死者祭りの夜
ハロウィンに間に合わなかった
兄からの使者でトラが来た。
よく焼けたパンのような色に黒いしま模様の入った身体。正真正銘の本物の虎だ。
誰にも見つからず(もしくは見つかってもうまく逃げたのかもしれないが)私の病室まで来れたのは、学院を含めこのあたりの街全体が秋の死者祭りで慌ただしくしているおかげらしい。
死者祭りは夜闇の時間に仮装して家々をめぐり歩くお祭りなので、虎の一匹がうろついてもそう目立たない……らしい。
とにかく、病室にいる私の目の前にはトラ(本名)さんがお座りした状態で私が手紙の返事を書き上げるのを待っている。
トラさんが運んできたのは兄からの手紙と小包み。あの寡黙な兄は今どこかの森だか山だかの奥地にいるらしく、普通の手段では届けられないため配下のトラさんに頼んだらしい。
「一晩くらい休んでいったらどうだろう? ほら、ここには暖かい部屋も寝床になる敷物もあるし」
「ぐるる」
そう提案してみたがトラさんは首を横に振ると、窓辺に飾ったかぼちゃのランタンをその大きな前足で指し示す。夜の死者祭りが終わらないうちに帰りたいらしい。
体格がよく、筋肉もしっかりついている。毛並みはふっかふかしていてなおかつ艶がある。野生にしては充分に肉がついており、飼い虎にしては野性的な体つき。兄の手入れが良い証拠だ。
是非ともそのまばゆい身体に触らせていただきたい所だが、半分野生で兄の指示受けて仕事もこなすこのトラさんは、人間を含め様々な存在をかい潜って行動しているため、身体に兄以外の他者の匂いが付くことを避ける。
つまりわおさわり厳禁なのだ。
素敵な毛並みを前にしてただ見るしか出来ないというのは、胸を貫かれるように悲しい気持ちにさせられる。
あんまり悲しいので兄の手紙への返事は愚痴も兼ねた長いものになってしまった。あとトラさんにたっぷりブラッシングしてあげるようお願いもしておいた。
ざっくりと書き上げた手紙をこの間かぎ編みで作った巾着と一緒に革製の鞄に入れしっかりと口を閉じると、トラさんの目の前の床にそっと置く。
トラさんは鞄の傍に顔を近づけてふんふんと匂いをかいで何かを確認すると、私の手のひらよりも大きそうな肉球で何度かふみふみする。それから前足と顎を使って器用に首と胸のベルトの金具に鞄を取り付けると、窓まで歩いてから私を見る。
「もうさよならするのか……」
悲しい。本当に悲しい。せめてその立派なおひげの先だけでも触らせてくれないだろうか。
だが非情にもトラさんはそのまま窓からするりと抜け出し、さっさと帰ってしまった。
もうふて寝しよう。
そう思って時間は早いが寝床にもぐり込む準備をしていると、遠くから何か大きな音が聞こえてきた。
そこそこ音が近いので、学院内の死者祭りで何かやっているんだろう。耳をすませば賑やかな祭りの様子が伺える。
暗くて見えないが外はきっと楽しいことになっているんだろう。
ミリオンが何かの出し物を手伝うんだと言っていたし、ジルニトラ君は祭りの騒がしさに興奮しがちな竜を落ち着かせるため仲間達と竜舎で過ごすと言っていた。
ちなみに私は治療の関係で今は屋外に出るのを控えている身だ。
トラさんにも触れなかったし、やはり今日は寝てしまおう。
いいんだ。兄からの小包みには可愛い寝間着も入っていた。早速これを着よう。そうだ、寝る前に夢見の良くなる香りのするお茶も飲もう。せめて夢の中ではもふもふを堪能したい。
給湯室にお湯をもらいに行こうと部屋を出る。
外で祭りが開催されているせいか、研究病棟内は人の気配が少なくていつもより静かで広く感じた。
給湯室でお茶の準備をしているうちに、ふと思いついてお茶の入ったカップを持って階段を上がって屋上へ出てみた。
星空を眺めながらお茶を楽しんだら気が晴れるかと思ったんだ。
だがあいにく空は曇りだった。明日か明後日あたりは雨になるかもしれない。夜の曇り空は暗いが、どこかで月が出ているらしく厚い雲の切れ目のはしが時々ちらりと見える。
屋上自体は居心地のいい場所だ。しっかりとした柵で囲まれた屋上はちょっとした庭園にもなっていて、祭りにあわせてあちこちにかぼちゃをくりぬいたランタンが置かれていて、暖かみのある明かりで満ちている。
備え付けのベンチに座り、見えるか見えないかの雲の切れ目を追いながらお茶をすすっていると、廊下を走る軽い足音が聞こえてきた。
階段を上がり、こちらに向かってきている……何だろうか
「レニー!」
「なんだミリオンか」
「? そうだよ、俺だよ」
屋上へと繋がる扉が開いて現れたのはミリオンだった。なんだ、一瞬でもトラさんが戻ってきたんじゃないかと思ってしまった。
「いつもより足音が軽かったからわからなかった」
「ああ、それは俺が仮装してるからさ。ほらこれ」
そう言うとミリオンは変わった形をした手袋とブーツを見せる。やたらふかふかしているな。薄暗いのでよくみえないが表面に何か模様が入っている。これは毛皮だろうか?
「あとこれ」
頭を傾けて飾りのついたカチューシャを見せてくる。さらに背を向け腰のベルトについた縞模様の尻尾がよく見えるように……尻尾?
「死者祭りで学院の生徒はみんな仮装しなくちゃいけなくてさ。あんまり丁寧な仮装じゃないけど、どう? 少しはマシかな」
そう言ってミリオンは照れくさそうに偽物の爪がついた手袋で頬をかく。
「ジネヴァさんの所にいる虎を思い出して市販の猫の仮装をいじって作ってみたんだ」
虎か! トラさんなのか!
「ひげがあれば完璧だ」
思わずミリオンの手を取ると、なんと肉球がついている。
「そういえばひげは忘れてた」
布製の肉球をもんでいるとくすぐったいとミリオンは笑う。
偽物だが、虎だ!
さっきまでの悲しい気持ちが吹き飛び、思わず目の前の虎(偽)に飛びつく。
「レ、レレレレ、レニー!?」
ああ、胴体部分はミリオンなのが惜しい。惜しいが、さっき本物を触れなかった代わりに背中をなでたり頭をなでたりしてみた。
「レニー、駄目だよ、こんな所で……ここ外なのに、そんなことされたら、俺……」
「仕方ないじゃないか、我慢してたんだから」
トラさんが目の前にいたのにもふもふできなかったんだ。
「が、我慢? レニーも我慢してたの?」
ああそうさ、もふもふしたかったさ!
トラさんにやってみたかったようにあちこちなで回していると、ちょっと気分が晴れてきた。
「レニー!」
「な、なんだ一体」
もしかして嫌だったのか? 確かに無理矢理抱きついてなで回して、迷惑なことをしてしまった。
「すまない、今離れる」
「離れなくていいよ! あの、ちょっと目を閉じてくれない?」
「え? どうしてだ?」
「いいから」
仕方ないな
何が何だかわからないが言われたように目を閉じてそのまま立って待つ。
「痛くしないから。そう、そうやって待ってて」
一体何だろうか
「あいたっ」
何かがコツンと頭に当たった。
目を開けて頭に落ちてきたものを手のひらに受け止めると、大きくてキラキラした花の蕾だった。表面は柔らかいが中に何か硬いものがあるらしく、振るところころと音がする。
「何だこれ」
顔をあげると、なんだかもの凄く近くにミリオンの顔があった。両肩にも手を置かれている。
「ミリオン、どうしたんだ?」
「…………なんでもない……なんでもないよ……」
目が潤んでいるが、何かあったのか? どこか痛いんだろうか?
「大丈夫か?」
「平気さ、俺強い男だから。うん。平気……へいきさ……」
「ミリオン、これ一体何だ?」
「これは祭りで配ってた友人の発明で『花火蕾』っていうんだ。とても綺麗だったから俺も1つだけ分けてもらってきたんだけど……」
ポケットから同じ蕾を取り出してミリオンは首を傾げる。
蕾が落ちてきた方を見上げると、夜空の下で見覚えのある鳥が飛んで行く姿が目に入った。
「ジルニトラ君の鳥だ」
「あいつか」
ミリオンが去っていく鳥を睨む。
「いつもろくでもないことしかしないな!」
「ミリオン、この『花火蕾』には何かあるのか?」
「……まあレニーが喜んでくれる方がいいか。いいかい? よく見てて」
そう言ってミリオンが『花火蕾』を宙に放り投げる。くるくると三回ほど回転すると、花が開き、落ちてくる間に花火のように花びらが光になって弾け飛んだ。ゆっくり落ちてくる光の粒があまりに綺麗なので思わずつかもうと手を伸ばすが、指が触れる前に消えてしまう。残りの中心部分がゆっくりと落ちてくるので受け止めると、玉状のものがぱかりと割れた。
「わっ、なんだこれ……あめ玉?」
街で売っているような、可愛い花模様の包み紙に包まれた飴らしきものが五つほど転がり出てきた。
「中にお菓子が入ってるんだ」
「面白いな! それにすごく綺麗だった」
「もう1個あるから、やってごらんよ」
「うん」
『花火蕾』を受け取ると、私も真似をして回転するように空へ放り投げる。『花火蕾』はミリオンが投げたものとちがってふらふらとしながら飛び上がると、これまた綺麗な花火を生み出しながらお菓子を落とした。
「俺、綺麗なものや楽しいものを見たりすると無性にレニーに会いたくなるんだ」
「そうなのか?」
「うん。だから沢山の花火を見てレニーに会いたくなって来たんだ。元々来るつもりだったけど」
だからといってわざわざ来なくても良かったのに。
「……お茶でも飲むか?」
「うん」
「その耳と尻尾触っていいか?」
「う、うん。いいよ。他の場所もいっぱい触っていいよ」