プロローグ -Liar-
明けましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願いします。
……お、遅いですね。本当に申し訳ありませんでした。
何はともあれ、第三章開始です。
……なお、この章はフローラよりもリオン視点が多くなる予定です。その方が読んでいて面白くなるだろうと判断したからですが、他者視点が嫌いな方には申し訳ありません。
基本をリオン視点、度々フローラ視点……と言った調子になります。
また、このプロローグは第一章のエピローグから少し繋がっています。
『――どうして、来なかったの?』
遅咲きの桜が風に舞う四月下旬。八重里の街の一角にあるやや怪しい雰囲気の喫茶店で、真新しい高校のブレザーに身を包む少女が責めるような視線で月葉を射貫く。
テーブル席の向かいに座る蒼銀の髪の少女――東雲佳夜に、月葉は申し訳なさそうな表情を浮かべて返す。
『うぅ……ごめんなさい。でも、ちょっと上から任務が入ってしまいまして……』
『そんなの無視しなさい』
『さすがに無理ですよ……』
佳夜の無遠慮な言葉に苦笑する。すると佳夜は一つ溜息を零して、
『はぁ……貴女、意見ははっきり上に言った方が良いわよ? 有休ぐらい取れなきゃ、いつか過労で死んじゃうわ』
そうじゃなくても、精神病で伏せそうだけれど……という呟きはあまりに小さく、月葉の耳には届かない。
『……無理なら、私が貴女を《教会》から連れ出してあげましょうか? その後の身分なら、お義父さんやお義母さん……あと、お義兄ちゃんとも相談になるけど、用意できるし』
佳夜の柔らかい声調での提案に、一瞬無条件で飛びつきそうになって――けれど月葉は、その手を取れない。取ってはならない。自分自身が、許さない。
『ううん、大丈夫ですよ。私、《教会》でも上手くやっていけますから』
『……、そう』
先ほどから意図して作った表情ばかりの金髪の少女を軽く睨みつつ、佳夜はブレンドコーヒーを啜る。深い苦味と僅かな甘味を舌の上で味わい、やがてゆるりと嚥下すると、佳夜は視線を月葉から店内へと向けた。月葉がその視線を追うと、一人の少年へと行き着く。
少女二人から視線を向けられた銀髪の少年は、一度店内を見渡すと、客が二人の少女以外にいないことを確認し、こちらへ向かってきた。
『また月葉をいじめてんのか?』
『いじめじゃないわよ。約束破ったのは月葉なんだから』
『うぅ……だからごめんなさいって言ってるじゃないですか』
ぶぅ、と膨れっ面になる月葉。押し殺したような笑いを、佳夜と少年が零す。
男子にしては眺めに揃えられた銀髪に、鋭い赤の眼光を放つ双眸。その整った容姿は鋭利さを孕み、心臓の弱い者は彼に視線を向けられただけで震え上がってしまうだろう。そんな、恐ろしげな美貌と雰囲気、そして性格を持っている。
危なっかしい人物だが、けれど月葉も佳夜も彼と同じ施設で育った子供だ。だからこうした日常生活で会話する程度で、恐怖を抱いたりはしない。……もっとも、戦闘になるなら絶対に遭遇したくない相手なのだが。
紫藤大智。『箱庭』の戦闘テストにおいてトップの成績を叩き出した、天才魔術師。或いは、戦闘狂。月葉的に実戦で出会いたくない人物ナンバーワンの彼に、月葉は「そういえば」と切り出した。
『大智さん、どうしてこんなところでバイトしているんですか?』
圧倒的な実力を持つ魔術師なのだから、《教会》や《黄金》からいくらでも依頼が回ってくるだろう。その意味を込めて訊いた月葉に、しかし大智は肩を竦めて、
『《黄金》はともかく、《教会》に関わるのは御免だからな。しばらく隠れることにしたんだよ』
『あー……だからただ平和に高校通ってるのね』
今年から一つ下の学年として大智と同じ高校に通い始めた佳夜が口を挟む。彼女は空になったコーヒーカップをソーサーの上に音を立たずに戻しながら、
『で、美少女とイチャイチャ桃色ライフを送ってる、と。いやあ青春ねぇ』
『ちょっ、待てお前。イチャイチャ桃色ライフも謎だが、まずどこから美少女が来た?』
『私……と言いたいところだけど、貴方と同じクラスのあの人よ』
『……うん? いや、アイツは別にそんなんじゃないんだが』
首を傾げる大智。にやにや顔で彼をなじる佳夜。――そんな二人を、なにか遠いものを見るような目で眺める月葉。
彼らの世界とも、分かれてしまった。
引き金を引いたのは、自分だ。約束。それを守らなかったから、月葉と、佳夜や大智のいる少しばかり温かい世界は交わらなくなった。
機会はあった。何度もチャンスは訪れた。――それを全て棒に振ったのは、月葉自身だ。
自戒の念と、罪悪感で、彼女はその世界に飛び込めなかった。
『……月葉? どうしたの?』
黙りこくっていた月葉に、訝しげな表情で覗き込んでくる佳夜。はっと気がついた月葉は急いで作り笑顔を浮かべる。
『ううん、何でもないですよ』
『そう? ……なら、良いんだけど――って、ちょっと待って』
不意に、その視線を月葉の髪へと向け、佳夜が瞠目した。月葉は首を傾げ、大智も『どうしたんだ?』と問いかける。
すると佳夜は、恐る恐るといった調子で月葉の黄金色の髪に手を伸ばす。手櫛で優しく梳くように毛先に向かって撫で――やがて、毛先に触れた。瞬間、佳夜が息を飲んだ音が月葉の耳に届く。
『……やっぱり、おかしいわ』
『佳夜、ちゃん?』
『貴女……毛先、染めてるの?』
妙に重い調子で問われ、月葉は訝しがりながらも首を横に振る。
『染めたことなんてないですよ? 別に金髪が不便な訳でもないですし、嫌ったこともないですから』
『……なら、これは?』
佳夜は手で触れている月葉の毛先を持ち上げ、月葉と大智に見えるようにする。
目に入ったのは、美しい金糸が絵画のグラデーションのように淡く変色している、自身の髪。先っぽは完全に白銀に染まっており、店内に付けられた薄黄色の照明の光を反射し、まるで宝石を溶かして糸状にしたかのような美麗さで以て輝いている。思わず見惚れるほどのものであり――けれども月葉も大智も、美しさに心を奪われたのではなく、奇妙な恐怖心から言葉を失っていた。
歪な悪寒が、背筋をゾワリゾワリと這いずる。
湧き上がってくる不快感をねじ伏せながら、喘ぐように月葉は囁いた。
『なに、これ……知らない。知らないです、こんなもの……っ』
絞り出されたその言葉に、大智はすっと目を細めて白銀の毛先を睨む。
『……ただ色素が抜けたって感じじゃねえな。高位霊格の憑依による肉体の変化、或いは自身の霊格の上昇に伴う肉体改変、か?』
髪や瞳は、魔術的に大きな意味を持つ。魔力が宿ったり魔術を組み込んだりもできるし、またその色は本人の属性などに大きな影響を及ぼすのだ。それが自然に変化するというのは、尋常ならざる事態である。
処女雪の如き白銀と眩しいほどの黄金の境界を撫でて、佳夜は呟く。
『「反霊樹の王」計画の影響、かしら? でも、なんで今頃……?』
『――っ』
彼女の言葉に、びくりと月葉は肩を跳ねた。それに気付いた佳夜と大智は、何かあったのかと問いかけの視線を向けてくる。
けれども月葉は、目を逸らして口を噤んだ。
――アレは、言えない。言ってはならない。《教会》の命令だからとか、自分が殺した人々への罪悪感とか、そんなものが原因ではない。
ただ、この二人を巻き込みたくない。もう一度あの施設に戻らせてはいけないと、そう思ったから。
だから月葉は、敢えて笑った。歪な微笑みを、もしかしたら上手くできていなかったかもしれない笑顔を、二人に向けて。
『ええっと……たぶん、大丈夫です。悪影響はないですから』
その言葉が真っ赤な嘘だということは、一瞬で見破られていただろう。それでも月葉は、二人の追求を退けた。煙に巻き続けた。――巻き込みたくないから。二人の平穏を、崩してはいけないから。
じわり、じわり。本当にゆっくりと浸食する白銀を視界から追いやりながら。抑え込めない恐怖から目を逸らしながら。
少女はただ、淡い微笑みで嘘を吐く。
次回も宜しくお願いします。




