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白百合の姫は紅薔薇の庭で舞う  作者: 月代麻夜
第一章 檻の屋敷と紅薔薇の庭
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第十四話 崩れ落ちる薔薇

 久々の連続更新!



 遠くから響く破砕音が屋敷をびりびりと震わせる。

「――はぁっ、はぁっ」

 リオンとサイラスが激突したあの部屋から飛び出したフローラは、早々に息を切らせ始めていた。

 公爵令嬢で八歳児のこの肉体は本当に体力がない。前世でつちかった動きなど、数秒でも模倣しただけでぶっ倒れるだろう。劣化版でもこの有様ありさまだ。

 だからといって、育ちや歳相応の動きをしても殺される。ならば多少の痛みなど捻じ伏せ、生にすがりつくのが賢明だ。

 しかし体中の痛みは酷い。筋が断裂する激痛が精神を常に嬲り続けてくるし、靴を脱げばぶつ切りになった毛細血管の所為せいで重度の内出血を起こしている足を拝めるだろう。それほどまでに被害は大きい。

 幸いなのは、それでも動きに支障がない事か。なにせこの程度の傷、箱庭では日常茶飯事だったのだから――。

「――――、とに、かく」

 じわりじわりと蘇ってくる黒い前世の記憶を飲み込み、フローラは意志を強く持つ為にわざと口に出す。

記号マークを探さないと……っ」

 それが最優先事項。リオンから任された、重大な任務だ。

 サイラスの固有魔術ユニークアート、魔術結界【紅薔薇ノ庭ブラッドローズ・ガーデン】――それを維持する記号マークを破壊しなければ、今サイラスと戦っているリオンの劣勢は免れないだろう。いくら前世の魔術師だった記憶と今世で鍛えた騎士としての能力があるとしても、複数の食人薔薇と魔術師を相手に、九歳の体では善戦しようもない。早々に記号マークを見つけて破壊し、魔術結界を解除しなければ、サイラスの目的を考えるとリオンは多少傷はあっても意識を奪われるだけで済むだろうが、フローラは確実に殺されてしまう。

 だが記号マークの場所が分からない。リオンが目星をつけていた所は全て確認して回った後だし、そもそもこの屋敷の内装に詳しくないフローラでは判断のしようもない。一応リオンが描いた屋敷の間取り図は持っているが、長年暮らしてきたリオンが思いついた場所よりも記号マークが仕掛けられている可能性が高い場所など分かる筈もなかった。

 だから闇雲に廊下を走り、手当たり次第に部屋を調べるしかない。

 だがそのほとんどが、既に調べ終えた後の部屋だ。今更調べても壊し残しがある訳でもなく、時間だけが無意味に消費されていく。

「無い……無い、どこにも無い……! いったい、どこに……!」

 バタンッ、と苛立ちを発散するように乱暴に扉を閉め、フローラは再び廊下を走り始める。

 一階と庭は全て確認し終わった。地下は死体と瓦礫で道が塞がっていて調べられなかったが、通常そこは宝石商では入る事の出来ない場所なので記号マークがあるとは思えない。残りは今フローラがいる二階だけだが、虱潰しらみつぶしに探そうとも中々記号マークは見つからなかった。

 リオンとサイラスが戦っているであろう足下の一階から衝撃音と振動が届く。そのたびに焦りが増し、思考がぐちゃぐちゃになり、こんがらがって訳が分からなくなる。

「どうして……早くしないと、リオン様が……っ!」

 色々な事が有りすぎて、精神が参っているのだろう。弱音ばかりが口から零れる。

 救えない。――結局自分は、誰も助けられない。あの時(・・・)だって、皆、無意味に死んでいったではないか。

 そもそも自分は、誰かを犠牲にする側の人間なのだ。家族と呼べた人達を見殺しにし、上からの命令で罪無き人々を大勢殺し、心血を注いで出した成果を殺した魔術師から奪い取る。

『道具に相応ふさわしい最期だな。成り損ない(・・・・・)の貴様がこの至高なる実験に参加出来るのだから、感謝しろよ』

 ああ、そうだ。相応しい末路だった。道具として育てられ、道具として使われたのだから、相応の死に方だったのだろう。

 ――この手は救う為にあらず、奪う為にる。

「い、や……なん、で……今更、そんな事……っ!」

 イヤイヤと首を振り、こびり付く記憶を無理矢理に払う。

 これは、今世いまは関係のない事だ。彼らはこの世界にはいないのだし、自分はもう完全にこの世界の住民。ならば思い出す必要はない。この世界に関係するであろうゲームの情報と、魔術や武術などの知識だけを前世から持ってくれば良い。

 それはただの逃げなのだという事実から、目を逸らして言い訳を重ねる。

 ――と、その時だった。


 ギシャァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――ッ‼ と。

 耳障りな奇声を高らかに発しながら、食人薔薇が廊下を突き破って出現した。


まずい……魔術結界の食人薔薇ですか……っ!)

 木屑をばらばらと撒き散らしながら、ぎょろりぎょろりとまるで爬虫類の瞳でも持つかのように周囲を見渡した食人薔薇は、視覚か聴覚か嗅覚か熱源探知かはたまた魔力探知か、いずれかの方法でフローラの存在を確認すると、再び奇声を上げる。――その音がフローラには、獣が獲物を見つけた時の喜びの咆哮のようにも聞こえた。

 一呼吸を置く間もなく、大人の腕ほどもある蔓がうねり、鞭のようなしなりで以って叩きつけてくる。それをフローラが横っ飛びに回避すると同時にドガッ! という衝撃音を打ち鳴らして床板を易々と粉砕してしまった。穿たれた穴から一階へ、ぱらぱら木屑が落下する。

 威力は相当のもの。しかも蔓は無数に存在し、それぞれがフローラの肉体を挽肉ひきにくに変えようと迫ってくる。少しでも掠れば、間違いなくフローラの矮躯はぼろ雑巾のように吹き飛ばされ、潰れた肉塊に早変わりする事だろう。

「――くっ」

 初動を確認した瞬間に横へ跳ぶ。この肉体の動体視力は中々良いようで、身体強化系統の魔術など使わずとも動作を見切る事は可能なようだ。――ただ、脳から肉体に命令が下されて行動に繋がるまでが絶望的に遅く、そのアドバンテージも相殺されているのだが。

 バギィッ! と凄まじい衝撃を撒き散らして柱が半ばから粉砕される。折れた石柱せきちゅうが勢いのまま吹き飛ばされ、高級な硝子窓を突き破って外に落ちた。

「ギギャギャギャッ!」

 嘲笑のような不快な和音わおんべに花弁かべんの鍵盤より打ち鳴らされる。

 まるで緑小鬼ゴブリンのようですね――などと口の中で呟きつつ、フローラはじりじりと後退する。

(どうにかしないといけませんね……でも、どうやって……?)

 刀身が折れて捨ててしまったから、武器は無い。魔石は有るが、魔術が使えないのであれば意味はない。

 これが前世の世界であれば銃器でも服に仕込んでいるのだが、西欧の十三、四世紀程度の文明レベルを這っているこの国では当然そんな現代文明機器など存在する訳もない。歴史的な改革でもあれば近いモノが生み出されるかも知れないし、大陸の東にあるナンソウ共和国では既に銃の原型とも言えるモノが戦争に用いられているらしいが、どちらにせよワイズレット王国には未だ浸透していない異文化だ。容易に手に入る筈もない。

 となれば打つ手はなく、食人薔薇の動きに警戒しながらゆっくり後退していく事しかフローラには出来なかった。

 だが相手はそんな事情など関係なく――むしろ好機とばかりに獰猛に牙を剥く。

「ギシャアッ‼」

 強靭な茎をバネのように伸縮させる事により爆発的な速度を生み出し、猛烈な勢いに乗って食人薔薇は花弁の牙をぎらつかせて噛み付いてくる。それはまさに銃弾の如きスピードだったが、フローラは茎が凝縮する仕草を見た時点で備えていた為、辛くも回避に成功した。

「ギュアッ!」

 続けて振るわれる蔓の鞭。床板を易々と粉砕するそれを転がるように回避して、フローラは近くの部屋に転がり込んだ。

 食人薔薇に襲われている今の状況で、部屋に入るのは自殺行為だ。袋小路に合い、ろくな抵抗も出来ずに食い殺されるだろう。

 しかし運が良ければ何か武器がある筈だ。それを願って賭けたのだが――しかしこの部屋は、目に映る限り煌びやかな宝石類と、幾つかの血肉と薔薇だけが収められていた。

 ここは宝石部屋――リオンの母、ソラ=スプリンディアが趣味で収集した宝石が収められている、豪華な倉庫だ。部屋に飾られた金貨何千何万枚の宝石類を目にして、フローラはそう確信する。

 その推測は正しい。が、となれば、フローラの賭けの結果は完璧な敗北だ。

 こんな部屋に、まともな武具が有る筈がない。有ったとしても、それは美術品めいた飾りの武器であり、筋力の無いフローラではろくに蔓の一本も斬り裂けないだろう。

 そう、思った時だった。

「これは……まさか……っ⁉」

 肌にちりちりとした予感を感じ、部屋の魔力を探ってみれば、室内から幾つもの不自然な偏りを発見した。

 発生源は宝石達。違和感の正体は、恐らく――。

「そういう事ですか……!」

 ある事実に思い当たったフローラは、歓喜の声を上げた。

 だが――そんな喜びを打ち破るように、食人薔薇が奇声を上げながら部屋に侵入してくる。

「ギュシュイィィ、ギシャァァァアアアアアアアアアアアアアアアアア――ッ‼」

 気味の悪い咆哮と共に、食人薔薇が宝石部屋を食い荒らそうと大口を開けた。

 しかしフローラはそれから逃れようとするのではなく、ただ部屋の中心で手を広げる。

 まるで食ってくれと言わんばかりのフローラの姿に食人薔薇は一瞬躊躇したような動きを見せたが、それをただの諦めと判断し、すぐさま茎を凝縮させて跳びかかる体勢を作った。

 コンマ一秒以下の停滞。それが過ぎれば、フローラは無残に食人薔薇に捕食されるだろう。

 ――だが。

「広がれ……っ!」

 体内なかにある枷を外す感覚。肉体に張り巡らされた魔力回路を暴走させるように焚き起こし、フローラは自ら魔力を爆発的に周囲へ撒き散らした。

 それは魔力の嵐。前世の記憶を取り戻した時のような物理的に吹き飛ばすような力はないが――しかし、今この場では、それだけで事を起こすには十分だった。

「ギシャァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――ッ‼」

 バネの反発力を一気に爆発させ、弾丸の如く跳びかかってくる食人薔薇。その花弁の牙がフローラの矮躯を見るも無残に切り裂く――。


 その、直前に。

 巨大な食人薔薇が、まるで砂のようにさらさらと崩れ落ちた。


「ギ――――」

 抗議の声は途中で途切れる。当然だ、その体は既に、ただの砂粒となって小さな山を作っているのだから。

 たった数秒の沈黙が降りる。その間に食人薔薇の残骸は虚空に溶けるように、音もなく消えてしまった。

「……や、りました」

 溜め込んでいた重い息を吐き、フローラは思わずその場にへたり込んでしまう。

 種明かしすると、起こった状況は簡単だ。

 この部屋に収められていた幾つかの宝石は、記号マークだったのだ。それにフローラが過剰な魔力を与えた事で魔術式が狂い、術式制御機能を失い――結果、魔術結界が崩壊した。それだけの事である。

 では、何故宝石が記号マークだったのか。

 恐らくだが、宝石商としてサイラスがソラに売っていた宝石類の幾つかに、記号マークを混ぜられていたのだろう。魔術師でなければ気付けないので、ソラも立ち会った使用人達もまんまと騙されて襲撃準備に協力させられていたという訳だ。

 ギリギリなうえに分が悪い賭けだったが、どうにか勝利の女神とやらはフローラに微笑んだようだ。

「ふぅ……これでもう、」

 安心です――と、言おうとした。

 だが、その言葉を口にするのは、少しばかり早かったようだ。


「ぐ、ァァあああああああああああああああああああああああああああ――ッ⁉」


 声変わり前の、完成し切っていない少年の咆哮が響き渡る。

 それは悲鳴。苦痛に満ちた、死を目前に放つ瀕死の叫び。

「――――」

 言葉はなかった。

 代わりにフローラは、飛び上がるようにして床に足をつけ、蹴りつけるようにして走り出した。

 何を安心していた。まだそんな状況ではないだろう。敵はまだ、彼と死闘を繰り広げているのだ。

 痛む足を意志で捻じ伏せ、必死に廊下を駆け抜ける。階段を飛ぶように下り、悲鳴の出所でどころを目指して――そして、その瞬間。


 赤い『何か』が、フローラの目の前を横切った。


「――――」

『それ』は人。体格は小さく、まだ子供のもの。目立つ色彩は鮮血に彩られた結果だろう。


 ――そう。

 それは、血まみれで吹き飛ばされた、リオンだった。



 次回も宜しくお願いします。

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