夏の小話
お待たせいたしました久々の更新です。
Web拍手に掲載していた小話をまとめて大量に加筆したものになります。
※ミリオンはちょっとしか出てきません。
「海に行く?」
研究科棟の談話室で俺が説明し始めると、案の定ミリオンは最大級に不機嫌な顔を見せた。
「学院の竜のほとんどを連れて海辺までお散歩にでかけるらしいんだが、その手伝いとしてついていって良いそうなんだ!」
ミリオンの隣に座るレニーが付け足す。ずいぶんと嬉しそうだ。はしゃいでいるといっていい。
「手伝いといっても大したことはしない。竜を海で水浴びさせている時に荷物を見ててもらうつもりだ。あの辺りはやっかいな蟹が出るんだ」
俺が言葉を切ると、レニーの向かいに座る養護教員が書類挟みから数枚の紙を取り出しミリオンに渡す。
「これが計画表だ。気脈の薄い場所だから身体への影響は少ない。それに強い生命力を持つ竜のそばで彼女の命脈を落ち着かせられないか試す目的もある。お前も治療計画に参加しているから多少は知っているんだろう?」
「俺が関わったのは基礎理論までですけど……」
そう言いつつもミリオンは素早く紙面に目を通す。俺にはよくわからない内容だったがこいつには理解できるらしい。
「目的はわかりました。でも……今言った日付って」
「うん、同じ日にミリオンは研究科で大事な発表会があるって聞いたんだ」
レニーがそう言いながらミリオンの両手を持ってきゅっと握る。ちなみにこれは俺と養護教員で考えた作戦だ。ミリオンはレニーに関わることには非常にうるさいし、何をしでかすか分からない。演習場の悪夢を再現する事は避けたい。
「応援してるからな!」
「う、うん! 俺頑張るからね!」
「私は海に行ってくるな」
「うん!」
レニーがミリオンの目を見つめ語りかけると奴の表情がとたんに明るくなった。上手くいったようだな。
「そろそろ次の検査の時間だ。レニー、部屋に戻るぞ」
「はい。ミリオン、おみやげ楽しみにしててくれ」
そう言ってレニーが手を振りながら去って行くのをミリオンが笑顔で手を降り返し見送る。
そして彼女が見えなくなった所でいきなり襟を掴まれた。……気配を読めなかったな。
「どういうことだ?」
先ほどまでとは打って変わった冷たい表情。本来ならこっちの方が普段のミリオンではあるんだが、変化の激しい奴だ。
「説明したとおりだが? お前の日程が合わなかったのは俺のせいじゃないからな。恨むんなら学科長を恨め」
そう言って襟を掴んでくる手を振り払うと、ミリオンはよろよろと椅子に座り直し頭を抱えて俯いた。
「どうした」
「……ぎ」
「何だ?」
「レニーの水着姿……!!」
悲壮感あふれる声が聞こえてきた。
「彼女は泳げるのか?」
「多分無理」
即答だった。そういえば二人は幼馴染だったか。水辺が無い地域の出身なのか?
「泳がないなら水着には着替えないんじゃないのか?」
「そうだけど、それももったいない気がする」
欲張りな男だな。
「どうせ見れないから関係ないだろ」
そこまで言うと今度は襟を締め上げられた。またしても避けそこねた。先ほどより動きが早くないか?
「レニーに何かあったらお前だけでなく竜も科のやつらもただじゃおかないからな」
「心しておく」
こいつは本当に実行してきそうだからたちが悪い。
*
海に辿り着いたのは昼前だった。
当日は暗いうちから集まり、日の出前に竜達を連れて海へ向けての大移動が始まった。竜の扱いを専門に学んでいる奴の中から希望者が集まっているが学年も学科も違うので全員が顔見知りというわけではなく一人や二人見知らぬ顔がいても気にされない。学院の竜の気性はそこまで荒くないが飛べない個体もいるので街道を使うことになり、時間はかかるが空より安全な旅路だった。
今朝は予想通りにミリオンが見送りに現れてレニーに小さな鞄を渡しながら何やら長く話しかけていた。あいつ自分の発表の準備は大丈夫なのか?
生まれて初めて竜に乗ったというレニーは移動中興奮しすぎて無言になり、何度か同伴の養護教員に心配されていた。
「レニー、疲れはないか?」
「ジルニトラくん! 私は大丈夫だ。そっちはもう平気なのか?」
「ああ。竜達の海水浴はひと通りできたし、今は自由時間だから休憩に来た」
砂利の上に用意したテント前の敷物の上に少女が座っている。声をかけると予想より元気な声が返ってきた。淡い緑色の薄い生地の上下につばの広い麦わら帽子。結局水着は持ってこなかったらしいが、それに関してミリオンが関係しているのかは知らない。彼女の隣では教員が横になり帽子を顔に乗せて仮眠をとっている。
「そうか。あ、お水飲むか? 私は荷物番だからな、なんでも言ってくれ」
「じゃあ水を一杯頼めるか」
給水ポットから付属のコップに水を汲んでもらい、一気に飲み干すと身体に染みわたる美味さだった。思っていたより喉が乾いていたらしい。
「君は退屈してないか?」
「全く! 竜の水遊びも可愛くて見飽きないし、海って本当に広いんだな。本で読んだ通りだ」
そう言ってレニーは水平線を見渡すと深く息をつく。
「もしかして初めて見たのか」
「ああ。私の育った場所は山奥なんだ。波の音も潮風も本とミリオンからの手紙にあった通りだ。さっきちょっぴり海水をなめたら思っていたよりもからかった」
そう言ってレニーはにこにこと笑う。海風にあまり当たらない方がいいと、彼女は最初に少し波打ち際を歩いたあとはずっとここで休憩している。
「楽しんでいるようで何よりだ。今日は雲は出ているが日差しは強い。気分が悪くなったらすぐテントに入って休むことだ」
「気をつける。あ、もちろん荷物はちゃんと守るからな!」
コップを返しながら忠告するとレニーがしっかりと頷く。
「頼む。蟹は頭がいいから連携して弁当を狙ってくる。もし一匹だけ見かけても他に仲間がいると思ってくれ。前回はそれで弁当を喰われたんだ」
両手で蟹の大きさを作って説明すると、意外と大きいんだなとレニーは目を丸くする。
「それは大変だったな。その時のお昼はどうしたんだ?」
「仕方ないからその蟹を捕まえて昼飯にしたんだ。不味かった」
思い出すと思わず顔をしかめてしまう。あの蟹は中身は他の魚介類と同じような味だったが、何故か殻の部分から甘い果実のような出汁が出る。それを知らずにまとめて調理してしまった。その事を説明するとレニーは興味深そうにふんふんと聞いて、笑った。
「ふふふ、美味しくないのか」
「それはもう酷い味だった」
「ミリオンなら上手い食べ方を考えつきそうだ」
「ああ確かに。あいつならできそうだな」
あの男は細かいところまで頭が回る。
「そういえば出発の時にミリオンが来ていたが何を渡されていたんだ?」
「あれか? そういえば何だろう。海についたら開けるように言われていたんだった」
レニーがテントの中の荷物の中から防水性の小さな鞄を引っ張りだして中を覗きこむ。
「……なんかいっぱい入ってる」
そう言いながら取り出したのは小さなガラス瓶や布の塊やら細々とした……多いな。全部入っていたのか? どうやって入れたんだ? と言わんばかりの品々だった。
「これは疲れた時にいつも飲んでる栄養剤だ。こっちは日焼け止めスプレー、これは風よけのショール。すごい、持ってくればよかったと思っていた物ばかりだ。ミリオンは本当にすごいな」
まったくだ。すごいすごいと喜んでいるレニーには言えないが、同行してないのにここまで彼女に対して気が回るとは。
「こっちはサンダルで足が擦れた時に塗る薬、あ、拾った貝殻を入れるケースだって。わぁかわいいなぁ」
ちょっと気がまわりすぎないか?
「レニー……大丈夫かな……無事かな」
「ミリオンくんそろそろ発表だけど……準備は?」
「できてる。資料も揃えたし原稿も暗記したし裏付け部分の内容も引用した論文についても頭に入ってる。あと想定される質問と回答もひと通り用意したから君も読んどいてヘリット」
「あ、うん」
「レニーに会いたい……」
*
「ジルニトラくん、実は頼みがあるんだが」
「なんだ?」
日焼け止めをスプレーし終え、ショールを膝にかけたレニーがなにやらこちらを見上げてくる。
「そのう、男の子の喜ぶものを教えて欲しいんだ」
「男の子?」
「う、うん。ミリオンは今日来れなかったし、何かおみやげを渡したいなって」
あいつが喜ぶものか……わりと簡単に思いついてしまうが、レニーが贈りたいものはそれじゃない。彼女は今来ているこの海に関する何かをミリオンに持って帰ってやりたいんだろう。
「みやげ話をするだけでも喜ぶと思うが」
君と会う前後のあいつの変化は正直不気味なくらいわかりやすい。会わない日が続くとどんどん生気を失っていくし、会って会話するだけで異様に元気になる。みやげ話だけでいいんじゃないかと思う。
「でも私はいつもミリオンから貰ってばかりだから」
そう言ってレニーは髪を一本にまとめているリボンを触る。
「それはミリオンから?」
「うん。綺麗だし、とっても使いやすいんだ。ミリオンの手作りなんだ。すごいだろう?」
「……君が刺しゅうしたものの方が見栄えは良かったが」
リボンは淡い水色地に白い糸で簡単な飾り縫いがされているが、刺しゅうの端の方は少しよれている。ミリオンはそれなり以上に器用な男だが、女性物の繊細な小物を作るのはさすがに難しかったらしい。だが、完璧主義で他人に弱みを見せたがらないあの男がこういった物を彼女に渡すのは珍しいな。
「いいんだこれは。私が手作りがいいって言ったから。こっちがいつも手作りの物ばかりあげてるから、こういうのが欲しくて」
そう言うとレニーは嬉しそうにリボンの表面をそっと撫でる。かなり大切に扱っているらしい。
「そうか……ん?」
腕を組んで考えていると、浅瀬で遊んでいた竜の一匹が海から上がり、海水を滴らせながら俺達の方へやって来た。仲間が気付いて途中まで追いかけていたが、こちらを見て俺がいるのを確認すると海に戻っていく。
レニー達の方へ向かう前に立ち止まらせて首筋を撫でると、口にくわえた何かを押し付けてくる。
「どうした?」
手を差し出せば拳大の白くて丸みを帯びた物体だった。それから鼻先でレニーの方を示す。
「もしかして私にか?」
レニーが気付いて立ち上がり、ショールを片手に俺と竜のところへやってきたので、手に持った物を渡す。
「わぁ、これ貝殻か? 大きいな。手のひらくらいある!」
両手でそれを持ち、レニーが竜の方を見ると、竜はなぜか急いで俺の背中に隠れようとする。お前、身体が大きいから頭は隠れるが胴体は無理だぞ。
「お前は私を運んでくれた竜さんだろう? ありがとう! 大事にするな」
そう言ってレニーは俺の背中の向こうに手を伸ばして竜の頭のトゲを撫でる。すると今度は尻尾が俺の足に巻きついてきて、ぎりぎりと締め付けてきた。
「こいつは君が気に入ったみたいだな。喜ばれて照れているらしい」
「そうなのか? 可愛いなあ」
そう言ってレニーがさらに竜を撫で、俺の足がきつく締めあげられる。痛いんだが……
「そうだ。ミリオンの土産に貝殻はどうだ? 波打ち際を探せばそこそこの数は集められるだろうし、それを材料にして何か作ればいい」
レニーが手元の貝殻を眺めて、それからやや不安そうに俺を見あげてくる。
「私はとても素敵だと思うけれど……ミリオンは喜ぶだろうか」
「大丈夫だろう。それにもし拒否されたらいつかの時のように俺が受け取ろう」
そんな事にはなりそうにないが。あいつは君からの贈り物なら何だって喜ぶ。
「そうか。じゃあ、そうしようかな」
レニーはそう言って笑顔になると、荷物のところへ行き、いつのまにか起きていた教員に言付けると布袋を持って戻ってきた。
「ここから見える範囲で、ジルニトラ君と一緒でなら大丈夫だそうだ」
「そうか。ああ、ついでにこいつも一緒でいいか? 風よけになるから」
そう言いながらいまだ背中に隠れようとしている竜の身体を撫でる。
「いいのか? 竜さん、よろしくな!」
はしゃいだレニーが飛びつくと、俺の足が引きちぎられそうなほどに締めあげられる。これは……かなり痛い。
「そうだ。竜さん、友達になってくれるか? いいか? そうか、嬉しいなあ。仲良くしてくれ!」
そう言ってレニーが竜の額にキスをすると、ようやく俺の足は開放された。
後日、レニーから貝殻で作った小物入れを贈られたミリオンはたいそう機嫌がよかったが、直後に彼女から竜を紹介され表情を凍りつかせて、ついでに竜舎を半壊しかけた。
よくコメントをいただくのですが、本格的な物語の展開の予定はあるのですが、諸事情によりかなり先になります。
いつになるのかちょっとわからないため、完結表示とさせていただきます。