第三話 絶望的カミングアウト
動けなかった。
前世の体とあまりに違うスペックの体では上手く扱えず、体力配分も分からず動かしていたから、肉体が悲鳴を上げていたのだ。
というより、二度も躱せていた事の方が驚くべきなのだろう。脳から伝わった情報を汲み取って体が動き出すまでのラグを短くする為の訓練を行っていないフローラの肉体は反応速度が鈍く、砲弾の如き速度で迫る剣を回避する運動能力を持っていないのである。
だからせめて、急所だけは外したかった。
結果的に首を落とされたり心臓を真っ二つにされたりはしなかったが――しかし、結局腹に一文字の斬り込みを入れられてしまった。
両断されるまでには至らなかったが、消し切れない衝撃でフローラの矮躯は簡単に吹き飛ばされ、紅薔薇アートの中に放り込まれてしまった。恐らく今のフローラの姿を第三者が見れば、肉片の紅薔薇もフローラも、さほど変わらない赤色の絵画だと思われる事だろう。
「あ、が……ぁ、う」
喘ぐように動いた口から零れたのは、掠れた声と血塊。これが自分の体内から出たのかと思うと、ゾッとする量だ。
赤く染まった視界。滲む双眸は役に立たず、世界をきちんと脳へ伝えてくれない。
体を支配するのは鮮烈な痛み。神経が焼き切れるのではないかと思うほど明確な痛みが全身を蹂躙し、意識を手放して楽になるのを許さず地獄へと無理やり向き合わされる。
――痛い。痛いイタイ痛いッ。
曝け出された傷口から命の源が零れ落ちるごとに、痺れる脳に喪失感を感じた。
焼けるような刺激が全身の痛覚を舐め回し、狂いそうな耳鳴りが脳を犯して、涙で滲んだ視界は火花が散るように明滅する。
「――、――――」
フードマントの男が何かを言っているようだが、酷い耳鳴りを起こすフローラの聴覚は役割を果たさず、言葉を捉える事は出来なかった。
段々と視界も可笑しくなってくる。
先ほどまでは明滅し涙で滲んでいただけで何とか人の動きを捉える事が出来ていたが、今はもうそれすら分からなくなってしまっている。ぼやけ、掠れていく視界は、弾かれたように散る火花によって支配され、現実と幻想の狭間があやふやになってしまうのだ。
終わる。消える。死ぬ――。
そこが、人生の打ち止め。
細い糸で何とか保っているような意識では、もう、一分も保たないだろう。ドバドバと大量に血が流れ出る深い傷を負ったまま放置されてしまえば、フローラは確実に死を迎えてしまう。
嫌だった。死ぬのは――殺されるのは、もうこりごりだった。
それに、ここでフローラが死んでしまえば、リオンは心に傷を負ってしまうという。
(まだ、顔合わせもしていないんですけどね……)
フローラとリオンはまだ出会った事が無い筈。だから、リオンが心に傷を負うほど悲しむ必要は無い筈なのだ。
(それでも、自分の婚約者になる予定だった人が死んでしまって、悲しんでくれたんですね。……リオン様は、優しい方です)
この世界ではまだ出会っていない少年。前世では愛してやまなかったキャラクター。
(願わくば、最期くらいその声が聞きたかったかな、なんて――)
そんな事を、思ったけれど。
無情にも、意識は落ちていく。
「――! ――、――、――!!」
誰かが、叫んだ気がした。
誰かが、名を呼んでくれた気がした。
誰かが、最期を見届けてくれた気がして――そこで。
少女の意識は、闇に飲まれてしまった。
◆ ◆ ◆
「フローラ! くそっ、死ぬな、フローラ!!」
◆ ◆ ◆
「――――」
知らない天井だ。
転生に気付いた時に言いたい言葉だったが、仕方がない。もう一度転生している可能性も無い訳ではないが――。
「……フローラ=エーデルワイス、ですね」
ベッドに横たわったまま、部屋に立てかけられていた鏡に映った自身を見て、確信する。まぁ、分かっていた事だが。
「でも……」
ここで寝ているという事は。
「夢……?」
そう思ったが、体を起き上がらせようとした時に腹部に走った痛みから、夢幻などではないと悟る。
起き上がるのを諦め、顔と目だけ動かして周囲の様子を探る事にする。
置かれている家具一つとっても高級品。フローラの実家、エーデルワイス公爵家の屋敷にある機器とも遜色がない事から、この部屋の持ち主は公爵家と同等かそれ以上の財力を有しているという事だろう。
「ベッド、鏡、クローゼット……窓は一つ、ドアも一つ。ここは、寝室……でしょうか?」
「正解だ」
「ッ!?」
いきなり耳に届いた声に、驚き飛び上が――ろうとして、痛みに悶絶するフローラ。
「ちょ、馬鹿、まだ寝てろって! その傷じゃぁ、一週間は安静にしてないと!」
怒鳴り気味に注意され、フローラは声の主によって乱れたシーツを直される。
と、そこで、やっと声の主の姿が目に映った。
夜闇を溶かし込んだサラサラの黒髪に、深く吸い込まれるような蒼穹の瞳を持つ少年。目つきは鋭く、幼さを残しながらも強い意志を秘めた双眸だった。外見年齢は恐らく十歳前後。大人びているが、フローラとさほど変わらないように思える。
(あれ……この子、どこかで……?)
見覚えがあるような気がして、フローラはじっと少年を見つめたまま、膨大な今世と前世の合わさった記憶の海から探った。
黒髪、青い瞳、鋭い目つき、十歳前後の年齢――。
「……もしかして、リオン=スプリンディア、様?」
「あれ、良く分かったな」
驚くほどに冷静な声で返され――しかし、一瞬止まっていた思考が戻ると、フローラはその可憐な顔を引き攣らせて、
「え、えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええええええええ――っ!?」
公爵令嬢らしからぬ絶叫を上げたのだった。
◆ ◆ ◆
「……落ち着いたか?」
若干呆れた顔で手渡されたティーカップに目を落とし、俯きながらフローラは小さく頷く。
恥ずかしい。まさか愛しのリオン様に会えるとは思っていなかったが、そんな彼の前で痴態を晒してしまった事がとんでもなく恥ずかしかった。
顔から火が出るとはこの事か、と感じるほどに顔を赤くするフローラの隣に、自分の分のティーカップを手にして腰かけるリオン。
二人は今、フローラが寝ていたベッドに並んで座っていた。
フローラはまだ腹部の傷が痛みを発していたが、座れないほどではない。単純なフローラの自然治癒力の高さではなく、傷の上に貼られた湿布のような布と、少し不格好に巻かれた包帯のお陰だろう。簡易だが、【治癒】の魔術が施されている魔術薬品のようだ。
というか、記憶にある最後の光景からして、自然治癒力で助かるような傷ではなかった。現代日本の集中治療技術であれば何とか治せたかも知れないが、地球で言う中世ヨーロッパ程度の医療技術しかないこの世界において、こうして座って会話出来るほどに回復するのは難しいだろう。傷を受けてからそれほど日数の経過していない――と、思われる――この状況ではなおさら不可能に近い。
だが、魔術を使えば話は別だ。
全員が全員魔術が使える訳ではなく、魔道因子と呼ばれる特殊な因子を体内に――魂に存在するのではないかと主張する魔術師もいるが――持ち、なおかつ魔術について学ばなければ扱えない。識字率も就学率も低いこの世界では、魔道因子を持つ事を前提に、エーデルワイス家のような魔術師の家系か、魔術師の知り合いがいる貴族か、運よく魔術師に拾われて教えを乞う事が出来た者くらいしか魔術師にはなれないだろう。
しかしその狭き門を超えた先にある力は、これまでの常識を軽く凌駕する威力を持っている。
決して万能ではないし、それぞれの人間ごとに適性――特性――が有るので一概には言えないが、条件さえ揃えば長期間の入院を要する傷をたった数日で癒やしたり、枯れた荒野に雨を呼んだり、広範囲に渡って薙ぎ払うように業火を生み出したりと、人知を超えた超常の現象を引き起こす事が出来るのだ。
神秘の探求者、戦略兵器、根暗研究馬鹿など色々な渾名で呼ばれるが、神の創った理法を読み取り干渉する術を持つ彼らは、人間の文化の発展に大いに貢献した――と、この世界では言われている。
恐らくその力が使われたから、フローラは死ななかったのだろう。
だが、それは誰が使ったのか。
答えはすぐ隣にある。
「……あの」
「ん?」
「リオン様、ですよね?」
この言葉は、人物を確かめる為の言葉ではない。
それが分かっていてもなお、リオンはとぼけるように言う。
「どこからどう見ても俺はリオン=スプリンディアだが? それとも何か、お前には俺が別の誰かに見えるのか?」
「いえ、その事を聞いた訳ではないんですけど……」
というより待ってほしい、とフローラは心中でツッコむ。
そもそも、フローラとリオンはまだ顔合わせをしていない筈。どこからどう見ても「誰?」と返すのが一般的ではなかろうか。
まぁ、フローラは既にリオンの名を呼んでしまったので、今更どうにも出来ない。ここはどこかで見かけた、とかにしよう。言い訳としては少し苦しいが、仕方がない。
そう心の中で対策を決めると、フローラは今度はきちんと主語述語を整えた言葉で訊く。
「えっと、わたしのお腹の傷を治してくださったのは、リオン様ですよね?」
果たして、フローラの問いに、リオンは一度紅茶に口をつけてから頷いた。
「ああ。あのまま庭に放っておいたら確実に死んでいたからな。丁度良く湿布と包帯もあったし」
ただの湿布と包帯で治るような傷でない事は分かり切っているが、あえてそこは言わないらしい。
だが彼が治療を行ったのは間違いないだろう。フローラは一度佇まいを直すと、深く頭を下げた。
「この度は、わたしの命を救って頂き、有難う御座いました」
「ん。いや、良い。顔を上げてくれ。……俺が悪いんだし」
表情を暗くして呟かれた最後の一言は小さく、フローラの耳には届かない。
感謝の念で一杯なフローラは許しを貰っても数秒間は頭を下げたままの状態で礼を述べ、それから顔を上げて薄く微笑んだ。
この少年がいなければ、フローラは死んでいた。感謝してもしきれない事だ。
自分の婚約者となる筈の人なのだから、この御恩を忘れず、隣に立って支えていけるようになろう――と、正確にはまだ婚約者と決まった訳でもないのに決意する。フローラがそんな事を考えているなど全く気付いていないリオンは、フローラの天使の微笑みに思わず顔を赤くしているようだ。
と、変な妄想が突き進んでいたところで、ふとフローラが思い出したように口を開いた。
「あっ! そういえば、リオン様。わたしが死にかけていた時、近くに人がいませんでしたか!? 黒いフード付きのマントを着ていた、見るからに怪しい男の人なんですけど……」
フローラを殺そうとした張本人。何故きちんと止めを刺さなかったのかは分からないが、リオンが庭でフローラを見つけた時にもしかしたら彼も遭遇していたかも知れない。今こうして見る限りリオンに傷は無いので無事なのは理解しているが、どうしても不安だった。
フローラの必死な形相に引き気味に体をやや仰け反らせるリオン。少年は苦笑しつつ、
「奴なら逃げたぞ」
「え!? リオン様、遭遇したって事ですか!? だ、大丈夫ですか!?」
フードマントの男は魔術師だった。魔術の使えない一般人が遭遇したら、魔術師殺しの訓練を受けているような特殊な生い立ちでもない限り、抵抗するのは厳しい。
リオンは――ゲーム設定では、だが――魔術を使える人間では無い。というか、攻略対象が魔術を使用する描写は、『切り札』の発動を除いてなかった筈だ。絶対に使えないと表記されたキャラクターは数人だったので、もしかしたら使える者もいたのかも知れないが。
フローラの治療は元々魔術が付与されていた物を使ったのだろうが、本物の魔術師との戦闘で使える魔術道具――通称、霊装と呼ばれる――など流石に持っていないだろう。となれば、彼はどうやって生き残ったのだろうか――。
それらの疑問を、ゲームの事を隠してぶつけたフローラだったが、対してリオンはにこりと笑って、
「大丈夫だよ。俺、魔術師だし」
――どうやら、ゲームの世界であっても、まるっきりゲームと同じ設定ではないらしい。
これはゲームの知識に頼りすぎてはいけないかも知れない、と考えたところで、リオンが「ああそういえば」と思い出したように呟き、フローラに質問という名の爆弾を投げつけてきた。
「――お前、転生者だろ」
「――……え?」
思わず零れた声。
フローラの動揺を隠しきれなくなった表情を目にして、リオンはにやりと笑った。
「ああ、安心しろ。――俺も同じ、転生者だから」
まるで安心出来ない告白。
何故なら、それはつまり――花園月葉が愛したゲームのリオン=スプリンディアは、存在しないという事になるのだから。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええええええええええええええええ――ッ!?」
嘆きの籠った少女の叫びが、空しく寝室に木霊した。
『没ネタ』
フローラがにこりと微笑み、リオンの顔が赤くなったシーンで。
リオン:「俺はロリコンじゃない俺はロリコンじゃない俺はロリコンじゃ……あれ? でもこいつ多分転生者だし、精神年齢的には問題無い? いや……ううーむ。でも可愛い……」
というシーンは、カミングアウトが最後だったので入れられませんでした。残念。
『補足:魔術について』
月葉の世界では科学が発展していた為、魔術は徐々にフェードアウト。それでも幾つか組織は残っていますが、表舞台を堂々と歩き、神秘を見せびらかす事はありません。
隠れて魔術や神理を研究し、たまに仲の良い魔術師同士で地下のバーに集まって語り合い、夜闇に紛れて魔術道具(霊装)や魔道書を奪い合い殺し合う……といった感じです。
ゲームでは、魔術について詳しい事は説明されていません。その為、フローラは最初、この世界の魔術が月葉の世界のモノと同じなのかどうか分かりませんでした。が、結局フードマントの男が使った魔術を見て同じだと気づいています。
しかしゲームを作る際に詳しい設定をシナリオライターは書いている筈。その通りの世界になっているのなら、どちらの世界でも魔術が同じになったのは、シナリオライターが魔術を知っていたからではないだろうか…………という話は、またいずれ。
次回も宜しくお願いします。