第十話 状況整理Ⅰ
十話到達しました。これからも宜しくお願いします。
そして、ようやくフローラ視点に戻ります。
――そこからは怒り狂いっぱなしだった、と彼は語る。
リオンが身動きが取れるようになったのは、本当にギリギリのところだったらしい。つまり彼の回復が一瞬でも遅れていれば、フローラはフードマントの男の手で殺されていたという事だろう。
しかし結果的に、リオンがフードマントの男に奇襲をかけ、相手が怯んでいる隙に意識の無いフローラを負ぶさって屋敷に逃げ込んだ事で現在に至る。と、そう言う事らしい。
リオンは全身に憤怒を滾らせてはいたが、フローラを庇いながらフードマントの男と戦うという敗色濃厚な賭けに身を投じるほど理性を失ってもいなかったようだ。もし彼が復讐心の赴くままにフードマントの男と戦っていれば、意識が無くてお荷物状態のフローラはフードマントの男によって、守りながら戦うリオンの隙を突かれて殺されるか、動きを制限されたリオンともども惨殺されていた事だろう。――いや、話を聞く限り何故かフードマントの男にはリオンを殺す気が見られなかったので、死ぬのはやはりフローラだけか。
事のあらまし――勿論、リオンは一目惚れ云々は省いて語った――を聞いたフローラの表情は晴れない。僅かに俯き加減なまま、歯切れの悪い言葉を呟く。
「それは……その、何と言えば良いのか」
衝撃的な内容だった。
今世では家族を失った体験などないし、前世ではそもそも血の繋がった人間がいなかったフローラは、リオンの傷心を理解する事は出来ない。そんな彼女では、彼の悲しみを分かち合う事も、甘く優しい言葉を尽くして心を軽くさせる事も不可能だった。
それに、容易に「辛かったね」とか「悲しいよね」とか言っても彼にとっては慰めにはならないだろう。彼の気持ちを他人が勝手に推し量って良いようなものではないし、転生者という得難い接点があったとしても所詮は他人である者がズカズカと心を踏み躙るような真似を、フローラはしたくなかった。
だから言葉を詰まらせ、視線を足元で彷徨わせていたのだが――不意に、ポン、とフローラの頭に手が乗せられた。
驚いて顔を上げると、フローラの頭頂部を優しく撫でるリオンが苦笑を浮かべている。
「別になんも言わないでいいさ。正直、まだ心を整理し切れていないけど……お前が気にする事じゃない」
「そんなっ……こと、は」
言いかけ、しかし自覚していたフローラはぐっと言葉を飲み込んでしまう。
彼女が踏み込んで良い事ではない。それでも彼が苦しむ姿は、見ていて気持ちの良いものではない。
だが、フローラは声が出せなかった。
こういう話に慣れていないのだ。何と声を掛ければ良いのか、どう接すれば良いのか、全く分からない。何せ今世では身近な人が命を落とした事など無いし、前世では家族はいな――。
『――逃げろ、月葉! 真白と大智が外にいる! 佳夜を連れて、早く!』
『くそっ、くそがッ! 僕が、僕があんな無責任な事を言ったから……ッ!』
『あああああああッ! ミ、リア……ミリアッ! なん、で……いやぁぁぁああああああああああああああああああああああああ――ッ‼』
『ごえ、グおあッ⁉ あぅえっ……い、たい……痛い、痛いよぉ』
『たす、けて……助けて、月葉ちゃん――』
「――――ッ」
バヂンッ、と。刹那の間に、『あの記憶』が脳裏に過った。
空が血色に染まった日。地上に破壊の天使が降りた終末。血は繋がっておらずとも、箱庭で暮らす『家族』だった者達が、次々に血の海に沈んでいく悪夢――。
気づいた時には体が震えていた。喉がカラカラに乾き、口は空気を求めて喘ぐ。
苦しい、忘れろ、痛い、思い出すな――血濡れた記憶に恐怖する心の叫びと、自己の精神安定を守る為の無責任な言葉が、脳内でぐるぐるぐるぐる回り続ける。
そうして一度上げた頭を再び俯かせ、体を震わせながら黙り込んでしまったフローラを、リオンが柔らかい手付きで撫でてくれる。
彼はどうしてフローラが震えているのか、正しく理解していないだろう。恐らく、リオンに対する接し方について心の中で葛藤している、とでも思っているのではないだろうか。
「気にすんなって。お前はなんも悪くないんだからさ。これは、俺が自分で決着を付ける事なんだし」
「――――う、ん」
見当違いな事を言うリオンに、少しフローラは頭が冷えた。
――古い記憶に溺れるな。アレはもう終わった事だ。彼の前で取り乱すな、その事が彼を困らせ、余計に傷つけてしまう。
心の中でそう言い聞かせ、フローラは俯いていた顔を少しだけ上げた。優しい微笑みを作り、そこに『気にしていない、そしてそっちも思い詰めすぎるな』という意図を込める。
心中がまだ安定していないからか少々ぎこちなくなってしまったが、リオンは騙されてくれたようで、「よし」と言ってフローラの頭を撫でるように動かしていた手で頭頂部をポンポンと叩いてから戻した。
「そんじゃ、そろそろ現状について話し合おうか」
言って、リオンは腰かけていたベッドから降りると、部屋の隅に置かれていた紙とペン、インク瓶を取ってテーブル――は無いので、クローゼットの引き出しを引っ繰り返した――の上に置いた。絨毯の上に直接腰を下ろし、空になったティーカップを紙の横に置いてから右手にペンを持ち、すらすらと淀みなく紙に何かを描き終えると、ちょいちょいとフローラを手招きする。
フローラは淑女のマナーに気を付けつつベッドから降りると、同じく飲み干したティーカップをテーブル代わりの引き出しの上に置いてからリオンの横に立って手元を覗き込んだ。あまりよろしくない行動だが、本人が許可しているのだから問題ないだろう。
「これは……地図、ですか?」
「この屋敷の間取りだ。正確なやつは見た事ないけど、まぁ大体合ってるだろ」
九年も住んでたんだし、と呟きつつ、リオンはペンを置いて、ある一箇所に指を立てた。
屋敷の二階、中央の奥まった場所。貴族の常識に則れば、当主または夫人の寝室となる場所だが――。
果たして、フローラの予想した通りの答えをリオンは口にした。
「当主の寝室、俺達が今居る場所だ」
「……よく、わたしを背負ったまま逃げて、こんな奥まで来れましたね」
大抵の貴族の場合、当主の寝室や私室は屋敷の奥の方――一般的に安全とされる場所に配置される。そんな場所に庭から人一人背負って連れてくるのは大変だろう。子供の体ならなおさらだ。
フローラの言葉の意味を正確に理解したリオンは、癖なのか後頭部を掻きつつ答える。
「まぁ大変っちゃあ大変だったけどな。でも、ここが一番都合が良かったんだよ」
「……どういう意味ですか?」
「んー……そうだな」
言いつつリオンは立ち上がり、ベッドに近づいてから再び姿勢を低くした。四つん這いの体勢でベッドの下を探り――やがて、そこから何やら道具を取り出してくる。
リオンが手にしたそれらがフローラの前に並べられ、フローラは首を傾げつつ道具を眺めた。
「短剣が三本も……? どうしてそんなものが当主様の寝具の下に?」
「非常用だろ、攻め込まれた時の。あと、この部屋にあるのはこれだけじゃない」
続いてリオンがクローゼットの二重棚になっていたところから五つの宝石を持ってきて、三つをフローラに渡してきた。残り二つはリオンの取り分らしい。
「魔石だ。貯蔵魔力量はおよそ百前後。俺もお前も、たっぷり魔力を放出しちまったから、今はすっからかんだろ? そんだけじゃ足りないだろうけど、まぁ無いよりはマシだ」
「あ、有難う御座います……」
「ん。あと、短剣は俺が二本貰って良いか? 俺は転生してからスプリンディア家の長男としてかなり武術を学んだし、それに一応、前世は魔術師やってたし…………って、ああ、実はこの世界と同じように、地球にも魔術があってだな――」
「あ、いえ、それは知っています。わたしも魔術師だったので」
「え……マジで?」
「はい、本当です」
どうやらリオンは、フローラの前世は一般人だと思っていたらしい。魔術の知識ありきで会話していたから気づいているだろうと思っていたのだが――と考えて、そういえば自分は魔術師の名門エーデルワイス家の生まれだったと思い出す。だから魔術を知っていてもおかしくないと思われたのだろう。
「うわっ……んじゃ、もしかしたら、前世は俺達、仲間だったのかもな。いや、敵対していた可能性もあるか」
「あー……どうでしょうか。時代が近ければ有り得ますね」
「同じゲームを知ってるくらいだし、世紀が違ったりはしないだろ」
リオンは妹がプレイしており、フローラは自分がプレイしていた。同年代とは限らないだろうが、近い年齢であった可能性は高いだろう。
実際、花園月葉が所属していた〝聖星教会〟と秋里春斗が所属していた〝黄金の夜明け団〟は敵対関係にあったので、前世の二人は知り合っていなくても敵同士だったのだが。
それはともかく、とフローラは咳払いで話を戻す。
「えっと……とりあえず、リオン様が前衛、わたしが後衛でよろしいでしょうか?」
「ああ、うん。……つか、その口調と俺の呼び方、どうにかなんない? もっと砕けて良いんだけど」
「これは癖というか……ええと、今世の公爵令嬢教育で身に付いて離れなくなった事なのでご容赦を」
前世も似たような態度だったのだが、今世では幼い時からの教育の賜物か『いついかなる時も淑女であれ』を深層意識に刷り込まれてしまったので、丁寧口調と様付けはなかなか変えられなくなってしまったのだ。まぁ別に困るものでもないので、無理に直す必要もないのだが。
「あー……まぁ良いか。――と、話の腰を折って悪かったな。俺が前衛で構わないぞ。つか、家系的にもそれが自然だよな」
フローラのエーデルワイス家は魔術師の家系で、リオンのスプリンディア家は騎士の家系。ワイズレット王国に仕える最強の双璧が揃うとは、なかなかに心強い。……まだ二人とも子供で、未熟なのだが。
しかし前世の記憶持ちの、周囲から見れば天才児である二人ならば、今の年齢でも並みの騎士や魔術師なら敵ではない。集団戦は不可能でも、大人一人潰す程度、即興のコンビネーションで可能だろう。
だが一つ、問題があった。
それはリオンではなく、フローラの事情である。
フローラは手渡された短剣と魔石を見つめ、やや暗い表情で口を開く。
「……すみません、リオン様。わたし、今世ではまだ魔術を使った事が無いので、この体で使えるか分からないのですが」
「ん? 魔術の勉強した時に試さなかったのか?」
魔術師の家系としての教育の事を言っているのだろう。確かにエーデルワイス家は魔術師の家系で、その子に魔術を伝えていくものだが――。
「いえ、魔術の勉強は全て知識だけだったので、実戦的な事は行っていないんです。お兄様達ならもう何度も試しているのですが……もしかしたら、家はわたしに魔術を教える気が無いのかも知れません」
「どういう意味だ?」
眉を顰めるリオンに、フローラは目を伏せながら、
「わたしは女で、エーデルワイス公爵家には既に男児が二人居ます。……つまり、わたしは余所の家に嫁ぐ事が決まっているのです。エーデルワイスの血筋に伝わる魔術を外に漏らしたくない……と考えた場合、わたしには最低限の知識しか教えないのが自然でしょう。実際、八歳になっても基礎中の基礎の知識程度しか教わっていませんし」
「……、なるほどな」
長男は当主を継ぐ可能性が濃厚なので当然血筋に伝わる魔術を教わるだろう。次男も長男にもしもの事が有った場合の予備であり、将来順調に長男が継いだならその補佐としての活躍を期待される為、こちらも魔術を深く教わる。
だが女――それも末の子なら、家督を継ぐ可能性がほぼ皆無な為、魔術については最低限の知識だけ教えられ、余った時間を全て令嬢教育にまわすだろう。他家に嫁がせる将来を考えた場合、それが一番なのだ。
「……ふむ」
元々リオンはフローラにそこまで戦力として期待していた訳ではないのだが、フローラの落ち込み気味の表情を見て神妙な顔つきになる。
「なら、今試せば良いんじゃないのか? ちょろっと指先に火を出すくらい、すぐ出来るだろ?」
「それは……その、拙くないですか?」
「……? なにが?」
首を傾げるリオン。フローラは難しい表情になりつつ、
「魔術の発動をフードマントの男に察知されてしまいますよ? せっかく隠れているのに、そんな事で見つかるのは……」
魔術を発動する際、魔術師は術式を使って神理を改変する為に、『星界の記憶目録』と呼ばれる神理が保存された存在――概念とも世界とも言われている――に魔道因子を使ってアクセスする。その瞬間、僅かに時空が歪んでしまう事から、魔術は察知される可能性があるのだ。
その事をフローラは指摘したのだが、リオンは半眼を作ると、溜息混じりに言った。
「いや、お前、小さな魔術程度で歪みを生むほど下手じゃないだろ? 前世でどんな魔術師だったかは知らんが、初心者でもない限り、灯火作って他の魔術師に気付かれる事はないだろうに」
もしくは、よほど近くに居ない限り、だ。
そう――別に大規模な魔術を使うとかでなければ、近くに居ない限り殆ど気づかない。戦闘中などのよほど集中している時か、探知系の魔術を使用している場合ならばなんとなく察知出来る事もあるが、その程度だ。だから、フローラの心配は杞憂なのである。
それに、
「この部屋には俺が魔術結界を張ってある。だから、多少五月蠅くしても気づかれねぇよ」
「あ……気づきませんでした」
言われて周囲の気配を探ってみれば、部屋が外界から隔絶されている事に気付く。そこまで強力な魔術結界ではないが、外からこの部屋を見つけるのが難しくなるように設定されているようだ。
「結界が張り易いような部屋だったのも、ここに逃げ込んだ理由の一つだ。あと、ベッドが有る事もな」
「ああ、そういう事だったのですか」
「お前、案外抜けてるんだな……いや、まだ本調子じゃないのか?」
確かに腹に受けた傷の痛みがまだ完全に無くなった訳ではないので、痛みに神経が削がれて思考が若干鈍くなっているところがある。あと、リオンの転生者発言が有ったので、同じ境遇の人と出会えた嬉しさやら推しキャラが原作と変わっていた事の悲しさやらで頭の中がごちゃごちゃになった事もあるだろう。
別に元々冷静で理知的で鋭いという訳でもないのだが、これからはしっかり周囲にも気を配ろうと思い、小さく何度か「鋭く冷静に鋭く冷静に鋭く冷静に」と呟くフローラ。その行動に、リオンは微妙な顔になっていた。
次回も宜しくお願いします。




