第七話 王都に潜む影Ⅰ
遅くなり、申し訳ございません。
誕生日パーティーの翌日、フローラはラルディオ子爵邸の近くに来ていた。
別に従者を引き連れて馬車に乗り、大々的に訪れている訳ではない。家を無断で抜け出して、内密に潜入しようとしている。……完全に犯罪である。
自室に魔術を用いて偽装を施してあるので、バレる心配はない。良く使う手なので効果的なのも分かっているし、服装も街娘の格好にしているので街中で見つかる事もないだろう。
(しかし……基がゲームの世界だから、でしょうか?)
適当に選んだ白のブラウスに、暗い色彩のカーディガン。どこぞのギャルゲーライターが描きそうな、ちょっと激しい動作をしたら下着が見えてしまいそうな膝上二十センチ超の白黒チェックミニスカートに、膝上まである黒のソックス、焦げ茶のブーツを履いたフローラは、若干の羞恥と製作者への嫌悪感を懐いていた。
(これのどこが街娘の格好なんですかね……。なんですかこの丈の短すぎるスカート。というかカーディガンって中世には無いですし、そもそも女性用ブラウスの出現って二十世紀じゃありませんでしたっけ?)
時代観を無視した服が一般服装として普及しているこの世界は、やはりどこか歪だ。……まぁ日本産の乙女ゲーム・美少女ゲームに類似した世界なのだから、乙女ゲーム・美少女ゲームの必須である『格好良くor可愛く見せる』ための服や装飾があっても当然なのだろうが、しかし歴史的にはおかしいと思わざるを得ない。
まぁ地球とは違う歴史を歩んできたと思って無理矢理納得するしかないだろう。事実、服装自体はあるのだし、それが一般常識として浸透しているのだから。
因みにドレスは長いものが殆どだ。そこら辺は貴族的感性、『若い乙女は無闇に肌を晒すべきではない』が残っているようである。
ともあれ、今は動き易さと人ごみに紛れた時の違和感の無さを重視すべきなので、これで問題ない。スカートが捲れ難い動作は箱庭時代に習得している――というか女性魔術師に叩き込まれた――ので、羞恥と戦う必要もさほどないだろう。
「――さて」
フローラは護身用として携帯する刀の柄を意識の切り替えのために軽く撫でるように触れると、目を閉じ、深く息を吐いて何かを振り払うように頭を振る。次に目を開いた時には、纏う雰囲気を街娘のソレから魔術師の鋭く陰のあるソレへと変えていた。
「入るとしますか」
通常、貴族の屋敷にはお抱えの魔術師または依頼した宮廷魔術師の手によって、結界などの魔術的防犯処置が施されている。設置した人間以外には決して弄れない仕様になっているので、結界の設定で許された人間か、または正門から堂々と行かない限り屋敷に入る事はできないというものだ。
しかし勿論穴はあるし、そもそも結界を張った魔術師よりも技術が数段上であれば、結界に干渉せずともバレずに侵入できたり結界を捻じ曲げて効力を無くしたりできるのだ。
どこの魔術師がラルディオ家の屋敷に結界を張ったのかは知らないが、次期宮廷魔術師団団長であるフローラの兄・ダリウスのような脳筋魔術師でも解除できるような稚拙なものだ、少なくとも術式弄りが得意なフローラの敵ではない。
本来他人の干渉など受け付けないものを悠々と弄り回し、少しの間自分が結界に引っかからないように設定を変更する。
「――――」
と。庭に忍び込む直前、フローラはある感覚を味わい、足を止めた。直感を信じて視線を動かす。
使用人の出入りや表で対応できない客の対応に使われる裏門、その場所で――緑髪翠眼の少年と鼠色のフードを被った三人の男が正対していた。グラハムと、恐らくギルガメシュの使徒であろう。――それ以外の連中の可能性もあり得るが、どちらにせよ付き合いが公になるのは不味い輩なのは明らかだ。
(――、いきなり現場に遭遇……ですか)
運が良いのか、それとも仕組まれているのか。思わず疑ってしまうほどタイミングが良すぎる。
けれどその正体を確かめない訳にはいかない。フローラは裏口の様子が窺える範囲で手頃な隠れ場所を見つけると、そこからちょっとした技法を用いて視力を強化し、彼らの動向を探る事にする。
箱庭で培った通称『鷹の目』と呼ばれる技法で、通常の二、三倍程度視認可能距離を広げるというものだ。特殊な眼球運動や虹彩への異常干渉を利用するので多用すると眼球周りの血管が破損する可能性があるけれど、短時間の使用では負担が少ない事に加えやり方を覚えれば簡単かつ便利なので箱庭出身者の必須であり愛用の技能である。
といっても、視認距離は長くなれど横幅は狭まるので、使い所は注意が必要だ。それに、障害物に遮られれば見えない事に変わりないので、せいぜい双眼鏡を常備しなくて良い程度の恩恵であるが。
(顔は……良く見えませんね。でも、あの短剣の紋章は――)
鼠色のフードを被る男達、その一人が腰に付けていた短剣の柄には、黄金の剣と弓が交差し、それを見守るように太陽が上部分を飾るシンプルながら配色の関係で煌びやかな貴族の家紋にでも見える紋章が描かれていた。
ギルガメシュの使徒が統一して使う、現行世界への反逆者の証。ゲーム時代から見慣れたそれを目にし、フローラは小さく息を呑む。
「――では、決行日に」
「ああ」
半分以上唇の動きを読んで聞き取った言葉。短い確認と頷きだけをして、ギルガメシュの使徒達は屋敷から密かに出て行く。――どうやら警戒心は十分にあるようで、大事な話は中で終えていたようだ。
グラハムは屋敷の中へ消え、ギルガメシュの使徒達は街へ。フローラが追うのは、ギルガメシュの使徒の方だ。グラハムは、屋敷に居る今近づくには危険が多いので。
(さて……潜伏場所まで案内してくれると有り難いんですけど)
人目に付かないよう、路地裏を素早く移動するギルガメシュの使徒達。鼠色のフードを見失わないよう、そして気配を悟られないよう、隠密技術を駆使して追跡する。
――やがて、十五分の疾走の後に辿り着いたのは、王都の端の端――スラム街にあるボロボロの屋敷だった。
前の持ち主が去ってから掃除・修繕を全くしていないのか、埃やら木屑やらが降り積もった廊下と部屋。内部が腐っているのか足を動かすたびにギィギィと不吉な音を鳴らす木製床や亀裂が入り今にも崩れそうな石柱がなんとも危なげで、正直長時間潜んでいたいとは思えない場所だ。――だからこそ、彼らは潜伏場所に選んだのだろう。
とはいえ、彼らもフローラも一定以上の技術を持つ一般人という括りから外れた者達だ。踏むたび音が鳴る天然の警鐘床も、全く鳴らさず歩く程度可能である。暗殺技術の基本技能だ。
(……こうしていると、昔を思い出しますね)
前世――花園月葉だった頃、箱庭の仲間や〝聖星教会〟のチームメイトと共に、夜の街に潜む魔術師どもを狩っていた思い出。じんわりと浸食してくる忌まわしき過去に、フローラは無意識に両手を握り締めていた。
(――っ、と。……駄目ですね。きちんと集中しないと……)
現世では無用な記憶は振り払い、目の前の事象を見る。
――追っていたギルガメシュの使徒達は、フローラに気付かないままリビングの扉を開ける。そのまま突入する訳にもいかないのでフローラは隣の部屋に誰もいない事を確かめると、そちらに入り込んでリビング側の壁に耳を当て、盗み聞く体勢を整えた。
「――お、来たか。どうだ、お坊ちゃんは?」
「相変わらずですぜ。頭は良く回る。……ただ、根はまだ餓鬼ですが」
どうやらリビングにはギルガメシュの使徒達が集まっているようで、先ほど到着した三名を交えて会話を始めた。聞き耳を立てる人間がいる事に気づいていないようだ。感じられる気配から推測するにリビングには十人ほどの人間がいるようで、それぞれ好き勝手にグループを作って会話しているが、フローラはその中から重要な話をしている人間だけ声を拾う。
「にしても、ついにお姫様にまで手を出す時が来やしたか」
「お姫様って言っても公爵家の令嬢だがな」
「俺達にとっちゃどっちも同じようなもんですよ」
「ちげぇねーや」
お姫様……? 公爵家、という事は――セルディオン家のレティーシャか、スプリンディア家のクリステルか、エーデルワイス家のフローラか。その三人のうち誰かに、手を出そうとしている……という事なのだろうか。
フローラが思考する間にも、彼らの話は続く。
「レクイエスの準備はできているか?」
「ハイ、勿論。……でもリーダー、アレ、使うんすか? 誘拐にはあの人形は無駄でしょう」
「いるさ。不測の事態ってぇのはいつだって置きやがる。そのための戦力に、あれほど適したモンはねぇ。なにせ、〈安らぎを喰らう自鳴琴〉さえありゃ命令には絶対忠実なんだからな」
「はぁ……えと、霊装……でしたっけ、あのオルゴール? ホントにあんなモンで異形が操れるだなんて、魔術ってやつはすげーですねぇ」
「お前も適正あんだから習っとけよ。便利だぜ?」
「無理ですよ。俺ぁ頭良くねぇんです。あんな訳分かんねぇ術式の演算なんか五秒も保ちやせんよ」
レクイエス。聞いた事のない名だ。しかし話からすると、魔術道具――霊装で操れる異形らしい。となると、魔道生物の一種だろうか?
推測だけでは正解に辿り着けまい。むしろ迷走して、変な先入観を持ってしまう――それは良くない事だ。レクイエスの事を一度頭から除外し、再び会話へ意識を傾ける。
「――――」
と、その時。ふと、誰かの気配が近くを通り過ぎたのを感じた。
部屋の中ではない。ギルガメシュの使徒たちが集まっているリビングでもない。無人の廊下を、誰かが駆けた。
恐らくフローラ並みでなければ気付けなかったであろう、呪的魔術による隠形を施した高位魔術師。その後姿を捉えるため、フローラはそっと廊下に顔を出して――けれど、その時にはもう、影も形もない。ただ、金糸の如き髪が一本、落ちているだけであった。
(……どこかの家の子飼いの魔術師、でしょうか? 目的はわたしと同じで、使徒達を追っていたんでしょうね。随分と腕が良いみたいですが……いえ、違いますね)
ただの直感だが、フローラは先ほどの魔術師に施していた隠形の魔術は、本人のものだけではないだろうと感じていた。
何か、超越的な力を持つ高位霊格の存在――例えば精霊や、神など――の力を借りて施された、酷く複雑でどこか傲慢な術式。前世の仲間が好んで使っていたため特徴をよく知っているそれは、まるで圧倒的な力を無意識のうちに見せびらかしているようなやり方だ。
(もしその魔術師が、敵になるならば――)
警戒しなければならないだろう。最優先で、最大限に。
神や精霊といった霊格的に上位に位置する存在は、まず基本的な能力の次元が違う。ソレを殺すために編み出されたのが魔術でもあるのだが、それでも一対一での戦闘はフローラであってもキツイものがある。
(精霊なら四大精霊以外、天使なら主天使級までは何とか殺せますが……神はちょっと分が悪いですね)
さらりと、一般的な魔術師の域を出ないリオンが聞けば卒倒しそうな事を考えるフローラ。
魔術師の常識としては、精霊狩りは五人×八~十二グループ、天使討伐は十人×十グループ×五大隊、神殺しは熟練の魔術師千人超えが基本だ。もっとも、霊格や神格によって大きく上下するが、最低でもそのくらいの戦力を用意していなければまず不可能である。
それを、いくら四大精霊や上級天使を抜いているとはいえ、単独で「殺せる」と明言する彼女は、正しく化け物レベルだ。――いや、一応本人もある程度は自身の異常度を自覚しているが、箱庭という常識から外れた環境で育った弊害か、一般基準への要求レベルがやけに高いのである。なので、最下級の天使級程度は一人で殺せて当たり前とか考えている節がある。
ともあれ、どうするか。
不穏分子を追いかけるか、このままギルガメシュの使徒達の会話を盗み聞きして情報を集めるか。その、二択。
「――前者、ですかね」
「あれ、フローラか?」
と。唐突に掛けられた、聞き覚えのある声。反射的に発生した驚愕を何とか押し殺して振り向くと、そこには声から予想した通り、愛しの婚約者様の姿があった。
長くなりそうな予感がしたので途中でカット。
なので、次回は早めに更新できる……はずです。
『補足:高位霊格と一般的な魔術師の強さについて』
殺す? 馬鹿言ってんじゃねぇ。封印? よし最低でも五百人は集めろ。霊装もクソ高いやつ持ってこい! 全力で行かねぇと死ぬぞ‼ ――というのが、一般的な魔術師が高位霊格存在(天使や悪魔、精霊、神など)に対する態度です。
で、そんな感じに五百人集めて武装も良い感じに整えて臨んでも、平凡魔術師の集まりでは、よしんば封印に成功しても味方の半分以上は死にます。
それを考慮したうえでフローラが「これくらいは一人で殺せて当たり前ですねー」とか宣う天使の最下級ランクである天使級の討伐可能な戦力基準は、リオン四百~五百人です。つまりリオンは、魔術師としては平凡平均一般の域を出ません。(騎士としては、現状で中の上くらい。あと数年すれば魔術師としてはともかく騎士としては強い部類に入る……はず)
それも、前提条件として全員の武装を第三級指定魔道器物(使い方次第で一都市を堕とせる霊装の事)で整え、更に戦場にA級天殺結界(天使や神などの神聖属性を持つ相手の力を削ぐ魔術結界の事。A級は呪術や黒魔術系特化の魔術師が十人以上いないと無理)を張らなければなりません。
簡単に言えば、普通の魔術師には勝てない相手=高位霊格存在です。
つまり、それができるフローラは超異常。でも主天使級が一人で殺せてやっと一人前と謳っていた箱庭は、もっと異常。
次回も宜しくお願いします。




