エピローグⅠ -Fool And Blond Magus-
名本槊が呪術に手を出したのは、或いは暴力性を秘めた青少年が駄目なことだと知りつつも窓硝子を鉄パイプで砕こうとするのと同じようなものだったのかもしれない。
ともかく、クソつまらない現実を変えたかった。
暴力でも大金でも女でも何でも良い。テストやら友人関係やら将来設計やらに追われる窮屈な現状を、『非日常』という派手な色彩で塗り替えてしまいたかっただけなのだろう。
師匠はいなかった。だから、独学。
幸いにも才能があったらしく、古本屋で買った店主の爺も気付かないほどひっそりとほこりを被っていた東洋呪術系の魔道書をじっくり読んで手順を真似るだけでも、所謂『初級』の範囲は半年足らずで使いこなせるようになった。
それからだ。槊の日常が色づき始めたのは。
夜な夜な家を抜け出しては悪霊(専門家ではないので、間違って普通の浮遊霊も混ざっていたが)を呪術で倒し、興奮と快感を得る。ゲーム感覚のソレを繰り返すうちに呪術の知識は増え、違う魔術系統にも手を出して、いつしか自らを陰陽師と名乗るまでに至った。
無論、そんなことばかりしていたから、就職は上手くいかなかった。
しかしそんなことは関係ない。自分には呪術があるのだから。
『いい加減にしたら? もう二十歳になるのよ。ちゃんと、まともな会社に就職なさい』
五月蠅い母親は、少々魔力を込めた足で壁を蹴りながら怒鳴り散らすだけで黙った。
『もうお前も二十五を迎える。男なんだ、そろそろ独り立ちしろ』
寡黙な父親が半年分の生活費が貯められた通帳を差し出すとともにそう言ってきた時は、自分からこんな家なんぞ出て行ってやると吐き捨てて、憂さ晴らしにテーブルを粉砕してから必要最低限の荷物を手に街へ繰り出した。
『へぇ、三十歳なんですか。で、就職経験は無し。あぁ、アルバイトは何回かあるんですか。……ふぅむ。スミマセンねぇ、ウチは君より若い子が結構いるから、そこそこ経験のある人が欲しかったんですよねぇ』
禄にデカくもないし給料も少ない、地元で評判のすこぶる悪い不良高校に通っていた(ただし中退)という経歴でも眉を顰められないことくらいしか良いところがない会社の就職面接を受けた時のヘラヘラ顔の面接官は、ボロアパート(家賃滞納二年目突入。三日後に叩き出された)に帰ってから呪術儀式をして呪い殺してやった(ただし確認した訳ではないので心の中で、であるが)。
『いつまで子供のままでいるつもり?』
――五月蠅ぇ。僕は大人だ。
『呪術も魔法もありはしない。そんな空想の産物、社会的地位には一切関係しない』
――ふざけるな。呪術も魔法も存在する! お前らみてぇな愚図が知らないだけだ!
『まぁーた奇声上げてるよ。え、悪霊? ははははっお前ウケるな! んなもんいる分けねぇだろ!』
――いた。いたんだよ! もうちょっとでお前に取り憑くところだったんだ! 救ってやった僕になんて言い草だクソ野郎がァッ!!
『現実を見ろ』
――黙れ黙れ黙れッ! コレが現実なんだ。お前らが僕の偉業から目を背けてるだけだろ! もっと呪術を知れ! 魔術を学べッ! そうすれば僕の言っていることが分かる!!
けれど、誰も取り合わない。
誰も彼も、認めない。
――ふざけるな。
怒りは募る。その理不尽な気持ちを発散するために酒に溺れ、借金に埋もれ、賭け事に縋り、――やがて。
『レグナント坊ちゃま! ご無事ですか!?』
『この魔力の嵐……覚醒、みたいなものか? 或いは何らかの魔術が……』
『よく分からんが、レグナント様が無事なら何でも良い!』
前世の記憶を思い出したのは幼少期。魔術が国に認められた技能の一つとして大衆に認知される世界に、彼は転生していた。
――ここでなら、僕は認められる。
前世では独学だったが、今は魔術師の名門家の次男。知識はいくらでも本物の魔術師が詰め込んでくれるし、学べば学ぶほどより高度な技術を習得できる環境を整えてくれる、最高の場所だった。
――あのクソみてぇな奴らもいない。この世界でなら、僕を……いや、俺様を、愚民どもに認めさせられる!
そして――レグナント=エーデルワイスは、前世より積み重なって膨大なものとなった承認欲求を満たすために、行動を開始した。
ただただ、子供だったのだ。
人に認められたい。褒められたい。そんな、誰しも一度は抱く想いを、満たせられれば良かったのだ。
そのために愚民を使って実験を繰り返し、力を得るための薬を作って、何度も何度も失敗して。邪魔な奴は隠密でも位の低い貴族でも使って排除して、着々と、この世界の覇者になるための計画を進めていたはずなのに。
それなのに――。
◆ ◆ ◆
普段は活気づいている王都の通りは、人払いの魔術を掛けた訳でもないのに人気が無い。しん……と静まりかえり、この場に立つ二人の息づかいだけが音を持っている。果たして民は逃げたのか、それとも戦闘の余波に巻き込まれたのか。前者だと信じたい。
口の端から垂れた血を服の袖で拭い、クリステルは長棒型霊装を杖にしながら周囲に視線を向ける。
血臭が酷い。しかし何よりも、視界に映る破壊痕が尋常ではなかった。まるで絨毯爆撃でもあったかのような惨事で、舗装された石畳は捲れ上がり、周辺の家々も屋根が吹き飛んだり壁が崩壊したりと散々である。修繕に何ヶ月かかるか分かったものではない。
「……随分派手にやったわね、タンムズ」
この惨事を引き起こした張本人へと視線を向け、責めるような口調で囁くクリステル。当の本人は、その灰髪を細く長い指で梳きながら、
「街が脆いだけだ。我は戯れ程度にしか力を使っておらん」
「……流石、神様」
「ふん。我はさほど強い神でもない。序列なんぞ二十七位だ。同じ【死】を司る者でも、オルクスの奴には敵わんからな。……まぁ彼奴の場合はプルートーと同一視されるために力が強いだけだと言われもするが」
何やら神様でも色々力関係があるらしい。前世は物書きとして活動していたので神話周りも少々調べたことがあるが、手元に資料がないと詳しいことは何も思い出せない。ゼウスとかアポロンとかなら有名なのですらすら思い出せるのだが。
「……ともあれ」
口に出すことでより確実に意識を切り替え、クリステルは視線を動かす。
その桃色の瞳が捉えたのは、肉塊と化したモルドバーグであった。
「死んでいる……わよね」
「喉と心臓と腰を潰されて動ける元気があるなら、ソイツはもはや人間ではあるまい」
頭を潰していないのはクリステルが頼んだからだ。いくら犯罪者といえども――いや犯罪者だからこそ、死亡した証はきちんとしておかなければならない。些細な事であろうと、曖昧だと国に不安を齎すことになるので。
あまり見ていて気分の良いものではないので、死亡したという確証を得た後はすぐに視線を背けた。傷だらけの街並みをなんとなしに眺めつつ、ぼんやりと呟く。
「まったく……どんどんシナリオが崩れていくわね。モルドバーグなんて、公式ファンブックでちょこっと『実は裏で色々やっていた人』としか書いていなかったのに」
自分が考え、生み出し、紡いだ世界。けれど現実となったこの世界は、もう別物と言って良いほどに違っている。
フローラ=エーデルワイス然り、メルウィンとレティーシャの関係然り。他にも挙げていけば切りがない。原作設定との相違点は数多く、シナリオ担当者であった自分でももう把握しきれないほどであった。
「……この世界は、神様が作ったのかしら。で、それを私がたまたま書いたとか」
「どうだかな。そういった例もいくらかあるが」
神様の答えに、「あるんだ」と思いつつ、金髪の少女は吐息を零した。
途端、くらりと視界が歪む。
「うぐ……っ?」
吐き気をなんとか噛み殺し、長棒型霊装に寄りかかってなんとか倒れないようにするクリステル。堪えている内に全身に痛みが走りだし、やがて意識が朦朧とし始めた。
(や、ばい……魔力が)
急激な魔力欠乏による、意識障害。気力でなんとか繋がっていたものが、危機が去って安心したところで再び切れようとしているのだ。
堪えろ。まだ、助けなければならない人達がいるのだ。王子と王女がきちんとエーデルワイス邸という安全圏に逃げ込めたのか確認できていないし、フローラとリオンだって敵の前に残している。自分がこんなところで倒れる訳にはいかない。
そう、何度も何度も言い聞かせ、意識をギリギリのところで保ち続け――しかし。
「今は眠れ、契約者よ」
「――――ぁ」
そっと、タンムズの手がクリステルの視界を覆うと、意識は闇に沈んでしまった。
「…………」
柔らかな寝息を立てる金髪の少女を腕に抱き、灰髪黒目の青年の外見を持つ男神――タンムズは、ゆっくりと口を開いた。
「出てきたらどうだ、契約者の婚約者よ」
彼の意識が向く先には、いつの間にか一人の少年が立っていた。
艶やかな紺色の髪に、深い青が混じった紫の瞳。全体的に暗い色彩を持つ十三、四程度の少年は、その腰に騎士剣を提げ、油断なくこちらを見据えている。
セシル=アルヴェンド。
四大公爵家の内、国の流通を操るとまで言われる国営商会の家系・アルヴェンド家の次男であり、クリステルの婚約者だ。
「タンムズ様……ですよね? 僕は――」
「名は知っている。契約者の伴侶となるやもしれぬ者なのだからな」
「そうでしたか。それは光栄ですね」
にこりと微笑むセシル。その笑顔はレグナントのそれとは違い、異性を落とす色香はないが、柔らかで不思議と落ち着かせてくれる。
しかし同性かつ神格を有する存在にスマイルセラピーは効かず、タンムズは「ふんっ」と鼻を鳴らし、注意深くセシルを睨め付けた。
「そう警戒しないでくださいよ」
「ふんっ。貴様なんぞ警戒するに値せん。魔術を嗜んでから出直せ」
「それは厳しいですね。僕、どうやら適性がさっぱりなようでして」
というか、そもそも魔術を多少囓った程度で神に対抗できる訳がないのだが。
そんな常識はさておき、セシルは口を開く。
「さて……後は僕に任せてください、タンムズ様」
「なに……? 貴様に我が契約者を預けろというのか?」
ふざけるなとばかりに眼光を鋭くするタンムズに、若干冷や汗を垂らすセシル。さもありなん、神様に睨まれるなど、心臓が縮む程度では済まない恐怖が生まれることだろう。
しかしセシルはいつまでも怯んでいる訳にもいかず、一度深く深呼吸をすると、再びタンムズを強く見返した。
「ええ。クリステルは僕の婚約者。彼女が傷ついているのなら、すぐに治療してやりたいと思うのは当然でしょう?」
本気で好いているのだから、できれば自分の手で癒やし、守ってやりたいと思うのは自然なことだろう。
そう言うセシルに、タンムズはすっと目を細めると、その手をクリステルの体に翳し――。
「癒やせ」
直後、ぽう……とタンムズの掌が薄緑色に発光したかと思うと、その優しい緑光はクリステルの全身を包み込んだ。やがて、柔らかで鎮静効果のあるその光が収まると、クリステルの全身にあった痛々しい傷跡は、全て端から存在しなかったかのように消え去っていた。
「治癒魔術、ですか。素晴らしい腕前ですね」
「ふんっ。この程度、できて当然だ」
【死】とともに【再生】の神格まで有するタンムズにとって、この程度の治療は簡単すぎる。彼の力ならば、冥府へ続く門を潜る直前であればほぼ無償で蘇生させることも可能であろう。……まぁ、完全に死者と化した者の蘇生は難しいのだが。
しかし傷が治れば良いという問題ではない。セシルはなおも、神を説得するために口を開く。
「何にせよ、僕の家に居た方が面倒ごとに巻き込まれないでしょう。王女様達にはこちらで保護したと連絡しておきますので、そちらも問題なくなります」
「……貴様、どこまで知っている?」
彼が口にしたことは、クリステルがモルドバーグと戦いを始める前の状況を見ていなければ知り得ないはずのものだ。
自然と目が険しくなるタンムズ。濃密な魔力を周囲に纏わせ始めた神に対し、セシルは若干焦った様子で、
「た、ただ単に、アイリーン王女殿下の護衛の中に、僕に情報を流してくれる奴がいるだけですよっ! 別に敵に通じている訳ではありませんからっ!」
さりげなく問題のある情報が漏れた気もするが、タンムズには関係ない。彼の言葉にとりあえず納得したタンムズは「ふんっ」と鼻を鳴らす。
「……まぁ良いだろう。危害を加える気が無いのならな」
「誓ってそのようなことはありません!」
セシルの真っ直ぐ見返してくる強い目を見たタンムズは、また鼻を鳴らした。
しかしそこに不快なものはなく、ただ少しだけ嫉妬に似た何かが混ざっていたことに気づけた者は、残念ながらこの場にはいなかった。
セシルは、誕生日パーティーの時にちょこっと出ています。
次回も宜しくお願いします。




