05 病院に通うのが嫌いだ
今日病院だった私は、朝と夜、逆転している生活を送っているから昼からの行動だけど体が重い。
新宿の非常に人が多いい人ゴミの中を歩くと人に戯れて余計、足に負担がかかるから私には2、3倍キツク感じられた、けど病院を終えると自然と足取りが軽く感じられる。
私は、本当に病院が嫌いなのだ。医者と心が通じ合わない、と言うか私の頭が常に拒否しているからだ。
今までに私を担当している医者は5、6回変わっている。幼い頃に担当していた先生は、青木先生、とても明るくて幼い私に難しい事を分かりやすく話す優しくて話しやすい先生だった。
その先生は、私が小学生入った頃に別の病院に転勤して行ってしまった。次に担当になったのが安西先生、青木先生と同様に優しくて話しやすかった。
私がおおよそ中学1年生の2学期の初めの頃に担当になった先生は、名前はチョット今思い出しているんだけど・・・西田って言う名前だったと思う。
その先生は、とにかく最初は気難しかった。真顔で私を質問責めにした中学生のごくわずかな知識と頭脳しか持たない私は、その極端な質問責めにどう対処するか苦闘した、幸い母が側にいたので、その機関銃の弾は、私を捕える事ができなかった。
母がその玉をすべて先生に受け流して打ち返したからだ。
今、現在の先生は、私は、良く知らない2年前に担当になったんだけど、喋りたくもないので、母と会話する時と同じように極端に短く「はい」「いいえ」の言葉でしかやりとりしてない、
後は、そっと表情をかえずに下にうつむいている。・・・・今になってやっと目が覚めた私は更に足に羽が生えたようにフワッと浮いた、それでも、その暗い表情は、変わらなかった。この無言の少し開いた口から勝手に言葉が出ていた。
私は、薄暗い自分の部屋に戻っていた。
あえて明かりは灯さずにこの明朝の前の薄い光を楽しむようにベットに横たわり手に取ったリモコンでテレビをつけた私は、この薄暗さが好きだ。どう言えばいいんだろう?何か闇に同化している感じ?自分の目であたりを見回して相手の姿は若干見えるけど相手の足跡までは見えない感じ。
そして、自分の足跡も決して見えない・・・・んっ!?久美からメールだ「今何してるのかな~~?」
私は「テレビ見てる。」と送り返した。
今日は、久美からのメールの未開封は残っていなかった。
病院の日は大抵、昼の12時位から起きているから、対処できる。診察の待ち時間は、暇だから久美のメールが大変、重宝する。普段の日はウザくて監視されてるようで嫌だけど、この日ならメールの応酬合戦だ。
退屈しのぎになる久美のメールを見ると大体単純だ「起きてるかい?」とか「元気かい?」とか「何してるの?」とか、私も普段メールを打っている時は、雑で素気ないけど、こういう日の場合は、違う。
「小学生の頃の社会の勉強で聖徳太子は、10人の人の声を同時に聞けたって言うけど普通の人間で本当にそんな事できると思う?」って話題を極端にんして変えるそうすると
「人間がね~~そういう事できたら便利だよね~~。」
「便利かな?人が多く集まっている所だったら、あっちこっち声が聞こえてきて、そして頭にインプットされるから頭にその言葉達がつまり過ぎてウザくなって人が集まる場所に行くのが嫌にならない?」
「そうきたか。政治だったらさ~~国民1人1人の声をちゃんと聞いてくれて良い国になると思うよ~~ちなみに私だったら10人の返事を聞くのは嫌だけどさ~~。」
こういうメールのやりとりをすると又違った返事の仕方になってくる。
でも、この今さっきの久美のメールを見て思ったんだけど。
自分が10人の返事を聞くのは、嫌いと言っていたけど、久美は私に毎日5,6通の未開封メールが待機させてしまっている。そのメールを見ている私が聖徳太子じゃないのか?
まぁ、この話は久美に話すのは今はよそう。
私が下のリビングに降りて行くと、父がものスゴイ勢いで廊下から私を見ないようにしてスグさま素通りした。今日はやけに早い、まだ、6時だよ。
それに、チラッと見えた父の顔が尋常じゃない程に顔をしかめて唇にシワが出来るくらい思い切り閉じきっていた。
その尋常じゃない父の顔を見た母は普段父と日常表現が出来ていないけど、この時ばかりは無中に言葉を発した。
「あなたどかしたの?」
そう言ったけど父は、何も言葉を発しなかった。それでも母は怯むことなく、掛け合った
「ねえ、どうしたの?そんなに慌てて」
あまりにも母が問いただすので父は、まとわりついたハエを手で払うかのような素振りで母に接した
「仕事でしくじっただけだ!!」
と大きな怒鳴り声の一歩手前のような声を上げていた。
父は確か商社でサラリーマンだ。私は、あまり父のしている仕事は、詳しくないが多分大変なんだろう、今の父を見てもそう見えてくる私が幼い頃父の職場に母とお弁当を持って行った事があるチョット古い建物の4階くらいの場所に父の働いている課があった、その場所の雰囲気は、何か光の通りが悪く太陽が半分欠けて死んでいるかのような明るさだった蛍光灯の光がなければ多分何にも見えないだろう。
その中で7~8人の人がパソコンに向かったり書類に目を通したり、2人で、何やら会話している人達がいた、私はその中で書類を食い入るように見ている人をみつけた、その人が私の父だった。
何やら紙に一人で独り言を言っている。母と私が父を呼ぶと父は、周りの人達の目を気にしているのか、恥ずかしそうな素振りをして
「ありがとう・・・・」と一言母に言って作業場の席についた。
・・・・そして、私は比べる様に昔の父を更に思い出した。あの頃は、よく家族一緒に大きな公園に行ったり、遊園地に行ったりしたな、そして、私がもっとも嫌いだったヒゲのじょりじょりも父の愛情表現だった・・・・書類が入った大きな封筒とカバンを後ろ姿に父は家から脱出するように出て行った。
いつからだろう家族みんながバラバラになったのは、事情はいくらでもある。
私のこの病気の事とか父の仕事の事とか後、母もこの状況を打開できなかった事とか、色々、でも私にはどうでもいい話だ今のままが楽で一番いい、そして秩序を保てていると思う下をうつむいて暗い顔を覗かせて何も見ないで・・・・