第二十五話 呪いを唄う愚か者Ⅲ -神-
大所帯での移動は時間が掛かる。メンバーの中に王族やら貴族令嬢やらがいれば、さらに速度が落ちるのは分かり切ったことであった。
金髪の魔術師ことクリステル=スプリンディアは、さほど速くもない馬車の中で苦々しい表情を浮かべていた。
(く……私の魔術で速度を上げる? できるけど……魔力はあんまり残ってないからそんなに貢献できそうにないわね。それともタンムズに頼むのは――いや絶対に駄目だから)
あの神様にものを頼むのは絶対に嫌だ。プライド的にということではなく、嫌みをグチグチぶつけられるのがうざったいのと、代償(奴は供物とか言っていた)に何を要求されるか分かったものではないからである。だからその選択肢は取れない。
(というか既にメルウィン様を守るのに一回『お願い』しちゃったし……これ以上は無理よ。少なくとも一ヶ月くらいは)
奴のご機嫌取りをするなど屈辱極まりないが、力を貸してくれなくなるのも困る。これ以上自分が生み出した原因で人々が不幸になるのを阻止したいならば、どれだけ精神が削られてもタンムズと友好な関係を築く努力をしなければならないのだ。
心中で明日からの屈辱の日々に覚悟を決めるクリステル。そんな彼女に、ずっと不機嫌な表情で目の前に座っていた王女様が、ついに問いかけてきた。
「……それで。説明してくれるのよね?」
「ええっと……具体的にはどこら辺から?」
妙に迫力のあるアイリーンのジト目に気圧され、目を反らしながら訊くクリステル。アイリーンは不機嫌さを継続したまま、
「そうね……まずは、貴女の態度が一変したことかしら」
「あー……そのことねぇ……」
いきなり痛いところに切り込まれ、クリステルは苦々しげに顔を歪める。しかしアイリーンの追求の視線は揺るがない。これは誤魔化し切れないな、と思いつつも、しかし真実を口にする訳にもいかないので、事前に考えていた文章を口にした。
「……実は私、魔術師だったの」
「……まぁ見たからそれは分かるわ。でもどうしていきなりそんな態度に? いえ、別に私はクリステルちゃんがそんな態度でもぜんせん良いんだけどね?」
懐の広い王女様に苦笑しつつ、クリステルは嘘と真実がごちゃ混ぜになった作り話を続ける。
「その……役作り、みたいなものなのよ」
「役作り?」
「うん。ほら、いつもの貴族令嬢の私と、魔術師をやってる私じゃ、ぜんせん生きてる世界が違うっていうか……混ざるといけないから、はっきり切り分けるために人格を作ってるの」
髪型もその一環だ。スプリンディア公爵家の令嬢、そしてツンデレ妹系攻略対象である『クリステル』を演じる時はツインテールを。魔術の師匠兼使い魔を装った契約者であるタンムズと共に人知れず自分にとっての邪魔者を殺す冷酷な『金髪の魔術師』を演じる時はポニーテールを。それぞれ使い分けていた。
「うーん……それ、必要? フローラちゃんは分けていなかったわよね?」
「あの人は家系的に令嬢と魔術師を切り分ける必要が無いからでしょ。どっちも求められている訳だし」
「……そう言われればそうね」
そもそもあの銀髪の少女は、『魔術師』と『本来の自分』が切り分けようがないまでに一致しているようにクリステルには見えた。だから分ける必要は無いし、できないのだろう。
「えっと……そんな感じで良い?」
「まだよ。どうして魔術師になったの? というかどうやってなったのよ。師匠でも探したのかしら?」
エーデルワイス家のような魔術師の家系ならともかく、普通の人間が魔術を学ぶためにはかなりの魔術知識を持つ教師、または師匠が必要だ。しかし魔術師は秘匿主義の風潮が強いのでそう簡単に教師や師匠が見つかることはなく、貴族の道楽で魔術を会得することは不可能に近しい。子供であればなおさら教わるのは無理があるだろう。
魔道書を解読するなどして独学で身につける者もいるが、大成した例は無いに等しい。クリステルもタンムズに出会うまでは自力でどうにかしようとしたが、三日で諦めたのはまだ記憶に残っている。
「えーっと、まぁ放浪の魔術師に頼み込んだらたまたま教えてくれて……」
と、適当なことを言い始めた、その時だった。
『――来るぞ。構えろ、クリステル。アレは今の貴様には厄介な相手だ』
クリステルの隣で、アイリーン達から姿を隠すために霊体となっていた神様からの警告。すぐさま立ち上がり、圧倒的なスピードで迫る膨大な魔力を察知したクリステルは、思わず悲鳴を上げそうになったのを堪えて叫んだ。
「不味い、障壁を……っ!」
しかし、遅い。
ズドンッッッ!! と。
盛大な衝撃音と共に、天地が翻った。
「ッッッ!?」
一瞬、本気で世界がおかしくなったと思うほどであった。
軽々と冗談のように吹き飛ぶ馬車、その中に乗る人間は腰を下ろしていた座席から飛び上がり、立っていた人間はぐるりと中空で回転する。重力を忘れた。まさにそんな状況だった。
「ッ、タンムズ!」
『ふん、今回限りだぞ』
不機嫌な声が脳内に届いた直後、無重力空間のように人間が縦横無尽に中空を泳いでいた車内は、再び通常の重力を取り戻す。ガダンッ! と乱暴な音が打ち鳴ったのは、恐らく馬車が着地したからであろう。馬車馬の方も無事なのか、ややパニック気味な調子ではあったが健全な嘶きが聞こえた。
車内の方も無事で、皆元居た位置へと戻っていた。クリステルの思想通り、タンムズが力を使って安全に下ろしてくれたのだろう。
『これで良いか?』
「完璧よ!」
何でも無いかのように訊いてくる神様に心からの賞賛を送り、クリステルは窓から飛び降りた。背後からアイリーンの叫びが聞こえた気がするが無視。膝丈スカートに仕込んでいた二十センチほどの棒を取り出し、金髪の魔術師は着地する。
移動中の馬車から飛び降りたことで生じる衝撃は全て魔術で封殺し、クリステルは手に持った棒の仕掛けを動かす。収納式、或いは折り畳み式とも言うソレは、金髪の魔術師が常備している愛用の武器だ。伸ばすと最大で三メートルもあり、内部に刻まれた魔術を起動して叩けば石造りの一軒家を潰す程度には威力が出る。
「一体、何が……」
来たんだ、と口にしようとして、クリステルは息を飲む。
敵は十メートルほど前方。やや遠いのは、恐らく馬車に激突した反動が激しかったからだろう。奴は赤いものが混じった唾液をそこらに撒き散らしながら、聞き取りにくい濁った声で何事か唸っている。
王族が乗る馬車を襲撃した不届き者の正体、それは莫大な魔力をその身に宿したモルドバーグ=ベルクリムであった。
「何なのよあの魔力……!?」
「恐らく何らかの魔術薬を服用したのだろう。まぁ、保って一時間の身となる猛毒だが」
いつの間にか隣で実体化していたタンムズが答えてくれる。クリステルはその内容に驚愕と怒りを覚えつつ、「倒せるかしら……?」と呟いた。
「今の貴様では厳しい。我にとっては蟻と変わらんが」
「頼もしいと思えば良いのか畏怖を抱けば良いのかよく分からなくなってきたわ」
「ふん、貴様にさも仲間であるように振る舞われるのは癇に障る。せいぜいビクビク怯えているが良い」
「……あぁそう」
心底嫌がるように言ってくるタンムズの態度に嘆息し、クリステルは気持ちを引き締めた。
(コイツが無償で手を貸してくれる訳が無い。自力でなんとかするしか……っ!)
しかし。
そもそも、モルドバーグの狙いはクリステルではないようで。
「がぁぁぁあああああああああああッ! 王子! あのクソ餓鬼王子をぶち殺すッ!!」
モルドバーグはあっさりクリステルの横を通り過ぎ、速度を上げて逃げる馬車へと、魔力をブースターにした強烈な踏み込みで以て飛びかかった。
「ちょっ!? 待ちなさい!」
【風】の魔術で移動速度を引き上げ、無理矢理に馬車とモルドバーグの間に割り込むクリステル。一番使いやすい一・五メートルほどに伸ばした棒を、力任せにモルドバーグへと叩き付ける。
ズドガッッッ!! という打撃音とともに、双方は反対側へと弾かれた。
「ッぐぅ!」
苦悶の声を零しながらも背中が馬車に激突する前に風を発生させ、衝撃を相殺。無事地面へと着地した。
「きっつい……ッ!」
「また来るぞ。早く構えろ」
「分かってるわよ!」
傍観者気取りのタンムズに荒々しく吐き捨て、クリステルは再び物干し竿のような武器を構える。
長棒型霊装〈伸縮自在の風棍〉。仕込まれた魔術は、【風刃装甲】。
クリステルの手で自ら作り上げた愛用のソレで、超人の如き力を得たモルドバーグを迎え打つ。
「どけェ! こむずめぇぇぇぇええええええええええええええええええええ――ッ!!」
「うるっさいわぁッ!」
再びの衝突。轟音と共に撒き散った衝撃が周囲の地面を乱雑に抉り、盛大な砂埃を巻き上げる。
あまりの威力に後方へ吹き飛んだクリステルは空中で一回転してから着地し、同時に風弾を発射。しかし必殺の威力を込めたはずのそれらは五発ともモルドバーグが体表に纏う濃密な魔力に弾かれ、まともな損害を与えられない。
「堅すぎでしょっ!」
だがそれだけが弾かれた原因では無いことも、クリステルは気づいていた。
(魔力が尽きかけてる。このままだと保たない……っ!)
思うように魔力を魔術に注げない。残存魔力が少ないからだ。
普通に生活していれば、体が勝手に空気中から純魔力を吸収し、体内の霊器で自分に合った体内魔力へと変換してくれるので、個人差はあるが魔力は少しずつ溜まっていく。だが急速に回復することはできないし、戦闘中などの余裕が無い時は平常時より自然回復も遅くなる。
クリステルはもともと保有している魔力があまり多くないので、ボルグルック子爵邸の庭での戦闘でほとんど使い切っていた。そして今までの打ち合いで、その残り少ない魔力も無くなってきている。
(あと一発、絞り出しても二発。それで、尽きる)
一度立て直したいところだが、しかし相手は待ってくれないだろう。
「というか他の騎士はどうしてるのよ! 私、一応公爵令嬢なんだけど! 守らなくて良いの!?」
そもそも馬車から降りることも、そして襲撃者の顔を確認することすらしていない騎士達に怒りを向けるクリステル。そんな彼女にタンムズは、
「あぁ、お前の戦いの邪魔になると思ってな。此奴の襲撃には気付かないように細工しておいたぞ」
「なんてことしてくれてんのよ馬鹿ぁぁぁぁぁあああああああああああああ――っ!!」
完全に余計なお世話だ。むしろこの状況でそんなことをされたら、冗談抜きで死ぬ。
そんな怒りと絶望が綯い交ぜになった絶叫を上げるクリステルに、しかしタンムズはにやりとも笑わず淡々と告げた。
「この方が楽であろう。少なくとも、余計な奴らに見られることは無い」
「……なんでよ。誰か見つけてくんなきゃ、助けてもらえないじゃない」
「貴様こそ何を言うか。他の助けなどいらん」
「はぁ!? ふざけないで、私もう魔力無いの! このままだと死ぬ! ――ってやば! あいつまたタックルしてくる気だ!」
クリステルがタンムズとの会話に気を取られているうちに体勢を整え終えたモルドバーグは、再び魔力を爆発的な突進力に変換して襲い来る。その砲弾の如き速度の超人男の体当たりに、歯を食い縛って覚悟を決めたクリステルは、なけなしの魔力を絞り出して武器と己の体へ流し込んだ。
(痛ぅ……っ! やっぱ、すっごく痛い……っ!)
体の組織に針を刺すような痛みが奔り、頭がぐわんぐわんと揺れて気持ちが悪い。典型的な魔力欠乏症状だ。けれど苦痛と吐き気を噛み殺し、クリステルは長棒を槍のように構える。
(余計な力は残ってない。一点に威力を集中させて、あのクッソ堅い皮膚をぶち破る!)
長棒の周囲を渦巻く風が、クリステルの意思に応じて荒れ狂う。足腰には自分ができる最大限の強化を施し、あとは生命活動が続けられるだけの最低限の魔力を残して威力増大のために霊器の中身を注ぎ込んだ。
「らぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああ――ッッッ!!」
「邪魔だ、こむずめがぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ――ッッッ!!」
己の全身全霊を一撃に注ぎ込み、魔術師と超人は咆哮する。
風が、魔力が、嵐となり、爆発となり、互いを飲み込まんとぶつかり合う。
或いは反発による閃光、或いは相殺による消失。衝突の瞬間、そのコンマ一秒にも満たない刹那の間に起きた現象を直視できた者は、恐らく誰一人として存在しない。神格を有するタンムズとてはっきりと知覚することは不可能であった。
――そして。
鬩ぎ合い、凌ぎ合い、互いが互いを喰らうエネルギーの衝突を制したのは、その力がより強かった者。
「……ぁ、は。マジ、無理ゲーよ……これ……」
即ち。
生命力までも残らず攻撃に回す、モルドバーグの方であった。
「ごふッ、げふッ! ……あー、しんどい。魔力欠乏ってマジしんどい」
軽口を叩く余裕がある訳では無いが、そうでもしなければ意識が飛んでしまうのだ。思考を逸らすことでなんとか意識を糸一本繋ぎ止め、満身創痍のクリステルは痙攣する足腰を叱咤する。
「があっはっはっ! やはりわだじはさいぎょうになっだのだァ!」
なにやら頭の悪いことをモルドバーグはほざいているようだが、その戯れ言に耳を傾けるほどの余力さえクリステルにはもう無い。今残っている力は残りカス程度でしか無く、風弾の一発も撃てそうに無かった。
――それでも、
「死ぬ時は、最後まで抵抗し続けてからにしなきゃ、私自身が私を許せないわ……」
やりきった感を感じたいとか、奇跡を望んでいるとか、そういう訳では無い。
ただ、格好悪くても、諦めるのが嫌いだった。
「挫折するなんて死んでも嫌だ。その道を選んだのなら、たとえ死にかけでもやり抜いてみせる……ッ!」
それが、クリステル=スプリンディアの紛れもない本心。
絶対に折ってはならない、魂の根幹に刻んだ信念。
前世、間宮ツムリというペンネームで作家の世界に飛び込んだ頃から己に何度も何度も言い聞かせてきた、『おまじない』のような言葉。
それを胸に、金髪の少女は武器を振るう。
――そんな、決して折れない少女に、契約者の神様は少々不機嫌な様子で言った。
「死ぬほど無茶なんぞする前に、我を頼れ馬鹿が」
斯くして。
死と再生、そして植物を司る神は、その理不尽なまでに強大な力を振るう。
決着まで、一秒もかからなかった。
個人的に、クリステルとタンムズのペアは好きです。なんか可愛い(どっちがとは言わない)。
次回も宜しくお願いします。




