演習と巾着 後編
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ミリオンが出発した日までの日記を書き終わり、一息つく。
彼が出発してからの分は書く気になれない。というか、あまり書くことがない。あの後、黒服の青年に助けられて部屋に戻り、寒さのせいか軽く熱を出していた。ようやく意識がはっきりするようになったが、ずっと寝込んでいたせいか眠気は未だこないし、手元の本は読んでしまった。
特にすることがないのでこれまでの日記を読み返してみると、最近のものはやたら彼についての記述が目に付く。元々は闘病日記のつもりで書き始めたのにな。
ため息と一緒に笑みが漏れた。
「レニー」
「ミリオン?」
突然の声に部屋を見渡すが、誰もいない。扉の窓にも人影は写っていない。
何だ? 幻聴か? それともミリオンが演習中に死んで化けて出たとかか?
「レニー、ここだよ」
ガラスを叩く音がして、見ると窓にミリオンが張り付いていた。
「ミリオン? どうしたんだ! 演習は?」
「まだ期間中。あれ生き延びれば良いだけだから、ちょっと抜けて来た」
どこをどうやったのか、ミリオンは外から窓の鍵を外し、するりと音も立てず入ってきた。器用な奴だ
出発の際に見たのと同じ格好で、ところどころ泥がついている。本当に抜けだしてきたようだ。何やってるんだ全く。森の奥って聞いたから遠くまで行くのかと思っていたが、けっこう近くだったんだな。
「レニーが体調崩してるって聞いていてもたってもいられなかったんだ」
「またそんな理由で……!」
「落ち着いて」
ミリオンはそっと窓を閉めると近づいてきた。
「体、大丈夫?」
「まったくもってなんともない」
ミリオンは黙って手袋を外して額に触れて来た。
「熱、あるね」
「すぐに治る」
「……うん。ねえレニー」
顔をあげてミリオンを見ると、彼の目には涙がたまっていた。
「な、何だ」
「お願いだから、俺のいないときはずっと元気でいて。レニーが辛いときはずっと傍にいたいんだ」
「どうして」
「俺がそうしたいから」
手を伸ばし、ミリオンの固く握られた拳を掴む。
「私のことなんて気にするな。たまにちょっと熱がでるだけで、いつだって元気だ」
だからお前は自分の世界で輝いていて欲しい。
それを見られるだけで、私は充分嬉しい。
載せていた手を離そうとしたら掴まれ、指と指が交差するように握られた。
「俺の心配なんていらない?」
私は彼から視線を外し、一呼吸してから答えた。
「いらない。今までだって沢山心配させたから。心配させて、そんな顔させるくらいならもう来なくていい」
そんな苦しそうに顔をしかめるな。なんでお前の方がそんな死にそうな顔になるんだよ
「でも、その、心配じゃなくって、美味しい果物とか持ってきてくれるなら来てもいい」
あんまり辛そうだからつい甘い言葉をかける。なんだかんだ言っても、いつもこうなってしまう
「うん。俺、よく熟れて甘いのをいっぱい持ってくるから」
「心配はもうするな」
「わかった。俺、もう心配なんてしない。レニーがちゃんと元気になるよう応援だけするよ」
目尻に浮かんだ涙をふいて、ミリオンは笑う。
「笑顔のほうがミリオンはかっこ良いな」
「えっ」
いつも笑顔でいて欲しい。そう願いをこめてミリオンの頭をなでて、彼の顔を確認せず布団にもぐる。そろそろ眠くなってきた。
「私を助けてくれた騎士科の人も格好良かったが、笑うとミリオンの方が格好良いな」
「……助けてくれた?」
目を見開いて硬直していたミリオンがゆっくりと聞き返す。
「そいつ、もしかして黒い服着ていた?」
「ああ。知り合いか? 今度よかったら紹介してくれないか」
物静かな青年で、彼となら話ができそうな気がする。友だちになってくれるかもしれない。
「駄目。絶対に駄目」
なんでそこで怖い顔になるんだ。
「御礼したいんだ」
「巾着あげてたでしょう」
「あれは……お守りだから。演習の」
「お守り?」
ああまずい。眠気に流されて余計なことを言った。
「それ、俺の分はないの?」
ああ、言うと思った。いつも何かあげてるから。普通はそう思い至るよな。あれ、お前の分だったんだ。とは言えない。言うと絶対泣く。
「えっと、その……あの」
「レニー、そういえば出発の日外に出てたんだよね。何してたの?」
「えーとえーと」
「もしかして、そのお守り、俺のだったりする?」
「ええーとーおー」
見送りに行こうとして体調崩して、お守り渡せそうになくて他の人にあげたなんて言えば、ミリオンがどうなるのか想像がつかない。せっかく収めた心配症がまた復活してしまう。
「机の一番上の引き出しの中にミリオンの分がある」
失敗作だから自分で使おうと思ったやつだけど、この際仕方ない。
「一番上ね」
「自分で取るから」
同じところには確かミリオンからの手紙も入っている。触らせるわけにはいかない
「いいよ。レニーは寝てなきゃ」
そう言うとミリオンは私が起き上がる前に引き出しから変な色の布を取り出す。
いやまて、鍵がかかっていたはずなのに!
「これ、刺しゅう? 俺の名前だ」
「う、うん」
ハンカチに刺繍して、文字の部分は見事に失敗しているはずなのにミリオンは解読したらしい。バラ色に頬を染めて、本当に喜んでいるようだ。
酷い出来だが、喜んでくれるならいいか
「すっげえ嬉しい。俺、一生大事にする。片時も手離さない」
「いや、使え。さっさと汚して使い捨てろ。演習で泥だらけになるから汚れが目立たなさそうな柄を選んだのに」
「いやだ。絶対汚さない」
押し問答は私が眠りに落ちる直前まで続いた。
目覚めると、当たり前だがミリオンはいなかった。
もしかしたらあれは夢だったのかもしれないなと思ったが。引き出しの中のハンカチはなくなっていた。
***
演習上に戻る途中、全速力で走りながらにやける顔が止まらなかった。この上なく移動術は上手く動いていたし、隠蔽術も巧妙に動作していた。
胸元に手を当てる。この中にはレニーが刺しゅうしてくれたハンカチが入っている。新しく増えた、俺の宝物。
寝間着のレニー、すっごく可愛いかったな。俺がプレゼントした兎のぬいぐるみを抱えていた。俺の代わりだと思ってくれてるならすっごく嬉しい。あれが俺だったらと妄想してみる。ああ、やばい
それに、引き出しの中には俺からの手紙も入っていた。一瞬しか確認してないけれど、ひとつひとつが丁寧に扱われているのに、紙は疲れていて何度も読み返した跡があった。レニーが俺の手紙を大事にしている。そう思うだけでニヤつきが止まらなくて、テンションが上がったまま満開の笑顔で演習区域に戻ると、即効で巨木に向かう。
目眩ましは動作し続けているので、俺の不在はバレてないようだ。
黒い服を見つけると気配を消して接近し、背後から声をかける。
「なあ、俺と勝負しよう。俺が負けたらこの演習の最優秀者をお前に譲る。勝てたらその巾着をくれ」
「……断ったらどうする」
手でポケットを覆うようにして奴は言う。
お前にとってはただの布袋じゃないか。何故そんなに大切にする?
「強硬手段をとらせてもらう」
俺は暗く笑った。
ああ、今ならなんだってできそうだ。
***
ミリオンはずいぶんと早く帰ってきた。なんでも、演習が早く終わったらしい。
一瞬怪我して途中で帰ったのかと心配したが、その必要なかったな。
「レニーに会いたくて、早く終わらせたんだ」
そんなこと出来るのか?
「『全員が脱落すれば』演習は続けられなくなるから」
「誰も残らなかったのか?」
「うん。『俺以外は』ね」
「そうか。ミリオンは頑張ったんだな」
きっと仲間が脱落していく中最後の一人になっても必死になって頑張り続けたに違いない。
「ミリオンは凄いな」
そう言うとミリオンは嬉しそうに笑いながら、グレープフルーツの皮をむく。
「俺はレニーと合わせて二人分だから」
だいぶ後になって、演習場の悪魔という噂話をきいた。笑いながら突如仲間を倒し続けた生徒がいたそうでその演習科目は二度と行なわれることがなかったという。
この学院は歴史があるから、いろんな伝説があるんだな。
ちなみに学院と演習場は東京と名古屋くらいは距離あります。