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白百合の姫は紅薔薇の庭で舞う  作者: 月代麻夜
第二章 憎悪の使徒と煉獄の茶会
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第十六話 煉獄の茶会Ⅳ -疑問-



 恐怖も迷いもなくナイフを刺した侍女。首という視認できない場所だったために刺さった場所は僅かに中心から逸れていたが、それでも頸動脈が千切れてしまい、音が鳴るほどの勢いで血液が噴出する。

(この人――最初から捨てるつもりで特攻させられた? 呪い一つ掛けるためだけに⁉)

 、なんとも胸糞悪い事だ。これだから、魔術師という存在はがたい。――そう、魔術師どうるいは内心で吐き捨てる。

 そうだ。そういう存在なのだ。魔術などという冒涜のわざを振るうクソ野郎どもは、人間一人の命などチリ紙より軽く破り捨てる。それは自分がやられてきた事だからよく理解しているし、自分も一歩間違えば同じ事をしていたかも知れないのだから、魔術師すてる側の気持ちも理解できる。だからこそ、殊更酷く唾棄するのだが。

 ギルガメシュの使徒という反逆者集団はきっと、そんなクソどもの巣窟なのだろう。世界を一度滅ぼし、正しい形に再構築させるなどという狂言をうたって、それを実践するためにゲームでは王都民全員を残らず虐殺するくらいなのだから、相当イカレているに違いない。魔術師と良い勝負か、それ以上か。倫理観が吹っ飛んでいるところは同じだが。

 頭と体を繋ぐ神経が何本か切れたためか、バランスを取れず崩れるように倒れる侍女。あおけに転がり、狂人の如くケタケタ嗤い続ける。一つ笑いを零すたびに命の雫が尋常ではない速度で流れ出す事を理解しつつも、それを望む彼女は止まらない。

「きっ……きゃぁぁぁぁあああああああああああああああ――っ⁉」

 ようやっと目の前の惨状を理解したアイリーンが、当たり前の反応を示した。顔をあおめさせ、これ以上見てはならないと目をつむって頭を抱く。失神しないだけ強いと言えるだろう。

 他の人間も、今目の前で一人の人間が死へ近づいている事を理解していない訳ではない。それでも悲鳴も何も上げないのは、慣れてしまったからだろうか。フローラの記憶ではクリステルだけはこういった事に耐性が無いはずなのだが、まぁ反応が遅れているだけかも知れない。確認する暇など無いので今は置いておく。

(治癒は……間に合わないですね。今治したところで、わたしの技術では生き長らえさせる程度……声は確実に失ってしまうでしょう)

 腕と頭さえ残しておけば情報を引き出す事はできるだろうが、自身の死を前提に特攻をかけた彼女が拷問程度で吐くとは思えない。ならば生かしておく意味も無いのだが――。

「おい、誰か治癒魔術を使えないか⁉ 治療系の魔道器具でも良い、持ってきてくれ!」

 どうやらリオンは、そう簡単に割り切れないようだ。刺さったままだったナイフを抜き、部屋に有ったメルウィンのハンカチを勝手に拝借して傷口に押し当てている。少しでも血の流出を防ぎたいのだろう。だけれどこの侍女が先に手を回していたためかこの場には使用人がらず、他のメンバーも動く気配がない。

 率直に言って、リオンは魔術師には向いていない性格だ。一度自分に牙を剥いた相手、そして自ら死を選んだ相手を、助けようなどと考えるのだから。

 ――いや。だからこそ、フローラは惹かれたのかも知れないのだけれど。

 それを人間として好ましいとは思う。けれどこの状況で、彼のこの行動は、正直無駄と言うほか無い。

 だって無理なのだ。彼女を助ける事は、できないのだ。

 魔術で治療したところで、どうせ彼女は再び自ら死を選ぶだろう。そういう『目』をしていた。箱庭時代の仲間に同じ目をした人間がいたから、フローラには分かる。

 あれは、崇拝者の目だ。何かを盲目的に信じ込み、ソレに命じられたならば己の全存在を以て任務を完遂させる。時に、自身の命すら消耗品のように利用して。

 だから、彼女が自分の死を『任務で必要な事』だと認識している以上、彼女は何度治療されようとナイフを自身の首に突き立てる。ナイフを取り上げられたなら、手首の血管を己の歯でかじり切る。口を塞がれ両手を縛られても、芋虫のように這いずって窓から飛び降りようとするだろう。

「無理、ですよ。……絶対に」

 助からない。だって彼女本人が、それを望んでいない。

 そんな人間を助けて、何になると言うのか。

 ――それでも。

「助けてみせるさ。俺は目の前で死のうとする人間を、はいそうですかさようならってできるほど大人じゃないんだ」

 度を越したおひとしの少年は、決して問い掛けてきたフローラに目を向けず、ただ目の前の死にたがりの止血に集中しながら答えた。

 死が許容できない。普通の人間ならば、当たり前の感性だ。それを失ったなら、理解不能の化け物か狂人認定されてしまう。

 だけれど、限度がある。敵を利益も無いのにわざわざ助けようとする人間は少数派だろう。――そう思ってしまうフローラは、もう手遅れなのだろうか。

「……、でも、リオン様が諦めなくても、結果は変わりませんよ。彼女は助からない。たとえ何かのまぐれで助かったとして、どうせ彼女はまた死を選ぶでしょうから、意味もありません」

「それでも、だ。それでも、俺は助けたい」

 リオンは曲がらない。かたくなに、目の前の死を否定する。

「……理解できません」

 ぽつり、とフローラは零す。

「だって貴方は、人を殺す時、躊躇しないでしょう? それなのに、この人は助けるんですか? 矛盾しています」

「だろうな。だからこれは、ただのままだ。……それにほら、こいつを助けたら、敵側の情報が何か引き出せるかも知れないだろ? 可能性がちょっとでもある以上、試してみる価値はある」

 ――言い訳だ。情報が引き出せるかも知れないなど、じんも思っていない事だろう。ただ彼は、ひとにが嫌なだけ。

 殺す時は殺すのに、まぐれで助ける人間など、たちが悪い事この上ない。身勝手が過ぎる。

 けれど、恐らく。本当に、推測でしかないのだが。

 彼と出会ってから五年間、少しずつ重ねていった考えを、フローラは口にした。

「……もしかしてリオン様は、生かしておくとすぐに自分かフローラ(わたし)……いえ、大切な人に危険があると判断した敵でなければ、殺せないんですか?」

「…………」

 答えは無かった。だが、否定の言葉も出てこない。

「……そう、ですか」

 長く重い、溜息を吐く。

 失望はしていない。理解し難い思いが無い訳ではないが、彼が根っからの魔術師ではない事は最初から分かっていたのだから、むしろそのお人好し度に感嘆するほどだ。

 ――彼が『守るための力』を振るう以上、その信念は変わらない……いや、変えてはならないのだろう。

 やはりフローラには理解できないものだ。基本信念として見敵必殺、情け無用、仲間は駒、という箱庭の教育を幼少時より受けていた彼女には、一生かかっても分かり得ないだろう。

 しかし、リオンの気持ちには答えたい。――そう思ってしまうくらいには、目の前の少年を好意的に見ていた。

 けれどフローラの魔術では、彼女を治療する事は難しい。せいぜい生き長らえさせる程度だ。――それこそ、奥の手でも使わない限りは。

「……これを使って下さい」

 胸――というか緊急時のために心臓の近くに仕込んでいた宝石を、リオンに渡す。受け取りながら戸惑いの視線を向けてくる愛しの婚約者様に、フローラは僅かに視線を逸らしながら答えた。

「治療用の魔術を刻んだカーバンクルですよ。……あぁ、『アルゼンチナ』に載っている伝説上の生き物の事ではなくて、柘榴石ガーネットを丸く磨き上げたやつです。血や生命力との関係性が強い宝石なので、治癒系と相性が良くてオススメですよ」

「ありがとう、助かる!」

 効能はともかく形態はかなり定番の魔術用具なので、用法はすぐに分かったようだ。リオンは血のように赤い宝石を傷口に当て、魔力を流し術を起動する。

 途端、暖かなしゃっこうが侍女の首を包み込んだ。

 まるで動画の早回しでも見ているかのように傷口がふさがれていき、鼓動に合わせて噴き出していた血液が収まる。外に出てしまった分の血液が補充され、死んだ細胞が復活し、壊れた声帯が生き返る。傷が傷だけにあとは残ってしまうが、それでも驚異の治癒力だ。

「凄い……」

 呆然と呟いたのは、クリステルだった。だがそれも当然か。超常に慣れ切っている魔術師でも――いや、だからこそ――驚愕するほどの現象なのだから。

 フローラの奥の手の一つ、致命傷でも息を吹き返して見せるという超高度の魔術を刻んだ紅玉柘榴石カーバンクル。一つ作るのに男爵家程度の全財産と数ヶ月の時間を要するので、気軽には使用できないまさに切り札的アイテムだ。完全な蘇生とまではいかなくとも脳や心臓が死んでさえいなければ回復可能なので、実質最上級の治療用魔術用具だろう。

 箱庭時代の仲間の一人が編み出した魔術で、魔術学会の研究発表(グランドジャッジ)においてSSS(トリプルエス)の評価を得た、限りなくしん術に近いとまでわれる秘儀――【天上の奇跡(サクラメント)】。オリジナルは流石のフローラでも再現不可能なので、それに似せた劣化版だ。

 本来であれば死にかけでも決して敵に使うようなしろものではないのだが、今回ばかりは仕方ない。リオンの考えに賛同した訳ではないが、彼の信念は曲げさせたくなかった。

「ぐ、ぁ……あれ?」

 死が一気にとお退いた事に気付き、侍女が疑問の声を漏らす。

「良かった……生きてる」

 リオンが安堵の息を吐いた、瞬間――。

「ッ、馬鹿!」

 再度侍女は、ナイフを己の首に突き立てようとした。間一髪でリオンが侍女の手首を叩いてナイフを弾き飛ばしたが、彼女は胸元に隠していた毒針を素早く取り出し、左手でそのまま握り潰す。鋭いさきてのひらの皮を食い破り、体内へ毒が侵入する――直前で、またもリオンがはたき落とした。

 わずかに体内に入った毒が巡ってしまったようだが、しかし死ぬには足りない。だが次の一手を侍女が打つ前に、リオンが馬乗りになって両手を拘束してしまう。完全に動きを封じられた侍女は、あおけのまま忌々しげにリオンを睨み付けた。

「……どうして、私を死なせてくれないの?」

「俺が、目の前で人が死ぬのが嫌だから」

 即答するリオン。僅かに侍女は瞠目して、けれどすぐに鋭く睨む。

「…………。これだから、甘ったれな貴族のお坊ちゃんは嫌いよ」

「それで構わない。お前が自殺するのをめてくれるならな」

「……、はっ! 馬鹿な事言わないで。私はあのお方のために命を使うの。ここで死ねと命じられたから、命じて下さったから! 私は心から望んで死を選ぶ‼」

 やはりフローラの思った通り、彼女は崇拝者のようだ。彼女の言う『あのお方』とやらが誰かはいまいち予想がつかないが――彼女がギルガメシュの使徒である事を考えると、ゲームに登場しなかった現在のボスだろうか――、これではどうしようもない。やはり助ける意味は皆無だった訳だ。

(……いえ、待って下さい)

 ――本当に彼女は、ギルガメシュの使徒なのだろうか?

 今起こっている状況が、フローラには引っかかった。

 フローラの治癒魔術では、生き長らえさせる事しかできない?

 いやその前に、何故この侍女は、自殺手段にナイフを用いた?

 違う。問題はそこではない。

「……何故、【魂寄せ】を使わない……?」

 呟いた言葉をしゃくして、ようやっとフローラは疑問の正体を見破った。

 そうだ。彼女がギルガメシュの使徒ならば、ナイフなどという今回のように生存率が僅かでも残ってしまう不確かなものに頼らず、【魂寄せ】の魔術を使えば良い。それならば確実に彼女は死ねたはずだ。スラム街のボロ屋敷に潜伏していたギルガメシュの使徒には全員その魔術が掛かっていたくらいなのだから、この侍女に使わない理由がない。

 だけれど、現実は違った。

「……まさか」

 一つの可能性に辿り着き、フローラは今回ばかりはリオンの行動が正しかった事を悟った。心の中で礼の言葉を述べておき、フローラはリオンと睨み合っている侍女の傍で膝を折ると、その顔を覗き込む。

「貴女に一つ、質問があります」

「……なによ」

 リオンと言い争っているうちに自殺する気が失せ始めているのか、弱々しい抵抗でもするかのような声で侍女は言う。その様子に流石リオン様と思いつつ、

「貴女は、ギルガメシュの使徒ですか?」

 偽りは許さないとばかりに、てつく瞳でめ付けるフローラ。極寒の視線に貫かれた侍女が返した答えは、果たして――。


「……はぁ? あんな頭のおかしい奴らと一緒にしないでよ」


 ――否だった。

「……そう、ですか」

 この侍女はギルガメシュの使徒ではない。という事は、レティーシャ誘拐の件は、ギルガメシュの使徒が起こしたものではない可能性が出てきた。

 ならば、誰が犯人か? レティーシャは公爵令嬢で、釣り出されたメルウィンも第一王子という立場、その命を狙っているとどきなやからは大量だ。心当たりが多すぎてしぼり切れない。

「……ギルガメシュの使徒じゃない? そんな馬鹿な。なら一体、誰がレティーシャ嬢を誘拐したんだ……?」

 侍女の言葉を聞き、首をひねったのはフローラだけではない。フローラとともにスラム街のボロ屋敷に潜んでいたギルガメシュの使徒を殲滅したリオンも、フローラがリオンの部屋でリオンに状況を説明した時に話を聞いていたヴァネッサやクリステルも、同じように疑問をいだいている。唯一アイリーンだけが状況が分からず、あおめた顔で呆然としていたが。

「――さて」

 今考えても答えは出そうにない。一度落ち着いてからで良いだろう。

 再び立ち上がったフローラは、その視線を侍女に馬乗りになっている己の婚約者様に向けて、

「リオン様は、いつまで彼女の上に乗っているつもりですか? そろそろわたし、浮気者って怒っても良い気がします」

「へ? ……あ、いや、これはちがっ! 違うから⁉」

 慌てて侍女の上から退こうとするも、しかしそうすると侍女の拘束を緩めてしまう事になるので、やはり馬乗り状態から動けないリオン。フローラから向けられるいつもより冷たい視線が痛くて、どうしたら良いのか分からずパニックに陥ってしまう。

 そんな彼の姿に、嘆息する者が一人。彼の下で腹と両腕を拘束されている侍女であった。

「もう拘束しなくて良いわよ」

「……でも、解放したらすぐに死ぬ気だろ?」

 リオンの問いかけに、しかし侍女はふいっと顔を逸らして、

「……。今は、ちょっと、違うから」

 僅かに頬に朱が差しているのを見てしまったフローラは、「リオン様……一体どんなき文句を口にしたのですか?」と思わず訊ねずにはいられなかった。返ってきた答えは「お前に死んでほしくないって言っただけだが」との事だったが、恐らくそれが原因だろう。いくら狂信者といっても侍女も女なので、美男子に真剣な目を向けられてそんな台詞を言われたなら、思わずキュンとして態度が軟化してもおかしくない。原作ゲームとは違う性格のはずなのに、美少女ゲーム版の天然(たら)し属性を持っているとは、流石である。

 ともあれ、解放された侍女に、先に立ち上がっていたリオンが手を貸しているところを若干冷たい視線で眺めているフローラ。その後ろから問い掛ける人物がいた。

「あの……フローラちゃん。どういう事、なのかしら」

 突然レティーシャが誘拐されたという言葉が出てきて、そのうえ呪いを掛けられたり目の前で侍女が自殺したりと非常な事態が次々と起きたとなれば、困惑するのもあたりまえか。血の気が引いて顔色の悪いアイリーンの方へ振り向き、フローラはどこから説明するか、時間を天秤にかけながら考えた。



 箱庭出身者は基本的にチートです。

 ただし、思考回路がおかしい奴ばかりですが。(因みに箱庭出身者の中だと、月葉フローラは比較的マシな部類です)

 次回も宜しくお願いします。

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