第八話 王都に潜む影Ⅱ
「……リオン様。どうしてここに?」
彼だと予想していても、いきなり声を掛けられたので思わず刀を抜きかけてしまう。夜闇色の刀身が妖しく輝くソレをとりあえず収め直しながら、フローラが問い掛けた。
するとリオンは、腰に提げた長剣の柄に手を置きながら、いつもの口調で答えてくる。
「モルドバーグを探ってたら、ここに来た。……そういうお前は?」
「グラハム=ラルディオからです」
「なるほど」
どうやらどちらも怪しいと思った人物を辿っているうちに、同じ場所へ辿り着いたという事らしい。
そしてその事実は――グラハムもモルドバーグも、ギルガメシュの使徒と繋がっているという事の証明。
「……この国も、随分と浸食されているようだな」
二人の貴族が反逆者集団と繋がっていると気づいたリオンが、嘆くように溜息を吐いた。まぁ、二年後――ゲームが開始してから起こる事件を考えれば現状の浸食度はある意味当然ではあるが、王国貴族の一員としては気持ちの悪い事である。
けれどフローラは、「どうでしょう」と小さく呟く。
「(数々の叙事詩に記されているギルガメシュは確かに暴君ですが、このゲームが題材にしたギルガメシュとイシュタルの関係を見た場合……侵略者は、イシュタルの方なんですよね)」
ゲームで、あくまで名前だけを取り入れているのならば、別に深い関係性まで忠実に合わせているとは限らない。けれど、神話や伝承との関連性や類似性を常に考えながら術式を組む魔術師としては、気になるところであった。
「(……まぁ、今気にする事ではありませんね)」
「どうした?」
「いえ、なんでも。――それよりリオン様」
小声で聞き取れなかったリオンが何事かと訊ねてくるが、フローラは誤魔化して話を逸らす。自分で明確な答えが出ない限り――または一人で考えて行き詰まるまでは、リオンに相談する事ではない。
そんな事より、他に気にすべき事がある。
「先ほど、この廊下を魔術師が通り過ぎませんでしたか? 多分、金髪だと思うんですけど……」
「金髪の魔術師? いや、見ていないが……」
――そんなはずはない。確かにリオンはあの金髪の魔術師が走っていった方とは反対側から来たが、この廊下は長らく直線。すれ違っていなくとも目にしたはずだ。
見落とした? 魔術師として――いや騎士としても責められるべき失態だが、有り得ない話ではない。
しかしその場合、リオンがただ不注意だった訳ではなく、金髪の魔術師の――或いは憑いている高位霊格存在の――魔術の腕が上手だったのだろう。フローラも近くを通り過ぎなければ気付かないほどの隠形だったのだから、魔術の腕がフローラに及ばないリオンでは数秒間凝視せねば気付けまい。
そう理解し、フローラは再び行動選択を迫られる。
追うか、それとも――。
「なぁフローラ。あいつら、どうする?」
と、フローラが答えを出す前に、リオンが問い掛けてきた。
あいつらとは、ギルガメシュの使徒達の事だろう。ソレを、殺すか放置するかの二択。
フローラは金髪の魔術師について考えていた頭を切り替え、それから数秒間の思考で出した答えを返す。
「とりあえず潰して、情報でも武器でも奪いますか」
「殲滅アンド略奪、ね。……貴族令嬢が口にして良い言葉じゃないなぁ」
「魔術師では日常茶飯事でしょう。さ、殺りましょうか」
さらりと、何でもないかのように言い放ち、フローラは刀の柄に手を置く。
抜きはしない。フローラは魔術での中遠距離戦闘が基本的なスタイルなので、一人で戦闘する時でもなければ刀は使わず後方支援に努める。……まぁ一人で戦う場合もよほど接近されなければ使わないし、何より魔術の殲滅力が強すぎるので刀を使う状況が起こり得ないのだが。
なのでこの動作は、ただのルーティン。脳を切り替える、一種のおまじないのようなもの。
こつん、と柄を指で鳴らして、隣に立つリオン――いや、魔術師に問う。
「準備は良いですか?」
「あぁ。……二、三人は残しておくか?」
「はい。リーダーらしき人物は必ず」
尋問用に生かしておく人数を決め、二人はリビングの扉の前に立つ。
中は、フローラが聞いていないうちに盛り上がり、騒いでいるようだ。ここはスラム街なので、碌でもない連中が碌でもない会話でどれだけ五月蠅くしようと誰も気にしない。だから――多少悲鳴が漏れたところで、何も問題はない。
シャラン、とリオンが腰から長剣を抜く。実用性がありながらも身分相応な装飾が乗った煌びやかな騎士剣とは違い、実用性と魔術的能力のみを重視したもの――綿密な魔術処理が施された霊装を右手に、リオンは扉に左手を添える。
「行くぞ」
そして。
リオンの【破壊】の魔術が発動し、内部にダイナマイトでも仕組んだかのように木製扉が前方へ吹き飛ぶ。
その直後に――いや、いっそコンマ数秒以下のズレもなく、ほぼ同時に彼女は術を紡いだ。
「全ては凍っている」
瞬間、強引に開いた――というより空けた――入り口から滑り込むように氷が浸食していく。
「っぶな! おまっ、やるなら先に言えよ⁉」
「開けた瞬間に散弾ばら撒くのと同じですよ。或いは手榴弾投げ込むやつ。殲滅戦のお決まりのパターンです」
「それ先頭の人がやるやつだよな⁉」
猛抗議しているが無視し、フローラはリオンの背中を押して部屋に入る。今の魔術で片付いていれば楽なのだが――。
「ま、そんな訳ありませんよね」
バリンッ! と硝子が砕けるような音がして、床や壁を凍結させながら浸食していた氷結晶があっけなく散った。冷気を振り撒く存在が無数に床に転がり、足下の空気を冷やしていく。けれど先ほどまでのようにクリスタルの如き氷を作る事はない。
自立式の防御結界の効力だろう。外部から部屋内への攻撃――今回で言えば、吹き飛んだ扉とフローラの氷結魔術――を中に居る連中に当たる前に防ぎ、術を破ったようだ。馬鹿話で盛り上がったりあっさり追手に隠れ家を突き止められたりしても、腐ってもゲームのラスボスが所属する反逆組織。魔術への対策は為されていたようである。
が、むしろしていて当たり前なのだから、なんら驚く事もなくフローラは部屋の中心に躍り出る。リオンも突然の攻撃に驚いていたようだがすぐに状況を理解して、部屋の中に飛び込むとフローラと背中合わせに剣を握った。
「な、なんだお前ら⁉」
「ちっ、どこの魔術師だ! ……って、子供?」
中身はともかく、見かけ上の年齢は十三、四程度。リオンは同年代に比べて大きめなので十五、六に見られたとしても、結局のところ子供である事に変わりはない。
しかし、それで油断する阿呆は生きていけない。
「【舞い踊る氷刃の小夜曲】――五本精製」
生成した五種の氷製武器がフローラの周囲をゆっくりと回り、やがて術者の合図によって矢の如く放たれる。いや、むしろその速度と威力は銃弾か。空気を裂いて飛ぶ亜音速の氷剣は使徒の腹に風穴を開け、氷槍は別な使徒の頭を抉り取り、氷槌はまた別な使徒の胸を砕いて後方の壁ごと破壊、氷斧は豪快に腹部を引き千切るようにして両断し、氷鎌は猛烈な回転力を利用して首を刈り取った。
「な――」
大した事のできない子供だと思っていた存在の手で一気に五人も殺され、慌てるギルガメシュの使徒達。けれど、悲鳴か仲間への注意喚起か、何事か喋ろうとした奴の頭を、リオンの長剣が斬り飛ばした。
鮮血が吹き出す中に、一射。氷剣は真っ赤な液状カーテンの奥に居た使徒の喉を刺し穿つ。血華咲き誇る中で精密に氷製武器を撃ち込む銀髪の少女は、しかし愉悦も興奮もなく、むしろ呆れたような表情を浮かべた。
「防御結界は良くても、それが壊れた後の対策がまるでなってませんね」
「いや……初っ端から破壊されるなんて想定してないんだろ」
「うわぁなんとも救い難い。どうしようもないですね」
「辛辣だ……超辛口だ……っ!」
リオンは鬼畜だとでも言いたげだが、フローラは何も難しい事は言っていない。一つ結界を破壊されても二つ目を用意しておけば良い話だし、敵が攻めて来たと理解したのだから剣でも槍でも振るえば良いのだ。脊髄反射でできる行動のはず。――それをコンマ五秒以下でやれ、という無茶な――ただしフローラ的には無茶ではない――注釈が付くが。
無意識に敵への要求レベルが高くなっているが、それはいつもの事。適当に批評しながら魔術を撃ち込み、次々と死体を生み出していく。
「……っと。こいつは生かしておきましょうか」
他と比べてやや高級そうな服装や装飾――といっても、公爵令嬢のフローラから見れば安物同然だが――を身に付けた使徒には刃を撃ち込むのではなく、四肢を凍結させて動きを強制的に止める。
「クソがぁッ!」
「おいアレ使え!」
「やってる! ほら……行くぞ‼」
切り札でも切る気なのか、そんな事を叫びながら一人の使徒が杖を掲げた。
太陽を模した飾りを先端に取り付けた、赤色の錫杖。緻密に刻まれた魔式文字や魔法陣に気付かなければ儀礼用のお飾り杖だとでも思ってしまうほど豪奢で煌びやかなソレは、しかしその先端部中央に収まる大振りの紅玉に、膨大な魔力が集まっていた。
「焼き尽くせぇぇぇえええええ――ッ!」
悲鳴に似た絶叫を合図に、杖に仕込まれた魔術が起動。太陽の如き火炎球がうねりを打ちながら生まれ、稲妻を纏い雷鳴を轟かせてフローラ達へ迫り来る。
(太陽が象徴する元素は『火』……まぁ見た目が完全に炎だからまる分かりですけど――)
となれば、相性を考えて『水』をぶつけるべきだが――しかしフローラが魔術式を紡ぐより先に、リオンが一歩踏み込んだ。長剣を前方へ掲げるように構え、決まり文句を口にする。
「力を喰らえ、〈復讐に狂う者〉」
長剣型霊装に刻まれていた魔術が起動し、刀身が鈍い血色に発光する。禍々しい色彩を放つその刃は何かを待ち望むように脈動しており、直視すると精神が削られるような感覚を覚えた。
(魔剣、ですか。刻まれた魔術式は恐らく、フロースガール王の廷臣ウンフェルスがベオウルフに貸与した名剣フルンティングの逸話を組み込んだもの……【復讐の刃】か【血華進盛】か、そこら辺のものでしょう。……なんか、あんまりリオン様には似合いませんね)
心中で失礼な感想を懐くフローラ。ゲームのリオンならいざ知らず、今のリオンに復讐は似合わないように思ったのである。
しかし似合う似合わないの話は関係なく、リオンはその能力をしっかり使いこなせているようだ。
「――はぁッ‼」
赤刃一閃。圧倒的熱量と異常な質量を誇る小太陽を、一刀のもとに斬り伏せる。
本来であればその程度で霧散するものではない。多少空気が入り込む隙間ができたところで、それは火吹竹で竈に息を吹き込むようなもの。むしろ炎の勢いは強まるだろう。
けれど、魔術が掛かっていれば話は別だ。
燃え盛る火炎は、まるで吸い寄せられるように触れた刀身へと集まっていく。うねり、刀身が炎の竜巻を纏っているかの如く渦を巻き――やがて、火炎は刀身へと吸収されるようにして消えていった。
いや、ように、ではない。文字通り吸収されたのだ。
そして。
「解放」
一言。
あまりに短い一単語を合図に、圧倒的な破壊が起こった。
ドッガッッッ‼ と。
先ほど火炎球を放った杖を持つ人間を、背後の壁ごと薙ぎ払った。
「…………、やり過ぎじゃないですかね」
思わず半眼で呟いてしまうほど、圧倒的な光景。何というかコレは、オーバーキルどころか災害レベルではなかろうか。
壁、というかリオンの目の前にあった障害物全てにぽっかりと穴が開いた事で表通りまで見渡せるようになった家の状態に、作り出した張本人はだらだら冷や汗を流しながら、
「すまん……この剣、基本的に手加減できないから、吸収した力を一発に凝縮して全放出しちまうんだよ」
「ここぞという時には重宝しますけど、通常戦闘ではとことん使えない霊装ですねー……」
つまり瞬間火力は素晴らしいが、乱戦や室内戦闘では扱い辛い大砲みたいなものらしい。
何故そんなものを今室内で使ったのか分からず首を傾げるフローラに、リオンは唇を尖らせながら、
「だって、あのままだと全部お前がやっちまっただろう? それじゃ、ちょっと俺の立つ瀬がないというか……」
そんな事を言ってばつが悪そうに顔を背けるリオンは、失礼かもしれないが少しだけ可愛らしく思えた。
またまた長くなりそうだったので途中でカット。
次回も宜しくお願いします。




