第十一話 状況整理Ⅱ
魔術の説明がまたややこしいかも知れません……本当にすみません。
「で、魔術を試すんだろ? ほら」
そう言って手渡されたのは、一本の蝋燭。これに火を灯せという事だろう。
子供の人差し指サイズしかないそれを受け取りつつ、フローラは呟く。
「よく蝋燭なんて有りましたね」
「凄いよな。この部屋、何でもあるんだぜ。寝室なのに」
いつの間にかティーカップに紅茶を淹れ直しながらリオンが笑った。各種ティーセットがあるくらいなのだから、探せばお茶菓子くらい見つかりそうである。何故そんなにも寝室に道具が揃っているのかは謎のままだが。
ともあれ、この世界で初めて魔術を使う準備は整った。部屋に張られた結界があるので憂いなく魔術が使えるし、ある程度自然回復した体内魔力と魔石があれば使用魔力にも問題はない。
「……では」
息を深く吸い、フローラは目を細める。
意識は肉体から精神体へ。物質界ではなく星幽界に集中する。肉体か精神体か、そのどちらかに存在する魔道因子を介して『星界の記憶目録』に手を伸ばす――。
精神・意識の一部が多次元、異世界、交錯宇宙という常人には到底理解出来ない『どこか』へと旅立っている間、現実世界の肉体では全身に張り巡らされた魔力回路に流れる魔力を手へ集め、脳内で構築した魔術式を展開する。
「……へぇ」
ティーカップを傾けながら眺めていたリオンが、フローラの魔術式の構築技術に感嘆の声を漏らした。
それもその筈。フローラの前世――月葉の術式構築技術は、魔道の歴史が深く魔術水準の高い地球においても、最高峰に限りなく近いものだったのだから。
その実力は三大組織から『二つ名』を与えられる一歩手前だったと言われているし――何より、花園月葉は箱庭と呼ばれる施設の出身なのだから、現代の魔術の集大成をその身一つに詰め込まれている。それを扱い切れる程度の技能は、才能であれ養殖であれ、当然の如く持ち合わせているのだ。
そんな事情など勿論知らないリオンは芸術品でも愛でるかのような眼で眺めている。その視線を感じつつも、フローラはこの世界での――この体になってからの初めての魔術を、じっくり丁寧に組み立てていた。
(魔力は……足りていますね。今は減っていますけど、最大保有量は前世よりも少し多いくらいでしょうか。術式構築の方も問題は特にありませんし、あとは――)
全ての準備は整った。あとは最終工程、即ち発動の合図となる行動だけで魔術は完成する。
フローラは細めていた目を開き、湿らせた唇をゆっくりと滑らせた。
「――灯火よ」
呪文――自己暗示や合図など、魔術の一工程として使われる、言わば儀式中の一挙。その言葉を切っ掛けに、魔術式は記された命令の通り、現実世界に現象を引き起こす――。
――筈、だった。
バジンッ、と頭の中で火花が散った気がした。
集中が乱れる。意図せず呼吸が荒くなって、心なしか眩暈もしてきた。いつの間にか吐き気も覚えて――そこで、フローラは魔術の制御を手放した。
「――――あ」
当然制御されなくなった魔術式は霧散し、空気中に溶けるように消えていく。
「……もう、一回」
呟き、固く蝋燭を握り締めて、フローラは最初から魔術を組み立て始めた。
魔術式を一から見直し、魔力量も細かく計算して、今度こそ制御を手放さないように意識を強く持つ。
前世で魔術ほど親しんだモノはない。だから一挙手一投足が完璧な筈なのだが、こちらの肉体では勝手が違うのだろうか。今度はきちんとそこも考慮し、最適な魔術式を完成させて――だが。
「――――っ」
魔力が手から流れ出ても、魔術式を幾ら起こしても、蝋燭からは煙の一筋も上がらない。
もう一度最初から工程を繰り返して――それでも発動せず。注ぎ込む魔力量を増やしても、魔術式を再度見直して正しく組み立てても駄目。一番簡単、基礎中の基礎の、適性とか性質とか特性とか何もかも関係なく魔道因子と魔力さえあれば誰でも使える入門魔術ですら全く発動しなかった。
びちゃ、と汗が額からテーブル代わりの引き出しの上に落ちた。
呼吸が荒くなり、顔から血の気が引いていくのを感じる。
「なん、で……?」
最悪の想像が脳裏に過った。
魔術式は正しく組み立てられる。魔力も魔力回路にきちんと流れていて、自由に体外に出す事も出来る。――でも、発動する事だけが出来ない。
それはつまり。
「わたしには、魔道因子が……無いのでしょうか?」
魔術という神秘の術において、最重要とされるモノ。それが無ければ魔術式を組み立てても魔力を注ぎ込んでも一切合切魔術は使えない。その因子を、彼女は持っていないのではないだろうか。
魔術師の家系に生まれて、魔術が全く使えない人間。もしかすると、その事に気付いていたから、エーデルワイス公爵家はフローラに魔術を教えなかったのかも知れない。いや、きっとそうに違いない。教えるのが無意味だから、フローラが無価値だから家は――。
「いや、多分それは違う」
フローラのどん底に突き進んでいく思考を遮ったのは、真剣な表情をしたリオンだった。
どういう事なのか、彼の言葉が理解出来ないという表情を浮かべるフローラの手からリオンは蝋燭を取り上げ、それを確認するようにじっくり眺めまわしてから口を開いた。
「火は灯っていないし、蝋は一ミリも溶けていない。だから確かに魔術は発動していない……が、そもそもお前、『星界の記憶目録』への接続は完了していただろうが。だから確実に魔道因子は有る」
「では……では、どうして魔術は発動しなかったのですか?」
「あー……それはちょっと分かんねえや。つか、そういうのって本人が一番分かり易い筈なんだけど」
言われ、フローラは顎に手を当てて暫しの間思考する。先ほどまでの感覚を思い出し、前世の時と比べて、違いを焙り出そうとするが――しかし何も分からない。肉体が変わり、世界も違うが、魔術自体にそう違いがあるとは感じられなかった。
だが、ただ一つだけ、違和感を感じた。
まるで、魔術を使おうとしても、発動する直前に自分から止めてしまうような――。
「……拒絶、でしょうか」
幸いにも、ぽつりと囁くように零した声は、リオンには届かなかったようだ。
だから、都合の良い事に、フローラは唯一至った答えを心の奥深くに封印し、二度と思い出すまいと決めてしまった。
◆ ◆ ◆
原因がはっきりしないままフローラの初魔術は終了し、話は再び現状へと戻る。
「そんで、問題はこの屋敷に張られた魔術結界なんだよ。それをどうにかしない限り、俺達はここから出られない。更に言えば、ずっとここに潜んでいても、いつかフードマントの男に見つかってしまう」
三杯目が注がれたティーカップに口をつけて紅茶の香りを楽しみつつ、リオンが溜息混じりに言った。
寝室がいつの間にか茶会のようになっているが、道具が揃っているここが悪いと弁明という名の責任転嫁をしておく。まぁ別に、落ち着くにはお茶を一杯啜るのが一番、と二人とも前世から思っていたので、なるべくしてなった状況なのだが。
同じく淹れてもらった三杯目の紅茶で喉を潤し、次いでフローラはこてん、とリオンの言葉に首を傾げる。
「確か……フードマントの男が張ったのは、『リオン様を除いた全ての人間を殺害する』魔術結界でしたっけ?」
「まぁ、そんな大仰な効果がある訳でもなさそうだけどな。魔術名称は確か……【紅薔薇ノ庭】っつってたかな」
「【紅薔薇ノ庭】……」
実際に起こった地獄を正確に示す名称に、フローラは微苦笑を浮かべた。
わざわざ名称を付ける魔術は、一般的に固有魔術と呼ばれる。
不浄を退け魔を祓う【光】の魔術の【貴き白光の聖域】や対象の動作を封殺する【刻印】の魔術の【封紋静止印】、大規模なものになると一定の空間を獄門から顕現させた闇焔で飲み込む【天罰】の魔術の【煉獄焔門】などといった、効果が指定された魔術の事だ。今回の【紅薔薇ノ庭】は恐らく【植物】の魔術で、指定範囲内に巨大な食人薔薇を出現させるというものだろう。
大抵の固有魔術は、複雑で膨大な情報をもとに成り立つ魔術式で出来ているので、そう簡単に他者が真似する事は不可能だ、という事から『固有』と呼ばれているが、別にその人だけしか使えない訳ではない。適性が同じまたは近しい属性で、なおかつ同じ系統の魔術が使えれば他人の固有魔術も再現する事が出来るのだ。……基本、開発した魔術師から直接伝授してもらうか、その魔術師が書いた魔道書を研究して同じものを作り出すか、になるが。
「属性は、どれなのでしょうか」
魔術において、五大元素という概念がある。
『火』、『水』、『風』、『地』、『霊』――魔術師はそのいずれかの属性――稀に、二つ三つ適正のある者もいる――に適性が有り、その属性に近しい魔術が最も使い易いとされる。
例えばあのフードマントの男の【植物】の魔術であれば、近しい属性は『水』と『地』になる。『水』は生命の概念を含み、『地』の場合は『植物は地面より出づる』という現実の現象から近しいものとされるようになっているのだ。
基本的に属性については魔術師それぞれの見方・考え方によって変わってくるので一概には言えなくなってしまっているのが現実なのだが――ともあれ、【植物】の固有魔術を完成させられるという事は、恐らくフードマントの男の魔術適正は『水』か『地』なのだろう。
フローラの提示した疑問に、リオンは未だ屋敷に潜んでいるであろう敵を思い浮かべながら答える。
「『水』か『地』か……いや、確か【具現】の魔術も使っていたな」
「【具現】と言えば、『火』か『水』か『地』ですよね? 絞り込みようがありませんよ」
「うわぁ、面倒くせぇ」
創造の概念がある『水』や物質・固定の概念を含む『地』は勿論の事、『火』は原初の火とも云われるので、【具現】の魔術に近しいとされている。こじつけが過ぎるような気もするが、大体そんなものなので誰もツッコまなくなっている。事実、それで魔術がきちんと発動するのだから、気にする必要もないのだ。
魔術師の曖昧な解釈はともかく、今手元にある情報だけではここらが限界だ。これ以上は推測の積み重ね、ただの空論でしかない。
そう判断したリオンは、一つ大きめの溜息を零しつつ、
「とりあえず、俺達の最大の目標は屋敷からの脱出だ。その為に、屋敷に張られた結界を解除する必要がある」
「結界の解除、ですか? 別に食人薔薇くらいなら、無視しても大丈夫なのでは?」
「無理だ」
首を傾げるフローラに、リオンはきっぱりと言い切る。
そこまではっきり不可能を告げたリオンにフローラは驚きつつも、「どうしてでしょうか?」と問い掛けた。
するとリオンは指を二本立てて、
「理由は二つ。一つ目は、フードマントの男と戦う場合、屋敷に奴の魔術結界が張られたままでは勝率が限りなく低い事。奴は絶対にぶっ殺し……仇を……いや、危険だから倒しておきたいが、屋敷が奴の領域になっている限り、こっちの不利は覆せないだろう」
その蒼穹の双眸に暗い憤怒の炎を滾らせながら言い切るリオン。絶えず燃え続ける赫怒は彼の身を今にも焼き尽くしてしまいそうで、フローラは少しだけ悲し気に目を伏せた。
だがフローラの仕草に気付かぬまま、リオンは屋敷の間取りを描いた紙に手を伸ばし、描かれた図の周辺――即ち屋敷の周辺を囲むように指を走らせた。
「二つ目。さっき、この屋敷には魔術結界――【紅薔薇ノ庭】が掛けられているって言ったな。その効果は数多の食人薔薇の出現……それだけだと、本当に思うか?」
「……、つまり?」
半ば予想をつけながらも、疑問文で先を促すフローラに、「直感と推測でしかないが」と前置きし、リオンは続ける。
「恐らく一定の範囲の空間閉鎖――つまり、この屋敷と外界を隔絶しているんだと思うぜ」
――即ち。
物理的に屋敷の外に出るには、魔術結界を解除しなければならないという事である。
そ、そろそろ状況を動かしたいなぁ……。
次回も宜しくお願いします。




