第十八話 煉獄の茶会Ⅵ -水無月-
お兄様の ターン!
魔術師の名門エーデルワイス家長男・ダリウスが異変に気付いたのは、午前十一時半を回った時だった。
学園が休みで比較的暇な昼食前、朝の鍛錬やら次期公爵として手伝っている書類整理やらをいつも通りに片づけた彼は、ふと愛しい少女騎士が屋敷に居ない事に気付いた。
妹の護衛騎士であるあの少女は、ほぼ毎日朝早くから屋敷に来て、フローラの傍に侍っているか、屋敷の訓練所を利用して己を鍛えている。けれど今、彼女はこの屋敷のどこにもいなかった。
いやそれどころか、妹――フローラの姿も見当たらない。弟のレグナントも居ないが、そちらは外出する予定だと昨日のうちに聞いていたから問題ない。けれど妹は特に予定はなかったはずだ。急な王女様からの茶会へのお誘いはかなりの頻度であるが、それに行っているという事もないだろう。アイリーンは本人へはともかく家には必ず連絡を入れるのだが、しかしそのような連絡は受けていないので。
「……っと。おい、ミナヅキ」
何か嫌な予感とやらを漠然と感じ、ドシドシと少々荒っぽく屋敷を徘徊していたダリウスは、フローラの御付きの侍女を見つけ、声をかけた。なにやら布に包まれた杖のように長い荷物を抱えていたミナヅキはダリウスの呼びかけに振り向くと、きちっとした所作で礼を取る。
「何か御用で御座いましょうか、若様」
「フローラとヴァネッサがどこに行ったか知らないか? 見当たらないんだが」
霊視霊感その他諸々が常人より優れている魔術師の『勘』は馬鹿にできない。だからダリウスは焦っていたのだろう、少々口調が急かすようなものになっていた。
しかしミナヅキは侍女、それも幼少時より長らく仕えてきたプロだ。まだ十六と若いが、雇い主の息子であるダリウスの言葉に落ち着いて答えを返すだけの度胸は持っている。
「お嬢様がたでしたら、いつもお使いになる倉庫にいらっしゃいます」
「倉庫……? どこだそこは」
「お屋敷の地下に御座います。お嬢様はご家族様にも秘匿なさるおつもりでしたので場所はお伝えしかねますが……」
魔術師は自らの『工房』を持っている。彼女の言う『倉庫』というのも、フローラの魔道工房だろう。それは本来血族にすら秘密にすべきものであるので教えられないのはダリウスも承知していたが、しかし暗黙の了解を破ってでも彼は踏み込まんとする。
「嫌な予感がする。案内してくれ」
強い口調のダリウスに、刹那の間、目を細めたミナヅキ。しかしすぐに表情を取り繕い、深く腰を折った。
「……畏まりました」
◆ ◆ ◆
そうして案内されたのは、屋敷の地下にある一室であった。
迷路の如き地下通路を歩かされたうえ、途中幾重もの魔術結界があるため、フローラ以外では信頼してスペアの通行証を託されたミナヅキしか辿り着けないであろう。妹の作った厳重なセキュリティーに兄は微かな敗北感を懐きつつ、零すように呟く。
「……こんな場所が在ったとはな」
恐らく現当主アイザック=エーデルワイスでも知らないであろう部屋。己の住処の全貌を熟知していないなど危険極まりないが、しかし設計図も設計者の情報も全て失われているため、詳しい事は建てた初代当主しか知らないのだ。まぁ魔術師の屋敷など魔術師の秘匿主義的な性質上どこも似たような状況に陥るので、殆ど気にしていないのだが。
ここらは確かに倉庫として使われているスペースだ。ただし何らかの魔術的効果で空間が歪んでいるのか異様に広いので、もし地図があっても迷う事は必至であり、そもそも倉庫として利用しているのも比較的分かり易い位置にある一部だけなので、誰かが無断で使用していても気づけない。だからこそフローラはここを魔道工房にしたのだろう。我が妹ながら流石と言う他ない。
「こちらですよ」
「あ、あぁ」
トランプに似たカード――ミナヅキはカードキーと呼んでいた――を扉に描かれた魔法陣に翳して最後の錠を解除したミナヅキに促され、ダリウスはやや躊躇いを感じながらも足を踏み入れた。
ここは妹の魔道工房。家族とはいえ、そして別に泥棒しに来た訳でもないとはいえ、罪悪感は拭い切れない。魔術師の暗黙の了解を破っているのだから当然か。フローラが知ったら怒られるだろうなと思いつつも、しかしだんだんと肥大してくる嫌な予感に突き動かされるように奥へ進んだ。
「フローラ、どこだ? ヴァネッサもどこにいる。返事をしろ」
見当たらない。返事もない。まるで魔女の実験室にでもいるかのように暗い魔力灯の灯りだけが、やたらと恐怖心を煽るように揺れている。
部屋に保管されているものは、どれも一流の魔術師だと自負しているダリウスすら驚愕せしめるほど高度な魔道器具であった。水精霊及び『水』のエレメンタル印が刻まれた杯、理解不能な理論で構成されたナイフ型の霊装、魔術式が全く読み取れない魔術が搭載された宝石……どれもこれも、ダリウスはおろか国家魔術機関である宮廷魔術師団の高位魔術師でも解析不可能なものばかりであった。
まるで、異界の知識が詰まった宝物庫。しかしダリウスは、ここにある魔道器具のどれにも目を向けず、ただただ妹と愛しい少女を探し回った。
――けれども。
「くそッ、何故どこにも居ない……?」
最初に抱いていた印象よりも存外に広く、また繋がっている部屋がかなり多かったために、全て調べ尽くすには時間がかかる。だから大声で名を呼んで回っていたのだが……しかし、いつまで経っても誰も出てこない。
そう、誰の気配もないのだ。魔力灯は常時つけっぱなしのものなのか最初から光を放っていたが、それ以外の光源は何もない。魔女の実験室的な雰囲気作りとしては良いだろうが、普段の妹へ抱く印象から考えると、そのような『無駄』をやるようには思えなかった。
だから。
そう。だからここには、最初から誰もいないのではないか……?
朧げに疑問を感じた、――刹那。
「――風よ」
ダリウスの背中を、空気の砲弾が強烈な勢いで叩いた。
「が――ッ⁉」
未知の言語で構成された呪文を耳にした瞬間に前へ跳んでいたからか、その衝撃は大分抑えられていた。けれど威力を完全に霧散させるには至らず、盛大に吹き飛んだダリウスは魔道工房の壁に体を打ち付けてしまう。
背骨が軋む感触がする。脳髄へ伝わる電流の如き痛みにダリウスは顔を顰めるが、しかし動きを止めてしまえば恰好の獲物だ。壁に沿って転がり、その勢いを利用して立ち上がる。脳内で術式を組み上げておく事も忘れない。
「何をする⁉」
「続く二射、追撃の三射、止めの四射」
魔術による風の砲弾を放ったのは、フローラの御付きの侍女である少女――ミナヅキ。彼女の更なる追撃に、ダリウスは舌打ちを一つ零して防御の魔術を起動した。薄緑色の硝子のような膜がダリウスの面前に広がり、盾となってミナヅキの風弾を凌ぎ切る。
ダリウスが扱う魔術は【雷】。属性としては『風』なので、同属性のミナヅキの魔術に打ち勝つにはより強力な魔術を使うしかない。貴重な魔道器物が密集している魔道工房でダリウスが得意とする大規模殲滅魔術を使用するのは気が引けるし、更に言えば狭い部屋ではミナヅキが使う魔術のような速射可能なものの方が良いが、為すがままでは死を待つだけだ。
そう脳内で弾き出したダリウスは、苦手な緻密な魔術をなんとか即席で作り上げ、ミナヅキへ放つ。
ダリウスの右手から一条の稲妻が伸び、雷光の如き速度で空を穿った。しかし攻撃を読んでいたミナヅキはそれを見事に躱して、カウンター気味に風弾を放ってくる。
「ちぃッ」
再度の舌打ちを零しながら、ダリウスは両掌を前へ翳す。前面へ魔力を勢い良く流し、それを全て雷へと変換、前方へ指向性を持たせて放電させた。
ズバジィイッッッ‼‼ と凄まじい勢いで弾ける雷撃。たちまち空気が焼け焦げる臭いが魔道工房に充満する。
「雷撃で風弾を灼きましたか……お見事です、若様」
「世事なんざいらねぇ、理由を話せミナヅキぃぃいいい――ッ‼」
怒気を多分に孕んだ声で吠えるダリウス、しかしミナヅキは動じない。異様なほどに落ち着いた、ともすれば神経を逆撫でるような冷静さで以て答える。
「それが命令だからです」
「……、フローラの、か?」
「いえ。最終的にはお嬢様のためですが、命令を下したのは別人ですよ」
「なにぃ……?」
ますます訳が分からない、といった調子で眉を顰めるダリウス。
その反応を予想していたのだろうが、しかしミナヅキは詳しく答えない。代わりに抱えっぱなしだった物体を包む布を、ゆっくりと剥がしていく。
「私の適性属性の一つは『風』……性質としては熱にして湿、ですね」
おもむろに語り始めるミナヅキ。内容は魔術の基礎。まるで復習するかのように彼女は言葉を続ける。
「そして『風』の場合、正反対の性質を持つ『地』に適性がある確率は低い。けれど似た性質を持つ『火』と『水』に適性がある可能性は残っています」
最初から『霊』を排除しているのは、恐らくどの属性に適性があろうと『霊』に適性がある確率は等しく低いからだろう。アレの性質は無にして虚、最も人間から遠く、珍しい属性なのだから。
「では、私の二つ目の適性属性は何でしょうか?」
答えは、彼女の腕の中に在った。
取り払われた布が床に落ちている。ソレを包み隠すものはもう無くなった。だから酷く目立つソレは、否が応でも目に入ってくる。
形は錫杖。太陽を模したのであろう豪奢で煌びやかな装飾が先端に取り付けられ、その中央に大粒の紅玉が嵌め込まれている。まるで儀礼用に王や高位の神官が持つ、膨大な財を尽くして作った格別の宝物のようであった。
「錫杖型霊装〈太陽ヲ崇拝セシ蝋燭〉。属性は――」
「『火』か! 畜生がぁッ‼」
属性には相性がある。そしてダリウスの扱う『風』は、『火』に弱い。
あの霊装は、確実に『火』であろう。それは太陽を模した飾りがつけられている時点でまる分かりだ。
総合的な魔術の腕としてはダリウスの方が上。細かい術式構築においては後れを取るが、しかし扱える魔術の難度、保有魔力量、演算速度においてはダリウスの方が幾分も上回っている。
けれど、ダリウスの本領が発揮できないこの狭い部屋で、相性の悪い魔術をぶつけられでもしたら。
しかも、その魔術が圧倒的な威力を持っていたとしたら。
そして――相手は魔道工房が破壊される事を微塵も躊躇していないとしたら。
「――焼き尽くせ」
魔力は既にチャージ済みであった。
摂氏六十度を超える灼熱の如き熱気が渦を巻き、実体化した炎が中心で小太陽を形成する。周辺には幾条もの稲妻が奔り、プラズマが無秩序に撒き散っては、更に質量を肥大化させていく極小の恒星。その業火は怒りの権化であり、破壊の化身であり、終末の象徴であった。
「なん、だ……こりゃ」
見た事もない術式。理解できない理論の霊装。そして、かつてないほどの火力。どれもこれも未知で溢れていて、純粋な恐怖だけがダリウスを激しく嬲った。
けれども。
それでも、諦める訳にはいかない。――それは、死に直結する事だから。
魔術師とは元来、臆病な生き物だ。だから神秘を秘匿する。大衆が力を持たぬように。そして――己の魔術を開示せず、対策を打たれないように隠し通すのだ。
全ては、死にたくないから。
神に到達せし者を目指すのも、或いは同じようなものかも知れない。
圧倒的な力、法則を捻じ曲げる術、大衆が畏怖する地位――そういった全てを手にするために、高次元を求めるのだ。より強く、より高く、より長く生きようと、魔術という超常の業に没頭する。
全員が全員そうとも限らないだろうが、正常で平凡な魔術師は大体そうだ。斯く言うダリウスも、そうなのだから。
――だから。
「あぁ、あ、あぁぁぁぁぁアアアアアアアアアアアアアアアアアア――ッッッ‼」
獣の如く吠えながら、ダリウスは脳の血管がはち切れるほどに速く術式を演算して、魔力を尽きるまで絞り出す。全身の魔力回路が悲鳴を上げても黙殺し、文字通り必死で魔術を発動させた。
顕現したのは、雷の嵐。遍く全て飲み込む、暴虐の雷。
もう魔道工房への被害など考えていられない。ただただ自分が生き残るために、自分が持ち得る全ての力をぶつける。
そして――直後。
或いは都市一つを壊滅させるほどの力が、互いを飲み込まんと衝突した。
◆ ◆ ◆
凄まじい破壊の力が収まった後。
ダリウスもミナヅキも衝突の余波で吹き飛ばされ、壁際で倒れていた。
灼熱と高電圧の影響で空気がイオン化したり水分が消し飛んだりと地獄のような状況である。どちらも死んでしまったと考えるのが当然だと思うほどに、凄惨な現象であった。
――しかし。
「……、これは少々危なかったでしょうか」
立ち上がる事ができたのは、黒髪茶眼の少女であった。
あちこちが焼け焦げてボロボロになったメイド服をぱんぱんと叩きながら、ミナヅキは周囲を見渡す。
「……驚くほどに被害がありませんね」
敬愛する主、フローラの魔道工房を台無しにしてしまう可能性も考えてはいたが、しかしダリウスの打倒は最優先事項だったので彼女は躊躇いなく殲滅魔術を放った。けれどそれは魔道工房を破壊するのを許容していたからではなく、『お嬢様が改造した魔道工房ならばこの魔術を放っても問題ありませんよね』と考えていたからである。
そして事実、魔道工房は無事だった。多少床や壁に焦げ跡はついてしまったが、しかし保管されている霊装や魔道書に被害はない。魔術実験を頻繁に行う場所なので、フローラが事前に強力な防護の魔術を仕込んでいるからだ。つまるところ、ダリウスの心配は全く無用であり、最初から大規模殲滅魔術を放っても問題なかったのである。
しかしそれも後の祭りだ。こうしてミナヅキだけが立ち上がり、ダリウスは壁にもたれかかったままピクリともしない。
「仮にも次期魔術師団長ですから、死んではいないでしょうが……」
そう。あれほどの衝撃に巻き込まれたというのに、死んでいない。立ち上がったミナヅキも相当であるが、生き残っているダリウスも凄まじい生命力だ。……まぁミナヅキの目的は『生きたまま拘束』であったので、多少手加減していたのだが。
「……手加減というより、私程度では本来の力は引き出せないというのが正しいのですが……まぁ良いでしょう」
一度深く息を吐き、戦闘で昂っていた調子を平時のものへと戻す。
それからパンパンと手を叩くと、ダリウスを逃がさないために固く魔術で閉ざしていた扉が開いた。そこから三人の使用人が顔を見せると、ミナヅキは素早く指示を出し始める。
「ルイーナは若様の部屋に書き置きを置いてきて下さい。内容は『お嬢様とヴァネッサ様を探してくる』というもので。エインスとバッツは私と共にダリウス様を運びますよ」
「「「了解」」」
指示を貰うとすぐさま動き出す使用人――いや、同志達。彼らのキビキビとした動きを目で追いながらも、しかしミナヅキの意識は別のところにあった。
彼女の心に在るのは、いつも敬愛する主の事だけ。
「……お嬢様。私は、貴女のために……貴女のためだけに、世界を浄化してみせます」
ギルガメシュの使徒、ミナヅキ。それでも彼女の心は、フローラで染まっていた。
――今の行動を彼女の思想と照らし合わせると酷く歪だと、彼女はまだ、気付いていない。
お兄様は 目の前が 真っ暗に なった!
……と、おふざけはこのくらいにしまして。
魔術師に対しての印象がダリウスとフローラとではかなり違うため、当然そこら辺の説明も違ってきています。
フローラは負の側面ばかりで、ダリウスは一般的な魔術師の見解ってところでしょうか。(魔術師という時点で一般的も何もないだろうというツッコミは受け付けておりません、はい)
『補足:秘匿について』
一般人に知られないようにするのは絶対ですが、それ以上に同業者には何としてでも自分の手の内を隠そうとします。
なので魔術学会での情報交換もリスクを伴って取引しています。死にたくないので当たり前の反応ですが、それと同じくらい魔術研究も進めたいので、必死にリスクとリターンを天秤にかけながら取引しています。
ただし、魔術学会の研究発表は例外です。あそこで高評価を弾き出せば名誉を得られるし、どの程度自分が神に到達せし者に近づいたのかも多少分かるので。……あくまで多少ですが。
というかそもそも研究発表で発表するような魔術は、発表者にとって最先端ではないものか、もしくは発表しても本人以外に誰も真似できないほど高難度なもの(【天上の奇跡】がこれに当たります)が殆どなので、発表しても問題ないと多くの魔術師が考えています。……まぁ本当に素晴らしいものを発表した場合、発表者は他の魔術師から執拗に身柄と研究を狙われますので、やはりリスクの方が目立つ気がしますが、承認欲求が強ければ発表するのでしょう。




