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番外編



1、語り手:ラビィ



 僕の暮らしていた村は、この大きな街からとても遠い所にある。徒歩で山を越え、更に歩かねばならないのでどうしても数日かかってしまうのだ。そんな辺鄙な所なものだから医者なんて見たことが無かったし、大抵の病は自生している薬草を使えば治っていたものだから必要もなかった。僕が医者を初めて見たのは、僕が倒れたきり動けなくなって数日が経ったある日のことだった。


 兄が旅に出ると言い残し村を去ってから一月ばかりが経過していたが、未練がましく置いて行かれたことを布団の中で恨んでいた小さな僕は、彼を初めて見た時恐ろしくて泣いてしまったのを覚えている。当時の僕はムツキよりも幾年幼くて、初めて見た他の種族がよりによって薄汚れた恰好の狼だったせいだ。泣き喚く僕を彼はただ見ていた。後から聞いたら、どう慰めていいか分からなかったんだとそっぽを向いて答えたが幼い僕に彼が困っているだなんて分かるはずもない。慌てて飛んできた両親に説明され、僕は検査を受ける事になった。


 その日の晩、ぼんやりとした意識の中で何かを話しあう両親の声を聞いた気がする。翌朝には僕の荷物は纏められ、入院することになったのよと説明を受けたからきっと僕について話し合っていたのだと思う。良くなって、きっと戻ってきてね。瞳一杯に涙を溜めた母はしきりにそう言って呆然と見上げる僕の頭を抱きしめ、何も言わない父と一緒に村の外れまで出てきて彼に抱えられた僕を見送った。遠くなる村の姿に、不思議と悲しみは湧かなかった。この事を兄が知ったら慌てて旅先から引き返してきてくれるかもしれないと、やっぱり無駄な期待をしていたせいかもしれないが、どこか夢心地だったのもあるだろう。他の子供と違って僕は、一人前の大人と認められるまで村から出る事を禁じられていたからだ。


 「白い獣」。創生神話に登場し、この世界の創生において重要な役割を果たしたとされる獣のことを指す。創生神話を網羅した現存する最古の書物『創生記』にも、この獣についての詳しい記述は一点を除き存在しない。ブルーの瞳。それが、「白い獣」が持つただ一つの色だ。


 僕という荷物を抱えたまま山越えをした彼は、街に入る前に僕に大きな布を被せた。嫌がる幼い僕を、彼は真剣な口調で咎めた。理由は僕の持つ色にあった。白い獣耳、深いブルーの瞳。村を出てはいけないというルールは、人攫いに見つからないようにと大人たちが決めた事だった。騒ぎになってはいけないからと彼は言って、渋る僕を無視して病院まで手ずから運んでくれた。


 これも後から知ったことだが、白い耳と尻尾、そしてブルーの瞳を持つ獣人は悪趣味な富豪に高値で取引されるらしい。彼らの末路がどうなるのか、尋ねた僕に彼は唇を引き結んだまま答えることはしなかった。


 それを聞いて、僕はようやく納得したのだ。僕に対する村の大人たちの反応は煙たがるか、褒め称えるかのどちらかだったから。幼い僕はそれを兄の所為だと思っていたが、違う。兄の所為ではなく、僕の所為なのだ。


 今でも「白い獣」と聞くと、僕を見る村人の目と彼の引き結ばれた唇を思い出す。





2、語り手:兄



 まったく。とんだ面倒事に巻き込まれたものだと、ムツキの頭を見下ろしながら内心でぼやいた。涙を拭うのに必死なムツキは、俺に全く注意を払っていないので好きに考え事が出来る。ちらりとベランダの向こうの部屋に視線を飛ばすと、ムツキと同じ赤茶の髪の毛が消える所だった。


 あーあ。これまた内心で深く深く溜息を吐きだして、夜空を見上げた。幼い頃から変わらないだだっ広い夜空を見上げて、薄い服越しの腕を擦る。春は目前とはいえ、夜は未だ冷える。薄着で出てくるもんじゃないな、と思いながらまたムツキの小さな旋毛を見下ろした。


「可哀相に」


 小さく呟く。哀れな弟に向けたのか、それとも不器用な父親にか、或いは巻き込まれた俺自身になのか。誰に向けたのかは呟いた俺にでさえ分からなかった。


 弟は気付いた様子もなく、鼻を啜る音だけが俺の呟きに相槌を打った。


「とりあえず、任務完了だな」


 暫くは親友の所にでもやっかいになるか。俺は弟の啜り泣きの声をBGMにそう決めた。





3、語り手:狼



 カッコイイ。


 久しぶりに聞いたその言葉に、驚くと同時に笑ってしまった。小さな背を見送りながら、過去に思いを馳せる。全く同じ言葉を、ムツキの父親にも言われた事があった。


 もう何年、何十年と昔の話だ。その頃の俺は未だ見習いの医師の卵で、ケツの青いガキだった。毎夜のように、志を同じくする仲間と理想を語らい、時には羽目を外して騒ぐ。翌朝は日の昇る前に起きだして掃除、洗濯、その他雑用に追われて医師の後ろを必死に追いかけるような、女っ気なんて全く無いムサイ生活。


 目まぐるしく過ぎていく日々を昇華することにもようやく慣れたある日、俺は街で一人のガキに出逢った。


 年中鼻水を垂らして外を走り回っているような、そこら辺の子供と変わらない、俺たちの種族と似ているようで異なる犬の子供。


 それが、マヒコだった。


 当時のマヒコは、随分無茶なことをしたがるガキだった。今からは考えられないくらいに落ち着きがなくて、英雄や冒険家に憧れては、俺を相手にして剣に見立てた棒っきれを振り回してよく遊んでいた。


 そんな風な危険な遊びばかりを繰り返すものだから、勿論生傷も絶えなかった。遊びの後には、擦り傷や切り傷、青痣を治療してやるのが俺の役目だった。


 いつも通りにマヒコの傷を少し乱暴に手当してやっていた時だ。マヒコがぽつりといいなあ、と呟いた。何がだ、と聞き返してもマヒコはいいなあ、としか言わない。いつもは子供らしい満面の笑みを浮かべる唇はむっつりと引き結ばれていて、マヒコの茶色の眼は包帯を巻いてやる俺の手しか映さない。おかしな奴だなと、その時はそれで終わった。


 また幾つかの時が過ぎて、そろそろマヒコが棒を振り回す遊びも卒業するような年頃になった時に、また唐突にマヒコはいいなあ、と呟いた。前と同じように、何がだと聞き返すと今度はしっかりと俺の顔を見て、俺は家業を継ぐのが嫌なんだと言った。続けて矢継ぎ早に、手紙屋だなんて、そんな地味な仕事ではなくて、お前のように人の命を助けるような立派な職に就きたいのだと真剣な面持ちで告げられて、正直に言えば俺は面食らうばかりだった。一度だってマヒコの口から、そんな言葉を聞いた事は無かったからだ。そして俺は悩んだ。諭すべきなのか、応援するべきなのか分らなかったからだ。結局マヒコの手当てが終わるまでに結論は出ず、無言のままで別れた。


 数日が経って、マヒコはいつも通りにはしゃいで遊んでいた。告白の件など忘れたかのような無邪気な振舞いに、所詮は子供の言葉だったのかとほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、マヒコはまた唐突に言った。俺は本気だそ、と。


 思わず息をするのも忘れた。マヒコは俺を振り返って、子供の無垢さなどどこかに忘れてきたような意地の悪い顔でにやりと笑って、お前はどう思う、と聞いた。俺は逃げ場を失ったような気分で深く溜息を吐いた。子供は時にジジイ共よりも厄介だと、心底思った。


 お前が本気でそう思うのなら、そうすればいいんじゃないか。けれど、お前が嫌がる手紙屋が人々にとってどんな仕事か、お前の言うようにただ地味で、医師に比べて立派ではないと言い切れるようなものなのか、一度じっくり考えてみたらどうだ、とそんなような事を言った気がする。マヒコは今度は無表情で、お前はどう思うと繰り返したので、俺はここ数日で考えていた未だ子供には難しい事や、誰かの想いを代わりに自分の足で運んでいるだとか相当クサい事をぽんぽん言っていた気もするが、聞いているマヒコの顔は真剣そのものだった。


 何故だろう、と考えて俺はようやく理由を悟った。一族で仕事を持つ家の子供が就業するのは、大体今のマヒコぐらいの年齢からだ。だから、焦っているのだろうと。将来に対してどこかしら不安を抱いているのは、俺もマヒコも同じなのだと思ったら、何を口走っていたのかも自覚のない口は自然と閉じた。


 マヒコは暫くの沈黙の後で、悲しいような、明るいような、どちらともとれない不思議な笑みを浮かべてお前はカッコイイなあとそれだけを呟いた。俺は、この小さな仲間の呟きにまったく何も言えなかった。


 結局、マヒコは家業を継ぐ道を選んだ。結婚をして、二人の子供に恵まれた今の姿からは、当時の面影なんて欠片も感じられない。酒を酌み交わすと、時折マヒコは不思議な笑みで言う。この道を選んでよかったのだ、と。



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