第二話 少女たちの茶会
ちょっと長めです。
音を立てずに紅茶を啜るのも慣れてきましたねぇ、などとどうでも良い事をフローラ=エーデルワイスは現実逃避気味に考えていた。
(むむ、これはもしやラフリアーセ産でしょうか? 相変わらずお金かけてますね……まぁ、当然と言えば当然ですけど)
母譲りの美しい銀髪を微風に揺らしながら、成長するにつれて更に磨きがかかっている絶世の美貌を惜しげもなく披露するフローラは、現在とある王女が開いたお茶会に参加していた。
十三歳になり、手足も伸びて体にメリハリが出来たフローラは、今や白百合の姫と呼ばれるほどの美姫である――本人の自覚は薄いが。
更に魔術の才能は豊富。家柄も王族を除いて最高位の公爵家であり、現宮廷魔術師団長と次期宮廷魔術師団長の居る家系。そんな彼女とお近づきになりたい貴族は多い。
が、婚約者は既に居るので、コネを作る為には茶会という方法が一番手っ取り早い。そういった事情で毎日毎日大量の招待状が届く訳だが、フローラ本人にはまだ本格的にコネを作る気は無かった。
理由は簡単だ。コネなら、二年後より通い始める学園で作れば良いのだから。
だから今はまだ普通に友人を作ろうと思っていた訳だが――その結果、現状に至る。
これまた音を立てずにソーサーにカップを置き、フローラはちらりとさりげなく視線を巡らせた。
宮廷庭師たちが整えた庭に設置された椅子に腰かけてテーブルを囲むのは、四人の少女。一人は勿論フローラであるが、問題は残りの三人にあった。
その問題の一人――ふわふわとした蜂蜜色の髪を肩甲骨の辺りまで伸ばし、深い碧の眼を柔らかに細める少女が、口をつけていた紅茶を置いて口火を切った。
「さて、皆さん。明日のデビュタントは、大丈夫かしら?」
「大丈夫とは、何がでしょうか?」
質問に質問で返したのは、赤髪ポニーテールに銀瞳の少女。貴族令嬢でありながら服や花より剣を選んだ彼女は紅茶の味に疎いため、特に詳しくなくても味が分かる菓子類を口に放り込んでいる。
ヴァネッサ=ユースフォード。ユースフォード伯爵家の長女であり、騎士を志す変わり者だ。年齢はフローラの一つ上、十四歳である。
そして――最も重要な情報を上げるならば、彼女は美少女ゲーム版において、攻略ヒロインの一人であるという事。
「あら、あら。何って、デビュタントなのだから、緊張していないかを訊いたのよ」
口元に扇を当てて上品に笑いを零す少女。正しく女王様的動作だが、血筋的にはその通りなので何とも言い難い。
アイリーン=フィリア=ワイズレット。この国、ワイズレット王国の第一王女である。この茶会を開いた張本人だ。
そしてこれまた情報を付け足すならば、彼女も美少女ゲーム版の攻略ヒロインの一人だという事だろう。確か、美少女ゲーム版の主人公であるリオンの一つ上で、配役はお姉さん系だった気がする。つまり、フローラから見れば二つ年上だ。
王女様の言葉に、ヴァネッサは若干語気を強めつつ答える。
「む。私は大丈夫ですよ。他の子女と違って、一つ年上ですし。それに、戦場に比べれば舞踏会など緊張する要素がありません」
「それはどうかしら」
口を挟んだのは、金髪を見事な縦ロールに巻いた吊り目の少女。その強気な印象からよく高圧的に見られて誤解されがちな彼女は、紅茶に口をつけて舌を湿らせている。
レティーシャ=セルディオン。四大公爵家の一つ、代々優秀な宰相を輩出してきたセルディオン公爵家の令嬢である。フローラと同い年だが、若干可愛い系の容姿のフローラと違い、美麗系の彼女は大人びて見える。
そして、もう分かり切っているかも知れないが、彼女も美少女ゲーム版の攻略ヒロインの一人である。が、彼女だけはまだ他に特別な役割――というか、本当の配役がある。
それは、ワイズレット王国第一王子、メルウィン=フォン=ワイズレットの婚約者であるという事と、のちに出現するであろう乙女ゲーム版の主人公のライバル役、即ち悪役令嬢であるという事だ。……まぁ、ライバルと表している通り、悪役令嬢ではなくライバル令嬢の方がまだ近い表現だが。
紅茶を啜りつつゲームの情報を思い出しているフローラを置いて、三人の会話は進む。
「どうって……どういう事でしょう?」
「戦場と舞踏会とでは方向性が完全に違いますわ。武器を振るい相手を打ち倒す事と、言葉で斬り込み仕草で翻弄し時に情報で誘導する事では、用いる技術がまるで違うでしょう?」
「むぅ……確かにそうですね。戦場のあの緊張感と、鉄の武器を持たずに人と接する緊張感では、種類に差があるか……」
そもそも、貴女はまだ本物の戦場に出た事は無いですよね――というツッコミを口にしかけたが、寸前で思い留まるフローラ。辛うじて地雷を察知したのである。
というか、
「あの……舞踏会って言ってますけど、デビュタントは確か、誕生日パーティーですよね?」
「……同じですよね?」
「いえ違いますよ?」
本気で違いが分からないのか、ヴァネッサは首を傾げている。
フローラは溜息を吐きつつ、けれどどうせ本番を迎えれば理解するだろうと思い、放っておくことにした。
と、そんなフローラの心情を察したのか、アイリーンがヴァネッサに答えを与えず、フローラに話しかけてきた。
「フローラちゃんはどうなのかしら?」
「んー、そうですね……」
ちらりと、一瞬だけ視線をあの少年が居るであろう方角へと向けた。
それにレティーシャやヴァネッサは気づかなかったが、アイリーンだけはその意味を感じ取ったようで、少しだけ口角を吊り上げる。それを見なかった事にして、フローラは答えた。
「まぁ、大丈夫ですよ。多少は緊張するでしょうけど、何とかなります。わたし、本番に強いタイプなので」
むしろ今の方が緊張していた。王女と公爵令嬢の居る茶会に単身で乗り込むのと、婚約者のサポートありきでパーティーに臨むのとでは、後者の方が気心知れた人が傍に居る分、随分マシである。
だがまぁ、この面子での茶会も既に三度は超えている。初回ほどフローラの態度も固くはない。
むしろ、王女と公爵令嬢二人に対して、伯爵令嬢であるヴァネッサがさほど緊張していないように見える事が驚きである。まぁ、貴族でありながら脳筋気質の彼女は微妙にマイペースなところがあるので、一度目でもない限り緊張しないのだろう。
音も無く紅茶を啜ってフローラが一息ついていると、アイリーンは扇を口許にあてつつ、
「あら、あら。フローラちゃんは、相変わらずねぇ」
「……それは、どういう意味でしょうか?」
「うふふ。物怖じしないというかマイペースというか……そうねぇ、底が知れないというか」
ぼそり、と。最後の一言は、幸いにもレティーシャやヴァネッサには聞こえなかったようだ。
(……こういうところがあるから、この人は苦手なんですよねぇ)
アイリーンが異様に鋭いという事は、初めて彼女に出会った時に思い知らされた。
ゲームでもその片鱗が有ったので警戒はしていたのだが、それを上回る能力を彼女は秘めている。王国の裏の支配者、などと冗談みたいな噂がまことしやかに囁かれているが、事実その通りなところも有るので笑えない。
ともあれ、彼女との付き合いもそこそこなので、慣れはしないが対処法は染み付いている。フローラはあえて最後の言葉には聞こえないふりをして、柔らかな微笑を浮かべた。
「貴族令嬢である以上、パーティーは何度も赴かなければなりません。いちいち緊張などしていられない、というだけですよ」
やはりマイペースなのはヴァネッサだろう。こうしてそこはかとなく不穏な空気を醸し出しているというのに、彼女の意識は完全に菓子だけに向かっているのだから。……まぁ、出されている菓子が王族御用達の名門店の高級品ばかりなので、気持ちは分からないでもないが。
「あら、あら。そうねぇ、確かにそうなのだけれども、やはり最初から緊張しないのは貴女くらいなのではないかしら?」
「いえいえ、そんな事はないでしょう。レティーシャ様も、あまり緊張していないご様子ですし」
ここで話を優雅に紅茶を嗜んでいたレティーシャに向ける。
視線が寄せられたレティーシャは、ソーサーにカップを置きつつ、
「そう、ですわね。……パーティーには、メルウィン様がいらっしゃいますから」
(…………話振るんじゃなかった)
ほんのり頬を赤くして微笑むレティーシャに、内心フローラはげっそりする。
メルウィン=フォン=ワイズレット。アイリーンの弟であり、この国の第一王子である少年。
彼についての主だったゲーム情報は、レティーシャの婚約者である事。そして何より重要なのは、彼が乙女ゲーム版において、メインヒーローである事だ。
(優しい系王子様……でしたっけ?)
お気に入りキャラではなかったので性格を深くは記憶していないが、ファンブックに書かれていた情報はその通りだった筈だ。
と、フローラが脳内でゲーム情報を漁っている間に、アイリーンが口を開く。
「あら、あら。本当にレティーシャちゃんは、メルウィンと仲が良いのねぇ」
「いえ、あの、その……かっ、からかわないで下さいましっ!」
「うふふふっ。御免なさいねぇ」
未来の妹に向かって本当に嬉しそうに笑うアイリーン。対してレティーシャは顔を林檎のように赤くする。
メルウィンとレティーシャが仲が良いのは、周知の事実だ。二人きりになるとすぐに甘々な雰囲気を作り始めるので、それを見た十代の令嬢たちは、二人の仲に憧れるか、憧れの王子様の寵愛を一身に受けるレティーシャに対して妬みを向けるか、に分かれている。
因みにフローラは砂糖を吐きたくなるタイプだ。――実質、自分とリオンも周りから見れば似たようなものなのだが、本人に自覚は無い。
が、しかし。現在ゲーム開始二年前な訳だが、こんなに仲が良い婚約者がいるのにメルウィンはゲーム主人公に靡くのかと思うと、眉を顰めてしまう。
ゲームでは確か、何でも出来るレティーシャに対して、本人も気づかないうちに劣等感を懐いていたのだったか。自分も昔は天才だの麒麟児だの騒がれていたのだが、それ以上の努力と才能で以って上を行ってみせるレティーシャは、彼の眼には酷く眩しく見えたのだろう。自分が、くすんで見えるほどに。
何はともあれ、それは本人に聞かなければ分からない事。というかまだその感情は懐いていない頃だろうし、いざそうなってもきちんと話し合えばそこまで酷くはならないだろう。ゲーム主人公が絡まなければ、の話だが。
(……しかしまぁ、ゲーム開始までは何も動けませんね)
下手に攻略対象者達のトラウマ回避など行っても、元のストーリーから外れてしまい、後の対応が全て後手に回ってしまう。本当に世界滅亡の回避など考えるならば、シナリオにはなるべく干渉せずに過ごして、転生のアドバンテージを精一杯生かせる状況を作り出す事が最良だろう。
(……既に、一つやってしまいましたけど)
だがそれは、仕方のない事だろう。シナリオに抗わなければ、フローラは五年前に死んでしまっていたのだから。
曖昧な笑みを浮かべつつ、また一口、琥珀色の液体を嚥下する。
と、そこで、知らぬ間に何があったのか顔を真っ赤にしたレティーシャが、
「ふ、フローラさんの方こそどうなのですの⁉」
「え、えっと……何のことですか?」
「婚約者様との仲の話ですわ!」
明らかに動揺した様子で声を上げるレティーシャに、アイリーンがおかしそうに笑っている。
なるほど、レティーシャはアイリーンにメルウィンの事で散々弄られて、逃げる為にフローラを巻き込んだという訳か。
しかしそう言われても、特段言う事も無いのだが……。
「リオン様との仲……ですか。うーん、特筆すべき事も無く、良好な仲ですね」
「いやそんな事はありませんよね、フローラ様」
唐突に、先ほどまでお菓子にしか興味がなかったヴァネッサが口を挟む。
「良好、どころかラブラブじゃないですか」
「そうですか? 普通だと思いますけど……」
「いやいや、普通だったなら、仮にも騎士である私に、剣で勝負を挑まれて受けて立つなんてしませんよ」
「その話を詳しく!」
目を輝かせたアイリーンがグイッと乗り出してくる。これは何というか、厄介な事になりそうだ。
若干引き気味になったフローラに対し、ヴァネッサは苦笑を浮かべて語り始める。
「そうですね……これを話すのは私も恥ずかしいのですが」
「何それ面白そう……ではなく、なかなか興味深い話ですわね」
「今、口調崩れていませんでしたか……?」
「気のせいよ。ほら、早く続きを、ヴァネッサちゃん!」
本性が微妙に漏れていたアイリーンにフローラはジト目を向ける。が、本人もヴァネッサも気にしていないようだ。
本当はあの話はフローラ的にはあまり掘り返したくないのだが……まぁ、王女から催促されたら話さない訳にはいかないだろう。
ヴァネッサは一度紅茶で舌の滑りを良くして、語り出す。
「あれは二年前くらいの事ですね。当時、私は、リオン様の剣を振る姿に憧れていたのですよ。若干、恋心が含まれていたかも知れません」
「ほうほう? という事は、婚約者のフローラちゃんに嫉妬したのかしら?」
「察しが良いですね、流石です。……まぁそんな感じで、浅ましくもフローラ様に対し嫉妬の念を懐いた私は、フローラ様に決闘を申し込んだのですよ」
「「何故⁉」」
アイリーンとレティーシャの叫びが重なった。気持ちは凄く分かる、と思いつつ、フローラは黙って紅茶を啜っておく。
対して脳筋ヴァネッサは苦笑して、
「いやぁ、ユースフォード家の家訓は、『欲しいモノは実力で奪い取れ』なものでして」
「嘘ですわよね⁉ 流石に野蛮すぎますわ!」
「それがですね、レティーシャ様。ヴァネッサの部屋には、先の言葉が書かれた紙が額縁に入れられて飾られているんですよ」
実際、何度か彼女の屋敷に行った事があるのだが、それを初めて目にした時は本当に驚いた。一体どこの戦闘民族だ、と。
それが本当に家訓かはともかく、ヴァネッサは彼女の祖父から四歳の時に貰ったと言っていたので、確実に性格形成に影響しているだろう。つまり彼女が脳筋残念令嬢になったのは、祖父の所為らしい。
「まぁともあれ、そんなこんなで決闘に発展し、最後にフローラ様にボロボロに負かされて、この話は終わりです」
「え……負けたのですの?」
「はい、負けました。ボッコボコの完膚なきまでに」
ケロッとした調子で言うヴァネッサ。
至って軽い彼女に対し、しかしアイリーンとレティーシャは引き攣った顔をして恐る恐る口を開く。
「えっと……ヴァネッサちゃんは、二年前にはもう、騎士になっていたわよね? それに、フローラちゃんが勝ったの?」
「はい。滅茶苦茶強かったですよ、フローラ様は」
「あの……それって、本気の勝負だったのかしら?」
「ええ勿論。騎士たるもの、誰が相手だろうと決闘である以上、本気で臨みますから」
騎士なら貴族令嬢に決闘を挑まないでください、と思ったフローラだったが、口を噤んでおく。今声を発したら、色々追及されそうだったので。
因みにヴァネッサの話は本当の出来事である。
二年前、つまりフローラが十一歳の時に、ヴァネッサが屋敷に乗り込んできていきなり「貴様がリオン様の婚約者に相応しいと言うのなら、私と決闘しろ!」と叫んだので吃驚したが、本当に決闘するまで引きそうになかったので仕方なく応じたのだ。
で、スプリンディア邸での事件から体を鍛えるようにしていたフローラは、前世ほどではないにせよ武器が容易に扱えるくらいには力も強くなっていたので、実力検証の意も含めて本気で立ち向かったところ、フルボッコにしてしまったのだ。
別にヴァネッサは弱くはなかった。むしろ、彼女は同世代では負け無しだろう。大人にも、相手の強さにもよるがそこそこ勝てるかも知れない。
が、相手が悪すぎた。
「フローラ様はカザマキの国から取り寄せた、刀……と呼ばれる武器を使い、最後には私の剣を両断してしまったんですよ。どっちも、刃を潰したやつを使っていたんですけどね」
前世でひたすら戦闘技術を詰め込まれたのだ。新たな肉体になっても、幾らか調整すればその技術は概ね引き継ぐ事ができる。
その箱庭産の高度な戦闘技術を存分に活用したフローラは、所詮同世代最強でしかないヴァネッサを、完膚なきまでに叩きのめしてしまった。
そして、これを機に彼女と仲良くなったのだ。殴り合って友情が芽生えるとか、どこの少年漫画ですか⁉ とツッコんだフローラは悪くない。
なんとも微妙な出会いだが、こうして一緒に茶会に何度も参加する仲にまで発展したのだから、人間の交友関係というものは何とも面白い。……当時は滅茶苦茶戸惑ったが。
「す、凄いですね、フローラさん。騎士にも勝ってしまうなんて……」
(あ、これ信じていないやつですね分かります)
まぁ当たり前の反応だろう。騎士相手に令嬢が決闘で勝つなど、彼女の常識では天地がひっくり返ってもあり得ない事なのだから。
なのであえて明言せず、曖昧な笑みを浮かべるだけに留めておく。
すると、そんなフローラの表情を読み取ったアイリーンが、愉快そうに笑って、
「あら、あら。フローラちゃんは、騎士と決闘をしてでもリオンちゃんを他の人に渡したくなかったのねぇ」
「っ⁉」
アイリーンの言葉に、フローラは急激に顔に熱が集まるのを感じた。
「え、いや、それは、」
「うふふふふ、良いのよ、分かっているから」
「えっと、その、違っ」
「良いわねぇ、恋する乙女は。皆輝いていて、綺麗で、可愛くて…………食べちゃいたい」
「ッ⁉」
何か危険な言葉が聞こえた気がして、腰を浮かしかけるフローラ。
しかし逃がさないとばかりのアイリーンの眼に、フローラはだらだらと冷や汗が背を流れるのを感じていた。
次回も宜しくお願いします。




