第十四話 煉獄の茶会Ⅱ -裏切リ-
活動報告にも書きましたが、第二章第十三話を九月十五日(投稿した次の日)に、読み直して作風に合わないと思った場面があったので、修正しました。
クリステルの説得(脅迫?)のシーンです。
読み直さなければ話が分からなくなるという事は一切ありません。ただの自己満足のようなものですが、皆様に混乱を齎すような事をしてしまい、申し訳御座いませんでした。
(リオンを説得するのではなく、フローラを説得するように変更しました)
薄暗く、淀んだ空気が碌に換気もされず漂う部屋で、レティーシャ=セルディオンは目を覚ました。
(ここ、は……)
寝台か何かに仰向けに寝たまま、レティーシャは頭部に手を当てる。じんわりと覚えのない痛みが燻って鈍い思考を段々と加速させていきながら、直前の記憶を呼び覚ました。
(確か……わたくし、フローラさんのお屋敷でお茶会をして……)
それから何故かヴァネッサとリオンの決闘が始まり、フローラやアイリーン、ダリウスと一緒に観戦した。勝敗が付いて、勝者も敗者も想い人と語らいを始めて……その後は――。
(メルウィン様にお呼ばれした、はずですわ)
そうだ。侍女から己の婚約者であるメルウィンに呼ばれているという話を聞き、はしたないし非礼だと自覚しつつも気持ちを抑え切れずすぐさま馬車に乗った。
それから馬車の中でメルウィンに会う準備を侍女に手早く整えてもらい、王城に着くまでそわそわと落ち着きなく馬車から見える景色を眺めていた。流石に落ち着きがなさ過ぎたのか御付きの侍女から「落ち着いて下さい」と言われ、渡された紅茶を一口啜って――。
そこからだ。そこから、記憶が無い。
(……まさかわたくし、眠ってしまいましたの……?)
だとしたら、ここはセルディオン家の屋敷の寝室だろうか。婚約者である第一王子に呼ばれて王城に向かう途中で寝室に運ばれるほど熟睡してしまったなど、恥ずかしいやら非礼で死にたくなるやら。今度メルウィンに会えた時、しっかり詫びねばならないだろう。
――と、そこまで考えて、どうやら今の想像が間違っている事を悟る。
怠く重い体をなんとか起こし、部屋全体を見渡してみるも、全く以て見覚えがない。灯りに使われている未知の淡い赤の発光結晶も、窓一つない白の壁も、今自分が手と尻を付いている寝台も、何一つ見慣れた自身の寝室とは一致していなかった。
「どこ……なんですの、ここは?」
じわり、じわり、と。恐怖が体を蝕んでいく。
数多くのドレスが入った衣装棚も無い。趣味で付けていた日記を書く机も無い。いつかの誕生日で婚約者からプレゼントされて、寝る前に必ず撫でていた小さな猫のぬいぐるみも無い。
何もかも知らないもので囲まれた部屋で、レティーシャは眠っていたのだ。
――と。全身が小刻みに震え出したところで、
「お目覚めですか、お嬢様」
レティーシャの寝台からは見え難い所にあった扉を開いて入室してきたのは、見慣れたレティーシャの御付きの侍女であった。
「ケイト……っ!」
目覚めてから初めて見知ったものに出会い、レティーシャは表情をパッと明るくさせた。ベッドから跳ねるように立ち上がる。
――けれど、そんなレティーシャの様子に、おかしなものでも見たかのようにケイトは嗤う。
何故そんな表情をするのか分からない。思わず駆け寄ろうとしていた足を止め、レティーシャは再びよろよろとベッドに腰を落としてしまう。
「どう……しましたの、ケイト?」
「どうもこうも、あまりにも愉快な姿でして」
――おかしい。ケイトはそんな無礼な事を面と向かって口にする侍女ではなかった。
何かが狂っているのか、それとも自分が知らなかっただけで彼女の本性は仕える主を嘲笑するような卑劣なものだったのか。分からない。今レティーシャが持っている少ない情報だけでは、判断のしようもない。
戸惑いを隠さず表に出すレティーシャに、ケイトはなおも嘲りの視線を向ける。
「あらあら、淑女たるもの動揺は隠すべきではないのですか、お嬢様? それとも、素を隠さず見せるほど私のような侍女を信頼していたのですかぁ?」
「は……え?」
そんな事を言われても、今この状況で落ち着いて振る舞えるほどレティーシャは強くない。けれどいつまでも間抜け面を晒しているのはレティーシャの公爵令嬢としての矜持に関わるので、何とか表情を取り繕い始めた。それでも内心はまだまだ大混乱中であったが。
「……ここは、どこですの?」
ケイトの不快な視線を咎めるように強気な語気で口にすると、その姿がまた彼女の笑いを誘ったのか、押し殺したようにクツクツと嘲り出す。
訳が分からなくなって、レティーシャは無意識のうちに後退していた。ベッドに乗り、シーツに皺を作りながら、ずるずると尻餅を付いて逃げる。意味不明なものから遠ざかろうと、必死に。
やがてひとしきり嗤い終えたケイトは、こう切り出した。
「じゃあクイズをしましょうか、お嬢様」
「……は?」
唐突な提案に、レティーシャは眉根を寄せた。けれどケイトは、ニヤニヤとレティーシャには一度も見せた事のない嫌らしい笑みを浮かべながら続ける。
「馬車で私が淹れた睡眠薬入りの紅茶を飲んで眠ってしまったお嬢様は、そのままお城ではなく、別の場所に運ばれました。さぁて、どこでしょう?」
「へ? え、っと……屋敷、ですの?」
「それはどこの屋敷ですかぁ?」
「……セルディオン家の、ですわ」
レティーシャがそう答えた直後、「ぶっははははははは――っ!」とケイトは狂ったように腹を抱えて笑い出した。
幼い頃から自分の傍に侍っていた従者の痴態に、レティーシャは眉を顰めるばかり。その分かっていない箱入り令嬢の姿を見て、ケイトはなおも笑ったまま言う。
「馬鹿ですか、馬鹿なんですかお嬢様⁉ むしろ積極的に笑いを取りに来てませんかっ⁉ 才能ありますよお嬢様、将来は王妃なんかじゃなくて大道芸人でも生きていけますって!」
「な……馬鹿ではありませんわ! それになんですの、わたくし公爵令嬢ですのよ⁉ 奇術師ではありませんわ!」
「くひひひっ、あっははははは――っ! じゃあそれ素なんですか! めっちゃおもしろ! お嬢様ってこんなに愉快な人だったんですね!」
侍女にあるまじき暴言を吐き、笑い続けるケイト。そんな彼女の姿は、生粋の箱入り令嬢であるレティーシャの目には未知のものに映っていた。
理解不能、そして前代未聞の無礼者。その場で切り捨てられても文句を言えないほど酷い態度だ。
けれど今もそのような感性に囚われているのはレティーシャだけで、現状を正しく理解しているケイトは、本当に面白い見世物でも見ているかのような態度を取り続けていた。
「だから、睡眠薬入りの紅茶を飲んで眠ってしまった、って言ったでしょう? なのになんで自宅に運ばれているんですか! そんな訳ないでしょう、常識的に考えて‼ お嬢様お得意の『さくりゃく』を考える脳をしっかり回して下さいよっ!」
「……、え?」
「あぁそのまだ分かっていない馬鹿面が可愛いですよお嬢様! 睡眠薬です、睡眠薬! そんなものが使われて、目覚めた時には知らない場所……なんて状況、もう決まったようなものじゃないですか‼」
馬鹿笑いするケイトのお陰で、ようやっとレティーシャの頭も追いついてきた。
睡眠薬入りの紅茶、それを淹れた嘲笑する侍女、知らない部屋で目覚めた自分――。それらが導き出す答えは、一つだけ。
即ち――、
「ゆう、かい……?」
「ピンポンピンポン大正解っ! そしてここはとあるお貴族サマのお屋敷の地下室、とだけ言っておきましょう。一応、口止めされてますしね!」
薬でもキメているのか、頭の螺子が数本飛んだような大仰な身振りで正解を示すマルを作るケイト。自身で導き出した答えに恐怖するレティーシャの前で、彼女はなおも笑い続ける。
「そ、んな……裏切ったのですの、ケイト⁉」
「裏切った⁉ そんな馬鹿な事言わないで下さいッ‼」
心底心外だとでも言いたげに、ケイトは声を張り上げる。他者から強く大きな声など殆ど向けられた事のない箱入り令嬢レティーシャは、びくりと肩を跳ねさせた。
「私は元々こっち側ですよ! セルディオン家に仕えたのは、そうしろと頭目から指示が来ただけ。情報を流すためにね」
「そん、な……で、では、わたくしの御付きの侍女になったのは……」
「上手く取り入れたからですねぇ。いやぁ、あの時はホントに愉快でしたよ。なにせ間者を大事な大事なお嬢様の御付きにするんですから! この家馬鹿だなーって一晩中笑わせてもらいましたよ」
――ガラガラと、レティーシャの中で何かが崩れたような音がした。
疑った事など一度もない侍女は、最初から味方ではなかった。それどころか、今までずっとセルディオン家の情報を流し続け、今回の誘拐にも加担したという。
深い絶望で涙も出ない。喘ぐように空気だけを貪り、恥辱に両手を握り締める。
今の今まで、公爵令嬢としての自覚を持ち、未来の王妃としての立ち振る舞いを心掛けてきた。悪意がそこらに蔓延り権謀術数が渦巻く社交界でも生き延びられるよう観察眼を鍛え、他人の策に踊らされないよう自らも策を巡らせ、信頼できる人脈を形成し、立派に第一王子の婚約者を務めているつもりだった。
けれど、根本から間違っていた。
信頼できるも何も、無条件に懐に入れていた人間が敵。そう考えると、広げてきた人脈もどこまで本当の味方なのか分からない。
今思えば、レティーシャが策略で戦っていたと思っていた相手は、子供のお遊びに付き合っていただけだったのだろう。それもそうだ。だって碌に『闇』も知らないレティーシャが巡らせた稚拙な策など、大人にとっては簡単に踏み潰せる程度のものなのだから。
『おままごと』レベルの闇しか知らず、狭い庭の中で遊んでいた箱入り令嬢は、本物の悪意の前に晒された時、自分の世界の狭さを突き付けられて動けなくなってしまった。
そして――。
「さて、お嬢様。仕事があるので、私はもう行きます。……あぁ、心配しなくても良いですよ。純潔を散らされる予定は今のところないので」
レティーシャが考えもしなかった事を自然に口にし、ケイトは含み笑いを残して部屋から出て行った。
痛いほどの静寂が満ちる。今頃になって、涙が溢れ出した。
裏切られた。いや、そもそも最初から味方ですらなかった。信じていたのに、無条件に信頼していたのに、ケイトはそれらをせせら笑って踏み躙っていった。
「――悲しいのかい?」
誰もいないはずの部屋で声が掛かっても、暫く反応できないほどに深い絶望がレティーシャを襲っていた。
悲しい? ああ、そうだ。心が捩じ切れるほどの悲痛を感じている。
このままだと、今まで信じてきたもの全てを疑ってしまうだろう。そしてこれからは、何一つ心から信頼できなくなるだろう。そう容易に悟れるほど、この裏切りはレティーシャの精神を蹂躙した。
未知の結晶が発する淡く赤い光で不気味な薄暗さの部屋に、恐らく少年と呼ばれる年齢であろう人間の声が響く。
「でも君は家に帰してあげられない。伯爵の目的はどうでも良いんだけど……少なくとも僕の目的を達するまでは、役に立ってもらうからね?」
耳に心地良いテノールボイスは、最近どこかで聞いた事があった気がする。睡眠薬入り紅茶を飲まされる少し前――そう、エーデルワイス家でのお茶会でこの声をレティーシャは耳にしたはずだ。
いや、その時聞いたものよりも幾分か甘さが含まれているこの声は、少女騎士一人に愛を注いでいる彼ではないだろう。そうだ。彼に最も似ていて、けれど決まった想い人もおらず遊んでいると噂される、あの人物ではなかろうか。
「僕が……俺様が、あの調子に乗っている小娘を始末するために、役立ってもらうから」
ィイン、と。恐らく粗悪品でムラがあったのだろう、光源である赤い結晶が、揺らぐようにほんの少しだけその光力を強めた。血色に照らされ、闇に紛れていた男の姿が不気味に――けれどどこか幻想的に浮かび上がる。
鮮血の如き妖しく麗しい赤色に照り映える、魔性の銀糸――それを持つ家系を、レティーシャは良く知っていた。
「貴方は――」
思わず零すように口にした名は、有り得ないと思っていた人物の内の一人だった。
しかしレティーシャの監禁場所に居て、野望欲望について堂々と話をする彼は、確実に敵であろう。
であれば。
彼の兄妹は、果たしてレティーシャの味方だったのか。
幼少時よりずっと傍に居た侍女に裏切られて、すっかり疑心暗鬼に陥ってしまったレティーシャにはもう、分からなかった。
次回も宜しくお願いします。




