第十三話 煉獄の茶会Ⅰ
――それは、唐突に起こった。
いや、前兆はあっただろう。そして彼女も知っていたはずだ。近いうちに、それは起こると。
けれどまさか、もう一度深く調べに行こうと決めた翌日に事が起こるなど、流石の彼女も予想だにしていなかった。
だんだんと小腹が空き始める午前十時。グラハムの調査は人目の少ない夜中にしかできないので、特にする事もなく自室でまったりのんびりしていたフローラだったが、玄関付近から騒がしいやり取りが聞こえてきて、僅かな好奇心に突き動かされて向かってみた。
「どうかしたんですか?」
騒ぎの原因に近寄って訊ねてみると、エーデルワイス家の使用人が対応していた突然の客人――執事服の男がフローラの姿を認めて驚き、次いですぐに姿勢を正し頭を下げる。
「フローラ=エーデルワイス様。此度は突然の来訪をお許しください」
「いえ。……それで?」
「……その、お聞きしたい事が御座いまして」
フローラが許すと彼は顔を上げ、強い瞳でこちらを見詰めてきた。その少しばかり尋常ではない雰囲気に内心首を傾げつつ無言で促すと、執事の男はやや低い声で問い掛けてくる。
「レティーシャお嬢様は、こちらにいらっしゃいませんか?」
「……レティーシャ様、ですか? いえ、いませんが……」
「……そう、ですか。失礼致しました」
レティーシャの姿は、彼女が昨日メルウィンに呼び出されたと言って馬車に乗った後、見ていない。
しかしそのような事を訊かれるという事は、彼女は今屋敷に居ないのだろう。無断で屋敷を出て市街にでも行ったのだろうか? ……いや、レティーシャはフローラと違ってごく普通の公爵令嬢なのだ。どこかへ行こうものなら必ず誰かしら使用人が見ているだろう。
「……何かあったんですか?」
「…………申し訳御座いません。お答えしかねます」
疑問をそのままぶつけてみるも、返ってきたのは黙秘権。となれば、これはレティーシャの実家が隠したい案件なのだろう。
執事の男はフローラに礼をすると、すぐに去って行ってしまう。馬車や徒歩ではなく単身で馬に乗っているところを見るに、相当急っている事が窺えた。
(レティーシャ様を探している? それも、手当たり次第で……?)
考えられる事態は、レティーシャが内緒で外出している事くらいか。しかしその場合、屋敷内に協力者がいるだろうし、そのうち帰ってくる事が分かっているのだから、そう焦る必要はないはずだ。だがあの執事の男の様子を見るに、その可能性は考え難い。
ならば昨日から屋敷に帰っていないのか。――それは、セルディオン家も焦るだろう。探し回っているという事は連絡も入っていないという事だろうし。
だが、何故だ。レティーシャの性格からして、外泊するのならば連絡は怠らないはず。また本人が連絡しろと言わずとも、従者は率先して雇い主である当主へと報告するはずだ。
――いや。
『にしても、ついにお姫様にまで手を出す時が来やしたか』
『お姫様って言っても公爵家の令嬢だがな』
そんな話を、つい最近聞いたばかりではないか。
「……、まさか」
じわり、と。嫌な汗が額に浮かぶ。
「お嬢様? どうかなさいましたか?」
近くに控えていたミナヅキが訝しげに訊いてくる。しかしフローラはそちらへ顔も向けず、自室へ向かって歩きながら、滅多に使わない有無を言わせぬ声調で言い放った。
「……少し、自室に籠ります。昼食も呼ばないで下さい。名目は魔術研究に没頭している、辺りで」
「お嬢様⁉」
ミナヅキの驚愕の声が聞こえるが、フローラは無視して歩を進める。階段を素早く――けれどもはしたないと見咎められないよう一切音を立てずに滑り上がり、走るなと注意されるギリギリの速度で廊下を通って、自室へ飛び込んだ。
入ってすぐ扉に魔術で鍵を施し、そのまま迷いなく衣装棚の奥底に隠していた白のブラウスと黒のミニスカート、群青色のコートを引っ張り出す。手早くドレスを脱いでそちらへ着替え、膝上まである黒のソックスを履くと、右太腿に薄い革のベルトを巻きつけた。筋肉麻痺の効果がある毒針をすぐさま抜き出せるように手製したものだ。
次いでタンスの隠し棚から魔術用具を取り出し、服のあちこちに次々と仕込んでいく。予備として魔力を溜め込んだ宝石、魔力回路を破壊する効果を魔術付与した小型ナイフの霊装、破るだけで記録した魔術を発動させる符、そういった前世で馴染み深い品々を一瞬の躊躇もない流れるような動作で整えていった。
――と、そこで、
「出かけるんですか?」
聞き慣れた声が掛かった。
「……ヴァネッサですか」
コンマ数秒だけ硬直したが、すぐに声の主が誰か判明し、フローラは作業を再開した。その手慣れた公爵令嬢の行動を見ながら、何故か事前にフローラの部屋に忍んでいた一つ年上の少女騎士は問い掛けてくる。
「一体どこへ? というか、その格好は……」
「わたしの魔術師としてのスタイルですよ」
この世界での平民服に、仕込んだ数多の魔術用具。服の質は良いし材料は珍しいしで総額はかなりのものだが、見かけ上は人混みに埋もれてしまいそうなほどありふれた格好だ。本人の持つ美貌を考えるとあまり隠密効果はなさそうだが、基本的に大通りに出る気は無いので問題ないだろう。それに、最低限貴族という身分がバレなければ良いのだ。
「何故、そんな格好を?」
「ちょっと野暮用です」
「……身分相応の格好では駄目なんですか?」
ヴァネッサの言葉は疑問形だったが、フローラがわざわざドレスを脱いだ理由、そして『平民』ではなく『魔術師』の格好に着替えた理由は、もう彼女も気付いているようだ。それでもあえて訊いてくる辺り、根が真面目なのだろう。
フローラはあらかた準備を整え終え、最後にベッドの下に隠した刀型霊装――〈夜黒三日月〉を取り出すと、ようやく背後のヴァネッサに話しかけた。しかしその内容に、先の質問の答えは含まれていない。
「わたしは今から少しばかり用事を片付けてきます。貴女は見なかった事にして、今日は帰って下さい」
そもそもこんな時間からフローラの部屋に居る事自体が異常なのだが、二日に一度は朝早くから入り浸る事があるので、そこはあえて触れずに指示した。
しかしヴァネッサは首を振らない。わざわざ説得する時間も惜しかったので、そのままフローラは窓に足を掛けて飛び出そうとし――そこで。
「待ってください!」
「……何か?」
引き止めるなとばかりに殺気を飛ばすフローラ。反射的にヴァネッサは片足を引いたが、しかしそこで踏み留まり、口を開く。
「魔術師団長様にも言いません。勿論ルクレーシャ様やダリウス様、レグナント様にも。しかし――せめて私も、連れて行って下さい」
強い眼だった。芯が太く真っ直ぐなヴァネッサだからこその、痛いほど純粋な瞳。
彼女の言っている事は分かる。
ヴァネッサはフローラの護衛騎士なのだ。その護衛対象が今から危険な香りがする用事とやらにフル装備で向かおうというのだから、ついて行かせろと主張するのはのは当然の事だろう。父や母、兄達に密告しないとフローラの意を汲んでくれているのも非常に有り難い。
――だが、
「駄目です。はっきり言って邪魔なので」
そう。ヴァネッサは所詮、同年代の女では最強程度の実力。もしフローラが睨んだ通り今回のレティーシャ失踪の原因が奴ら――ギルガメシュの使徒だった場合、彼女では力不足だ。
けれどヴァネッサも護衛として、そして何より一人の騎士として引く訳にはいかない。
「ならば行くのをやめて下さい。今ならまだ、報告しませんよ」
「……脅し、ですか?」
「滅相もありません。真摯な説得です」
「…………」
ヴァネッサの性格的に、彼女が譲歩するという事は有り得ない。良くも悪くも真っ直ぐだから、危険地帯へ少女を一人で行かせるような事は絶対に許さないだろう。
事態は恐らく、緊迫している。ここで無駄に時間を食う訳にはいかない。
だからフローラは深く溜息を零し、ヴァネッサから顔を背けると、一言。
「付いて来て下さい」
それだけ言い残し、躊躇なく二階の窓から飛び降りた。
◆ ◆ ◆
そして王都にあるスプリンディア公爵邸、その二階。何度か訪れた事があったので位置を覚えていたリオンの部屋に、フローラは居た。
目の前には顔を引き攣らせたリオン、背後には息も絶え絶えなヴァネッサを控えたフローラは、腰の刀に手を置きながら言い放つ。
「レティーシャ様がいなくなったそうです。恐らく、奴らが関わっているかと」
簡潔に纏められた情報にリオンは目を見開き――しかしその内容に触れる前に、
「……つかお前、どうやってここに?」
「え? 窓からですけど」
ひゅおお……と吹き込んでくる冷風。地上五メートルで吹く風は冷たかった。
「……、いやお前、ここ二階なんだが。というかその前に屋敷に張ってある魔術結界はどうした?」
「魔術師はいざとなれば高層ビルだって垂直に登ってみせる生き物ですよ。あと魔術結界は設定を弄って引っかからないようにしました。この程度なら楽勝ですね」
「簡単に言うけどそれって異常だからな⁉」
術式弄りが大得意なフローラにとっては、このようなちゃちなパズルは片手間程度の難易度である。きっとルービックキューブをしながらでも三十秒以内で解体からの発展させて再構築まで華麗にこなしてみせるだろう。
実はスプリンディア公爵邸の結界はフローラの父・宮廷魔術師団団長アイザック=エーデルワイスが張ったもので、娘には『この程度』呼ばわりされるものだが、王城やエーデルワイス家の魔術結界に次いで強固なものだ。なので弱いという事は決してない……のだが、やはりフローラの前ではお遊びレベルである。
しかし今はフローラの非常識さを語っている暇は無い。その事にリオンも気付き、一つ咳払いすると、真剣な表情を作った。
「それで……その話、マジか?」
「確認は取っていませんが、屋敷に来た執事さんの様子からしてレティーシャ様がいなくなったのは間違いないでしょう。レティーシャ様が内緒で外出中……というようには感じられませんでした。そして、このタイミングで失踪という事は――」
「ギルガメシュの使徒が怪しい、か。まぁ当然の判断だな」
公爵家の姫――その条件ならば、当然レティーシャも当て嵌まる。フローラはこうして無事で、リオンが取り乱していないのならクリステルにも問題はないのだろう。つまり奴らの狙いは未来の王妃様 だったようだ。
まぁ三人の公爵令嬢の中では最も政治的に価値のある人物なのだから、当然と言えば当然か。昨日のうちに警戒しておけば良かったと悔やまれる。
だが後悔先立たず。今後に繋げていこうと胸に刻み込むしかない。というか、今は反省するよりもやるべき事があるだろう。
フローラがこれからする事を理解し、リオンはすぐさま身支度を始める。彼は今の格好のままでも動き易いので着替えず黒の上着だけ羽織り、腰に長剣型の霊装〈復讐に狂う者〉を提げた。隠して収納していた魔術用具をいくつか服に仕込むと、準備万端とばかりに長剣を軽く鳴らしてフローラの横に並び立つ。
「まずは王城に行きましょう。メルウィン様に、昨日レティーシャ様を呼び出した後、どのくらいの時間に家に帰したかを訊きます」
「そうだな……っと、書き置きしておいた方が良いか?」
流石に無断でいなくなるのは不味いかと思い、素早く外出理由を捻りだして紙に記す。それを目立つところに配置して、今度こそ準備を完璧に終えた。
「じゃ、行こうか――」
と、言い切る前に、
「話は聞かせてもらいましたわ、お義兄様!」
バンッ! と勢い良く扉を開いて飛び込んでくる少女がいた。
またしてもその足を止める事になり、顔を引き攣らせるリオン。対してフローラは、乱入してきた人物に瞠目していた。
ぴょこぴょこ跳ねる可愛らしい金髪ツインテールに吊りがちの桃色の双眸。美少女ゲーム版において妹系攻略対象である少女、クリステル=スプリンディアであった。
何故か既に動きやすい服装に着替え終えていた彼女は、義兄であるリオンにぐぐいっ! とまるで圧迫するように近づいて、
「私も! 連れて行って下さいませっ!」
「……え? 駄目だけど」
なに言ってんだこいつ? とでも言いたげな調子でクリステルのお願いをバッサリ切り捨てるリオン。けれどクリステルはめげない。義兄が無理ならば義姉(予定)へと矛先を変え、説得――という名の脅迫――に乗り出した。
「お義姉様。私を連れて行かなければ、不法侵入で訴えますよ? うふふ、二階に壁を登って乗り込むのは令嬢としての素行問題、他家の魔術結界を不当に弄くるのは魔術師としての倫理問題。一ヶ月の謹慎は確実ですし……ご両親が過保護でしたら、じゃじゃ馬娘は今後一切の外出を禁止されかねませんわね☆」
「…………」
「それにそれに、年頃の乙女が婚約者とはいえ思春期の殿方の部屋に忍び込んだんです。これが噂として広まった日には……毒百合の姫とでも呼ばれてしまいますわよ?」
押しに弱く流されやすい義兄と違って、なかなか芯が強い娘のようだ。こちらの弱みを的確に突いてくる。
「黙っていてほしいのでしたら……分かりますわよね、お義姉様?」
確かにクリステルが黙っておかなければ、彼女が列挙した問題は確実に醜聞となるだろう。フローラの父・アイザックは過保護だから、放っておくと危険な事をしだすと分かったフローラを暫く家から出さないようにしてしまうだろうし、もしスプリンディア家側がこれを重く問題視した場合、賠償や婚約破棄もあり得る。少なくとも、魔術結界の件については問題になるはずだ。
脅迫してまで付いて行きたがる理由がいまいち推測できないが、しかしここまでされれば連れて行かないという選択肢は無い。フローラはリオンとアイコンタクトを取ると、重く溜息を吐いた。
「……分かりました。連れて行きましょう」
「ふふ! お義姉様、大好きですわっ!」
愛らしい笑顔で抱き着いてくるクリステルを受け止め、「余計な重石が増えていきます……」と遠い眼で呟くフローラであった。
クリステルは強い娘です。
次回も宜しくお願いします。
◆ 9月15日:クリステルの説得(脅迫)部分を修正。




