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白百合の姫は紅薔薇の庭で舞う  作者: 月代麻夜
第二章 憎悪の使徒と煉獄の茶会
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第十二話 王都に潜む影Ⅵ -夜ノ狸-



 最後の最後は自分が勝つと、信じて疑わない。その心意気はまぁ、問題といえば問題かも知れないが、自信がつくとか大胆な行動が躊躇なく取れるという意味では悪い事ではないだろう。

 けれど、それだけでこの社会で生き残る事ができるかと問われれば、自信を持って否だと答える。当然だ、そんな優しい世界で生きられるのは子供だけの特権なのだから。

 だから彼は、大胆かつ慎重に、そして誰よりも狡猾に、あらゆる手段で以て生き抜いた。

 家族を切り捨て、仲間をあざむき、政敵を罠に掛け、一般人を駆逐する。ソレが邪魔だと判断したならば、一瞬の躊躇もなく暗殺者を仕向けてきた。

 自らの手を汚したのも一度や二度ではない。ただし一度たりとも証拠は残さなかったが。

 そう。だから今回も、今までと変わらずに、政敵を排除するだけだ。その結果、罪の無い子供の命が失われるとしても、何も問題はない。

 全ては出世、己の地位を上げるため。更なる金と名誉を手にするため。

 尽きる事のない欲望を、満たすため。

「……そのために、今回ばかりは失敗できない」

 ――ただ一つ彼の欠点を挙げるならば、酷く身に余る野心を抱いている事だろうか。

 まるで毒を含んだ血液のような赤紫の液体をえんし、彼――モルドバーグ=ベルクリムは吐息を漏らす。

 平均よりややふくよかな肉体、それに見合った温和な目つき、低くも高くもない身長、柔らかな声色。その全てが、彼が意図的に整えた武器だ。幼い頃から研ぎ澄ましたそれらは有用で、大抵の人間に対し温和で無害そうな第一印象をいだかせられる。

 遺伝的部分もあっただろうが、自分が想定した姿にれたのはたゆまぬ努力と才能のお陰だ。それほどまでに、彼は幼き時から本気で野望を抱いているのである。

 と、飲み干したグラスへ、再び十年物のワインが注がれた。彼は視線を僅かに横へずらす。

「……レッジか」

 ある組織の頭目である青年。彼は自身のグラスにもワインを注ぎながら、にこにことした読めない表情を浮かべている。

「ふむ……良い香りですねぇ。流石は伯爵、非常に良いコレクションです」

「勝手に飲むな。というかそのグラス、どこから持ってきた」

「良いじゃないですか。大仕事の前なんです。ここはそう、寛容に振る舞って下さると我々としてもやる気が出ると言いますか。……と、このグラスは自前ですよ」

 伯爵の持つグラスよりも豪奢な装飾ので重そうなグラス、その中で波打つ美しい液体を舐めるように味わうレッジ。彼は「ほぅ……」と熱のこもった吐息を漏らし、口元を緩ませる。

 遠慮の欠片もないがなかなかワインの趣味は合いそうだったので、モルドバーグはそれ以上文句を零さず、自身のグラスの中身をあおった。

 彼らは仲間というより、相互利用の関係だ。ただ、協力している事に変わりはない。

 しかし裏切りの可能性はいつまでも排除できるものではない。ここでこうして同じワインを呷っているのは、大仕事の前に僅かな憂いを排除するためでもある。

 色合いは毒々しくも、透明感のあるお陰でまるで宝石を溶かし込んだかのように美麗な液体を高級グラスの中で傾けながら、互いに本性を見せないたぬきどもは上機嫌を装って会話に興じる。

「準備は万端か? 僅かな失敗でも命取りなんだ。おこたってもらっては困る」

「大丈夫ですよ、失敗が組織の壊滅に繋がる事は我々も良く分かっています。手抜かりなどありません。……伯爵こそ、『アレ』の準備は問題ないですか?」

 彼の言う『アレ』とは、伯爵の子飼いの魔術師が開発した魔術結界の事だろう。魔術は裏社会に深く関わる貴族としてある程度知ってはいるが自分でやってもろうそく一本灯せない、そんな伯爵でもこれは規格外に強力だと分かる特別な術式だ。今回の件において防衛及び攻撃の要となるものなので、当然万全に整えてある。

「ああ、問題ない。魔術師どもに完璧に整えるよう厳命してある」

「それはそれは、重畳です。『アレ』は私から見ても素晴らしい。……まるで、異界の魔術師からもたらされたかのような、見た事もない理論で構成された術式でしたからねぇ」

「ふん……私には分からないな。あいにくと、才能が無くて」

「あぁ、伯爵には魔道因子(アストラルファクター)が無いんでしたね。これは失礼」

 レッジは魔術師だ。それも、彼が頭目として活動する『組織』において、一番の実力を誇るほどの腕前を持っている。恐らくだが、ワイズレット王国宮廷魔術師団でも上位に食い込むほどの実力を誇るだろう。

 彼がどのようにしてそれほどまでの知識と能力を身に付けたかは少しばかり興味が湧くが、そう簡単に話して貰えないのは分かっているので訊きはしない。魔術師としても組織の頭目としても実力の詳細は隠しておきたいだろうし、なにより訊いてもろくなものではなさそうだ。彼が真っ当な人間ならば、その腕をかして今頃は宮廷魔術師団で上位役職を務めていたはずなので。

 そんな彼が知らない理論で構築されたのが、『アレ』である。

 現・宮廷魔術師団団長アイザック=エーデルワイスですら、その半分も理解できないであろう魔術式。もはやこの世界のものではないと思うのも仕方がない。事実、『異世界がる』という認識は魔術師の中ではあたりまえの事なので、そこから流れてきた魔術が存在してもおかしくはないのだ。

 だが伯爵子飼いの魔術師が異世界の知識を持っているかと言われれば、否。そのような並(はず)れた希少な人材は、流石の彼の手元にもいない。

 ならば考えられるのは、その子飼いの魔術師が誰かから『アレ』を譲り受けた、という事なのだが、未だ『アレ』を開発したと主張する子飼いの魔術師は誰との繋がりも明かさない。

「ま、万事の秘匿を美徳とする魔術師としては、そう簡単に口を開かないでしょう」

「何が秘匿か。今や学問として成立し、師を仰げば習得可能な程度の神秘であろう。それならば東方のまじないの方が秘匿されているではないか」

魔術師わたしとしては呪術も魔術も、名や宗派、系統の差異はあれど、どちらも同じ神秘のわざなんですけどねぇ」

 結局のところ、魔術だろうと呪術だろうと霊能だろうと、傲慢にも人間如き矮小な存在が偉大なる神秘の一端を振りかざしている事に変わりはないのだ。だから魔術師としては、呪術師と名乗ろうが陰陽師と名乗ろうがどれも広義では同じ神秘のぼうとく者なのである。

 まぁ、その辺が統括されるのは、まだまだ先の事だろう。未だ大陸規模の魔術師の組織が成立していない時代では、魔女も霊能力者も占星術師も妖術師も別々の存在として併存するのだ。

 レッジは魔術で生み出した氷塊をグラスの中で揺らしてころころと旋律を奏でながら、「それはそうと」と切り出す。

()()()()()()の様子はどうです? 勝手に味見したりしていませんか?」

「誰がするか。アレは確かに綺麗だが、私に幼女趣味はない」

 モルドバーグはもう長子が十五、六になるような歳だ。いくら貴族の結婚は早いといっても、流石にそれだけ子供が大きくなっているのだから、十二、三の子供に欲情する歳ではなくなっている。

 けれどレッジはにやにや笑いで首を振り、

「いやいや、貴族だと三十離れた結婚もあたりまえでしょう。初経は済んでいるんですし、ちょこっと頂いてみては?」

「……待て。お前何故、アレが初経を終えていると知っている?」

 返答しだいではドン引き……いや既に引き気味だが、引き攣った顔で問い掛けるモルドバーグ。しかしレッジは何の躊躇もなく答えてみせる。

「ふふ、あの公爵家には私の手駒がいるんですよ。運よく御付きの侍女になれたようで、情報がどんどん入ってきます」

「……まぁ()()()()()()()()()()()()()()()()とやかく言わないが、わざわざそんな情報覚えておかなくても良いだろうに……」

「いえ、重要ですよ。孕ませられるか否かを知っておけば、取れる選択肢が変わってくるんですから」

 ごく自然に悪辣非道な事を言ってのけるレッジ。しかしその考えにはモルドバーグも納得だったので、文句を言う事はない。

 からになったグラスに共犯者がワインを注ぎ、それを一気に呷る。ちびちび飲むのも美味いが、こちらもなかなかどうしてやめられない。喉を一息に滑り落ちる甘味と酸味と渋味、そして後に残るほのかな苦味がたまらないのだ。

「む……もう四本か」

「今日はたっぷり開けましたねぇ」

「まぁ、大仕事の前だからな。このくらいは良い」

 大分酔いが回ってきたようだ。気分が良くて、少しばかり口が軽い。

 これは、二人とも趣味が合っているからいけないのだ。止める人がいない。双方共に止まる気が無いから。

 これなら当分は良い関係が築けそうだ、と直感的に感じながら、モルドバーグはグラスを傾ける。

 レッジも似たような事を感じつつ、けれども表情には出さないで、話を続けた。

「明日が勝負、ですか。……さて、標的ターゲットは釣れるでしょうか」

「釣れるさ。あのは分かり易い」

 思い浮かべるのは、先日のパーティーで出会った少年少女。将来有望なものがあるとは思い難いどこかぽわぽわとした雰囲気の少年と、有能な才女である事が窺えた気高き少女のペアは、互いが想いを寄せ合っていると周知の事実である。実際に話してみての印象もその通りだったので、エサを用意すれば確実に食い付くとモルドバーグは踏んでいた。

「いずれ国を動かす存在になるとしても、今はまだただの無力な子供。……扱い易い、ただの人形だ」

「何を言うのやら。どうせ、大人になっても傀儡にんぎょうでしょうに」

「ふ……それまで生きていれば、な」

 にやりと口元を嫌らしく歪めて、不遜な野心家達は笑い合う。

 ――彼らはあなどっていた。

 いや、長年(けん)(ぼう)(じゅつ)(すう)入り乱れる政界で立場を上げてきた為政者からちっぽけな子供に対しての評価としては正しかったのかも知れない。

 けれど彼らは、知らなかった。

 創作の世界において、一国を滅ぼす可能性すらあった集団の狡猾さを。

 転生者という、予測できないイレギュラーの存在を。

 そして何より――()()()()()()が、いかに残虐で非道な存在かを。


 ――モルドバーグ=ベルクリムは、誰よりも冷静な男だった。

 冷徹で、冷淡で、冷酷で、目的のためならば我が子すら笑顔で斬る、野心溢れる為政者だった。

 そしてその狡猾さで以て、いずれ国の半分を裏から操るほどの権力を持つ男になるはずだった。

 ――はず、だった。



 次回も宜しくお願いします。

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