プロローグ
遅くなり、申し訳ありませんでした。
それでは、第二章開始です。
――初めて彼を見た時、少女は運命を感じた。
比喩ではなく――本能から、彼の傍に仕え、支え、導くことが自分の役割なのだと、自然と悟ったのだ。
別に未来視の力がある訳でもなし、予定の記憶がある訳でもなし。しかし世界に組み込まれた予定調和とでも言うべき因果が、彼女の役割を正確に記す。
――『見定め悟る者』。それが、彼女のあるべき姿。
とはいえ、その役割を知ったのはこの時ではなく、もう少し後になってからなのだが。
◆ ◆ ◆
その日は、かねてより待望にしていた特別な日だった。
婚約者との顔合わせ――貴族の子女であれば果たすべき当然の義務の一つであり、ただの親同士の思想に雁字搦めにされた儀礼に過ぎないが、しかし彼女はこの日がとてもとても楽しみだった。
理由は単純で、彼女の婚約者――今日顔を合わせる人が、この国の第一王子だからだ。
まだ少女と同じく幼いが、優しく聡明だと持て囃される王子様。武術も算術も帝王学も、国一番の家庭教師から絶賛されるほどの能力を持つ麒麟児。
実際にこの目で見て、ほぼ最大に近かった評価を更に上方修正せねばならない、と彼女は思った。
能力は勿論、王族としての気品溢れる態度――とはいえ自分も相手もまだ十もいかない子供なので、大層な事が分かる訳でもないのだが――も自分と同い年とは思えないほどに整っていた。
更にその見た目も、国民を相手にする時や外交時には、大きく役立つであろう。蜂蜜色の髪は彼の純粋な内面を映し出すかのようにキラキラと輝いて、青の瞳は全てを包み込む大空の如き優しさを孕んでいる。あと十年もすれば、微笑み一つで冷えた心も解かし尽くす美青年となるだろうと、見た全員が直感した。
文武両道才色兼備、素晴らしき賢王になるだろうと周囲から期待が集まるのも道理である。
そんな凄まじい評価を欲しいままにする彼の、果てしなく高い競争倍率の末に婚約者の座を勝ち取ったのが、少女――レティーシャ=セルディオンだった。
「紹介致します、殿下。これが私の娘、レティーシャと申します。――ほらレティーシャ、挨拶なさい」
「はっ、はい。お初にお目にかかります。レティーシャ=セルディオンですわ」
目の前の少年に見惚れていた少女――レティーシャは、父の言葉に慌てて膝を折り名乗った。
先ほどまでの態度は流石に不敬だ。幾ら公爵令嬢と言えど、相手は王族。じろじろと顔を見回すのは令嬢としてはしたないし、何より無礼である。
けれど王子は気にしていない様子で、笑顔を湛えたまま口を開く。
「初めまして、レティーシャ嬢。僕はメルウィン=フォン=ワイズレットです。宜しくね」
優しい微笑みだった。子供特有の無邪気さと、彼の持つ天性の柔らかな雰囲気が合わさってできた、相手の警戒心を丸ごと解いてみせる聖者の微笑。
思わずその温かさに中てられたレティーシャは、また暫し頬を上気させて硬直してしまう。そのぽーっとした表情で放心する彼女に、父親は娘が可愛いという思いと王子の前なのだからしっかりしてほしいという思いが絡み合う複雑な表情を浮かべたが、しかし王子――メルウィンはにこにこと楽しそうに笑みを浮かべている。
「レティーシャ嬢は、とても可愛らしい顔で笑うんだね」
「へっ? あっ、ええと……」
公爵令嬢にあるまじき振る舞いをまたやってしまっていたと王子本人に気づかされ、レティーシャは羞恥と不安で顔を俯かせてしまう。
こんなはしたなく無礼な女など王子には相応しくないと思われてしまったら、婚約を破棄されて父に迷惑を掛けてしまうだろう。それに、彼との関係が打ち切られてしまうのは、酷く悲しいと思った。
けれどそんなレティーシャの不安とは裏腹に、メルウィンは嬉しそうに笑った。
「あはは、やっぱり可愛らしい。なんと言うか……そうだなぁ、蒲公英みたい」
「蒲公英、ですの?」
そんな事を言われたのは初めてだ。
レティーシャを表す言葉は大抵、薔薇である。黄金の髪に良く映える瞳が美しい赤薔薇色で、また吊りがちの双眸が茨の棘のようだと表現されるからだ。
だから、蒲公英などという素朴なれど明るく可憐な花に例えられたことに、とても驚いていた。
「うん。可愛らしいよね、小さくて、それでも健気に咲いて……君の可憐な表情が、とても似合ってると思ったんだ」
「そうですの? 有り難きお言葉、嬉しく存じます」
「そんなに硬くならなくても良いんだけどなぁ……まぁいいや。――そういえば、城の庭に蒲公英が綺麗に咲いている場所があるんだけど、一緒に見に行かないかい?」
「ええと……宜しいのですの?」
「うん、勿論!」
嬉しそうな微笑みを浮かべるメルウィンを眺めて、レティーシャはまた頬が熱くなったことを自覚した。
これが、所謂恋というやつだろうか。この年頃の女子は恋だの愛だのに憧れが強いと聞くが、きっとそうなのだろう。胸が温かく、鼓動が五月蠅いくらいに鳴って、目の前の少年と一緒に居るのが心の底から嬉しい。
けれど。
だけれども。
きっとこの恋は実らないだろう、と――頭では分かっていなくても、魂の奥底で理解していた。
別に初恋は実らないとか、そういう迷信的な話をしているのではない。ただ単に、そう最初から決められているのだ。
『見定め悟る者』であるレティーシャは、メルウィンとは決して結ばれない。そう、世界が構築されている。
だから、どれだけ恋い焦がれようと、愛し慈しもうと、彼と契りを交わす事は有り得ない。
「そうだ。もし気に入ったら、何本かプレゼントさせてくれないかな」
「まぁ……嬉しいですわ」
蒲公英の花言葉には、『真心の愛』や『愛の神託』といった意味がある。
将来、自分ではない誰かに捧げられる愛だろうとも、今だけは受け取っておきたい。このくらいなら、良いだろう。――そう、気づかないままどこか諦めを含んだ笑顔を浮かべて、レティーシャは思った。
――それは、少女が七歳の時の話。
いつか破棄される運命にある婚約だとしても、今は少女も少年も、目の前の相手が生涯を共にする伴侶だと思い疑わなかった、純粋な子供時代の出会い。
どちらも互いの事を、憎からず思っていた。片方は明確な恋慕を示し、もう片方も親愛の情か恋愛的な想いか、ともあれ好意を示していたことに変わりはない。
――けれども。
少年の役割は『救い導く者』。配役は『優しい王子様』。
少女の役割は『見定め悟る者』。配役は『悪役令嬢』。
そういう予定だから。
そういう世界だから。
そういう物語だから。
だから決して、二人は結ばれる事はない。
――でも。
だけれど。
それでも、彼女は。
その胸に懐いた想いを、無かった事にはできなかった。
暫くゆっくり更新が続きそうです……すみません。
次回も宜しくお願いします。
◆ 9月20日:メルウィンの口調を微調整。




