転生(行き先はニワトリ)
――――何も無い、真っ白な世界、現実と現の判別がこれ以上にないほど簡単な、そんな世界だ。風も吹かなければ、太陽や月、星も無い。だがそれでもそこはとても明るく、足元には影がクッキリとしている。
(ここは………どこだ…………?)
彼は首を横に動かし、辺りを見渡す。やはり何も無い。
(たしか俺は………)
彼は、つい先程までのことを思い返す。何故自分がこんな場所に立ち尽くしているのか、ここが何処なのか、それを探るために、自分が先程まで何処で何をして居たのかを見返していた。
思い返していると、あることが頭をチラつく。記憶が正しければ、数日も立っていない、つい数分前のもの。
(………ああ、そうだ。俺はたしか、車に轢かれそうになった子供を助けて、それで………)
自分が目の当たりにした光景を思い出す。すると、ダンダンと彼の脳内に一つの単語が明白になっていく。それは、『死』という誰もが知る簡単な単語だった。
その単語がしっかりと脳内に浮かんだ時、彼は今自分が置かれている状況に気がつき始める。
(…………そうか、俺は死んだのか…………)
察してしまった。すると彼は、自然と肩の力が脱力していくのを感じる。生きるということから解放されたからか、はたまたあまりの衝撃に込める力も無くなったのか………。
何を思ったのか、右手を顔にやり頰を抓る。
「イテッ」
痛覚はある。再びその手をダラリとぶら下げ、
「痛いってことは………夢じゃあないか………」
自分の置かれている状況が、夢でもなければ妄想の類でもないことを理解する。再び身体を襲う脱力感、しかし彼は一度脳内から死という単語を切り離そうと、思考を切り替える。
「するとここは、天国か何かか………」
「天国なら良かったんだけどなぁ…………」
自分の予想を言葉にする彼の背後から、否定的な声が届く。その声は、まるで老若男女の声が混ざり合ったような、それだけでは誰か到底判断出来ないものだった。
声の主の正体を知ろうとそちらに振り向くと、そこには、この一面真っ白な世界では異様なほど目立つ人影があった。比喩表現などではない。そこに居たのは、本当に影のように黒い真っ黒な、少年探偵の犯人の姿をしたような人物だった。
「…………」
驚きに彼は声を失う。ただただ、その人物をマジマジと見つめている。
「そう見つめられると照れるなぁ………」
黒い人物は頭を掻きそう言った。本当に照れているのか、それともからかっているのか、そう思うようなふざけた口調だ。
その人物は右手を胸元に当てて胸を張り、良い気のしない声で喋り出す。
「私は『黒服』そう呼ばれている者だ」
自らを黒服と名乗るその者の自己紹介を、男は唖然として聞いて居た。黒服は淡々と、話を続ける。
「ここは天国でもなければ、地獄でもない。ましてや夢でもなければ現でもない、全てから隔離された世界、まあ、私の世界と言ったところかな。そして君、君はさっき、子供を庇い車に轢かれた。当たりどころも悪かったようだね、即死だよ」
サラリと重要なことを口にし続ける黒服。しかしそんなことを指摘することも、質問する暇も無く、黒服は話し続ける。
「しかしね、君は普通あの場面で死ぬような男ではないだろう。あれは普通、あの子供が不運にも亡くなってしまう場面だったんだ。しかし君はそれを代わりに受けた。受ける必要のない死を、君が被った。ハッキリ言って驚きだよ。バカなんじゃないかとも思ったよ」
分かり辛くとも、黒服は声に抑揚をつけて語り続けた。
「………でもね、君になら任せられると思ったんだ」
「へっ、任せられる………?」
「ああいや、こっちの話し……」
黒服の意味深な言葉に彼は引っ掛かりを覚え、初めて黒服に向けて口を開く。しかし黒服はそれを適当に誤魔化し、話題を切り替える。
「まあまどろっこしい話抜きにして言うとね、私は君に、第二の人生を与えようと思うんだ」
「…………は?」
何を言ってるか分からず、男は唖然とした表情を浮かべる。すると黒服は、「分からないかい?」と質問をする。男は首をコクリと縦に振り答えると、
「聞いたことないかい、異世界転生って言葉。君が居たのとは違う、別の世界に転生すること」
という黒服の解説に、男は手の平を右拳でポンッと叩き、納得した様子を見せる。
「分かってくれたかい?」
「ああ………ん?」
事態については理解したようだが、しかしまた別の疑問が男の脳内に浮かび上がる。
「まてよ、 俺は今から転生させてもらえるんだよなぁ?」
「ああ、そうだが………」
「するとアンタは、神様か何かなのか?」
「ん、ああいやぁ………そこんところ説明し辛いんだけどねぇ………」
男の質問に、黒服はまたまた誤魔化しているような話し方で答える。しかし男は、不思議とそれに追求しようと思わない。いや、思えずに居た。それに気がついた黒服は、
「………ひょっとして君、まだ夢か何かかと思ってる?」
「そりゃそうだろ」
黒服がした質問、それに男は迷い無く濁すこと無く、心込めずにそう答える。
「そもそも、イキナリ転生だとか隔離された世界だとか言って、信じろってのが無理な話だろ」
「ふむ………それもそうか…………」
当然と言えば突然の男の言葉に、黒服は顎に手を当てて悩み出す。うーんと口に出し、どうするかを考えているようだ。そして少し経って、黒服はある結論を出す。
「ならば、早速転生してしまうとしよう。実際に転生すれば君だって信じるだろ?」
「えっ、まあそうだけど…………」
「まあ、細かく言えば転生じゃないけどね………」
「………今なんつった?」
「いやいや、ただの独り言」
またまた何かを誤魔化すような黒服。
直後、男の足元が七色の色を帯びて光り出す。その光りが放たれているのは、円形の様々な模様の描かれた、魔方陣のような物だった。
「うおっ、ナンダコレ!?」
「それは、君をこの世界に入れる、出すを行う専用の魔方陣。これより君は、元いたのとは全く別の世界へと送られる。君に分からせる為には、イキナリの方が良いだろ?」
「ほんとイキナリだなおい!」
男のツッコミを黒服は答えることは無く、男の身体から色素が薄れていく。まるでこの世界から、存在が消えていくようだ。
「ああそうだ、言い忘れていた」
黒服は思い出したかのように口にする。
「今から君が行く世界では、君が転生者であることを周りに言いふらしてはいけない。と言っても、絶対に言ってはいけない訳じゃあない。まあ、来たる時が来たら言えば良いさ。
それと、私は君の夢の中で現れることが出来る。もしも君がどうすれば良いか分からなくなった時には、その時の私のお告げを聞くと良い。後は…………まあ、頑張れ」
「最後だけ随分と適当だなオイ!!」
怒鳴り声も虚しく、黒服には届かない。いや無視されているようだ。顔を背けられている。
「無視すんなコラァ!」
「………本当に頑張れってくれよ。ニワトリくん」
「ん?ニワトリ?今お前ニワトリって言ったよなあ?なあ、言ったよな――――」
男は黒服に言おうと思っていたことを言い切ること叶わず、身体を完全に消し去ってしまった。七色の光りは消え去り、この世界は再び真っ白へとなる。そこに取り残された黒服は、先ほどまで男が居た場所を見続けて居た。
「………頑張ってくれよ。もうあまり、時間は残されていないんだ…………」
小さく、そう呟いた。その聞き取りにくい言葉は、どこか真剣さが感じられるものだった。
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肌に、心地よい風が優しく当たる。周囲の鳥のせせらぎ、多種多様な動物たちの鳴き声、そして木々の間から差し込む朝日が、男を包み込んでいた。
芝生の上、大きな木に寄りかかった状態で、男はゆっくりと目を覚ます。
「ん、ここは…………」
そう呟き辺りを見渡すと、そこが森であるということが分かる。人気の無い、人の手が加えられた様子が無い、自然豊かな広い森だ。
「森スタートとは………取り敢えず、誰か探すとするか………」
そう呟き立ち上がろうとすると、何かがおかしい。立ち上がっても、視界の高さにほとんど変化がない。実に不思議だ。自分では立っている筈なのに、横になっているのと視線の高さは変わらない。下手すれば、横になっているよりも低くなっている。
男は異変に気がつくと、自分の手に目がいく。その手は、到底人間のものとは思えないもの。真っ白い羽毛に覆われた手、その手で自分の顔、手足を触れると、自身の全体像が見えてくる。
彼の姿は、まるでマスコットのようなニワトリへと変貌していた。
「…………マジかよ………」
不意に出た言葉であった。