第十二話 状況整理Ⅲ
今回で状況整理は終了です。
魔術結界の解除方法は、いたってシンプルなものだ。
それは、術者本人を倒す事。魔術を制御している魔術師が意識を手放して制御を失えば、魔術の維持は不可能になる。猿でも分かる基礎知識だ。
だがこれには落とし穴がある。魔術師が結界の構築に記号を使用していた場合だ。
記号とは、外部に設置した魔術を維持する為の印だ。例えば魔法陣を描いたカードだったり、魔術式が組み込まれた宝石だったりと、自分にも相手にも分かり易い象徴・目印となるものである。
それらを使った魔術は、記号を使わない魔術より大規模かつ複雑、長時間の高難度な魔術も幾分楽に扱える。
言わば魔術の制御に掛かる負荷を他端末で肩代わりしているようなものだ。メインとなる術者が初期命令を下し、それ以降を記号が術式の演算・処理をする事で魔術を長時間維持する。人間の脳だけでは長時間の魔術行使など不可能だから、非常に良く使われる手段だ。
記号があれば魔術の制御は魔術師から離れたようなもの――といっても、解除命令権はやはり魔術師にあるのだが――なので、仮に魔術師が倒されたとしても、魔術は動き続けてしまう。
恐らくこの屋敷に掛けられている魔術結界の規模からして、確実に記号が使われているだろう。
それをどうやって止めるのか。
これもやはり、いたってシンプルなものである。
「記号の場所は、幾つか見当がついている」
屋敷の間取りが描かれた紙に指を立てながら、リオンは語る。
「まず客室、ここが一番怪しい。次に食堂と庭かな。あとは――」
「ちょ、ちょっと待ってください」
すすすっ、と紙上で素早く指を滑らせるリオンに、フローラは慌てて静止の声をかけた。言葉を遮られたリオンは、どうしたのかと怪訝な表情を浮かべている。
分かっていないリオンに、フローラは若干口元を引き攣らせつつ、
「どうして記号の場所に予想が立てられるのですか? まさか、ここから気配を感じたとでも? 確かに記号からは魔力の気配がしますが、近くに行かなければ気付けないほどですよね?」
「それこそまさか。俺はそんな超ハイレベルの魔力察知は出来ない。……って、ああ、そういえば前提を話してなかったか」
何の事でしょうか――と問い掛けようとしたフローラに先んじて、リオンが続ける。
「まず、この事件の犯人って、殆ど目星ついてるだろ? 俺達、あのゲームを知っている転生者なんだから」
「……確かに、そうですね」
乙女ゲーム版である『世界を愛で救う為に True Love // World End』では、幼き日にリオンの婚約者を殺した犯人が誰だとは明確にされていなかった。だが美少女ゲーム版である『世界は愛に崩れゆく Angel // Fall in Love』では、婚約者の仇を取るシーンがストーリー終盤にある為、そこをプレイしていれば今現在誰が屋敷を襲撃しているのか判明する。
フローラは前世の記憶の海から求める情報を引き出し、リオンの求める答えを口にする。
「サイラス=オルドナス――オルドナス侯爵家の長男で、美少女ゲーム版のラスボスだった人物ですね」
「そうだ」
スムーズに進む会話に、リオンは満足げに頷いた。
サイラス=オルドナス。乙女ゲーム版の隠し攻略対象であるヴィンス=オルドナスの兄であり、ゲーム本編が進行している時には既にオルドナス侯爵家の新当主として腕を振るっていた男だ。
彼はギルガメシュの使徒と呼ばれるとち狂った世界崩壊主義者達の集まりのサブリーダーとして活動しており、将来邪魔になりそうな才気溢れる者達を殺すのではなく、トラウマを植え付けていずれ味方に引きずり込もうとしていた。ゲームのフローラはリオンのトラウマを作る為に殺されている。
乙女ゲーム版では、そちらのラスボスを隠れ蓑にして逃げていたようで、『攻略対象・ヴィンスの兄』としてしか出てこない狡猾な化け狐だ。その代わり、美少女ゲーム版では主人公・リオンのトラウマ克服の為に倒されるが――かなり厄介な相手だったと、プレイ当時を思い出して思う。
怜悧な美貌を気味の悪い笑みで常時包んでいる狐、とプレイヤー達の間では呼ばれていた。事実その通りで、裏で血肉を幾ら貪ろうとも表では微笑を絶やさず貴婦人を誑かす美青年だ。ゲーム開始時はもう二十七歳で妻子がいて身を固めている筈の年なのだが、何やら事情で第一夫人は故人、第二夫人も床に伏せっているという設定だった。相当女性関係でやらかしているのがその説明だけでビシビシ伝わってくる。
それらの事を踏まえて考えれば、間違いなく今現在フローラの命を狙っているフードマントの男はサイラスだろう。彼が魔術を使えるという設定はゲームにはなかったが、あれだけ裏に精通していれば多少使えても当然か。――多少、と言い切れるレベルではないのだが。
「でも、襲撃者がサイラス=オルドナスだとしても、屋敷に置かれた記号の場所を特定出来る事とは関係ないのでは?」
性格で判断でもするのだろうか、と思ったが、リオンは首を横に振った。それから彼は苛立たし気に肩を揺り動かすと、悔しそうに顔を歪めながら「前世の記憶が戻ってから気づいたんだけどな」と言って続ける。
「奴はな、実は何度もこの屋敷に来てたんだよ。宝石商と身分を偽ってな」
「それは……なるほど、そういう事ですか」
その言葉だけで察し、フローラはリオンの悔しさを理解する。
恐らく、サイラスは宝石商として何度もスプリンディア公爵邸に堂々と入り、公爵家の人達の目を盗んで記号を屋敷のいたるところに忍ばせたのだろう。本棚の底とかテーブルの裏とか、人目の付き難い場所に隠されてしまえば、魔力察知に優れた魔術師でも意識しなければ記号を発見する事は難しい。だから魔術結界が発動するまで、誰もサイラスの下拵え――即ち屋敷襲撃の前兆に気付けなかったのだ。
そんなにも堂々と準備が行われていた事を術に嵌ってから知ったとなれば、屈辱の極みである。リオンが怒り、悔みを感じるのも当然の事だ。それで肉親を亡くしたとなれば余計に。
「宝石商としての潜入なら、幾らかはその行動範囲が限られる」
客室が最も怪しいのは当然だろう。屋敷に招かれた商人が屋敷の者と商談をする時は、通常そこに通されるのだから。
「では、食堂と庭は?」
「……実は、母上が宝石……というか綺麗な物が好きでな。何度も何度も宝石商が屋敷に招かれてたんだよ。その時、母上のお気に入りの商人の一人だったサイラスは、何回か食事に誘われていたみたいでな」
「あっ、その時に記号を……」
「そういう事だ。……あー、くそっ。そんとき一緒に食事に参加してたら気づけたのかなぁ……いや、母上は気づいていたのか? わっかんねぇ、くそっ」
サイラスは怪しい団体に所属しているが、育ちは生粋の貴族だ。しかも公爵家には劣れど、侯爵という上位の家系。そのテーブルマナーは恐らく貴族と分かるほどに完璧だっただろう、長年深層意識に刷り込まれるようにして培った技術は意識しても外し辛いものなのだから。
だとしても、恐らく当時のリオンではサイラスの計画を阻止するのはやはり不可能だっただろう。幾ら大人びていたとしても、まだ前世の記憶が戻っておらず、魔術の知識が殆ど無かった段階では、手慣れた狐の化かしには敵うまい。
舌打ち混じりに悪態を吐き出し続けていたリオンは、一度悪感情を払うように頭を振って落ち着けると、「とにかく」と切り出した。
「庭も似たような理由だ。廊下とかは使用人の通りが多くて流石に無いと思うけど、奴が行った場所は全体的に調べた方がよさそうだな」
そう言ってリオンは屋敷の間取りが描かれた紙に向き直り、幾つかの部屋に指を立て始めた。
◆ ◆ ◆
サイラス=オルドナスは赤い絨毯の上を歩いていた。
ただしその色は純粋な林檎色ではなく、濁り混ざったドロドロの黒紅である。
「まったく、どこに隠れたんでしょうかねぇ」
靴底に付着した血糊の所為で鈍い足音が立っている。
その堂々とした態度は、貴族として培った自信に満ち満ちた威圧的なものと、魔術師として身に着けたさりげなく周囲に視線を這わせていつでも襲撃に備える戦略的なものが合わさった混ざりものだ。正に悪の親玉的な素振りだが、実際間違いでもないので何とも言い難い。
サイラスは隠蔽効果の魔術が掛かったフードマントの裾を揺らしながら、さして楽しくもなさそうに独り言を続ける。
「しかし、まぁ。随分と倒されたものです」
つまらなそうな視線の先には、数多の紅薔薇が咲いていた。
その周辺の肉片には目もくれず、彼は自分の魔術のみを見て呟く。
「一応、屋敷に残っていた人間はリオンとフローラを除いて殺し終えたようですが……やはり、殺傷力は弱いですねぇ。生える場所が地面ならもっと効果も強くなるんですけど、そんな限られた条件でしか発揮出来ない実力なんて意味ないですし」
そんな事を言っているが、固有魔術は一点突破ものが殆どだ。汎用性に優れたものなんて有名な魔術師が遺した魔道書に乗っている所謂『初歩』や『基本』と呼ばれるものくらいで、隠し技的な固有魔術は強力でも条件や制約に縛られるものばかりである。なのに汎用性まで求めるのは強欲が過ぎる……が、まぁ、いつの時代もどんな魔術師でも、理想や完璧は追い求めたいものなのだろう。
魔術式の改良を考えつつ廊下を進み、ふと彼は気づいた。
ただの違和感。だが彼にとっては、ソレは明確な不快感だ。
「……記号が、消された?」
屋敷に隠した記号が、次々と解呪されていく気配を感じる。
自身が設置した記号とは霊的・魔術的に繋がりがあるので、それが消された時には違和感を感じる事がある。彼が今感じたのは、正にそれだった。
「……ほうほう、やりますねぇ」
にたり、とフードの下で笑みを零す。
簡単には終わらない。だからこそイレギュラーというものは愉しいのだ。
時に不快で、自身の欲望の為に早急に潰しておきたい欲求に駆られるが、ここで終わりにするのは惜しい。
「というかあの二人、今は非力な子供で弱者ですが、容易に潰れるような雑魚ではなさそうなんですよねぇ」
将来が有望な事は知っている。だから早めに刈り取ろうとしたのだ。
しかし計画はスムーズに行かず、殺す予定だったフローラは未だ屋敷を逃げ回っている。悲劇的な母親の死を以ってリオンの精神には幾らか傷を刻み込む事は出来ただろうが、仕上げはやはり惚れた女でなければ駄目だ。男の精神を抉るには、時に家族よりも友よりも、愛した恋人を害するのが一番効率的なのだから。
「まぁ、良いでしょう」
それでも彼のやる事は変わらない。
フローラを今日ここで殺す。ただソレだけだ。
「敬愛なる英雄王に最大の服従を。同胞の使徒に多大な友愛を。作り直した世界を我らが主に捧ぐその日まで、私は邪悪に塗れた現世を浄化いたしましょう」
嘘に塗れた儀礼的な言葉を唄い、彼は嗤う。
「見てろよ、クソ野郎ども。テメェらの世界は俺が壊す」
可笑しく、狂おしく、理不尽に対して怒れる彼は、最後に少しだけ本心を口にした。
次回も宜しくお願いします。




