静かなる森の中で
見覚えなど一切無い、一面緑豊かな深い森の中。一本の大きな木の根元に寄りかかった状態で、彼は目を覚ます。草枝の間から差し込む朝日を眩しく思いながら、自分の身体に起きている状況に戸惑っていた。
(何故………何故なんだ………)
驚きのあまりか、自分のマスコット感溢れる手を見て小さく細い足を竦ませる。
(なんで身体がニワトリなんだ…………しかも、めっちゃマスコットぽい奴に…………はっ!)
自分の身体について悩んでいると、突然あることに気がつき再び辺りを見渡す。何度見ようと、視界に映るのは大きな木々や草木、それを住処としたりして森の中で暮らす小動物たちだけだ。
周囲を一通り確認すると、嘴となった口でため息を吐いて平静を取り戻そうとする。
(………はあ、取り敢えず何かに食われる心配は無えな。しかし、これからどうするか…………)
ニワトリは目を閉じ、小さな身体でペタリと地面に座り、自分がこれからどうするべきかを悩み始める。
(見た感じ人が居そうな森じゃないし、てか結構深そうな森だし…………どうしよう…………)
明らかに路頭に迷っているようだ。
(そもそも、なんで俺は森に居るんだ?第一なんでニワトリなんだ?訳わからねえ………)
だんだんと今の自分の状況にイラつき始める。それもそうだろう、どうにもならない状況に陥れば、イラついてしまうのも摂理と言える。
そのままどうするか悩んで居ると、こちらに来る前に黒服に言われたあることを思い出す。
(………そう言えばアイツ、夢の中でなら現れることが出来るって言ってたな………なら、一度寝るか。聞きたいこともあるけど、文句も言ってやりたいし………)
寝るというとても単純な結論に辿り着いたニワトリは、一度夢を見ようと再び木の根元に寄り掛かかる。出来るだけ早く夢の世界へ入ろうと、小さなその身体の力を出来る限り抜いていく。服を来ている訳ではないのだが、羽毛のお陰で温かいようで、かなり寝やすい状況のようだ。
(おし、これなら結構簡単に眠れそうだ…………)
そう脳内で呟き、意識を薄れさせていく。森の心地よい風が程良く力を抜いた身体に纏わり付き、まるで母親の温もりに身体を任せる赤子のように、ゆっくりと眠りに落ちていこうとしていた。
――――その時、羽毛に覆われたその身体に一滴の水が滴り落ちた。その水は、水と呼ぶにはあまりにもドロリとしていて、どこか生臭い。それに違和感を覚え、ニワトリは促されるようにして自分の真上へと視線をやった。
ニワトリが視線をやった先、木の上の方の少し太い枝を足場とする影があった。自分の身体が小さくなっていることもあり大きさを掴みにくいが、ニワトリには少なくともそこにいるソレが、自分が人間であった時よりも大きな体格のトカゲの見た目をしたものであることが分かった。
「………わお……」
意識せずに、口からそんな声が漏れる。対してこちらを見つめるトカゲのようなそれは、ワニのように大きく開くであろう口からダラリとしたヨダレを出している。先程ニワトリに向かって滴り落ちたのは、恐らくこのヨダレだろう。
(あっ、これヤベェ…………)
何かを悟り、木に寄り掛かっていた身体を強制的に叩き起こす。それとほぼ同時タイミングで、トカゲは口から聞くに耐えない嫌な咆哮を発し、そのままその巨体で目先に居るニワトリに向けて飛びかかる。巨体というだけあって、かなりの速度が付いていた。
トカゲが襲って来るであろうことを先に察知していたニワトリ。起こした自分の身体を、特に考えることなく動かす。身体が小さい分、移動一歩一歩で距離が稼げぬニワトリ。けれども必死に慣れぬその身体を動かして、紙一重でトカゲの口から逃れる。
「グオォォォォ!?!?」
「ギャギャァァァァァ!!!!」
休まず止まらず、ニワトリは身体の運動を止めることなく、その場から走り去る。意外にもしっかりと走れるニワトリの身体。しかしトカゲ、すぐさま体勢を戻し、逃げようとするニワトリめがけて追いかける。
多少距離が離れていても、流石に体格差を埋めることは出来ない。よってその距離はみるみる内に縮んでいく。
「うおっヤッベェ!ってか展開急すぎるだろ!さっきまで地の文で小動物だけだとか言ってただろ!?第一この回のサブタイ、静かなる森だろうがぁ!!」
誰でもない誰かに怒鳴ってはいるが、意外と余裕そうである。
「余裕な訳あるかぁ!!」
そう怒鳴り続けていると、なんとも心許ないその小さな足が地面に転がる石に当たり、そのまま躓いて転んでしまう。
「グヘェ!?」
ペタリと地べたにうつ伏せで転がるニワトリを、トカゲはしっかりと目で捉えていた。速度を遅めることもなく、そのままニワトリに向けて勢いよく飛びかかる。
「ウオォォォォォ!?」
真っ白な顔を真っ青に染め上げ逃げようとするよ、転んだ際に片足を痛めたようで、少なくともトカゲから逃げれそうにはない。絶対絶命だ。
自体を察したニワトリは、既に一度死を経験しているせいか走馬灯などを見ることもなく、力を抜いて仰向けになる。
(ああ………異世界に転生しても、ニワトリになってたりトカゲっぽいのに食われそうになったり、てかこの第二の人生数分で終わりかけてるし…………あれだな、せめてこの世界で位、小説とかの主人公のように女の子にモテたり、地位や名声を築き上げたかったなぁ…………)
死に際の後悔の念に晒されながら、ニワトリはトカゲに食われることでの死を覚悟し、いつでも来いと受け入れる姿勢になっていた。もうどうにでもなれ!そう言わんばかりの行為である。
ニワトリは目を閉じた。死ぬ瞬間など、見たくも感じたくも無かったのだろう。こうして、彼の第二の一生は幕を閉じた。
――――ここで、ニワトリは違和感に気がつく。覚悟を完了してからどれだけ待っても、自分の人生に終止符が打たれることは無かった。待てども待てども、身体に痛みを覚えないのを感じ、ゆっくりと、その目を開ける。
目を開けたそこに広がっていたのは、自分のニワトリとなった身体を喰らおうとしているトカゲの怪物。その爬虫類面の相貌を、青色の長い髪を携えた少女の右足から繰り出される蹴りが歪ませていたのだ。
「グガガァ!?!?」
驚きのあまり悲鳴を挙げ、蹴りの勢いによりそのまま数メートル吹き飛ばされるトカゲ。対してトカゲを蹴飛ばした少女は宙でクルリと一回転し、ニワトリのすぐ目の前に綺麗に着地する。そして、身体の向きをクルリと変えて、ニワトリに向ける。
ニワトリの視界に入るその少女は、背丈は当然トカゲの怪物よりも小さく、腰元まである青色の髪、ローブを改造したような服装に、幼げの残る顔つきだった。
「あれれ、こんな所に変なニワトリが?」
陽気な声で発せられた言葉が、この世界でニワトリが初めて聞く人の声であった。