第二十一話 煉獄の茶会Ⅸ -双獅子-
心象結界。
魔術師が扱う技法の一つで、結界の上位に位置する高等技術だ。
成立した正確な年号は分かっていない。何故なら古代――それこそ神話・伝承の人物が生きていた(とされる)時代からすでに魔術師の間では奥義として定着しており、最初にソレを完成させた人物が誰か分かっていないからだ。
魔術師の最終目標は、『総ての根源』を解読し、神に到達せし者へと至る事。
その道筋の一つに、心象結界の完成、というものがある。
では、心象結界とは何か。
簡単に言えば、自身の心象風景、或いは伝承等に描かれた世界観を現実へと反映させ、魔術によって塗り替えてしまうのだ。
別名、浸食結界、極大結界――そして、異世界構築。
そう。『ここ』ではない世界――即ち『異世界』を現実に引っ張り出す事だって、更に言えば創り出す事だって可能なのだ。
例えば。神話の中で綴られた、生存不可の地獄だとしても。
例えば。大衆が知り、自身も読み耽った大人気小説の世界だとしても。
無論、摂理の反発は激しい。なにせ一定空間をまるっきり別の法則で塗り潰す訳だから、通常の魔術や簡単な結界とは比べ物にならないほどの代償を必要とする。
だから一人で行うのは現実的ではない。神に到達せし者を目指すならば最終的には一人でやらねばならないが、組織的に兵器運用するのであれば、複数人で実行した方が断然良い。
で、今回の場合は、術者が四人。
魔力量は傭兵団〝赤き夜の騎士〟やモルドバーグ伯爵が溜め込んでいた魔石類も使用したので十分。技術の方も〝赤き夜の騎士〟の頭目や伯爵子飼いの優秀な魔術師なので問題ない。
そして、扱う魔術は異界から流れてきたと思われる未知の理論で構成された、超強力な大規模心象結界。
引き起こされる惨事は、もはや言うまでもないだろう。
◆ ◆ ◆
「【昏き業炎の監獄】……素晴らしい、素晴らしいぞ! これが心象結界とやらの力かッ‼」
世界を飲み込まんと広がった赤き獄炎。舐められるように一瞬触れただけで地面は硝子と化し、大気の水分を悉く消し飛ばしていく。人が触れたら骨すら一瞬で焼け溶ける事は一目で知れた。
しかし、それだけではない。
ここは既に北欧神話で語られし灼熱の国。そこに住まうとされる炎の巨人も、当然の如く現実化するのだ。
「ガァァゴォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッッッ‼」
地の底から響く、重低音の雄叫び。炎の海のそこかしこで赤炎がうねりを打ち、意志を持つかのように纏まっていき、常人の二倍以上の身長を有する巨人を形成した。
「……なぁフローラ」
地獄の業火に囲まれて、更にそこから出現し続ける炎の巨人の軍勢を前に、愛しき婚約者様は剣を取る。その額から流れ落ちる汗は熱によるものか、それとも精神的なものか。
「アレ、斬れると思うか?」
「……魔力で薙ぎ払う形で、なら」
「つまり力技か。……ま、簡単っちゃ簡単な方法だな」
魔力というエネルギーの塊であれば、燃え盛る炎も消し飛ばす事はできる。強引ではあるが、魔術があまり得意ではないリオンに取れる方法はそれしかない。
逆にフローラが得意とする魔術は【氷】、そして属性は『水』なので、見たところ『火』である【昏き業炎の監獄】には有効なのだが――。
(……周囲の気温を調節しないと、肺が焼けてしまいますね)
魔術によって、自分を中心に気温を下げていく。『火』と相対する『水』に強い適性を持つフローラだからこその所業だ。直接大気に干渉し、気温を低下させているのである。
しかし明らかに威力が違う。心象結界とただの魔術では、心象結界の方が強力かつ強大だ。法則を一時的といえども塗り替えているのだから当然ではあるが。
だがフローラがこの作業を怠れば、皆、暑さで戦闘どころではなくなるだろう。だから手が抜けない。けれど心象結界が無駄に強力な所為で、フローラには余裕がほぼ無くなってしまった。
取れる手段が無い訳ではない。だがそれをやると、術者である自分以外の遍く全てを凍てつかせてしまうため、守るべき者達も巻き添えにしてしまう可能性が高すぎる。王族が二人も居て、更に愛する婚約者も居るこの状況で、流石に実行する訳にはいかないだろう。
唯一有効な手が打てるフローラが動けず、魔力が扱える騎士も少ない所為で、状況は完全にじり貧であった。リオンやクリステルは騎士達よりも随分活躍しているが、それでも炎の巨人は数が多く更に各個体が強力で、突破口はなかなか開けない。
「……と、少々熱くなってしまいましたな。いえ物理的に暑いのですが」
じわりじわりとフローラ達の余裕が失せていく中、急に態度を落ち着かせたモルドバーグが、羽織っていた上着を脱ぎながら口を開く。
「本来であれば順序が逆だったのですが……いやはや年甲斐もなく興奮してしまいましたよ。コレを王族の前で披露できるのですからね、気が急ってしまったと言いますか」
彼がその無害に偽装した顔に浮かべる朗らかな笑みは、地獄の如きこの場において酷く歪に映えている。悪魔みたいな奴だな、と吐き捨てるリオンの声がフローラの耳に届いた。
モルドバーグの後ろに控える魔術師達は皆、高度な心象結界の発動によりかなり消耗しているようで、荒い呼吸を繰り返している。今なら術者を倒して魔術を停止させられそうだが――その考えを行動に移す前に封じたのは、一人健全なモルドバーグであった。
「――さて。舞台が整えられたところで、スペシャルゲストをお招き致しましょうか」
ニヤリと嗤う狸。この醜悪さが全面に押し出された笑みが、彼の性根を正確に表している。
モルドバーグがパチンと指を鳴らすと、赤熱に照らされ所々が溶け始めている屋敷の中から、一人の少女がメイド服の女性に鎖を引かれて登場した。
――それは、フローラ達が探していた人物。美しく、けれど棘のある、薔薇の如き少女。
しかし今、彼女の自慢であった金髪縦ロールは雑に解かれ、意志の強い赤の吊り目は濁り切っている。自信に溢れ、メルウィンに対して可愛らしく微笑んでいた彼女は、全てに絶望したかのように淀んでいた。
「レティーシャちゃん⁉」
悲鳴とも絶叫ともつかないアイリーンの呼びかけに、僅かに囚われの少女――レティーシャは顔を上げる。少しだけ瞳に光が戻るも……けれどその視界に炎の海を映すと、唇を血が滲むほど強く噛み締め、目を逸らしてしまった。
――レティーシャは、今の自分の立場が分かっているのだ。
メルウィンを呼び寄せるための餌として使われた。それがレティーシャの意志によるものではないとしても、結果的にメルウィン達は食い付いてしまい、今絶対的なピンチに陥っている。どう自身で言い聞かせようとも、『自分の所為で』という自責の念は決して消える事はないだろう。
「レティーシャちゃんを解放しなさい、ベルクリム伯爵!」
「焦らないで下さい、王女殿下。私にも目的があるのですから」
そう笑みを浮かべたまま口にするモルドバーグの瞳に、光るものがある事にフローラは気が付いた。
涙ではない。そんなロマンチックな事象は、他人の庭を王女様ごと焼き払おうとする残忍な国賊には似合わない。
仄暗い光を放つ黒線が円を描き、その内外に宗教的意味を持つ装飾が多数。――つまりは魔法陣と呼ばれる紋様が、モルドバーグ=ベルクリムの瞳には浮かんでいた。
(眼球に魔法陣……視界共有系か、魔眼の仮付与? いえ、この装飾の配置は……まさかっ!)
驚きつつも、フローラは微かに『やはりそうか』と感じていた。
モルドバーグに掛けられている魔術は、恐らく精神干渉系だ。つまり彼は、操られているという事になる。
しかしレティーシャ誘拐に関する全てに彼の意志が存在していないかといえば、そういう訳ではない。アレはそれほど強力なものではなく、せいぜい意思決定を一つ捻じ曲げる程度の効力しか持たないだろう。
だから恐らく、彼が操られたのは、今のようにフローラ達の前に堂々と姿を現す事についてだろう。モルドバーグが厄介な狸なのは噂やパーティーで見た時の印象から理解できていたので、今わざわざフローラ達の前に出てくる意味が分からなかったのだが、操られていたのならば納得できる。
(術者は『あのお方』、ですよね)
フローラの推測が正しければ、魔術に対して抵抗力の弱い人物の精神操作など簡単だっただろう。なにせ『あのお方』は、魔術の腕はかなりのものなはずだから。
「さて、こちらの手にはレティーシャ=セルディオンが。そちらには……ふむ、たっぷり手札がありますな」
「……何が言いたい?」
眼光鋭く睨み付けるリオンの問いかけに、モルドバーグは臆さず返す。正真正銘、下種の提案を。
「交換しましょう。こちらはレティーシャ=セルディオン、そちらはメルウィン=フォン=ワイズレットで」
◆ ◆ ◆
恐怖という感情は、少年に常に付き纏っていた。
なにせ立場が立場。第一王子である少年の存在を快く思わない者などゴロゴロいるので、命の危険に晒されるなどもはや日常茶飯事とも言えた。
無論、全ての危機を少年は知っていた訳ではない。少年を守る者達も、これまたゴロゴロいるので。
そして大半の人間は少年の味方であったため、そこまで塞ぎ込むような事はなかった。最初は怖くて自室に引き籠る事もあったけれど、頼もしい騎士や侍従の存在を知ると、日々の生活の中で遭遇する危険への恐怖も少しずつ薄れていった。
そんな中、ある程度の事を割り切れるようになっても、ずっと苦手意識を取り払えなかったのは、近い年代の女性達だった。
幸いというべきか災難というべきか、彼の容姿は整っている。加えて、その立場は第一王子。まだ王太子ではないので将来絶対に王になるとは限らないのだが、確率は一番高いだろう。
だから少年のもとには大勢の令嬢が群がって、彼に選ばれようと激しく争った。
子供といえど貴族の女性、その争いは生来気弱である男児には酷く恐ろしく映り、ついに王が婚約者を宛がうまで関わる事を極力避けようと思うほど彼の精神にダメージを与えた。
そして婚約者との対面の日。本当は怖くて怖くて堪らなかったのだが、王城に訪れた婚約者の姿を隠れて見て、その恐怖は一瞬で吹き飛んでしまった。
要は一目惚れ。免疫が無く、『恐ろしい争いを繰り広げる』イメージの女子を避け続けていた彼の目には、緊張でそわそわしているレティーシャが酷く愛らしく映ったのだ。
実際、その頃のレティーシャは吊り目気味ではあったがそれほど眼光が鋭い訳でもなく、焦って素が出ているところは可愛らしいものだったので、恐ろしい印象を抱かなかったのだろう。
ともあれ、最初の対面以後も彼女と接していくうちに、少年の中で彼女の存在がどんどん大きなものへと変わっていった。
だから彼女から手紙が来た時、何も疑わずに向かったのだ。
その結果、大変な事態に陥ってしまった訳だが。
(…………、今動くのは、不味い……よね)
王宮勤めの王国騎士達に囲まれ、毛布代わりの布切れを下に敷き仰向けに寝そべるメルウィンは、薄く目を開けて周囲の様子を探っていた。
メルウィンが意識を取り戻したのは、ほんの数秒前の事。モルドバーグがレティーシャを連れてきて、メルウィンの身柄と交換するという言葉を聞いた時だった。
メルウィンの意識は、この屋敷に来た直後で途切れている。けれど、その意識を失う直前に見た光景から状況は大体察せている。
(僕とレティーシャを交換……か。王族としての判断は、応じないんだろうけど……)
けれども、メルウィンには無理だった。
好いた少女を見捨てて自分の命を守るなど、絶対にしたくはなかった。
モルドバーグの手に自分の身が引き渡されるのは怖い。けれど、それでも、レティーシャの命と天秤にかけるならば、自らが危険に飛び込む方がマシだと考えてしまう。
聡明なれど気弱な王子と囁かれるメルウィンが出した答えは、為政者としては間違っているが、一人の男としては賞賛すべき決意であった。
――しかし。
(状況はそんなに簡単じゃない、かな。……このままだと、皆死んじゃう)
いや、ある意味簡単ではあるか。
どうせ自分の身柄をモルドバーグに渡しても、この灼熱の世界が収まらない以上、アイリーン達が無事ではいられない。むしろ自分が向こうに行った瞬間、散発的に襲ってきている炎の巨人の軍勢が一斉に襲い掛かってくる可能性もあった。そうなれば、メルウィンと引き換えに助けたレティーシャも死んでしまうだろう。
では、どうするのか。
――彼が出した答えは、この国の王族だからこそのものであった。
(ごめんなさい、父上。後でお叱りはいくらでも受けます。ですから……一度だけ、今レティーシャを助けるためだけに、この力を使わせて下さい)
心の中で父王への謝罪を述べ、少年王子はその右手を胸元へと寄せた。
心臓の上、この国で最も尊ぶべき紋章が刻まれた徽章。民から崇められ、ワイズレット王国建国当時は『獅子神の魂が宿る』とまで云われた、この国の誇りを強く握り締める。
ワイズレット王国の国章――向かい合う二頭の獅子と、その真ん中に猛き斧が立つ、雄々しき紋様。通称『獅紋』と呼ばれし印が、今、その隠された機能を起こした。
トリガーは、王子の強い想い。
燃料は、王家に連なる者の魔力。
効果は、国賊の抹殺――そして、民の救済。
「目覚めよ……我が愛しき国を、創始の時代より守護せし双獅子っ! 古の契約に従いて国を救え、【全てを喰らう獅子王】ッッッ‼」
本来は、国の防衛に用いる、最強にして最後の手段。
そして、ゲームにおいては、反逆者どもを蹴散らし愛する主人公を救うための、決着の大魔術。
その、切ってはならない切り札が、未来の悪役令嬢を救うために発動した。
……なんか無駄に技が多いなと感じる今日この頃。でも紋章の魔術はストーリー上外せないんですよね。
次回も宜しくお願いします。




