第一話 始まりの死臭
女主人公もの、乙女ゲームものに挑戦したくて始めました。
そしていきなり物騒ですが、どうぞ宜しくお願いします。
――全てを思い出した時、目の前に広がっていたのは紅薔薇だった。
ドロドロたぷたぷと流れる血潮が酷く美しい華を咲かせ、飛び散った肉片が葉を飾る。狂気に塗れた芸術が御伽話のような城の庭を紅く彩り、噎せ返るような死臭を振りまいていた。
「――ぁ、あ」
言葉にならない喘ぎ。形を成さない声を零すように発して、少女はその場にただ立ち尽くす。
「思い、出しました」
この世界には存在しない言語、歴史、学問、機器、法律、人物、都市――。
それら、有り得ない筈――少女が知る筈がない情報が、嵐の如く脳内で暴れまわった。
それは、この非現実的な――ともすれば意識を手放しかねない鮮烈な狂気を前にして、それでもなお未知であり既知の情報へと意識を持っていかれるほどの、存在感を主張するモノであった。
痛みすら感じ、ぐるぐると掻き回される脳味噌に吐き気を覚える。
脳という器を破壊する勢いで流れ込む情報の濁流は、神経を焼き切る速度で回転する思考回路によって処理され、やがてそれら全てが彼女の元々持っていた記憶と合わさった。
――そして。
「わたしは、フローラ=エーデルワイス……」
それが、この世界で少女を呼ぶ時の名。
「『私』は、花園月葉……?」
それは、前の世界で少女を呼ぶ時の名――。
「ああ、これはつまり」
――俗に言う、転生というものではないだろうか?
◆ ◆ ◆
フローラ=エーデルワイスはワイズレット王国の四大公爵家の一つ、魔術師の名門エーデルワイス公爵家の令嬢である。
月を落とし込んだ美しき白銀の髪を腰まで伸ばし、透き通った紫水晶の如き瞳を持つ美少女。今はまだ八歳な為に幼さが目立つが、あと七、八年もすれば全てを魅了するような魔性を孕んだ絶世の美女となるであろう。
家族からは蝶よ花よと愛でられ、社交界デビューする前だというのに貴族からは大量の縁談が舞い込む。本人も可愛らしく飾るのが好きなのか、母親や侍従達とお洒落を追及する姿は将来の輝かしい姿を固いものとしていた。
――しかし。
「――そんなキャラ、『セカアイ』に居ましたっけ?」
視界に広がる一面の赤に眉根を寄せ、こてん、と可愛らしく首を傾げるフローラ。渋面も思わず綻ぶ可憐さだが、この場では酷く不釣り合いのものであった。
『世界を愛で救う為に True Love // World End』というゲームがあった。
そのなんとも言い難いタイトルのゲームは、地球という惑星の日本という国において話題を攫った有名なゲームである。
ジャンルは女性向け恋愛シュミレーションゲーム。俗に言う乙女ゲームだ。
シナリオは超有名な恋愛小説を世に排出したライターに依頼、イラストは華美で可愛らしい絵とWEB上で人気だったイラストレーターが描き、ボイスはフルボイスで全キャラ大人気声優達を採用。果てしなく金のかかりそうなその企画を立てたのがこれまた有名な製作会社であり、発売前から世間を騒がせていた。
大袈裟なようだが、これがまた事実であり、発売後売れに売れた結果、ノベル化にアニメ化。とある理由から男性人気も有った為、男性向け恋愛シュミレーションゲーム――つまりは美少女ゲーム版も発売された。
乙女ゲーム版、美少女ゲーム版、ノベル版、アニメ版はそれぞれ人気を博し、大量の同人誌が描かれたりコスプレ商品が作られたりとかなりの経済効果を及ぼした。
そのゲームをフローラの前世――花園月葉もプレイし、大いに嵌ってしまった。幾度もプレイし、女だったが美少女ゲーム版も買い、ノベル版を揃え、アニメ版はテレビに齧りつくように視聴した後DVDを入手、そして同人誌も買い集めてストーリーを完全記憶するまでに至ったほどであった。
それほど好きな物語。
そんな世界に、もしも転生出来るのなら――と、夢見るかも知れないが。
「勘弁してくださいよ……」
心底嫌そうに溜息を吐くフローラ。
そう、この行動が示すように、フローラはこの世界に転生するのは願い下げであった。
何故なら――。
「あのゲームって、基本的に世界崩壊するじゃないですか」
乙女ゲーム版も美少女ゲーム版も、数多くあるバッドエンドに到達してしまうと、必ずと言って良いほどに世界が崩壊してしまうのだ。それも、主人公を庇ったが為に攻略対象者や親友が全滅とか、主人公の手で攻略対象者を殺してしまうとか、親友の裏切りとか、かなり心を抉られる展開で、である。
そんな物騒でダイアモンドのメンタルがなければ耐えられないような世界に転生したいなど、フローラは思えなかった。
――の、だが。
「転生、してしまいましたか……」
時既に遅し。ここは間違いなく、『世界を愛で救う為に True Love // World End』の世界だった。
幼少期から違和感はあった。むしろ違和感を感じて育ったのだから、転生に気付いてゲームの存在を思い出した時にあっさり納得がいった。
しかしそれでも、嫌だと思うのは仕方がないだろう。好き好んで滅亡までのカウントダウンが進んでいる世界に行きたいなんて普通は思えない。
もしフローラが「私が世界を救ってやる」的な英雄願望の強い子なら迷わず世界救済の為に行動を開始するだろうが、生憎とヒーローになる気は無い。世界が滅亡したら困るだろうが、それはフローラがどうにか出来るものではないのだから。
それに、
「まぁ、世界の事はヒロインに任せるとして」
乙女ゲームの主人公に世界の救済は任せれば良い。ゲーム補正の強制力が働くかは知らないが、本当にここがゲームの世界なのなら、彼女が解決してくれるだろう。
そんな未来の事より、今はもっと大事な事がフローラの目の前に広がっているのだから、そちらへ思考を巡らせた方が非常に有意義である。
フローラは脳内でそう結論を出すと、ゆったりとした優雅な動作で辺りに視線を巡らせた。
「……薔薇?」
辺り一面に散らばる独創的な血肉の絵画は、美しくも歪な薔薇を咲かせている。
八歳程度の少女であれば目にした瞬間悲鳴を上げて卒倒する光景だが、しかしフローラはとある理由から死体など見慣れている為、芸術という名の猟奇殺人現場を目の当たりにしても、眉を顰めて不快感を表す程度で済んでいる。それでも、長く見続けたいと思えるほど狂ってはいないので、散らばる血肉から必要な情報だけ抜き出すと、すぐに視線を離した。
目を瞑り、暫し思考する。
(ええと……確かわたし、婚約者と顔合わせをする為にスプリンディア公爵領に来て……それから…………あれ? 何でわたし、庭に居るのでしょう?)
記憶がはっきりしない。少しばかり意識が混濁していたのか、それとも何か忘れさせられているのか――。
と、考えていた時だった。
グシャ、と何かが潰れた音が赤い庭に響く。
「……、何が」
呟くと同時に振り向き――フローラは目を見開いた。
熟れたトマトが高所から落とされ、地面に汁を撒き散らしたような惨状。鼻に衝く鉄の臭いがその『赤い汁』が何かを示している。
この死体の状況を見るに、どこかから落ちてきたという事だろう。それも悲鳴を出していないのだから、気絶した状態か口を塞がれた状態か、既に息をしていない状態で。
「…………」
無言のまま、フローラは落下死体に近づく。
この世界ではありふれた茶髪を持つ男性の死体は、ボロボロだが燕尾服に身を包んでいる。手には途中で刃の折られた長剣が握られており、更に背中に深々と刻まれた傷から、この男性が何かと戦っていた屋敷の執事だと推測出来る。
「ここの執事、でしょうか? でも、この傷は……」
深く深く、肉を抉るように斬り裂かれた背中。その致命傷になりうる斬傷は、高所からの落下で体が潰れてもなお綺麗に残っている。よほど、これを刻んだ相手の腕が良かったのだろう。
傷の美醜はともかく、今この死体が落ちてきたという事は、屋敷の中にはまだ誰かがいるという事だろう。だがこの場合、味方というより敵の可能性の方が圧倒的に高い。
ならば屋敷に入らない方が良いか。いや、このまま一人でいる方が危ないだろう。
「うーん……」
小さく呻り、もう一度周辺へ視線を向ける。
まるで御伽噺に出てくるようなどこかの屋敷――確定は出来ないが残っている記憶から恐らくスプリンディア公爵邸――の庭。幾つもの死体が散らばり、人為的なのか血肉で薔薇のように飾られている。酷く悪趣味な光景だ。まさか屋敷の持ち主の趣味ではないだろう。もしこれをスプリンディア公爵に自慢されたら、スプリンディア公爵家との婚約は絶対に断ろう。でなければ精神が保ちそうにない。
「あれ、スプリンディア公爵……スプリンディア、って……」
その単語が何か引っ掛かり、何度も呟くフローラ。ようやく落ち着いてきた記憶の中からゲームの内容を引き出し、吟味する。
やがて、検索してヒットした情報を、やや興奮気味に口にした。
「あっ! スプリンディア公爵家って、リオン様の実家じゃないですか!」
リオン=スプリンディア――『世界を愛で救う為に True Love // World End』の攻略対象者の一人であり、美少女ゲーム版である『世界は愛に崩れゆく Angel // Fall in Love』の主人公でもあったキャラクター。『セカアイ』シリーズの人気投票では必ず三位以内に入っていた。因みに、月葉の推しキャラでもある。
リオンはこのスプリンディア公爵家の次期当主である。フローラの一つ年上だった筈なので、今は九歳だろう。
そして――フローラはこのスプリンディア公爵家に、婚約者と顔合わせに来た筈だ。
「と、いう事は……もしかしてわたし、リオン様と婚約するって事ですか!?」
気づいた事実に、周囲の状況も忘れて歓喜の声を上げるフローラ。
だが仕方ないだろう、愛してやまない推しキャラの婚約者になれるのだ。その凛々しい姿に焦がれ、奏でられる声に悶えた過去がある女子ならば、発狂するほど喜んでも不思議ではない。
と、そこまでテンションを上げておいて。
次の瞬間には、フローラは地面に手を突いていた。
「あ、ぁ、あ……そう、いえば……」
まるでこの世の全てに否定されたかのような絶望のポーズで、フローラは怨嗟の如き声を漏らす。
「リオン様の婚約者って……幼い頃に殺された設定でしたよね……?」
つまりは。
今現在の状況は、その必死イベントなのではないだろうか?
次回も宜しくお願いします。