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第二話



 住所によると、この丘の向こうらしい。ずっと走っていたせいで溜まった熱気を外に出そうと腕を捲りあげていたムツキは、丘を吹き抜けていく風に心地よさを感じた。ペースを落として歩くと、ふと風に揺れる小さなピンクの花を見つけてムツキは思わずしゃがみこんだ。


「もう咲いてる!」


 この花は春の訪れを教えてくれる。そして、母が一番好む花だ。仕事のことなどすっかり忘れて、喜んでくれるかなと想像しながら丁寧に摘んでいき、鞄の奥でよれよれになっていたハンカチで丁寧に包む。一仕事を終えると、早く帰りたいとばかりにムツキは丘を駆け抜けた。


「すみませーん、お届け物の配達にまいりましたー」


 オルフ病院は思ったよりしっかりした病院だった。街の殆どの家がレンガ造りなのに、この病院は木造のようで少し古ぼけた感じがしていて、オルフ病院と札が無かったらそうとは思わなかったかもしれない。居住スペースも一緒なのか、二階の窓からは布団が干されていて、庭とも言い難い開けたスペースには物干し台で白いシーツと洗濯物が一緒になって風に揺れていた。


「おーう、開いてるから入ってくれや。ちょっと手が離せないんだ」


 そんな事を言われたのは初めてだったので、ムツキは少し戸惑いながらも花を握り締めたまま扉を開けて入った。途端に、強い薬草の匂いが鼻腔を擽ってムツキはくしゃみをしそうになった。


「あ、外履きは脱いでくれよ」

「はあ……」


 奥から聞こえてくる声に、何だかおかしな気分になりながら言われた通り靴を脱いだ。そのまま廊下を進むと、一番奥の部屋が開いているのが見えた。どうやらそこから薬草の匂いが漂っているようで、ムツキは部屋に近づく程鼻がむずむしだすのを堪えなければならなかった。


「悪いな、見ての通り調合中でよ」


 様々な薬や薬草が棚に収められている部屋には、白衣を着た男が一人居た。男の黒髪の間から灰色の尖った耳が覗いているのが見えて、ムツキは同族かと思ったが白衣の腰辺りに巻きついている長い尻尾を見て狼だと気付いた。


「いえ、構いません。配達物のお届けにあがっただけですから」


 ムツキが取り澄ましてそう言うと、狼は尖った八重歯を見せつけるように笑った。


「坊主は偉いな。今日が初仕事なんだろう? 前の爺さんが言ってたよ、マヒコのとこの坊主が俺の後任だってさ。てっきり俺は兄貴の方だと思ってたんだが、下の方だったんだな」

「え、父ちゃん知ってるの?」


 ついムツキが敬語を忘れて話しても、狼は咎めなかった。それどころか悪戯っぽくニヤリと笑うので、ムツキは思わずどきりとした。ムツキが密かに憧れるワイルドさがこの男にはあった。


「まあな。お前の父ちゃんとはちょっとした間柄なのさ」

「へー……。父ちゃんもこんなカッコイイ知り合いがいるなら教えてくれたっていいのに」


 ムツキが唇を尖らせてそう言うと、狼はきょとんとしてその切れ長の双眸を瞬かせたが、すぐに笑いだした。


「カッコイイなんざ久しぶりに聞いたな。坊主、その素直さは大事にしとけよ」

「? うん」


 ムツキが曖昧に頷くと、狼はまた笑って、配達物のことを尋ねた。慌てて鞄から本を取り出すと、狼は直接本人に届けてやってくれと言ってムツキに手を振った。どうやら、薬の調合は未だ目を離す訳にはいかないようでムツキは素直に頷くと聞いた通り、一度玄関に戻って反対側の通路を進んだ。


「えーと、確か奥から二番目の部屋だから……」


 ムツキの目に、少しだけ開いた扉が飛び込んできた。奥から二番目。ちょうどその扉だった。少し深呼吸をして、抱えたままだった本と封筒をきちんと確認するとノックをした。少しして、どうぞと静かな声が応えたのでムツキはほっとしながら部屋に入った。


「失礼します。お届け物の配達にあがりました」

「ああ、君が新しい人?」


 こじんまりとした白い個室のベッドの上で、ムツキより幾つか年上だろう少年が微かに微笑んでいた。

ムツキは抱えた本の存在も忘れて思わずぽかんと口を開けたまま少年に見入ってしまう。白い肌、きらきら輝く美しい銀の髪、空のように深みのあるブルーの瞳に、頭の上で揺れる白いうさぎの耳。


「し、白い獣……?」

「え?」


 思わずムツキがそう尋ねると、少年は驚いたようにブルーの瞳を大きくして、困ったように笑った。


「違うよ、僕は伝説の生き物なんかじゃない」

「でも、爺ちゃんに聞いた通りだ……。俺、君みたいな色の人初めて見た」

「……そうかな」

「うん。すごくキレイ」


 ムツキが真剣な顔をして頷くので、浮かない顔をして俯いてしまった少年も思わず顔を赤くして笑った。


「ありがとう……。そんなに真っすぐ褒められたの、久しぶりだよ」

「え、どうして? こんなにキレイなのに誰も褒めないの?」

「うーん……。どうだろうね」


 少年が曖昧に笑うので、ムツキは思わず呆れた顔で呟いた。


「だとしたら、それはみんなが節穴なんだ」


 少年が心底おかしそうにくすくすと笑いだしたので、ムツキは何か変な事を言ったかな、と所在なさげに扉の前で突っ立って居た。途中で気付いた少年が、ベッドの傍にある椅子を指して座りなよ、と言うのでムツキは素直に従った。


「君、すごく面白いね。名前は? 歳はいくつ?」

「えーと、名前はムツキ。歳は十四、です」


 最初の時と違い、ブルーの瞳を輝かせながら矢継ぎ早に質問を繰り出す少年に圧倒されながらムツキは答えた。今までの会話を思い返して慌てて敬語を足したが、少年はくすりと笑って首を振る。そうすると、首の動きと一緒に少年の白いうさぎの耳も揺れるので、思わず目で追いかけていたムツキは体がむずむずするのを感じた。ぱたりとふさふさした尻尾が揺れて、慌てて止める。


「敬語はいいよ、さっきみたいに話して。僕はラビィ。歳は十六」

「ラビィ? 変わった名前だね」


 今まで聞いたことの無い名前に思わずムツキがそう言うと、ラビィも苦笑交じりに頷いて、どこか遠い所を眺めるような懐かしそうな目をした。


「歳の離れた兄が付けてくれたんだ。うさぎだから、らしいんだけど……」

「それでどうしてラビィなの?」

「さあ。僕にもさっぱり。兄は少し変わり者だったから」


 ラビィが何だか寂しそうな顔でそう言うので、ムツキもそれ以上は聞かないことにした。本来の用だった本をラビィに差し出して、真面目な顔と声を作る。


「こちらが届け物になります」

「ありがとう、御苦労さま。……ああ、兄さんからだ」


 にこりと感じよく笑ったラビィが、差出人の名前を見て嬉しそうに頬を染めるのでそれだけでも随分便りを楽しみにしていたのがムツキにも伝わった。


 それから暫くは、ラビィがせがむ通りにムツキの家族の話をした。母親の手料理のおいしさ、兄の笑える失敗、最後に父親の話をする。そのどれもにラビィは面白そうに笑いながら頷くので、ついムツキは話しこんでいた。慌てて椅子から立ち上がって口早に言う。


「俺、そろそろ行くね」

「え、もう?」


 ラビィが不満そうにムツキを見上げるので、ムツキも少し名残惜しく思ったが窓から見える外は段々と暗くなってきていて、ムツキに帰りの時間を知らせている。


「うん。また届け物があったら来るから。この花、半分だけあげる」


 せめて、と思って母親の為に摘んだ花を半分渡すと、ラビィは嬉しそうに笑って、またと言った。ムツキもにっこり笑って病室を後にすると、挨拶をしようと狼の所にも立ち寄った。けれど狼は未だ調合を続けていたようで、真剣な後ろ姿に声は掛けずに小さく会釈をしてムツキはそっと病院を去った。



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