄を申し出る」
「なっ!?」
ガツンッ、と頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。けれどこの事態は、容易に想像できたことだ。
貴族の結婚とは政治の一環。それによって不利益を被るならば、どれだけ相手を好いていようと破棄するのが当たり前。犯罪者と縁を結ぶなど公爵家としては絶対にあってはならないことなのだから、このままフローラとリオンが婚約関係を結んだままでいられる訳がない。
その事実に、リオンはしばし言葉が出せなくなる。
五年前、ようやっと掴み取った婚約者という立場。それを手放すなど、認めたくない。
好いた女を手放すなど、絶対に嫌だ――。
だから。
だからリオンは、鋭い空色の瞳で父親を見詰めて、口を開く。
「……少しだけ、待ってくれませんか?」
「…………」
親子の視線が、交差する。どちらの眼光も凄まじく、まるでその中心で火花が散るような鋭利さを孕んでいた。
五分か、十分か。
やがて、ロデリックが吐息を漏らし、部屋を包んでいた異様に重苦しい雰囲気が晴れる。
「……分かった。好きにしろ」
「っ! ありがとうございます……!」
「ただし!」
勢いよく頭を下げて感謝を述べるリオンに、ロデリックは鋭い視線を向け、言い放つ。
「フローラ=エーデルワイスが勘当された時には、婚約は自動で白紙に戻る。それだけは、忘れるな」
「……はい。失礼します」
重く頷き、リオンは身を翻す。背後からロデリックが何事か呟いた気がしたが、耳に入らず、ただ彼の頭は婚約者の少女のことで一杯だった。
(……とりあえず、フローラと話がしたい)
今からすぐに王へ取り合っても無駄だ。まずは情報を集めるのが先……だけれど、その前に、あの銀髪の少女の傍に行きたいと思った。謂われのない疑いを掛けられ、劣悪な牢に入れられる彼女の心を、一刻も早く軽くしてやりたかったから。
――そんな少年の背中を眺めて、ワイズレット王国最強の騎士は囁くように呟いた。
「……似たもの同士、か」
もしこの場に、今は亡き前妻・ソラ=スプリンディアがいたのなら、恐らく彼女はこう返していただろう。
「好いた女のことになると周りが見えなくなるところが特に、ね」
次回も宜しくお願いします。




